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バスト目測者人口【Chapter15:2年 夏~】

「みんなお疲れ!」
 そう言ったおれを高橋とタケヒコが両サイドから抱きしめてくれる。
「けっこう盛り上がったな」
「いや超しんどかっただろ」
 おれは両手に雑草状態でただただ肯く。その温かさに目を閉じる。
「坂本、また泣いちゃうよ~」
 と藤木は言うが、泣きたいときに泣けるうちは健康な証拠なのだと思う。おれは「ちょっと不整脈が」と言ってトイレに立ち、大の個室で束の間泣いてしまう。顎の震えが止まらないうちから、みんなの元に戻りたくて仕方がなかった。おれは泣きながら吹き出してしまう。


 結局中山くんと前園さんは先に帰ることになって、残ったおれたちだけで時間いっぱい過ごすことになる。散々な目にあった今野さんに事情を説明すると「マジで? それ先に言ってよ」と顔をしかめたあと、「ぜったい逢沢さんを敵に回しちゃいけないんだなってのはわかった」と言った。
「まあでも、晴子も、どうなんだろうねえ」
 佐藤ふみ花はそう言ったあと「あのふたりの前で言えばよかったかな」と悪戯っぽく笑う。おれはハハハ~と笑いつつ、彼女がいまこの場にいてくれていることが途端に信じられなくなる。ほかのみんなもそうだ。夢であることを自覚してしまったような気分だ。


 会計時を迎えるまでもなく分かっていたことだったけど、流石におれ一人で十人分の代金の半分も支払うことは不可能だったため、前園さんカップルと佐藤・今野ペアの分だけおれが支払うこととなった。それでおれがタクシーの運転手からぶんどったお金もほぼなくなってしまったけど、ここらでキリをつけておくべきなのだ。その代わりというのも変な気がするが、二次会のカラオケ代はみんながおれの分を出してくれるということになった。おれと武井でさだまさしの『親父の一番長い日』を歌っていると、途中で「これいつまで続くの?」と佐藤ふみ花に聞かれたタケヒコが「いやごめんなさい、ぼくもちょっとわかんないっす」と言っているのをおれは聞き逃さない。いつまでも、いつまでも、いつまでも。どうせ明日は休みなんだから連れないこと言うなよふみ花。


 結局おれたちは朝の五時までカラオケで過ごしたあと、今野さん、藤木梨花、佐藤ふみ花の順に家や駅まで送る。今野さんと宮崎の家が同じ方向ということで一気に二人減り、藤木梨花が「今日はまる一日潰れるわ」と憔悴しきった顔で笑う。
「朝日でショック死しそう……」
 そう残して、彼女はドアの向こうに消えた。
「今日も暑くなりそうだね」
 佐藤ふみ花はそう言うしみんなも同じことを思っていたけれど、いまはまだ涼しいし心地がいい。
 ずっとそうであってほしいことがまだまだたくさんある。
「送ってくれてありがとう。また飲もうね。ばいばい」
 残った四人での帰り道は、結局だれも喋らなかった。寮の前で三人と別れたおれは立ち寄ったコンビニで排便したあと家に帰ってしっかりシャワーを浴びて寝る。夕方まで寝る。寝起きのかすんだ視界で暮れゆく赤い空を眺めていると、今朝までのあれこれが急に現実味を失ってしまうから不思議だ。


 タケヒコの報告によれば、件の夜に前園さんのツイッターが大荒れだったらしく、信じられない数の主語抜き罵倒文がつぶやかれていたらしい。おれはフェイスブックで中山くんにブロックされる。前園さんウォッチは現在も続けられていて、おれたちは再び監視用アカウントを作成するのに次から次へとブロックされてしまう。が、相手が追いつけなくなるくらいこちらが量産すればいいだけの話。「優良大学生」「あっけら勘太郎」「金玉」「モバイルバッテリー」「軍産複合体」「国産トカレフ」「ショットガン」「猟友会」「受精卵」「爆乳法曹」「怒張国」「☆」「あい@うえお」「いちにのさん死」……。
 藤木梨花からの追加報告も後を絶たない。前園さんは中山くんとの関係の不和をうやむやにすべく逢沢という共通の敵を配置することで様々な課題から目を逸らそうと画策していたところがあるとの話だけど、それはどこ情報なの? と尋ねるおれに、やや沈黙をおいて藤木は言う。
「晴子だね」
 逢沢はなんと中山くんのことも部屋に招いたことがあったらしく、前園さんに対する愚痴に耳を傾けたり、中山くんが学祭のときに連絡先を交換した女子校生と浮気していることも知っていた。それってかなりの武器じゃないの。逢沢はいつでもあの二人の仲をめちゃくちゃにできたのに……なんて思うのは流石に逢沢のことを悪どく取りすぎな気もするけど、おれが思っていた以上の切り札が彼女にはあって、それを藤木に伝えているってことは密かに情報の拡散を図ったともとれるので、ちょっとこわい。


