2011年、グリー・モバゲーで遊ぶと現金が稼げた。RMTが学生のバイトだった当時のRMT記録

2011年、私は『機動戦士ガンダム エクストリームバーサス』を遊ぶためにゲームセンターで並んでいた。人気ゲームに人が並ぶなんてことは『ストII』からありふれたことだが、この時期は少し異なっていた。
学生たちが、他のプレイヤーの対戦を見ないで、ひたすらに携帯電話をポチポチしていたのだ。いったい何をしているのか。

「決まってるでしょ、モバゲーとグリーで金を稼いでいるんですよ!」

そう、2010年~2012年のごく短い期間、モバゲーとグリーのゲームを遊ぶとお金が稼げた。そして、ゲームセンターで遊ぶ学生、小銭が欲しい学生たちの稼ぎ場となっていたのだ。
この期間はリアルマネートレード(RMT、ゲームアイテムを現実のお金でやり取りすること)が簡単で、月数千万を稼ぐ専門業者すら存在した。その中で、学生すら簡単に、それなり以上に稼げたのだ。
今回はそのときの話を記録として書いておきたい。

RMTってなに?

RMTとは、リアルマネートレードの略。オンラインゲームのアイテムを、オンラインゲーム内の通貨・アイテム交換ではなく、外部を介して現実の金でやり取りする行為をさす。
RMTの合法・非合法についてはゲーム運営側は非合法と言い、RMT業者側は合法であると主張しているが、裁判で争われていないためグレーゾーンとなっている。
また、記事で言及される当時、近代的なガチャ課金が普及する前は(現在のRMT規制はガチャが賭博とされる可能性がある日本の法律に引っかかる可能性がある)、『Second Life』などでプレイヤーが作ったアイテムをRMTで売買する仕組みに肯定的なゲームメーカーもなかにはあり、RMTは風当りが強かったものの、完全に敵視されていたわけでもなかった。

プレイヤーから見ると、PCオンラインゲームではRMTでゲーム内アイテムを売るため、人気ゲームほどCPUが自動操作するBOTが氾濫してゲーム環境が悪くなったり、ゲーム内のアイテム相場が荒れるなど、経済面で害となる側面があった。また、GM(ゲーム運営側)がアイテムを複製して販売する副業に手を出す問題も発生した。
一方で、ゲーム運営に見切りをつけたらアカウントのアイテムを売って異なるゲームに移動できる利便性が提供されるため、有益な部分もある。

韓国ではこういったプレイヤーの利便性を主張するRMT業者とゲーム運営が裁判で争い、RMT業者が2010年に最高裁で勝利してゲーム内アイテムはプレイヤーの財産となり、それを売買するRMTは合法となっている。ただし、ゲームアイテムは生鮮食品のような扱いで、サービス終了と共に賞味期限が切れて価値が0になる(つまり、サービス終了やアイテムの能力調整で運営がゲーム内アイテムの補償をする法的責任はない)。

RMTが容易になった2010年ごろの状況

いまでこそトレード機能があるゲームの方が少ないが、当時は多くのゲームにプレイヤー間で直接アイテムをやり取りする仕組みが組み込まれており、モバゲーやグリーにはトレードなどを促進する掲示板が設置され、欲しいアイテムを他のプレイヤーと簡単に取引できた。

トレード時、相手の欲しいアイテムを持っていなければ、現金取引に容易に行き着いたわけだ。また、2008年あたりにヤフーオークションが普及したこともRMTを促進した。当時のオークションサイトにはゲーム内アイテム販売に関する規制がなく、ソーシャルゲームのレアカードやスタミナ回復薬(以下、回復薬とする)がたくさんオークションに出ていたし、買い手も存在した。

上記の画像は、『探検ドリランド』の増殖バグを扱ったIT MEDIAのもの。当時の熱狂ぶりもわかるのでぜひあわせて読んでみて欲しい。

2010年からRMTしやすいゲームが普及した

モバゲー、グリー内でゲームを遊ぶことで目立って儲かるようになったのは、2010年~2012年だった。その理由にはもちろん、携帯電話のソーシャルゲーム市場の急激な成長がある。下のグラフにあるように、2009年から2011年までの伸びは特に驚異的だ(2012年に減少しているのはスマホに市場を奪われているためで、業界全体としては成長している)。

しかし、学生たちがゲームで儲けられるようになった背景には、ゲームの変化があった。2010年9月に『ドラゴンコレクション(ドラコレ)』がヒットし、ブラウザゲームの世界を決定的に変え、意識せずしてRMTで儲かる下地を作ったのだ。

