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怪我の功名日記 8/10

車椅子で狭いとこの切り返しとか上手になってきたのを端で見ていた長男に「これで車の車庫入れも出来るようになるといいね。そしたら怪我の功名だね」と言われました。

今日の日記タイトル。

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生きる上で変わっていくこと、それが老いていく、劣化していく方向に向かうのは、一方通行の人間の生のシステム上もうしょうがないことだよね。

ある人が大きな目標に向かう中体調不良でつらそうにしていて、目標をギリギリのところで終えて、その後しばらくつらそうな時期が続いて、今はグループの活動をお休みする、という決断をしたその中で、自分に出来る範囲のことを頑張ろうとしていて、だいぶ元気になって、次の目標に向かっている様子をうかがうことが出来るようになった、…こういう状況なのですが。
その変化を貶すことしかしない人がいるのがとてもつらい。
確かに「元通り」ではないかもしれない、その、過去の時点の彼が好きだった人にとっては、今のこの姿は許せないのかもしれない。

でもなあ。以前の様子に戻ることだけが正解ではないはず。
そもそも「戻る」ってなんだ。時間は前に進んでいるのに、そんな後ろ向きに戻ることだけを望むっていうのが無理な話で。「劣化した」と嗤うあなたはいつまでも過去の時点だけを愛しんでいればいいんじゃないかと。

たとえば。尾崎豊のファンならそうするしかないのは理解出来る。

でも、彼は生きてるよ?
生きてる人間を相手にしているのだから、その変化も含めて応援していきたいとわたしは思います。

そう思わない方は静かに去って欲しい…と思うのは我儘か。ありったけの罵詈雑言誹謗中傷吐き捨てないと気が済まない人もいるんだもんね。

まー世の中いろんな人がいるということは認めないと。

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あるはずの未来、それは何も絵に描いたような輝かしい「夢」みたいなものでなく、「8月30日は健康診断だから市役所の〇階に集合」「8月28日の委員会は次号のために配布するアンケート用紙の印刷からだね」みたいな単なる「予定」すら叶わなくなるという、そんなことって本当にあるんだなあと身に染みている今日この頃。

きっと振り返ればこんな時期も一瞬で、「何を悲劇のヒロインみたいに自分に酔ってるんだ」と恥ずかしく思うであろうこの日々。

で、あることを祈りつつ。

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↑の写真はこないだ行った横須賀美術館の屋上で撮ったやつ。
推定気温35度…(知らんけど)

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