 大学に入って二度目の夏休みが始まり、逢沢は実家のある京都に帰省していたので、いまだ会えずにいる。ていうか、いま会ったところでおれはなにを話せばいいんだろう? 折り合いが付いてしまったというか、はっきり言って終わってしまっている感じなのだ、色々が。


 とはいえまだまだやることが残っている。
 おれは古谷先輩に会いにいき、一緒に前園さんのアカウントを観察しながらすでに終わった祭りの話をする。
「ふざけんなよ! おまえらだけいいとこどりじゃん。最低だよ」
 なんて古谷先輩は言うが、こっちはこっちで人間関係を色々と散らかしたことに変わりはない。後悔がないと言い切るのは簡単だ。そんな今だからこそ、なにかもっと楽しいことをしなければならない。そうは思いませんか?
 帰省していたタケヒコを除くおれたちと古谷先輩は男子寮に置いてあるサンドバッグにゴリラバッドの顔写真(A4版)を貼り付けてみんなで百発ほど殴ったり、オダジョーの所持している軽のサイドミラーをもぎとって山中に遺棄、その足で居酒屋に向かって朝までお酒を飲んだりした。目が覚めるともう昼前でみんなニトリの寝具コーナーにいて、あわてて近くのマクドナルドへ移動し、そこで古谷先輩は「大学やめようかな」と言い出すがみんな頭が回っていなかったしお酒で気分も優れなかったので相応のリアクションをとることができず、しめやかに解散。別に古谷先輩のことがどうでもよかったわけではない。おれたちは古谷先輩が大好きだ。ちゃんと大恋愛の末にセックスができるよう心から願っている。


 おれはフェイスブックで神崎圭吾を見つけ、友達になる。チャットで話しかける。返事はない。いまは夏休みだしちょうど節目となる時期だから、後期からさっそく復帰したほうがいいとおれは思っていて、それをどう伝えようか悩む。伝えないほうがいいのかなとも思う。そりゃまだまだつらい気持ちがあるのだろうけど、動きながら解決していったほうがいいのだ、経験上。でもおれの経験が神崎圭吾の役に立つかはわからない。神崎圭吾は神崎圭吾なりの解決方法をいつか見つけるのかもしれない。だから話を変える。気になることは山ほどある。例えば、神崎くんは逢沢晴子のどこが好きなの? とか。おれの場合で言えば、いつのまにか大きくなったりしているあのおっぱいを今でもたまに思い返し、揉めるものなら揉んでみたいものだと思うのけど、別にそれは逢沢晴子に限った話じゃない。揉めるものなら選り好みはしない。誰でもいいってことじゃなくて、これはおれたちに与えられた選択肢の話だ。


