実家は駅から少し離れた住宅街にあり、こだわりの何かが欲しい場合は駅前の大型スーパーまで出向かなければならなかったが、ありきたりのものであれば、駅とは反対に向かい、自転車で5分程度のところにある、かつての沼地を地場のデベロッパーが造成した新興住宅地の入り口にある無名の小規模なスーパーで母は買い物を済ませていた。
母はいつも幼いわたしを後ろに載せ、急坂を下り、帰りは買い物袋を加え重くなった自転車をえっちらおっちら押しながら、夏には汗ダクになって上っていたのであるが、後部のチャイルドシートでは、雨が降れば水は貯まるし、最寄りのバス停まで5,6分歩かなければならないこの住宅地の人はどうやって毎日会社に通っているのだろうと呑気に思いを巡らせていた。
数年後、分譲地が完売したという話を偶然耳にしてから時を置かずスーパーは閉店した。
言うまでもなく、スーパーはその辺地に開発した住宅地販売のためにデベロッパーがこしらえた餌だったわけである。
懐事情は各家庭異なるものの、家を買うことは昔も今も生涯最大の買い物であることに言を俟たない。もし、そんな不便な場所でも徒歩圏内にスーパーがあることが購入を後押ししたのであれば、そのデベロッパーは罪深い。
ただ、そんな話は全国に転がっていて、清水の舞台を飛び降り、着地したのが泥沼だったということはよく聞くし、法に訴えるわけにもいかず、浅はかな自らの判断をただただ後悔するほかないのである。
有明ガーデン。あのいつでも身を引ける感じの安普請が気になる今日この頃である。





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