ゲーム会社にいた人が産業カウンセラー資格をとってみた

産業カウンセラーの勉強をしている元ゲーム会社の開発の人です。

まだカウンセラーとして働いているわけではないけれど
勉強中でもいいから存在をどんどん明かしてね、とドクターに言われたので日記として書いてきます。任務。
2020年2月に産業カウンセラー資格を取得したばっかり。

私は昔から、ミーティングで人の顔色(物理)が気になって仕方なかった会社員でした。 観察されていたらキモっと思う人もいたかと思います。
どうやら他の人の状態を記憶するという癖を持っていたのです。具合悪そうな人を記憶することはできるのですが、その後の行動は普段の関係性、コミュ力の方にかかっているので、たとえ心配しても相手にそれを伝えたりすることはなかなか塩梅が難しい。
自分自身もめんどくさい性格なので、相手によっても時によっても放っておいて欲しい時もあれば気づいて欲しい時もある。放っておいてほしい時もわかる信頼関係がないと話をすることすらできません。 

今となってはマネージメント業務内にもチームの状態を把握するのは重要な仕事だと思えますが、当時は人の状態を記憶する特殊癖のある人でした。

仕事上でヒアリングする時なんかには、記憶を頼りに伝えたりすることがありました。個人的に相談を受けたりすることの回数が多くなってきて、このまま心もとない返答をしていてもよくない。ちゃんと勉強しようと思い至り会社を退社したタイミングで勉強したのです(遅い)
 

思えば会社内でもうちょっとメンタルヘルスの体系的な知識が行き渡っていれば、少し頼れる場所が増えていたのにと後悔が残ります。
この辺りが動機です。



こんな過去

私は2000年代にゲーム業界に就職しました。

当時はまだ会社に泊まって仕事をする人が当たり前のようにいる時代でした。残業規制などなく、仕事し放題。ある意味作るものに満足するまで会社にいられました。仕事の仕方も絶対神(天才)がプロジェクトの全てを決めるいわゆるメテオフォール進行が存在したりして。

マネンジメントなもないので、みんなクオリティアップのために帰宅時間を削るあれ。夜中仕事して土日出勤して帰ったら眠るだけのあれ。気がついたら自分も周りもばたばた入院沙汰になったり休職したりする、あれ。


文化祭前夜(陰キャ多め)が一ヶ月くらいずっと続くような
アドレナリン出っ放しで締め切りが終わったら倒れる生活。
空気を吸うのと同じよう昔は社畜だらけだったのです

気付いたら軽く10年は経ち

時は働き方改革。働きすぎは罪。残業は罪。

クオリティは出せ。

どうしたらいいの。

すでに残業しすぎでボロボロの体に上のせして
板挟みのストレス、

新しい時代のストレスが誕生しました。

この問題も解決しない中でついに在宅勤務しっぱなし問題がやってきましたね。


今日のメモ
息をしよう(定期)
みんな生きよう!!!!!!(定期)



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