 夏休みが終わり、後期が始まる。
 神崎圭吾からはまだ返事はないし、大学に来ている様子もない。
 おれは一年後期の遅れを取り戻すべく毎日講義に出る。一年生と同じ講義もたくさんとっているので、仲のいい後輩も増える。
 宮崎は今野さん相手に童貞を卒業する。たまに会うと「さかもっちゃんちでまた『ランボー』観たいな」なんてことを必ず言うけど、デートがあるのでそんなに来ない。
 古谷先輩は大恋愛に至れないまま、まだ大学にいる。
 飲み会大尉はようやく『自虐の詩』を読み、金髪になる。
「意外と似合うじゃん」
「ほんとー? 坂本もお世辞が言えるようになったんだね」
「本音、本音。ワンボックスカーの助手席にいそう」
「ココナッツの芳香剤がおいてある的な?」
「そうそう、ハンドルにヒョウ柄のカバーついてるやつ! うわー! 違いない!」
「うるせーよ。てか最近ぜんぜん飲んでないじゃん。久々にまたみんなで飲もうよ」
「お金ないんだよね」
「バイトして」
「正月に実家戻ったときに親の定期預金を解約してこようと思ってるんだけど」
「サイテー。労働だよ労働。労働しろ」
「講義の遅れ取り戻してからかなあ」なんて言いつつ、おれは居酒屋でアルバイトを始め、表で呼び込みをするが、冷やかしにきた高橋たちと雑談しているところを境界性パーソナリティ障害っぽい先輩に怒られて泣いて辞める。いまは懸賞に応募するなどして適当に過ごしているけど、Amazonギフト券やレッドブル1ケースやノンフライヤーが当たって、自炊をする機会が増えた。
「逢沢とはいまでも会ってる?」
 尋ねるおれに藤木梨花は「そりゃあ、まあね」と答えはするけど、機会自体は減っているっぽい。
「だってほら。むこうは彼氏がいるから」
「すげ。まだ続いてるんだ」
「みんな言うよねそれ」
「だって相手がオダジョーだし」というこの発言とかテンションに、おれ自身ちょっと飽きてきている。
「まあある意味似た者同士だからね。気が合うのかも」
「なるほどなあ」
「それにこれ話したっけ。晴子、もう前園さんたちと普通に話してるよ」
 え!
「うそでしょ?」
「前園さんたちからすれば敵は誰でもよかったんじゃない? いまは坂本たちに更新されてるから。よくわかんないけど、晴子サークルにも普通に行ってるし。結果晴子のこと本当に救えたわけだね。あははははは」
 なに笑ってんだ。「そんなことってあり? ていうか別にいいんだけど、向こうも都合よすぎじゃない?」
「まあねえ。でもたま~にいるよね。そういうことできちゃう人」
 まったく腑に落ちないので顔中にしわの寄るおれだったが、藤木が「そういやわたし留学するの」と言い出して、あ、そうなんだ。
「いつから?」
「年明けてすぐ。十ヶ月くらいかな。だからそれまでに遊べるとき遊ぼう。晴子も呼ぶよ!」


 逢沢晴子が神崎圭吾をふった理由は、高校時代の彼氏に似ていたから、だそうだ。


 卒業を間近に控えた佐々木さんがおれを部屋に呼んでくれる。佐々木さんは北海道の出身らしく、実家から大量のジンギスカンが送られてきたので一緒に食べようとのことだった。友達はいないんだろうかと思ったおれだったけど、どうやら佐々木さんは就職活動を一切行わず、卒論執筆の合間にひたすら曲を制作していて、かつての友人たちとはちょっとだけ疎遠になっているらしい。
「そういや佐藤ちゃんとはまだ飲んだりするの?」
 以前おれが書店で立ち読みをしているときに、佐藤ふみ花から声をかけられたことがあった。「坂本くんじゃん」と佐藤ふみ花はおれの背後で立ち止まって言った。ア、ヒサシブリ、なにか買い物? とおれが尋ねると「イエス」と一言、そのまま専門書コーナーへと歩いて行ったのだ。
「それっきりですかね」
「たまんねえ女だな」
 おれは唯一捕まったタケヒコを呼んで、佐々木さんに紹介する。三人でチューハイを飲みながら佐々木さんの作った曲を聴かせてもらい、解説を受け、ああそうですかを繰り返した挙句、曲を焼いたCDをもらう。まだ夜の九時だったので、タケヒコと二人、おれの部屋でそいつを聴いてみる。歌も入っている。佐々木さんの声で、エフェクトがかかっている。


 あーね それな ワンチャン いやノーチャン!
 日本語使えってなんの冗談? それ
 すぐ抜きたがるよな案の定まんこで いつものセフレのヤリマンに出す come
 原動力 みんなと飲む酒? 仲間と宴? という名の近所迷惑
 注意するとすぐ手出す性格 救いようがねえやつ
 が蔓延るこの時代から生まれる多くのヴィクタム そりゃ意味ねえな 
 まず聞く耳ねえな 自己中心的 いつも数人
 ぼっちを見つけりゃ鼻で笑い 真面目なそこのキミ課題頼むね
 なんて腐った思考ダメ そろそろ気づけよウザってえぞ はあ?
 死にてえか! おう死にてえだろ! 皆殺し! そうぶち殺す!
 最後に笑うのはこの俺だ てめえらただのキリギリス

