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バスト目測者人口【Chapter13:2年 夏⑦】

 会場である居酒屋『風林火山』のまだ誰もいない予約席でおれとタケヒコはテーブルの中央やや右寄りに座る。カップルとは向かい合う形にならなきゃとは思うが、真正面で対峙すると警戒とまではいかなくとも人は緊張して守りに入ってしまうとかなんとかテレビかネットで見たような気がしていたのだ。タケヒコに話すと「あ、おれもなんか聞いたことある」と言った。
 個室内の壁を見ながら「あんま飲み過ぎないようにしよ」と自分の太ももをさすり続けているタケヒコと「素面じゃないけど、でも理性は維持できる範囲に止めような」とか言って笑っていると、店員のラーシャッセー! という声が響いてきて、おれたちは入口の方を向いたまま固まる。
「きたかな」
 来ていた。
「おつかれさまでーす」
 とまず姿を現したのが彼氏の中山くんで、その後ろにくっつくように前園さんも続く。「おつかれー! あれ? まだ二人だけ?」
「おー。二人ともおつかれさまです。ささ、どうぞどうぞ」とごく自然で好意を抱かれるであろう手振りで促すと、二人はおれたちの向かいにちゃんと座る。ちょろいぜ。中山くんとおれだけがちょうど向かい合う形になって、タケヒコと前園さんはそれぞれ空間と対峙。よしよし。
「きょうは何名くらいくるの?」
 運ばれてきたおしぼりを揉むようにして使う前園さんは個室を見渡しながらそう尋ねる。おれは各席にお箸を配る手を止めて、指を折って数える。
「いまいる四人と、あと六人くる予定だから十名だね」
「へー、すごい。だれだれくるの?」
「藤木梨花と宮崎と、あと武井晴樹ってやつと高橋亮介ってのと、わかる? そいつらとあと今野さんに佐藤ふみ花。以上かな」
「へー。あ、ふみ花ちゃんもくるんだ。ふみ花ちゃんと飲んだことある? 意外と面白いよね」と前園さんが内緒話をするように言うのであははと肯いていると中山くんが苦笑する。
「えー、おれ結構初めての人いるなあ」
「なんで~? いいじゃん」
「いや緊張するわ~。おれって結構人見知りなんだよね」
「ぼくもっすよ!」とおれが言うと、中山くんは目立つ八重歯を見せて笑う。「ていうか坂本くんと飲むのも初めてだよね! いや楽しみだわ~」
 とそこでまた店員のアーシャッセーが響き渡り、自然とおれたちの会話は止まる。
「きたかな」と前園さん。「かな?」と中山くんがおしぼりをたたむ。
 来る。
「やー、ごめん! 遅れました~」
 と現れたのは藤木梨花だ。へらへら笑っていて調子が良さそうだ。「下で一緒だった」との理由で宮崎武井高橋も続く。こいつらの表情もことごとく軽薄で頼もしい。
「梨花ちゃん今日はありがと~」前園さんとその隣に腰を下ろした藤木は「お疲れ~! テストやっと終わったよ~!」と両手を合わせてはしゃぎだすのでギョッとする。飛ばしてやがる、という意味でタケヒコの太ももに軽く拳を当てた。タケヒコは肯いた。
「あとはふみ花ちゃんたちだけ?」
 全体を見回した前園さんが言うと藤木は「あ、でもあの二人はちょっと遅れてくるみたいだから先に始めちゃってもいいみたいよ。飲み物注文した? まだ? じゃあ生の人!」
 おれは挙手しながらも「始めちゃってもいいみたいよ」のときに藤木が目配せしてきたことにもちゃんと気づいている。怖気と士気半々で真っ白な手のひらが小さく震えていた。早くビールが飲みたいと思いながら、中山くんの隣に座った宮崎と目が合う。今日は頑張ろうな。おれはここに来る前にオナニーを二回していたので、頭は冴えている。
 飲み物が到着するや、ジョッキを握る藤木が「坂本、音頭とってよ」と言う。
「えー、もうすぐ夏休みですね。地獄のようなテスト期間を乗り切ったみんなに幸あらんことを。乾杯!」
 まずはアルコールを摂取しなくてはならない。
 おれが一気にジョッキ半分をあけて息をついていると、隣に座った高橋が「わはははは!」と声を上げる。声を上げただけでそれ以降特になにも喋らなかったが、やる気というか、高揚している感じはよく伝わってきた。


