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ドラゴンズドグマ2が与える「自分だけの物語」というゲーム体験

※この記事は多少のネタバレを含みます

先日発売のドラゴンズドグマ2、40時間ほどプレイして一段落したので所感を書いていこう。

2024/3/22にCAPCOMから発売された『ドラゴンズドグマ2』。アクションRPGで、オープンワールドの自由度が遺憾なく発揮されているゲームでもある。賛否両論話題となっている作品だが、個人的には唯一無二のゲーム体験ができた思っている。

それは、与えられた物語に沿って進むのではなく「自分だけの物語」を体験できるからである。

ファストトラベルがなかったり、クエストの目的地が定まっていないことがあったり、近年のゲームにしては、相当にに不親切なゲームだ。ただ、公式も述べているように「不便さを楽しむゲーム」でもある。その他多くのゲームのように「すべてのクエストを正しい方法でクリアする」ことを目的とすると、とても難しく、ストレスフルなゲーム体験となるだろう。たが、おそらくそれを望むのはこのゲームの本質ではない。

挑むクエストを自分で選び、クリア方法も様々用意されている場合がある。ときに正攻法で、ときに奇策でクリアする。また、無視したり後回しにするのももちろん自由だ。ただ。無視するといつの間にか受けられなくなっていたり、後からクエストに挑んでも手遅れだったりする。一見すると大したことのないお使いクエストだったとしても、のちの重要クエストに影響がある場合もある。後回しにしたことで、後の自分の首を締めているかもしれない。

これは私の感覚だが、メインストーリーをクリアするために「絶対にやらなければいけないクエスト」というのは案外少ないのではないだろうか。
むしろメインストーリーをクリアするまでに、どんなクエストに挑みどんな状況に直面し、どんな人物と関わったかが「自分だけの物語」になるのである。

私はメインストーリークリア直前にある事件に遭遇した。その結果、このゲームで最も主要な街のNPCをほぼ全員死なせるはめになった。(このゲームをプレイした人なら"竜憑き"といえば伝わるだろう)そしてなにより、この事件は未然に気が付き、防ぐことも可能だったのである(ゲーム内知識だけだと容易ではないが)。ある意味で自分の不注意で何十人ものNPCを死なせる事になったのである。このゲームには蘇生アイテムがあるため、ゲーム的な「詰み」にはならず、その気になればストーリー的に重要なNPCだけ蘇生して何食わぬ顔でゲームを続けることもできる。しかし、これまで色々な依頼で関わってきたNPCが一夜にして、自分のせいで全滅したとなると無感情ではいられない。

これがもし、メインストーリーの一部であり、必要なシーンだったとしたらこのような思いを抱くことはないだろう。ある程度の偶然と自分の不注意が原因だからこそ、思うところがあるのだ。

厳密に言えばこれも与えられた体験ではある。しかし、それでも選択と偶然が重なり、「自分だけの体験だ」と感じることができている。自分の行動で物語の解釈が変わり意味が変わるのだ。

ゲームをクリアする者の視点から一歩踏み込み、本当の意味で「主人公」として自分の物語を歩むことができる。ドラゴンズドグマ2はそんなゲームだと言えるだろう。



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