 
 ディスられてんじゃん。
 急いで佐々木さんの部屋に戻り「あの四曲目っておれたちのことですか?」と尋ねる。野暮が過ぎるとは思ったが、佐々木さんは「あー……」とつぶやいたあと「つっても不特定多数に向けた曲だから。まあごく一部入ってるかな、くらいだよ。インスパイア元のひとつくらいに思ってよ。おれはおまえらのこと好きだよマジで」と言うのでああ、そうですか。
 信憑性はあまりないがちょっと嬉しい。自分たちの存在がこうやって形となることへの喜び? いや、もっと根本的なところにちらついている小さな光を見た気がしていたのだ。なんというか、何者かになれる可能性のようなもの? それだった。
 部屋に戻ったおれとタケヒコは二人して寝そべりながら、おれたちもなにかしなきゃなあと話す。なにかしたいなあと話す。で、まずはこの曲へのアンサーソングを作らなければならないのではないかという結論に達する。でもどうすりゃいいのか皆目見当もつかない。でもやらなきゃならない。
 佐々木さんは卒業後、派遣労働をしながら曲を作り続けると言っていた。


 おれたちは三年生になる。
 藤木梨花はイギリスへ飛び、古谷先輩は卒業延期が決定する。
 おれは講義に出続けている。
 遅れは少しずつ取り戻せるかと思っていたのに、いまやらなければならないことも増えていくのだ。やりたいことも。なんてこった。このままじゃ第二の古谷だ。


 ほんとたま~にではあるけれど、食堂などで逢沢晴子を見かけることがあって、目とかが合えば挨拶くらいはするものの、自ら話しかけたりすることは少なくなった。できない。接し方なんて簡単に忘れてしまう。別にかつての態度をなぞる必要なんてないんだろうけど、おれはまだこういった感情への対処の仕方を知らない。無理に頑張ろうとも思わない。
 とはいえ彼女を盗み見るとき、おれはかつての悪癖からその胸をチェックしてしまう。まあ逢沢に限ったことじゃないんだけど、おれは彼女のたわわな胸をたまに思い出しては得した気分に浸るのだった。そもそもおっぱいなんて走れば揺れるし押せば潰れる不安定なものなんだから、センチ単位で細かく測ろうなんてこと自体そもそもおこがましい。


 おれはベッドに寝そべって、タケヒコが四苦八苦して作ったトラックを聴きながら本を読む。おれは最高のリリックを書かなければならないから、たくさんの言葉を知る必要があるのだ。たくさんの感情を、その中にある無数の機微を。そしてそれらを柔軟に組み立てる超イルなスキルが。
 もうしばらくすれば就活が始まる。卒論も書かなければならない。この先、面倒くさいことしか待ち受けていない気がして、もがき苦しむ夜もある。そもそも、それらはおれなんかに無事こなせるようなことなのだろうか? なんてうんざりするおれは、ふといまのままの頭で過去に戻れたらいいのにと考える。
 一年前。
 二年前。
 五年前。
 十年前。
 そしたらおれは最強のはずだ。健康優良でしかし肥満児……ポコチンに関しちゃサイズ非ラージ……足掻くぜ先見はないまま手探り蹴散らすどけド外道どもままならないなら別の道行くだけママからもらうたくさんのラブマネー費やし今日も繰り返す猿真似でもそんなお遊び野郎は去るまで……

 殺すぞ! 参上! サモ・ハン! きちんと! かますぜ! 自己流! 殺人拳法! ワンインチパンチでゴリラを殺っとく! オダジョー成敗誰もが納得! 上等! 絶対おれが勝つ! だから誘いなガールズ! 逃げずに抱く! あ、いや、ダメなの? 静かに一人のジョブ! 的な結局いまこのおれがリアル!

「どう?」

 電話の向こうでタケヒコが笑っている。

 おれはおれでなんの拍子もなく思っている。

 死のっかな。

 いやなんでだよバカ。

 これからだろなにもかも。たぶん。

 マジじゃないくせに、なぜこんなことを思うのだろう? 腕を組み椅子の背もたれをギシギシ鳴らしていると、窓の外には薄暮の迫る街並みが広がっていることに気づいた。はいはい、きました。過去をぼやかす魔の時間だ。ばかばか、かまうな。気分の上下なんてとどのつまり腹が減っているかどうかに帰結するのだ。いまはとにかくお腹が空いて仕方がない。おれの体重はすっかり元通りになっていて、食欲もここ半年ほどばっちりなのだから。
 みんな暇かな。
 サイゼリヤで豪遊したい気分なんだよね、ここんとこずっと。







【了】


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