歓待 Chapter4


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 先生からの連絡がこないままどれだけの時間が経ったのかを考えても意味がない。
 そもそもいまの俺にとって先生はすがるべき希望なのだろうか?
 ということを考え始めている。

 

 背中から壁に張りついた俺の耳に届くのは空高くのぼる銃声だ。
 銃声なのだ。
 弾はおそらく向かいのC棟から飛んできた。まず考えるのはその人数だった。
 死体の胸元が飛び散るのと同時に再度銃声が響いた。銃声が先ほどのものと同じようにも思えたが定かではない。
吊るしていた紐が衝撃で切れ、胸部が花弁のように開いた死体がドサリと落ちる。骨ばった顔の、まだ若い男だった。差し込む月明かりの幅が広がって、汚れたカーペットを照らしている。
 弾はいまのところ間隔をあけ単発で飛んできている。慎重に狙っているだけかもしれないが、例えばそれがライフルでボルトアクション式なら、次弾発射までの時間は、ごくわずかだが、ある。
 なんにせよライフル弾を使われてしまったら、こんな築年数の古いアパートの壁に、果たして防壁としての機能を期待できるだろうか。
 そう考えている間にも別方向から銃声が聞こえる。が、あまりにも近すぎて俺の鼓動は一気にそのペースを上げる。玄関だ。煙が舞い上がってドアが開いて、長い棒のようなものを持った男が入ってくる。イヤーマフとナイトビジョンゴーグルをつけた誰かさん。テキパキとした動きで俺の方を向くと、肩にストックを当て銃口を正面に構える。俺は身をかがめる。部屋全体の空気が膨張するような轟音。すぐ横の壁から飛び散った破片が肩を叩くが、俺はワークブーツで死体の破片やらなんやらを踏み潰しながら全力疾走。マチェーテを持たない方の手で折りたたみ式ナイフを開く。動きに反応したらしきC棟からの弾丸が吊るされた死体を貫通して引き戸のガラスを砕くのも無視。実のところはっきりとは見えなかったのでこれは賭けなのだが、その白髪のジジイが持っているのは上下二連式の散弾銃で、ドアに一発、壁に一発で残弾ゼロ、排莢と装填が必要のはずだ。玄関のジジイの動きは驚くほど堂に入っており、俺の接近に焦りも見せず、新たな一発を込めると折れた銃身を元に戻して構えた。シームレスな動き。
 一方の俺はマチェーテを放り投げると、ダイニングの床めがけて滑り込み大量の血の上を滑走。ジジイの足元に突っ込んでその太腿に刃先を突き刺し、捻る。痰がからんだような声を上げるジジイが発砲、至近距離で銃声が炸裂して破片が降ってくる。頭蓋が細かく振動しているのがわかる。だが、ジジイを倣って割れるようなこの痛みに俺も構わない。立ち上がる縦の動作で顎を殴り上げ、熱を持った銃身を掴むと背後の靴箱までジジイを押し込んだ。ゴーグルのまんまるいレンズ。その顔面を二度殴り、ゴーグルだって引き剥がす。鼻も潰す。股間を蹴り上げれば肋骨も叩き折る。耳が完全におかしいので、手応えがいつもの半分ほどにしか感じられず、やめどころがわからない。