見出し画像

バスト目測者人口【Chapter6:1年 冬~春】

 おれは急激になにもかもが途方もなく感じられるようになって大学を休む。気がつけばそれが二日三日と続き、日常となる。
 さらに気がつけば秋は深まり、半袖で過ごすこともなくなって、おれは親父からもらったラコステのじじくさいセーターに袖を通し、ベッドで寝そべりながら読書をしたりDVDを観たりなにもせず時の経過に耳をすませたりして過ごすようになっている。SNSウォッチを行うことでみんなの動向はなんとなく伝わってはくるが、そこに交じる気力が沸いてこない。おそろしい。いま過ごしているこの日々に意味があるなんてとても思えないし、思えるなら思えるだけ言い訳がましい気もするし、こうなりゃ徹底して無になるしかないとさえ考える。これは長い長い坐禅のようなもので、頭を無にする練習ってことでいちおう片付けてしまっているこの自分の弱さと向き合うのだ、とかなんとか思っているうちにおれは本当に頭のどこかがおかしくなったんじゃないかとほんのちょっとだけ心配になって、真夜中にひとり泣きながらインスタントラーメンを食べる。
 毎日同じことをしているのでやることはすぐになくなる。映画や本や漫画は無限にあるけど、もっと違う角度でこの生活に風を吹かせたいと思ったおれは夕暮れどきの散歩を日課にする。日が暮れるまで昼寝をしてしまった日でも、例えそれが真夜中に至ろうとも散歩をするようになる。道の向こう側にある居酒屋前で二次会どうしようかとか話をしている大学生を眺めたりしていると、遥か遠い記憶のように思い出すのは四月の新歓のことで、おれは逢沢との会話を反芻しながら、大学の外周を回り、男子寮の裏通りを進んでコンビニに立ち寄り、部屋に戻る。
 宮崎からは、定期的にメールが届く。
 遊びにも来る。
 宮崎は大学であったことなどを教えてくれる。
「古谷先輩がおまえに会いたがってたよ。なにしてんのって」
「へえ」
「講義でろよ」
「そろそろかな?」
「そろそろでしょ」
 でもおれは行かない。昼と夜が完全にひっくり返った生活を送るようになったのも、夜の静けさがほのかな後ろめたさをその闇で塗りつぶしてくれるからだ。あとおれの贔屓にしているエロサイトが、真夜中の一時半以降は制限なしで動画を閲覧出来るようになることも深く起因していた。くそ! こんな毎日でもおれはオナニーを絶やさない健康優良青年だ。ただし墨を入れた男優が女優さんのおっぱいを乱暴に嬲っているシーンなどが目に入ると、その瞬間から欲求が盛大にくたばるので、もっぱらお尻をメインにした動画ばかりを選んでしまう。おれは彼女たちと自らの気持ちとを重ねて悔しくなるが、そんなおれの想いすら彼女たちにとっては所詮偽物であるという事実があるようなないような、たぶんあるんだろうな、おまえみたいなデブが女優の心理を理解した気になるなんておこがましいとか、そう思われていそうで結局うるせえんだよクソ女どもといった気分にもなって、その巡りがほんとうに途方もなくて、窓の外、闇が浸透したこの町のどこかにいるであろう知り合いに急に会いたくなるから、今宵もまた夜の道を彷徨うのだった。


 警察官に職務質問をされて、久々に人と会話をしたという充実感に満たされた夜、部屋に戻ったおれはベッド下から飲み会資金をとりだして残金を数える。千円札を一枚ずつベッドの上に並べているうちに、久々に目的のある行為をしているという実感が楽しく思えてきて、いちにさんしと声に出しながら数える。五千円札一枚に千円札八枚を再びまとめてジップロックに収めて仕舞ってオナニー。就寝前に読書、そのまま寝落ち。昼まで起きない。


