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ワンダと巨像から考える「命の重さ」を見せる仕組み

はい。こんにちは。ちゃんこです。
ゲーム実況チャンネル、ゲーミングちゃんこにて実況しました「ワンダと巨像」というゲームに関しての感想をつらつらかいていきます。

まず、「ワンダと巨像」というゲームは

最後の一撃は、せつない。
失われた少女の魂を取り戻すため、自身の何十倍もの大きさの巨像に、臆することなくしがみつきよじ登り、何度でも知恵と勇気で立ち向かう、ワンダ。
「少女を救う」、その一心で彼が向かう先は、希望か、それとも―
神話の一部を追体験しているような、それでいて、この世界のどこかにずっと実在しているかのような、儚くも美しい物語を、お楽しみください。

PSストアより引用
https://www.playstation.com/ja-jp/games/shadow-of-the-colossus/

まず、このゲームのキャッチコピーである「最後の一撃は切ない」という事について考えてみました。
巨像を倒す瞬間、今まで流れていた壮大なBGMが止み、ワンダが振りかざした剣が巨像を刺す音だけが響きます。
この瞬間、スローモーションになり、静寂が生まれます。
最初はただ単に「切なさ」を演出しているものだと思っていましたが、最後までプレイをしてその考えが変わりました。
これはドルミン(この世界で言う神様のような存在)によって操られていた人間たちの魂、つまり巨像に入っていた魂の最期を表すもので、この一撃に彼らの悲痛な思いが表れているのではないかと考察します。
しかし、彼らはすでにドルミンによって操られているので彼らの意思はほとんどないと考えます。そう考えるとさらに切ないです。
そして、巨像から黒い帯が出てきて、その帯が足掻くように動いてワンダの体に刺さるという演出があります。
この一撃を放ったことでドルミンの体の一部である黒い影が現れ、スタート地点の祠に戻ってきたワンダの体を物欲しそうに見つめる、という演出があります。

第14話より

ここに私は、ドルミンと巨像の魂の「生」への執着を感じました。
この話のラスト、ドルミンがワンダの体を乗っ取り、大きな黒い鬼のような影になってしまいます。その時にこの影たちが大きな影に入り込みます。
まるでワンダ自身が巨像になったかのような感覚です。
この時に今までの黒い影は巨像に入っていた魂だったと悟るのですが、すべての魂を奪っていた後なのでもう遅いんですよね…。
これらの巨像たちはドルミンが復活するための礎でしかなく、ワンダもその一人だったと考えると巨像に与えた一撃は自らを滅ぼすための「切ない一撃」だったのかもしれません…。
様々な考察がありますが、私としてはそう感じました。

そんな悲しいラストですが、ここに至るまで、私は多くの苦労を乗り越えてきました。
このゲームは活動史上、難しいゲームでした。
巨像によって倒し方に違いがあります。また、初見では攻略に全く気が付かない箇所もあり、攻略を見たとしてもプレイヤーのゲームプレイスキルが問われる面もありました。
それでもワンダと共に女の子を生き返らせたいという気持ちで一生懸命に巨像を倒してきました。
しかし、それほど苦労して終わらせた結果が、ワンダの死でした。

最終回より

この結末ほど悲しいものはありません。初めてゲームで号泣しました。
しかし、これで巨像を倒すとき、苦労が無かったら。とても簡単なゲームだったら、私はここまで悲しくなかったと思います。
ワンダ、アグロと共にプレイをしてきたからこそこのラストが生きてくるのではないかと思います。ラスト数分のムービーで一気に感動を生ませるというのはストーリーとして凄いと思いました。

そして、このゲームの一つのゴールである「生き返らせる」ということについて、私はこれほど重い行為は無いと思います。
まず前提の質問として、
皆様の中でどうしても生き返ってほしい人やペットは居ますか?
私は沢山います。これまで生きてきて多くの命の最期を見てきましたが、どの命には戻ってきて欲しいという思いがあります。
しかし「生き返らせる」という行為は禁忌とされています。
命というのは一つしかありません。唯一無二の存在なんです。
このゲームでその「命の重み」というのを改めて考えさせられました。
さて、ワンダは巨像の命と引き換えにドルミンを開放し、少女を生き返らせました。しかし、その代償としてワンダの命は失われました。
鋼の錬金術師という作品にもありますが、この世には「等価交換」という概念があります。
命はお金でも時間でもなく、命でしか支払えないものだと思います。いや、一つの命ではどうしようもないのかもしれません。
ワンダがしたことは、まさに命でしか支払えない事でした。
だから彼の命は失われ、新しい生を受ける結果になってしまいました。

最終回より

ワンダの転生という結末はおそらく制作陣のせめてもの優しさだったのかな、と思います。
これはネットの情報なのですが、この作品を作るにあたって、エンディングにとても迷いと葛藤があったとの事でした。

・実はエンディングはもっとハッピーな展開も考えていた。しかし蘇生術を扱ううえでハッピーエンドは無いだろうと、ICOのセーブデータがあるとエンディングが少し変わるということも考えていたが止めた。
・もうひとつのアイデアとして、少女が蘇るほうが先という展開もあった。エモンたちが来てワンダをいたぶっている最中に、蘇生術を使ったために人間とはかけ離れ体が発光した状態で少女が蘇って、それを護衛の一人が剣で殺そうとするが弾かれて、エモンたちは慌てて逃げて再びこの地を封印してしまい、残されたワンダと少女は二人で生きていくというもの。
・もともとワンダは巨像を倒すたびに姿が大きく変わっていくという設定で、最後は美女と野獣の様にしようと思っていた。目覚めた少女は目がまだ見えない状態で手探りでワンダを捜すがワンダは姿が変わっていて、さあどうなるというところでスタッフロールに入っていくが、最後は仲よく二人でアグロに騎乗して走り去る、あるいは祠の出口から最初はアグロが出てきて次は誰が出てくるのかと思ったら支え合いながら二人が出てくる、というもの。ワンダの代償は姿が変わり、それが戻らないことだった。制作初期のパイロットムービーでワンダの頭に角が生えていたのはその名残。今だからこそ言えるがエンディングに関してはこうしたほうがいいと思う部分もある。ICOがなければまた違ったエンディングになったかもしれないが、最終的にチーム内でも今のエンディングがいいという意見が多かった。

ニコニコ大百科より抜粋
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%A8%E5%B7%A8%E5%83%8F

最後に、私なりの言葉で好き勝手に書きましが、やってよかったと思えるゲームでした。
前々からタイトルだけは知っていましたが、知っている方で実況する人がいなく、触れる機会がなかった作品でした。
しかし、これは自分自身でプレイをしてよかったと思います。
とてもとても大変で何度も心が折れ、辛い思いもしましたが、最後までご覧くださった方、コメントをしてくれた方、サムネを作ったり、ヒントを教えてくれた旦那、そして制作陣様に感謝しかありません。
実況者として、ゲームプレイヤーとして一人の人間として成長したこのゲームに感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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是非遊びに来てください!

※こちらの記事ははてなブログ「ちゃんこの部屋」にて書かれた記事のリライトです。
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