グニャグニャになったジジイが玄関に尻をつくので、最後に靴底で顔面を踏み潰すと、猟銃とイヤーマフを拝借。腰の弾薬入れに入っていた実包をひと掴み分ジャケットのポケットに突っ込む。確認だ。ドアのノブは完全に吹き飛ばされている。俺はそのスラッグ弾がほしい。グリップのすぐ上にあるレバーを押すと、銃身が折れて使用済みの薬莢がひとつすぽんと飛び出した。上下に並ぶ空洞に親指くらいある実包を二発同時に突っ込んだ俺は、ジジイのナイトビジョンも装着する。
 頭はまだ重い。
 頼りはこの視覚だ。
 元々台所以外の明かりはつけていなかったが、玄関にあるブレーカーを落としておく。真っ暗になった部屋の中を、ナイトビジョン越しの視界でゆっくり前進。リビング手前でしばらくじっとする。C棟にいる相手の位置がわからない。俺はダイニングに並べてある鈍器から警棒を選び取ると、まだぶら下がっている窓辺の死体に投げつけてみた。死体が揺れた次の瞬間、銃声とともにそいつの腕が千切れ飛んでカーペットの上に落ちる。なるほど。同じ手を繰り返すしかないか。そう思った俺は、今度は鈍器ではなく奪った散弾銃を構え、死体ひとつぶん空いた窓の向こう目掛けて銃撃する。銃全体が後退しストックが肩にめり込んだ。いまのは散弾だろうか? 即座に銃身を折ると、一発排莢。新しく実包を込めておく。
 銃声の返事が届いて、また新たに死体がひとつ落ちる。月明かりの幅が広がる。ナイトビジョン越しでは眩しいので寝室に移動。その最中にもう一度銃声が響き、俺の動きを読んだように寝室にある死体がドサリと落ちた。向こうも狙いを定めるため、死体カーテンの排除を試みているのだ。ライフルの装弾数を俺は知らない。いまのところ、むこうはぜんぶで五発使っている。俺の知りえないところで装弾した可能性だってあるし、二人がかりで交互に銃撃している可能性だってある。どれを選ぶべきか。あまり考えてもらちがあかない気がして、位置の特定に集中することにした。
 C棟からこの部屋の窓までの距離を十メートルとしよう。リビングに撃ち込まれた弾丸は引き戸のガラスを破壊した。俺は寝室の死体を撃ち抜いたと思しき銃弾のあとを探す。わからん。
 作戦を変え、ある実験を試みる。俺は玄関にあるジジイの死体を抱き挙げて引きずり、筒抜けになった窓のむこうを意識しながらリビングにそいつを放り投げる。
 銃声が鳴り響く。
 弾丸がジジイの死体を貫いたかどうかに用はない。
 少なくとも向こうには、真っ暗なこの部屋の中が見えている。
 銃声は続いた。窓辺の死体がまた落ちる。
 俺はリビングの壁にある電気のスイッチを手探りでオンにしておく。寝室も同じようにする。反撃開始というこう。俺は玄関に向かうと、ブレーカーを上げた。
 C棟に面した部屋の明かりが一斉に灯るのを背に、猟銃を抱えて玄関を飛び出した俺は手すりを伝って屋上へ。音を立てないよう中腰で半分ほど進み、残りは匍匐前進。俺の緑色の視界には、C棟の廊下でライフルを構えている人影が映る。ナイトビジョンゴーグルを外して目を細めているのは若い女だった。
 ようやくこちらに気づくが、死ね。

