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バスト目測者人口【Chapter9:2年 夏③】

 それから逢沢を見かけない日々が続く。
 その間に大学では瞬く間に織田城太郎と彼女の噂が広まり、どういうわけか逢沢側へのバッシングがほとんどで、おれは佐藤ふみ花という女のことを思い出す。今回の件なんて格好の燃料だ。逢沢晴子は超がつくヤリマンだの、メンヘラだしちょっと慰めてやればやらせてくれるだの、そういう浅薄な脳みそから垂れ流されるような噂の数々の根源には彼女がいるはずなのだ、という根拠のない憶測だけどおれは許さない。逢沢を追い込んだ元凶を叩きたい。弱った逢沢につけこんで遊ぶゴミクズどもを巨大なマシンガンで駆逐したい。


 おれは久しく会っていなかった藤木梨花を大学の食堂に呼び出す。佐藤ふみ花との飲み会をセッティングできる? おれの奢ったカレーを食べる藤木は「メンバーによる」と言った。
「つまりそれはあれかな。餌がいるってこと?」
「そう」
「お高い女なんだな」
「というかまあ、ちょっと正直すぎる子だよね」
「タケヒコでどう?」
 冗談を流した藤木はおれの目を見る。「その前にちょっと待って。坂本はふみ花ちゃんと一緒に飲んで、どうするの? どうしたい?」
「どうするって……探りを入れるだけだよ。逢沢のことどう思ってるか。それからその先も考えるけど」
「あのさ」と藤木はスプーンの先を紙ナプキンで包んで拭った。「わかってるとは思うけど、晴子のこと忘れないでね。晴子のためにやるっていうんなら、あの子に変な迷惑かからないように気をつけなきゃダメだよ」
「わかってらい!」
 なんてムキになっているときほど本当に大事なところを見落としがちな気がする。やるからには、おれは逢沢に関して考えることはやめちゃならないのだ。あれやこれや、複雑でも楽をしてしまった部分はその程度の結果にしか繋がらない。おれは佐藤ふみ花の腹の底を掻っ捌いて覗き、現状を変える手立てを見出したい。陰ながら逢沢の生活に平穏をもたらしたい。
 おれは下の階の佐々木さんに会いにいく。
「佐々木さん。坂本ですが」
 ドアの向こうから現れた佐々木さんは服の中に手を入れてガリガリと腹をかく。「おう、どうしたの」
「つかぬことを聞くんですけど、佐々木さんは彼女さんっています?」
「え、いるけど」
「あ、それは別にいいんですけど、女の子は好きですか?」
「なになになに? なんなの? 男と比べてってこと?」
「二年に佐藤ふみ花ってかわいい子がいるんですけど、今度その子との飲み会があって、でもメンバーが足りないので、もしよければと思ったんですけど」
「知らないな。どれくらいかわいいの?」
 おれは藤木梨花から送ってもらった画像を見せる。「あ、見たことある! すごいじゃん」と佐々木さんが歯を見せて微笑む。
「で、いつなの飲みは」
「もし佐々木さんが来れるのであれば調整するんですけど、いまのところ金曜を予定しています」
「今週の?」
「今週の」
「え、金曜おれいけるよ」
「あ、本当ですか」
「マジでいっていいの? おれ坂本ちゃん以外だれいるかもわかんないんだけど」
「まあ、みんな二年生ですけど……」
「ああ、そう。そういうのおれ全然平気」
「本当ですか」
「うん。あ、じゃあ金曜?」
「そうですね。お願いできますか」
「こちらこそ」
 決まった。
 おれは親指を立てて微笑む佐々木さんの画像を藤木梨花に送る。
 すぐさま電話が返ってくる。
「これって四年生の佐々木さんじゃない?」
「そうだけど。有名?」
「ラッパーでしょ?」
 それは知らん……。