 さて、みんながテストの出来不出来トークで盛り上がる中、おれは前園さん及び中山くんをウォッチする。前園さんはやっぱり以前よりも丸くなった感じは否めない。逢沢の生気を吸い取って養分に変えたのかもしれない。濃いマスカラで覆われた用心深そうな切れ長の目を見ていると、そんなことを考えてしまう。
 で、前園さんと中山くんの馴れ初め話が始まる。
「ちなみに告白はどっちがしたの?」
 と武井がテーブルに身を乗り出して問いただすと「え~? でもどうだろう。だってほらサークルが一緒だから、こう……自然な感じで」と前園さん。
「いやいやいや! だってサークルつったって他にも人はいるわけなんだから、付き合うにあたって告白はあったんでしょ?」と高橋が腕を組みながら破顔。こういう話はいつしても楽しい。
「まあまあ! それはおれからだよ」と中山くんが自供し、興奮した武井がおしぼりで口元を押さえ「フゥー!」と声を上げた。
「ねえねえ、なんて言ったの? 告白の言葉!」
「いや~ちょっとそれは覚えてない」と言う中山くんを押し退けて「でも! でも、前園さんなら覚えてるよね!」と藤木軍曹の猛攻。
「ちょっとまってなんなのも~! 言わなきゃダメ? え~。言っていい?」と赤らんだ顔の前園さんは中山くんに聞く。
「いや、別にいいけど、覚えてる?」
「覚えてるよ」
「でもなんかハードルめちゃくちゃ高くなってない?」
「ねー! いやでもほんとシンプルに『おれと付き合ってください』って、そんな感じ」
 と前園さんが言うとそこで藤木が「ひやーん!」と叫び、おれは高橋と肩を組んで寄り添い、宮崎や武井やタケヒコがハイタッチする。「そんな感じか~!」それからみんなで前園カップルと交互に乾杯をしてなにがおかしいのかも忘れるくらい場の高揚に任せて笑っていると今日はもうこのまま帰れたらいいのになとも思う。ちょっとだけ。バカ、しっかりしろ坂本。ボケが。


 全員が二杯目に移行したころ、前園さんが同じ学部の女の子が最近大学を辞めた話をする。
「なんか妊娠したっぽいよ。しかも相手三十代のサラリーマンとか」と言う彼女の潜めた声におれたちは「うお~」と声を漏らすも、はいはい、この感じね。彼女のこういう技に逢沢は追い詰められていったのかもしれないのだ。そう思っていると店内のどこかから大勢の爆発するような笑い声が聞こえ、おれは一瞬、なんだか冷たい気分になる。「ほかにも大学の人たちいるみたいだね」と藤木が言った。
「ほんとだね」とサラダを取り分けていた前園さんが興味なさそうに呟き、中山くんがこれまた同じようなテンションで「なんかのサークルなのかな」と言って軟骨からあげを口に素早く放り込む。
「コールしてるよ」と宮崎が苦笑して「おれコールだけは許せないんだよね」といきなり言い放つのでみんながちょっと笑う。
「だってまず店員さんに迷惑じゃん。店側は一気飲み止めなきゃならないんだしさ。あと替え歌って……まあこれは個人差あるんだろうけど、おれ芸人のリズムネタも全般ダメでさ。恥ずかしさが前に出ちゃうんだよね。いやどうでもいいんだけど」
 急に誰も喋らなくなるのでおれは慌てて「確かに」と言うが、宮崎の論旨に同意したのか、「どうでもいい」に同意したのかあやふやな感じになる。すると中山くんが「これずっと聞きたかったんだけど」と言っておれの方に体を傾ける。
「坂本くん大暮に命狙われてるってあれマジなの?」
 おれが反応するより早く高橋が「本当だよ」と即答するので中山くんが楽しそうに目を細める。
「いやなんか坂本くんって大暮と仲悪いってのは聞くんだよね。なにかあったのかなって」とジョッキを空ける中山くんの表情は完全にゴシップモードで、隣にいる前園さんも取り皿の配置を変えながら耳を傾けている様子。
「仲はまあ……親友とかではないけど」
「え、でもいつからなの?」と前園さん。「一年前だっけ。初めて坂本くんとかと飲んだとき大暮くんもたしかいたよね? ほらオダジョーを呼ばなかったとき……」と言って彼女はすぐ横の藤木を見る。「ほら、梨花ちゃんが呼ぶの止めたことなかったっけ?」
 タケヒコが背筋を伸ばすのがわかった。
「あー。あったね。懐かしい懐かしい」とニヤニヤ笑う藤木を見ているとちょっとだけ不安になってくる。まさか出来上がってはいまいな?
