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「50歳で一度死のう」と決めていた話

人生100年時代とはいうけれど、ざっくりと(長すぎるなぁ…)と学生時代から考えていた。

2021年現在、日本人の健康寿命は70歳前後、平均寿命が80〜85歳なので、健康でない期間が平均で10年以上ある。
生き方が自由に選べる時代が到来しつつあるけれども、死に方は自由に選べる時代はなかなか実現しなさそうだなぁと感じている。
そういう議論はあっても良いと思うが”安楽死”の法整備を進めろというわけでは決してなく、ダラダラと生を長らえるよりも太く短く自分の道を突き進みたい、と20代前半の頃から漠然と考えていたし、そう考えている20代は殊の他多いんでないかと思っている(自分の周りにそういう"死に急ぎ野郎"が多いだけかもしれないけれど)。
あくまでも一般論として、選択肢が複数ある世の中の方が生きづらさを感じる人の絶対数は少なくなるんでなかろうか。

最近はこのご時世なので会えていないが、私には御年95になる祖父がいる。
祖母が10年くらい前に脳梗塞で倒れたので、最近は一人で生活しているのだが非常に元気で気ままな一人暮らしを楽しんでいる風である。
何歳になっても生活の中に面白さを見つけられる生き方は憧れるし、流石は戦争を経験している世代という感じで尊敬する限りだが、これはあくまでも稀な例で、90を越えても生活を楽しんでいる自分の姿というのが、今の自分にはなかなかイメージしづらい。

そこで「50歳で死ぬ」ということに決めてしまえば、もっと自分の人生に情熱を持って取り組めるのではないかと考えるに至った。
これまで生きてきた人生の約2倍の年月(年々一年が過ぎるのが早くなっていくことを考えると体感的には3分の1か4分の1くらいになるかもしれない)、たくさんのことはできないけれど、何か1つのことは達成できそうな気がする。
いや、この27年間で何か1つ成し遂げられたのかと問われてもすぐには答えられないけれど。
自分の子どもの成人式はギリギリ見届けられるかもしれないというラインが自分の中では50歳だった。

とはいえ現実的に考えると「死ぬ」は生物学的な意味の死を必ずしも想定しているわけではなくて、50歳になったら「強くてニューゲーム」をはじめようくらいの感覚である。
50歳から何をするかという話は棚上げしておくとして、50歳までに自分は何を成し遂げたいのかに焦点を当て、そのためにはいま私は何を成さなければならないのかを真剣に考えたくて、そういう人生の期限から逆算した人生設計をしばしば思考している。
強すぎる「死」という言葉を用いることへの賛否はあろうが、それくらいの言葉を使わないと自分の意思を奮い立たせることは難しいと考えて覚悟の上で使っている。

ただ最近は(残り22年ってのも結構あるなぁ...長いなぁ...)と薄々感じつつある。
32,3歳くらいに期限をセットし直した方がいいかもしれない。
そういった理由でこの記事のタイトルは過去形にしている。
そうなるともう人生残り4,5年ということになる。うかうかしていられない。

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