 佐藤ふみ花はちゃんと釣れる。
 佐々木さんはヒッポホップ研究会に所属しているラッパーで、卒論や就活が始まる前までは繁華街にある危険ドラッグの密売が噂されているクラブでDJなんかもしていたらしい人だったのだ。すごい!
「はじめましてー。でも坂本くん、わたし坂本くんのこと知ってるよー」
 乾杯して早々に佐藤ふみ花が触れたのはおれについての話題だった。ちょっと嬉しい。
「え! なんで?」
「学食とかでよく見かけるし。あと宮崎くんとかとよく一緒にいるよね。あーそうだ、大暮と喧嘩したんでしょ? やばくない?」
 カシスオレンジをちびちびと飲んで、チークで赤みがかっていた頬を更に赤らめて笑う彼女は、警戒こそしているおれだけど、逢沢の件さえなければたぶん胸の高鳴りを止めることができなかったであろう人間だったのかもしれない。そんな彼女のバストはたぶん七十~八十だと思われ、カップにするとBかC……自己主張が強過ぎるわけでもなく、かといって控えめというわけでもなく、これまたいい塩梅で心憎い。顔はと言うと、向かい合って喋っているとこっちが不整脈っぽくなるほど肌が白くて綺麗で、ちょっとほくろが多いところも含めて妙に目を引く顔で、グロスか唐揚げの油でツヤツヤになった唇なんて胸が痛くなるほど目を引く。でもちょっと待てボケが。それでもなおおれの核となるのはれっきとした怒りだ。
 おれは佐藤ふみ花の逢沢晴子観を窺うべく、藤木梨花と共謀して何気ない会話の節々に「ハルコ」とか「オダジョー」とかをサブリミナルっぽく含んでみる。「中学の修学旅行で大阪のオオワダジョーというとろこに行ったんだけど」
「オ……なにジョー?」
「大和田城ってところね、ところで佐藤さんは歴史とか好きですか?」
「ぜんぜん」
「わかる、おれもよくわかんないんだけどね」
「えー、でも歴史って面白いよ?」と佐藤ふみ花のつれの今野さんが食いついてくる。
「そうなんだ。高校のころは日本史とってた?」
「ううん、地理。でも大学に入って講義でちょっと触れたりしない? しかもなんか基礎教養として求められるじゃん歴史って。わたしやばーと思ってそういう本とか読むようになったんだけど、意外と面白いよ!」
「ああ、そうなんだ。へー」
「けっこうハマるよ。でも大和田城って知らない。だれが建てたの?」
「織田信長とかじゃないかな……」とおれが言うと藤木梨花がすかさず「ああ、織田くんね」と追撃。今野ちゃんは笑うが佐藤ふみ花はおしぼりをたたんでいる。
「織田くんって友達かよ」
「はははは」
「オダくんか……」藤木梨花がおれの腿をかるく叩いてから「そういえばみんなってもうゼミとか決まってる?」と切り出す。
「決まってるよー。うちら一年の後期から」と佐藤ふみ花。
「へー早いね」とエンジンが温まったらしい佐々木さん。「おれのときは二年からだったよ」
「あ、そうなんですか?」
「ゼミって、楽しい?」とおれ。
「え? あ、でも教授がピザとって研究室でみんなで食べたりとかあるよ」
「へー、いいね!」
「でしょ? 坂本くんピザ好き?」
「見りゃわかるでしょ」
「あはははは! いつでも食べにきな?」
「やった!」とそこで佐々木さんが「坂本ちゃんうぶだからマジで行くんじゃない?」と言うと「あははは! 佐々木さんもぜひ来てくださいよ~」と佐藤。おっけおっけ。なんかよく笑うようになってきた。
「なんで後輩のゼミ室にまでいってピザ食べるんだよ!」
「え~! あはは!」
「でもせっかくだから坂本ちゃん、一緒に行くか?」
「それいいっすね。お共させてください」
「きびだんごの代わりがピザな」
「ピザひと切れでどこまでも」
「ははは! ちなみに坂本くんは猿犬キジのどれ?」
「豚だよ!」
「ははははははははははははははははは!」
「ふたりナイスコンビですね~」
「同じアパートだからな」とここで佐々木さんが馴れ初めである騒音騒動の話をするので、ああしまった、ゼミの話から遠ざかってしまう。「へー。なんかふたり同じアパートってうけますね」
「うちは濃いメンツが揃っているからな」
「まあ、そうですね……」
「他にもだれかいるんですか?」
「いやおれは知らない。坂本ちゃん以外ほとんど交流ないからな。誰か知ってる?」とふられておれは頑張る。「あー……井沢さん?」
「アーイザワさんって人?」と藤木梨花がおれの口調を真似して笑う。みんなも笑う。
「そんなやついねえだろ」
「いやもう適当ですんで」
「誰だよ井沢って!」と佐々木さんがおれの首根っこを掴んで横に揺らす。「やめてくださいやめてください!」
 いいから早く食いつけよこの悪魔(佐藤ふみ花)!
 その後もペースよくお酒を飲んでいく佐藤ふみ花は今野さんのほっぺにキスをしたりする。「あー、みんなの見てる前だったー」とか言いながら手を叩いてずっと笑っている。馬鹿。そういうのいいから逢沢晴子についてなにか述べろよ。とそこでおれはようやく気づく。


 要はこいつ、なんとも思ってないんじゃないの?


