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褒められると嬉しいものは何か

高校時代はアメフトに青春を捧げていたので筋肉を褒められると嬉しかった。あまりに太いので私の腕のことを前足と呼んでくる奴もいたが、それさえ内心誇らしかった。
大学時代は声質を褒められると嬉しかった。一時期声優の養成所に通っていたこともあって、野太く低く通りやすい声が自分の大きな武器のように感じられた。
褒められた時に素直に嬉しいと思えるものには自分なりのこだわりというかプライドがあるのだと思う。そりゃそうだろう。ピカピカに磨いた泥団子のような、手間暇をかけた汗と努力の結晶を肯定されれば誰だって嬉しくなる。


一方で自分が納得のいかない褒め言葉を貰っても、それほど嬉しい気持ちにはならない。逆に、「何か裏があるんではないだろうか?」「何か面倒を押し付けられるのではなかろうか?」と疑問に感じてしまう。極端な例だと「イケメンですね。」「錦戸亮さんに似てますね。」と褒められても、自分が外見にそもそも自信が無い上、納得感も当然無いので、言葉が腹落ちせずあまり嬉しいと感じない。いや、悪い気はしないんだけれど「何を言ってるんだ?目が腐ってんじゃないか?」という感情が一番にくる。


何が言いたいかというと、会社の元同僚に先日私の文体(文章のリズム)を褒めてもらって嬉しかったという話。

自分の文体って言われてもピンとこないけど、自分が読む立場だったとした時に好きな種類の文体はある。そういう文体を自分も好んで使っているのかもしれない。


好きな文体という話で言うと、これは小説においての話にはなるが、情景描写と心理描写と台詞が適正なバランスで書かれている文章が好きだ。このバランスが崩れると、情景がイメージしにくかったり、言葉の重みが軽くなりすぎたり重くなりすぎたりする。私の好きな作家・村上春樹氏も言っていた。

情景描写と心理描写と会話というのがだいたいにおいて、小説にとっての三要素みたいになります。この三つをどうブレンドしていくかというのが、小説家の腕の見せ所です。 (出典:『村上さんのところ』, 新潮社)

また、上記のリンク先でも述べられているが、文体は好みの音楽に似ると考えている。例えば、クラシック好きな人の文章は論理構成がしっかりしていて、ジャズ好きな人の文章は流れが滞ることが少ない。あくまで傾向として、の話ではあるけれど。(これに関しての村上氏の発言があったように記憶していたんだけど、探しても見つからず、私の頭が勝手に創作してしまった可能性がある。。。村上先生ごめんなさい。。。)


いずれにせよ、本の感想やらnoteやらを書く機会が最近は多いので、他人が読みやすい文章・みんなが読みたくなる文章のリズムを心掛けていきたい。

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