「大暮くんがオダジョーも呼ぼうって言ったのは覚えてるけど。でもなんで拒否ったんだっけわたし。忘れちゃった」
「それは桑谷さんがいたからでしょ。オダジョー来たらみんなが気を遣っちゃうからって」
「ああ、そうだったっけ」
「そうそう共演NGって、坂本くんと話したよねわたし」
「したね」
「すご~いわたしよく覚えてる」と笑う前園さんに「だからほら、おれはゴリラバットと共演NGってことだよ」とおれ。
「あははは、そうだね。でもそれはなんでー? あれ、これあんま聞いちゃいけない?」
「いや全然そんなことないよ。言葉通じないからコミュニケーション取れなくて気がついたらって感じ。いろんな争い事と同じで……」
「あははは」と笑ってみせる前園さんはまだ納得しきっていない様子。流れを感じる。いけるんじゃないか? おれは言う。
「ゴリラバット個人というか、そもそもオダジョー一派が無理なんだよねおれは」
 なにかを隠すように宮崎がハイボールの入ったグラスを口に運ぶ。ようよう、だれか続いてくれと思っていると「はははは!」と高橋が急に笑い出すのでおれは一瞬体が強張る。なんだよおまえと思いはすれど、おれにはわかる。つなぎだ。
「なによりも素行が悪すぎるからかな」とおれが付け足せば「それはあるね」と藤木が続き、前園さんも「まあねえ」と苦笑する。髪をかきあげながら背後の壁にもたれかかった中山くんは「いや~」とそこそこ満足気な顔をしている。「噂はけっこう聞いてるけどねおれも」
「オダジョーのすごいところは噂が全部本当ってことだよね」と宮崎が冗談ともつかない口調で言うと「え~! 結構シャレにならないのもあるんですけど!」と前園さん。
「あいつ今年も新歓でフェラさせたらしいよ」とすかさず武井。中山くんが手を叩いて笑うので「ほんとすぐフェラさせるからなあ」とおれが言うと「こら!」と藤木は笑いながらも牽制のふりをするが、おれたちはもちろん止まらない。高橋が「あれ? 坂本今日はあれやってないんじゃない? おまえの一発芸であるじゃん」と言うけどそれはさすがにちょっと違う。「いやあれはいまいいって」と言うおれに「あ! 流れ的にたぶんそれ知ってる!」と前園さん。「でもいまはしなくていいよ!」との言葉をフリと思ったわけではないけど、中山くんは「なにそれ」と興味深げだしおれはなんかもういいかと思ってモゴモゴ内頬を舌先でつつく様を披露すれば、初見の中山くんが「ちょっとそれはダメでしょ!」と目を見開いたあとまた手を叩いて爆笑するのでおれもつい調子に乗っちゃう。「ほかにも『手マン』ってやつがあるんだけど!」と言いかけたところで
「こんばんは~」
 という声がして視線を移せば佐藤ふみ花と今野さん。
 忘れてた。
「あー! お疲れ~!」と手を挙げる藤木に続いておれも「お、お疲れ様! 待ってました座って!」と歓待する。佐藤ふみ花が「みんななにどうしたの? めっちゃ笑ってなかった?」と眉をしかめるが、場の空気につられてとりあえず笑っている。前回は緊張のあまり余裕がなかったけど、改めて見る佐藤ふみ花はやっぱりほんとうに華やかで、野郎どもが色めき立つのがわかる。大丈夫かな? 追加で梅酒二つとビール三つを注文し、佐藤ふみ花の「だいぶ盛り上がってんじゃん」という言葉に藤木が「みんなでオダジョーの話をしてたの」とだけ伝えれば、「あ~」と微笑む勘の良さ。「坂本くんの敵だもんね」とほくそ笑んでくれる。
「いや別に敵とかじゃないけどね」
「ほんとにー?」
「ホントホント。一方的にこっちが嫌ってるだけでむこうからしたらどうせなんでもないよ」
「ははは、そこは冷静なんだ。ちなみにいまこの店にいるけど」と佐藤ふみ花が言うのでみんなが固まる。
「え、だれが?」
「大暮くん。オダジョーたちのサークル、向こうで飲んでたよ」