 目覚めると藤木梨花からの不在着信を発見する。かけなおそうか迷っているうちに夕方になって、おれが『プライベート・ライアン』を鑑賞しているとスマホが騒ぐ。
「もしもし」
「あ、坂本くん?」
「そうです、お久しぶり」
「お久しぶり、じゃないよ。大学来てないんでしょ? このまえ送ったメールみた?」
「メール? 送ったの?」
「みてないの? 飲みの誘いだったんだけど、まあいいや。いまなにしてるの?」
「部屋にいるけど」
「ひま?」
「忙しいよ」
「そっか。じゃあしかたないね。大学きなよ」
「うん」
「また飲み会やろう。あ、無理にとはいわないけど、でも遊ぼう? 晴子も心配してるから」
「そうなんだ」
「近々遊びに行ってもいい?」
「え」
「坂本くん、なにかあったの?」
 おれはそう聞かれてん? と思う。確かにおれ、なにがあったんだっけ?
「あー、いや、なんだろう」と言葉にしようと頭を働かせて浮かんでくるのが高橋たちによる乳揉み事件だがそんなのどういうふうに伝えればまじめに聞いてもらえるのかおれにはわからないしそもそも話したくない。おおこわ……とてつもない勢いで恥ずかしくなる。もう切っていいかな。
「なんか急に、いろいろが途方もなく思えてきたんだ」とかろうじて口にすると、藤木梨花が「あー……」と小さく漏らす声。
 なにか感じ入る部分でもあるのだろうか?
 それともおれの返答が途方もなかっただけだろうか。
「自分の言葉にできるだけ、しっかりしてるじゃん」と藤木梨花は言う。
「そう?」
「そう思うよ」
「うん。あ、大学にはちゃんと行くようにするから」
「ほんと? 言ったからね? じゃあ、また明日ね?」
「いや明日かはわからないけど」
「急かすようで悪いけど、でも早いほうがいいよ。とりあえずまた明日って言っとくね~」
 おれは藤木のこの言葉を、もっと真摯に受け止めるべきだった。
「はい。また明日」
 そう言って、相手が切るのを待っていたおれはふと焦る。
「今日は電話ありがとう!」
 でも通話は切れていて、映画はちょうど負傷兵の傷口からチーズの臭いがするかどうかを確かめるシーンで、おれは久々にピザでも頼もうかなと思いながら、ミニテーブルの上のスマホに対して両手を合わせる。なんまんだぶなんまんだぶ……。


 秋が終わり冬になるがおれはまだ部屋の中にいて、体重も五キロほど落ち、髪は伸び放題になって、毎朝鏡に向かうたびに心が悲鳴を上げる。出席状況から単位取得が見込めない講義がほとんどになっていて、最後のテストで合格基準に達すればなんとかなるとかいう類の講義も意識の外にある始末だ。返すのが億劫なのでDVDを観ることもなくなって、Amazonで購入したガスガンを一日中部屋の中で撃ちまくったり、枕の下に入れて眠るようになった。部屋中に散乱するBB弾を踏んだ宮崎がいってー! 掃除しろよ! と言う声を聞き流しながら、並べたチューハイの空き缶を次々と撃ち倒し木霊する跳弾の音を返事替わりにしていると、やがて宮崎も遊びにこなくなってしまった。


 一方で、バトンを受け取ったかのように藤木梨花から近況報告と安否確認を兼ねた電話がくるようになったのだけど、毎度のようにまた明日とおれが告げていると、ついに彼女も「うそつき! だれが信じるもんか!」という怒声を最後に連絡を寄越さなくなってしまう。おれは五分ほど目を閉じて、それから枕の下のデザートイーグルを取り出しスライドを引く。明かりを消したままだった部屋は気がつくと夜に飲まれていて、窓の外に広がる点々とした夜景がいやに映えている。天井に向けて二度空撃ちをして、銃口をこめかみに当てたおれは迷うより先に引き金を絞り、至近距離で遠慮のないおじさんが激しく咳き込んだかのような風圧と超高速の恐怖で背中から頭の先にかけてキンキンに冷えたのを確認してようやく、なにかご飯でも食べようかなという気になれた。おれは毎日死んで毎日生き返る。恥辱にまみれた過去は遠のき続ける。


 逢沢から長めのラインがくる。
 おれはちょうど夜の散歩の途中で、コンビニにて写真週刊誌を立ち読みしているところだった。宮崎や藤木梨花からいろいろ聞いているらしい彼女の、いろいろ気を使ったのであろう文章がそこにはあった。

  こんばんはヽ(*´∀`)ノ
  (スタンプ)
  すっかり寒くなりましたが風邪などひいてないでしょうか
  ひとまず坂本くんが健康であればいいと私は思ってるよ
  (スタンプ)
  宮崎くんが「部屋で爆弾作ってそう」だってよ
  こわw
  今度また飲もうね
  おやすみなさ~い☆彡
  (スタンプ)
  (スタンプ)
  (スタンプ)