今では信じられないことだが、『ドラコレ』前のゲーム(※ペット育成や主人公を育てて対戦バトル系など様々なゲームがあった)のヒットゲームには、永続的に使えるアイテムをため込む概念が薄かった。装備アイテムがあっても『釣りスタ』の釣り竿などアイテムは一定回数・一定確率で壊れてしまうし、ペットゲームなら良いエサはいずれ尽きた。
ところが、『ドラコレ』のガチャから排出されるカードは永遠に使用できた。永遠に使用できれば、余剰はトレードに回る。無課金プレイヤーでもゲームを続けて資産を貯めることができる構造が生まれた。

さらに、ヒット後にも『ドラコレ』は革命を起こした。それまで、イベントでは課金者以外が意味のある報酬(ゲーム内で有利になるもの)を手に入れる機会はとても少なかった。
しかし、運営を続けるなかで『ドラコレ』は無課金・中課金・重課金のすべてのプレイヤーに、戦力やプレイに応じて報酬が手に入るものを用意しするスタイルを確立した。現在、イベントでは課金・戦力状況の異なるプレイヤー層が楽しめるのが普通だが、これの原始的なスタイルを確立したのが『ドラコレ』だったのだ。
これによって、すべてのプレイヤーはイベントがあるたびにガチャチケットや回復薬の入手機会ができ、ゲームに参加するモチベーションを持てるようになった。この仕組みが無課金プレイヤーの資産を増やし、トレードに流れるアイテム流通量の増加を促進した。

「無課金でもこんなに遊べる(実際はすぐ止まる)!」を競っていたモバゲー・グリーのゲームプレイヤーにとってこれは革命的で、『ドラコレ』のヒットを加速させた。
まず、ゲームの構造が変わった。多くのゲームがガチャから永続的に利用できるカードを輩出するようになり、秘宝バトルなどのPvP機能を持ちつつも、他のプレイヤーと一緒にレイドボスを倒す近代的なポチポチゲーの構造を採用し始めた。有名なところでは、グリーの『ドリランド』が2011年5月にゲームの中身を変えて『ドラコレ』型にリニューアルしてヒットした。

また、後々は他のゲームでも『ドラコレ』をまねして回復薬を配ったり、ガチャチケットを配るようになった。これにより、無課金プレイヤーでも資産を貯められる状況が加速し、トレードに流れるアイテム量を加速した。
つまり、一般プレイヤーがRMTできるゲーム内容、ヤフオクなどの社会的環境が揃ったのが2010年~2011年だった。

この記事を人に見せたとき「ログインボーナスは?」と言われたが、ログインボーナスすら当時は最先端の概念で、多くのゲームに存在しなかった。
また、ガラケーではログインボーナスは特別なイベントで、正月ログインなどの特別な時期にイベントとして行われていた(ドラコレも当初そういった形でログインボーナスイベントを行った)。
その他、2009年にガラケーで登場した『怪盗ロワイヤル-zero-』にはログインボーナスはなく、2010年に9月にPCのYahoo Mobage版サービス開始になって初めてログインボーナスがついた(ガラケー版にはなかったので、PCゲーム文化と交わって初めて追加されたのだろう)。とにかく、今のソーシャルゲームとは常識が違う。

当時のトレードの流れ

実際に、当時のトレードの流れを追っていってみよう。
Aさんが『ドリランド』で当てた超レアカードを交換に出してトレードしたいとすると、Yahooオークションを使わない場合はモバゲーやグリーの取引掲示板には下記のように含みを持たせて書く必要があった。

『ドリランド』の超レア××交換に出せます、回復薬ならば1,000個ですが、異種トレは『ドラコレ』レート0.5でOKです!条件によっては考えますのでメールください。

今や聞きなれない単語がたくさん出てくるので、説明しよう。これの意味するところは、『ドリランド』の超レアカードを回復薬1,000個で交換する、という意味である。
異種トレとは、『ドリランド』の超レアカードを以外の別ゲームとのトレードする異種ゲーム間のトレードになる。これは、トレード機能を利用して同じプレイヤーの異なるゲームアカウントでアイテムをトレードするという意味だ。『ドリランド』の超レアカードを異種ゲーム『ドラコレ』の回復薬で買おうとすると、レート0.5……つまり、回復薬1個あたり0.5個換算になり、回復薬2,000個が必要となるわけだ。
そして、「条件によって考える」。回復薬が足りないと、ここでRMTが出てくる。モバゲーやグリーにはアカウントの持ち主に対してメールする機能があったので、このメール内で細かい条件を指定することができた。
また、当時は電話番号のやり取りやメールアドレスのやり取りに制限がなかったため、直接連絡を取ってやり取りすることもあった。