 

 

 午前三時になった。俺は荷物をまとめる。

 午前三時半。各部屋を回って手を合わせた。

 午前四時。「脳」を再び抱きしめてしばらく呼吸を整える。
 
 午前四時半。耳はまだ治らない。
 すこしずつ、朝の匂いが立ち込める。
 もしかすると鳥が鳴いているのかもしれない。
 はやく会いたい。

 五時。
 遠くの空が紫色に染まりだす。空に浮かぶ雲がその輪郭をくっきりと浮かべだす。
 遠くに明かりが見えた。もしやと観察していると、そのまま明かりはこちらに近づいて来る。車だ。駐車場に入ってくるのは黒塗りのセダン車二台。放置されたコンパクトカーやバンの後方にゆっくりと近づいていき、縦に並んで停車した。
 俺はダンベルを持ち上げると、それを前方の車めがけて放り投げる。特に回転も見せず落下したダンベルは、そのままフロントガラスに直撃し、真っ白なヒビを一面に走らせた。
 前後の車両から男たちが一斉に飛び出す。スーツを着ていたり、高そうなジャージ姿だったり、外国人だったりしたが、動きの鈍い順にライフルで撃ち殺した。まず三人。
 俺はボストンバッグを肩にかけると、B棟の屋上からA棟の屋上に飛び移り、置いてあった散弾銃を拾い上げて、再度駐車場に構える。撃ち殺す。二人。排莢と装填。地平線が白んできた。屋上から自室前に降り立つと表に出しておいた「脳」を回収し、十五段の階段を降りる。もうここを上ることもないのでしょう。駐輪場を抜けて自販機のある通りに出た俺は、そこから駐車場入口に回り込む。停車する車のリアウィンドウ内には、ふたりぶんの頭が見える。左の人物が振り返る。銃口を振って指示すれば、その人物は自ら車を降りてくれた。
 実にゆっくりと。
 先生はスーツ姿だった。
 続いて右に座っていた人物も自らドアを開け、落ち着いた様子で降りてくる。グレーのスーツを着て、そのすそを手で直すオールバックのメガネジジイ。
 総務部長。
 先生がなにかをしゃべっているが、いまの俺にとっちゃ遥か遠くで響くだけの、意味を成さないただの音でしかなかった。俺は猟銃の引鉄を絞る。無数の散弾を浴びた総務部長は、砕け散った窓ガラスとともにアスファルトに崩れ落ちた。
 肩をこわばらせたまま固まる先生が俺を見ている。安心させるために猟銃を下げた俺は、耳の穴に指を突っ込んで笑う。
「麻痺してるんですよ」
 ちゃんとした発声になっていただろうか? 先生はなにかをつぶやいたあと、後部座席に左手を伸ばす。右手は正面につき出したままで、俺が発砲しないよう制しているようだ。先生を撃つわけがない。俺の苦笑はちゃんとそう伝わったはずだ。
 先生の手には薬袋が握られている。俺が肯けば、先生もひきつった顔で細かく肯いた。ああ、ついに。俺は深呼吸をする。もう夜の匂いなかった。ろくでもない夜だった。俺は先生から薬を受け取る。先生の口が「東條さん」と動くのがわかった。
「だいじょうぶですか」と、そう動く。
「おかげさまで」
 俺はポケットに入れておいた缶コーヒーを先生に渡した。三宅係長が俺に渡したものだ。
「先生。朝日を浴びながら飲むコーヒーは悪くないですよ」
缶コーヒーを見つめる先生が微笑むことをちょっとだけ期待したが、見届けることはせずにその横を通り過ぎる。一番奥に停められたコンパクトカーに乗り込んで、猟銃と「脳」を助手席に起き、持ってきたキーでエンジンをかけた。座ったとたんに強烈な眠気がよぎったが、俺はもう眠らない。これまでたくさん眠ってきたのだ。もうすぐ朝日が昇る。日の光を浴びれば、体も目を覚ますだろう。
 バックミラーを調整し、シートの隙間から背後を確認する。先生はまだ同じ所に立っている。先生は最初、俺になんと言ったのだろう。なにを言わなかったのだろう。ギアを「R」に合わせて発進し、横たわる男たちの死体を踏み越えて、先生のそばで一時停止する。ウィンドウを下げて言った。
「最後にひとつだけ」
 やはり俺の中には山のように選択肢があった。なにを伝え、なにを伝えないか。だが、俺が先生に感謝しているというのは、紛れもない事実だった。
「やっぱりコーヒーは控えたほうがいいかもしれませんね」
 そのまま表の道路まで出た俺は、改めてクラクションを一度だけ鳴らす。先生は手すら振らない。俺でも振らない。カーナビに入力する目的地を考え、なにも思いつかない、という選択をした。両サイドを畑に挟まれた侘しい道路を走りながら、やわらかな風を浴び、ラジオの音量を最大にする。パーソナリティーが「今日も一日、いってらっしゃい」と言った。
 五時半。
 閉め忘れたままの窓から、側溝めがけて薬を投げ捨てた。



-了-


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