「なんか坂本くんって~」と佐藤ふみ花が言いだすのでおれは顔を上げた。
「あ、なに?」
「部屋で爆弾とか作ってそうだよね」
 みんなが笑う中おれは藤木梨花の顔を見る。彼女は目を見開きながら顔の前で手を振っている。
 そんなこんなで締めになる。みんなにせがまれた佐々木さんが今夜の飲み会を総括したフリースタイルを披露してくれることとなった。
「え、そんなすぐできます?」
「ちょっとまってね……うん、うん。いけると思う」
「すごいっすね」というおれの目の前に佐々木さんがスマホを置く。音楽が流れる。
「YO、YO、そろそろお開き揃えろ品書き、奥のテーブルで騒ぐクソガキ
比べ物になんねえぜ集う俺たち、なんなら朝まで、YOそれが吉
出会いに感謝するぜ半端ないメンツ、飛び出す話題半端ないセンス
あっという間だけどほんとほんと最高、次の店どこ? そうだみんなさあ行こう! ……終わり!」
 二次会はなかった。


 そもそもいじめってやつはそこに想像力が介在していないからこそ、誰かに対して攻撃的に接したりできるのだ。想像できないから、試してみるのだ。あと愛もないのだ。いじめをするやつはどいつもこいつも残念極まりないゲロンポゲロンコどもってことで……とはいえおれだって例外ではないことを忘れず、緊張を絶やさず、この問題に向かい合わなくてはならなくて……んん?
 結局おれはどうすればいいんだ?
 なんて考えをぐるぐる巡らせていると、ブランコに腰掛けた藤木梨花が口を開く。
「坂本くん。まずは直接晴子を慰めてあげた方がいいと思う。ふみ花ちゃんとかオダジョーのせいであの子がへこんでるんだとしても、それってたぶん一人で抱え込んじゃっているからであって、そういうのをあたしたちで一緒に悩んであげたりすることが大事なんじゃない? そりゃおこがましい考え方かもしれないけど、おこがましいからって何もしないよりはマシだと思うんだ。例えばほら、夜の公園でこんな風にあたしたちだけで話してないでさ。本当ならあの子も含めて、一緒に考えるべきなんじゃないかな? わかんないけど」
 落ち着いた口調ではありながらもすらすら途切れることなく出てくる言葉に、藤木梨花はたぶんずっとそういうことを思っていて、居酒屋で茶番劇を繰り広げている時にも内心その状況を訝しんでいたのかもしれないなあと思うおれはちょっとだけ惨めな気持ちになる。ていうか逢沢に迷惑かけないようにって言ったのそっちだから暗躍を試みたのに、言ってること変わってない? もうわけわかんないよ。
 すっかり夜が更けたけどもしかしたらまだ起きているかもしれないということで、おれと藤木梨花でラインを送り、逢沢晴子に誘いをかける。もし起きているなら、いまから誰かの部屋で飲まない? とかなんとか。内容を要約してしまえば同じなんだけど、一人じゃないという雰囲気を際立たせるために別々で送るという、なかなかの得策だと思っての行動だったの、だが。
 しばらくブランコを揺らしていると、藤木梨花のスマホがジーンズのポケット内で光る。おれは自分のスマホもポケットから取り出してしばらく眺めていたが、一向に反応がない。あれ。 
「あー。なんかよく判んないけど晴子怒ってる」
 苦笑する藤木梨花の説明によると、逢沢晴子はおれには絶対に会いたくないっぽい。なんでやねん! 終いにはおれがいま藤木梨花と一緒にいることすら許せないようで、よく判らないままおれは藤木梨花とは別々に帰ることとなる。送っていこうか? と尋ねるおれに藤木梨花は首を振った。
「あたしいまから晴子んち行ってみるわ。ごめんね坂本。別に坂本がなにかしたってわけではないと思うよ。ただ晴子、色々不安定なんだよ」
 逢沢晴子を迎えに行った夜のことを思い出す。
 でもじゃあどうすりゃいいんだろう。
 せめてそれだけでも教えてほしいんだけど藤木さん……。


→ Chapter10

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