今でこそ禁止されている異種トレードだが、当時は普通のゲームの一部だった。モバゲーやグリーの掲示板には異種トレードの募集が常に立っていたし、それをとがめられることもなかった。

ゲームで確実に儲ける方法とは。

そろそろ、皆さん「ガチャチケットでSSRレアカードを当てないと儲からないのではないか?」と疑問に突き当たることだろう。ところが、この時期のモバゲー・グリーのゲームを真面目に遊ぶと確実に稼げたのだ。

まず、回復薬をあらゆる手段で貯める。そして、売る。これが基本だった。
回復薬の定価はゲーム内で100円だが、まとめ買いやイベントでゲームや時期によっては50円程度の価値になることもあった。オークションではそれ以下の価格で扱われ、100本などのまとまった単位での取引が行われた。
回復薬が通貨として機能していて、たくさんのゲームの回復薬を貯めて異種トレードで一本化して売るのが常套手段だった。

では、その回復薬はどうやって貯めるのか?
それは、イベントのプレイである。先ほど書いたように、『ドラコレ』はゲーム内でイベントで無課金プレイヤーに報酬カードを与える仕組みを作った。
当時のイベントと報酬システムは大体こんな感じだ。

『怪盗ロワイヤル』的なバトルを脱したイベントは、たいてい「スタミナを消費してポイントを得る」か「レイドボスを倒してポイントを得る」ものだった。そして、ポイントの総係数と順位(もしくは片方)に応じてイベント終了時に報酬が手に入る。そして、その報酬は多くの場合、回復薬と次回イベントの特攻カードだった。
特効カードとは、イベント時に発生するポイントやレイドボスに与えるダメージをn倍する特別なカードのことだ。nには2~100倍程度が入るが、イベント上位に行きたければこれを持っていることは必須だった。

で、この特攻カードは1枚だけだと2倍、限界突破をするたびに3倍、4倍、5倍と特攻の倍率が上がる仕組みになっている。イベントランキング上位者は限界突破の上限に達するまでイベント報酬の特攻カードを手に入れられるが、下位のプレイヤーはそうではない。
よって、イベントの報酬として無課金で1枚だけ特攻カードを手に入れたとき、限界突破の上限まで特攻カードを手に入れられなかったプレイヤーに対して回復薬、数十本で販売できた。
無課金でも手に入る報酬は市場にあふれるから大儲けとはいかなかったが、これを複数のゲームでやると回復薬がどんどん増え、異種トレードで一本化すれば十分トレードに出せるだけの数になった。このようなやり口で、学生は月数千円~1万円を手にすることが可能だった。

もちろん、こんなことをするよりもアルバイトをした方が効率は良い。だが、ゲームセンターで並んでいる間に暇をつぶして、月に1回数千円(そしてガチャで当てれば万!)手に入るなら学生はやる。
よって、学生たちはゲームセンターで携帯電話をポチポチしていたのだった。

また、次に学生ならではのテクニックとして、招待レアを売る方法もあった。このころのゲームは、他のプレイヤーを初めてゲームに招待すると報酬が手に入り、それが5人1枚、10人で2枚、20人3枚と、招待限定レアカードを入手できた。
これを入手するとき、学生だとクラスメイトに頼むことも(焼きそばパン1個で、とか)できたし、家族の携帯から招待を受けてもらうこともできて、1~2枚の獲得は比較的容易だった。
お金を持っているプレイヤーも、招待だけは難しい。だから、金のあるコレクターに招待レアを売ることができた。難易度にもよるが、完全に限界突破をした招待レアを売れば1万円になることもあった。

さらに、まだモバゲーやグリーのゲームが普及しきってなかった頃なので、「ちょっとゲームのアカウント作ってガチャを引いてくれ、レアが出たらおれが売ってやるから山分けな」などとクラス中の仲間に持ち掛けるプレイヤーもいた。
そして、SSRが出れば夢のボーナスタイムが始まるのだが……。実際、SSRカードを販売する前に障壁があり、仲買い(RMT業者ではない)を介して販売する必要があったり、相場師のようにベストなタイミングを見極めて売る必要があったりして、独自の商慣習などもできあがる。
さらに、時期が進むと「ガチャに金を投資して回収する」スタイルのプレイも生まれ、RMTは加速していく。

それについては後編、「2012年のモバゲー・グリーRMT事情。ガチャを回すと儲かる錬金術と無限増殖、その崩壊」で。

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