「マジで?」気が動転したおれは自分の小皿に盛られている焼きそばに気づいて口に運んだ。
「いやまって、うそだよ坂本くん、ふみ花のうそ」と慌てて入ってくるのは今野さんで、その横で満面の笑みを浮かべる佐藤ふみ花。「え、どっち?」「だからうそだよ。オダジョーたちとはたぶん関係ない人たちだよ」と言う紺野さんの説明でおれはようやくおしぼりで口元を拭う。「ごめんね、そこまでとは思わなくて」と言う佐藤ふみ花にみんなガスが漏れるように笑う。
「いてもよかったじゃん、決着つけてこいよ」と高橋がおれの肩を叩き、藤木が「お店に消火器借してもらえば?」と笑うことで死にかけた勢いがとりあえず戻る。サンキューみんな。おれもうちょっとがんばってみるね。
「消火器ってなに?」と一転佐藤ふみ花が興味を示し、話はそちらに移る。「あれホントなの?」と前園さんが聞くなか「おれちょっとトイレ行ってくる」と小声で武井に告げた宮崎が立ち上がる。「あ、じゃあおれも」とずっと誰かが席を立つタイミングを見計らっていたっぽいタケヒコもそのあとに続く。宮崎のために道を空けた中山くんの顔は、すでにけっこう真っ赤に見える。
「そうそう。ネットで注文したやつ使ったんだよ」
「ウソー! 自腹なのあれ!」
「大学にあるの使ったら問題になるから。学務グループに呼び出されるって先輩が言ってたし」
「先輩の入れ知恵かい」とたぶんこのことをいま初めて知ったであろう藤木が本気で呆れているが、あれはおれなりに古谷先輩の代理戦争を行ったものだ。今日に関してはあまりに戦意が前に出過ぎるだろうから呼ばなかったけど、全員の心の中にはジャングルジムの頂上で佇む古谷先輩、その慕情の滲む後ろ姿が刻まれている。
 どうか見守っていてください。


「あ、でもわたしの友達も……名前は出せないんだけどオダジョーと飲んだことあるらしいんだけど、携帯に女の人の裸の写真とかめっちゃあるっぽいよ。怖くない?」
 と今野さんが怪談調に呟いてみんなが波打つように「うわ~」と慄然するが、おれやたぶん藤木や武井や高橋が内心別の意味でヒヤッとしたのは、その匿名の友人から逢沢を連想してしまったからだ。いやまさか本当に逢沢じゃないだろうな。そしてそう思ったのはたぶんおれたちだけじゃなくて、眉をしかめていた前園さんと一瞬視線が交差して焦る。そしてなによりも「あ~」となにかに勘づいたように肯いている中山くんの空気が、ほのかに不穏さをまとい始めたような気もしていた。
「だからオダジョーの新入生荒らしが問題化している昨今、コンドームの裏表もわからないようないたいけな女の子たちを貞操観念の崩壊から守るために動く人間も必要なんだと僕は思うよ」とおれが神妙な顔をして述べれば「ばかじゃないの」と藤木が苦笑するなか「そうだよね!」と同調してくれた佐藤ふみ花がテーブルの向こうで頷いてくれる。「坂本の言うとおり」
「ありがとう佐藤さん」
「坂本みたいな人がいなきゃダメだよ」
「おれ頑張るね」
 武井が執行猶予のつかない顔でおれを見ている。悪いが既に一度飲んで顔見知りという地位を得ているおれは、この状況下で圧倒的にリードしているのだ。
「じゃあ来年の入学式の日にサークル勧誘に交じってコンドーム配れば?」と佐藤ふみ花は提案までしてくれる。
「あ、いーじゃんやりなよ」と藤木が続き「いいねそれ。みんなでやろうね」とおれがやや浮かれると、不意に中山くんが口を開く。
「でもオダジョーの女関係は別に新入生に限ったことじゃないからなあ」
 一瞬の沈黙。
「ははは、まあ、たしかに」とおれの声量も落ちるくらい中山くんの声の冷たさたるや。酔うとこうなるのかな。隣の前園さんも苦笑を固めたまま中山くんの顔を覗き込んでいる。「まあまあ、ね」
 中山くんはなぜか黙っている。