 返信しようかな。
 迷ったままコンビニをあとにしたおれは、部屋に戻ってベッドに寝そべると逢沢の文章を読み返す。おれは元気だよ。風邪はひいてないよ。だからたぶん大学にも行けるのだよ。行けると思う。行けるんじゃないかな。まあちょっと覚悟は……あれ?
 ありあまる暇がおれを壊しにかかっている?
 このままじゃダメだと思いつつ、なにがダメなのかも正直よくわからなくなっていて、意外となんとかなるんじゃないかとも思えて結局安心することもあるんだけど、でもみんなそんなんじゃダメだって言うのでじゃあそうなのかもと思って、ああこのままじゃダメなのかあと以下堂々巡りなのだ。
 ライフゴーズオンなのに、おれだけ進んでない。
 気がつきゃおれは呼吸することを忘れていて、慌てて吸い込むも肺がなかなか受けつけない。あれおかしいと思いつつも、小刻みに吸い込んでは手放すように吐き出してしまう。吐く息は震えている。おれは枕に顔を押しつけて腹の底からぶうううううううううううと叫んだあと蹴飛ばされた豚のように泣きじゃくり枕を何度も殴りつけ、放り投げ、蹴飛ばし、それから抱きしめて謝り続けたあと、顔面から分泌されたあらゆる液をティッシュで拭ったあと、呼吸を整えたあと、まずはこの部屋の掃除からとりかかろうと思う。ミニぼうきでBB弾を回収してはゴミ袋に放り込んでいき、ベッド周辺に散らばる体毛どもも粘着ローラーで片っ端から引き剥がす。溜まったゴミ袋はすべて玄関に積んでおく。みんなに心配されるのもけっこう満更でもなく思えてきたところだけど、おれは自らの足で会いに行かなくちゃならないと思う。みんなに。更生への第一歩。おれはデザートイーグルを二度空撃ちしたあと、こめかみに押しつけ目を閉じた。
 返信はしなかった。


  さかむー @s_a_Fcup 1時間前
  このままでいいだなんて思わないけど、どうしていいかもわかんない。わたしは無力で空っぽ。はあ。鬱です

  みやざきあかい @R_ED_1130 25分前
  @s_a_fcup 大丈夫~?相談に乗るよ?

  えっちな孝子 @takakodengana 10分前
  @s_a_fcup そんな日もあるよね。今度あそぼ~(´∀`*)

  未熟女ユキコ @kyojakujidayo 7分前
  @s_a_fcup 人間休むことも必要。それは立ち止まってるんじゃなくて、また走るための準備なんだよ。ひとりじゃない

  武井咲々 @emiemi_takei 3分前
  @s_a_fcup やる気ださんかい!!!


 十二月。
 出かけよう部屋を出ると、自転車置き場で佐々木さんに会う。「あれ? 坂本ちゃんじゃないの?」
「あ、下の階の」
「佐々木だよ」
「はい。すい……すみません」
「最近どうしてたの。あんまり音しないね。たまになら別に騒いでもいいんだけど」
「いやいやいやそんなそんな。こないだはほんとご迷惑おかけしました」
「なんか坂本ちゃん、痩せた感じするし。元気なの?」
「痩せましたかね?」
「やつれたかんじじゃん。ごはんはちゃんと食べたほうがいいよ」
「食べてるんですけど、まあ」
「ああそう。ならいいけど」
「あ、じゃあ、すみません、佐々木さん。これからちょっと用事あるので。それじゃあ」
「おう」
「佐々木さんもお体にはくれぐれも気をつけて」
「ああ、ありがとう。いいからいけよ」
 そう。おれは行かなくちゃならない。
 おれはこれまでの日々で溜まりに溜まった本や漫画やDVDを収納するカラーボックスを買いにホームセンターまで歩き、部屋で組み立てて手当たり次第並べていく。お風呂も掃除するようになったし、金玉も一日二回ちゃんと洗っている。金玉が清潔だと、自分の抱える後ろめたいことのひとつが完全に霧散して自信につながり、対人面での効果も大いに期待できるような気がしていた。それから日課であった散歩にかける時間も以前より多くとるようになり、コースも大学周辺や男子寮の正面玄関側を選ぶなど、知り合いにばったり遭遇してしまう可能性という負荷を自らにどんどんかけていった。
 大丈夫。大丈夫。
 おれはすごい。
 部屋で『ダイ・ハード』を観ながらクリスマスケーキを食べていると、ちょうど去年のクリスマスに高校の友達と『ジングル・オール・ザ・ウェイ』を観たことを思い出して少し寂しくなる。
 おれはこの寂しさに打ち勝つまで、戦いをやめない。
 体重は大学入学時から十二キロ減り、年末に入り、おれの予感したとおりそのままひとりで新年を迎える。何週間も前に送られてきた忘年会のお誘いメールを元日に何度も読み返しては泣き、実家からの年賀状と電話で泣き、夜眠れなくてまた泣いた。でもおれはそこでようやく寂しさと向き合うことができたことを実感するし、このままこの部屋で干からびて死んで腐って処理されるハメにはなりたくないと心から願うようになる。


  さかむー @s_a_Fcup 2時間前
  はぁ、つらい。。。自殺しようかな。最後におっぱいうpします

  武井咲々 @emiemi_takei 3分前
  @s_a_fcup いい加減にしろ


 冬休みが終わったおれは宮崎とふたりで新年会をして、数ヶ月ぶりにお酒も飲む。
 昼食は大学の食堂で摂るようになるし、雑誌なんかは大学図書館で読むようにした。
 そうしているうちに後期が終わり、おれは大学一年の半分を叙情的に過ごしてしまったわけだが、二年からまた頑張ればいいのだ。つってもなんとかなるでしょ。なんとかしてみせる。頼む。神様。なんとかして!


→ Chapter7

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?