「一応色々聞くけどね」と言う前園さんと目が合ったおれは「うんうん、そうそう」と愛想笑いをしてしまう……ボケ! ここでたじろいでんじゃねえ! 「知り合いにもいたりしたし」とここで彼女が指しているのはたぶん桑谷さんのことなんじゃないかなとおれは思い至る。いやあるいは……と思うおれを尻目に、藤木が言う。
「晴子とかね」
 冷たいのか熱いのかもはやわからない血が全身を高速で巡る。おれはコップに手をつけるが、口には運ばない。
 ああ古谷先輩。どうか。どうか。
 藤木梨花はややうんざりしたような顔でため息をつき自虐的に笑っているが、隣に座った佐藤ふみ花までもが労わるように苦笑していて、そこに宮崎とタケヒコが戻ってくる。
「え、なに?」
「ん? いやいやオダジョーの話」
「そんでいま逢沢の話」
 確かにここで藤木梨花が逢沢の存在を示さなかったら、彼女の名前を出すのはタブーという共通認識が一気にみんなを縛っていたのかもしれない。でもその呪縛を避けるために放った一言は、この空気を加速させてはしまわないか? いやいや、それでいいんでしょ。日和見も終わりにしようぜ。一気に引き出そうぜ坂本よお……。
 武井から脈略を聞いたタケヒコが「でもあれはー……」と言うのでみんながやつを見る。「あくまで噂でしょ?」
「いややってるだろ」と間髪入れずに言う高橋のとなりでおれはビールを飲んでいた。キンキンに冷やした胃液みたいな味だった。
「ていうか晴子が」と佐藤ふみ花は様子を窺うように言う。「オダジョーと付き合ってるってほんとなの?」
 誰も答えないまま視線だけが藤木に集まる。
「うん、みたいだね」
 呟きながら藤木は服の裾を伸ばしているけど、そもそもその噂、なんでおれは知らないのだろう?
「ほんとだったんだね」と佐藤ふみ花はおしぼりに指を押し当て「ごめんメニューとって」と武井に言う。「あ、うん」「ありがとう。武井くんだよね?」「あ。武井っす」「なにか頼む?」「あ、じゃあおれはジントニックにしようかな」「おっけー。あと……タケヒコくん?」「あ、はい」「ボタン押して」「あ、はい」
 ピンポーン。
「付き合ってるってマジで?」
 そう言うおれを藤木梨花が見る。
「うん」
 それおれ知らない状況でここにいるのって作戦的にどうなんだ……? と思うおれの目の前で前園さんが「う~ん」と息を漏らす。中山くんは膝を立て壁にもたれている。
 まあ実際ヤってるんだから付き合っていたほうがまだ健全なのか?
 おれが口を開けたまま間延びした意識で悠久を想っていると「ちょっとちょっと」と藤木と佐藤ふみ花が呆れたように同時に笑う。「どうしたぼーっとして。そんなに嫌なの?」
「え、いやいや、ちょっとね」と言ったところで店員が現れ、佐藤ふみ花は飲み物を注文し、それからおれに言う。
「まあでもそこは晴子ちゃんの自由だからね」
 逢沢を影でヤリメンとか呼んでいるようなやつなのに!
「でもだって桑谷さんのこともあったからさ」と言って、しまったいまのは余計だったかと遅れて思う。
「いやいや、優子のことは別にいいじゃん」と前園さんが半笑いのまま言って、そこでおれは桑谷さんの下の名前が優子だと知る。
「たしかに。ごめん」
「はい。もういいからおまえはこれでも飲んで」と高橋がお酒を持たせてくれるけど、おれはもうちょっとなにか吐き出しておきたかった。
「いやでも正直、逢沢さんにも問題ない?」
 おれはなにを言い出してるのだ?
「いや問題ってなんだよ。いまのなしなし」
 とおれは即座に自分でつぶやいてしまう。藤木梨花が静かに瞬きを繰り返していると、加速した空気がいびつにねじれだす。


「でもそれはあるでしょ」


 と口を開いたのは中山くんだ。


→ Chapter14


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