ユートピア R.I.P.

「ただいま!」と叫んだら奥からおまえがわざわざやってきて「おかえり~」という。「どうしたの」ときくと「は? 出迎えただけじゃん」と怒るからおれも怒る。「ありがとう」。手にさげたコンビニの袋には飲み物が二本入っていたけどたぶんおまえはこれをあまり気に入らないような気がしている。「これおみやげ」とかなんだかちょっと言いにくい。
 台所の明かりはついていない。その奥にある畳み間の敷きっぱなしの布団の上におまえが座るからおれも隣に座る。その際に袋がゴソゴソ鳴るのでおまえは「なにかってきたの?」ときいてくる。
「サイダーだけどいる?」
「やった。ありがとう」
「紅茶とかがよかった?」
「え? なんでもいいよ」
 あとはテレビが続いてくれるからおれは黙った。
 モンテネグロで巨大な赤ん坊が暴れているうちはまだよかった。中継を観ながらこの世の出来事ぜんぶが嘘に感じられるほど距離のあることばかりで、一日一日が軽く感じられたし寝つけもよかった気がする。それからロサンゼルスで原因不明の大爆発がおこって大勢が死に、上空にサグラダファミリアを平べったくしたみたいな巨大な物体が出現。汚れたコンクリートとも錆の浮いた鉄製ともとれるその直系一キロほどのUFOは特に移動することもなく同じところにずっと浮かび続けているだけで、その画はなんだか滑稽にもとれるけど居心地は悪くてなにかしらハッキリしてほしいもんだと思っていたらつい三日前くらいからちょっとずつ南の方へと移動しているとのこと。
 情報の更新が目まぐるしいからテレビはずっとつけたままにしにしている。軍もさっさと攻撃してしまえとかみんなはいうが、それをきっかけにむこうもなにかしてくる可能性だって大なのだ。とはいえバカでかく正体不明で無口のそれが出現する直前には因果関係こそわからないけど謎の大爆発が起こっているわけで、いまさら友好的に振る舞える気もしない。こっちはたくさん人が死んでるんだよ? みたいな話を興奮していたおれがすると、おまえは気だるそうに小さく頷くだけだったけど、確かにおれも頭に血がのぼって攻撃的になっていたかもしれない。排除するか、大勢の死を一旦おいといて友好的になるかの二択だけで考えたのはおれが興奮していて頭が回らなかったせいだし、本当はなにも考えたくなかったからだ。
 モンテネグロに現れた巨大な赤ん坊はコトルという街を破壊しながらアドリア海に入り、そのまま西へ向かって泳ぎ、海軍の包囲も突破、再度陸に上がった際に今度は陸と空からの攻撃を受け全身を真っ赤に染めながら、それでもなお歩みを止めていない。ネバーギブアップ。動きは鈍く、知性も感じられないからこその“ベイビー”なのだが、ここでも同じく大きな被害がでているしこれからも出続けるのかもしれない。一方で赤ん坊への軍の激しい攻撃に対して抗議する団体も出現していて、プラカードを手に街を練り歩いている光景や声明の発表がテレビで流れていた。たしかにでかくて力もあるから洒落じゃすまない被害を生んでいるとはいえ、すっぽんぽんの赤ん坊を上空から大口径の機関砲や爆弾で攻撃している映像にはちょっと引く。まあ、へんな心地だ。いろいろ一気に変になり過ぎて、頭が驚くことを避けることにだけ集中し、結果麻痺しているみたいで、ぼーっとした反応しか出てこない。それがおれ自身すごく気持ち悪いしなかなかにストレスフルだが、それはおれに限ったことじゃなく世界中そんなかんじみたいだし理不尽さはそこまで覚えない。それに所詮は海の向こうの出来事だし悩ましく思うのにも限界があるし……と思っていた矢先のことだった。
「久々サイダーおいしい」
 おまえのその言葉にもおれは「ああ」という音で返し、テレビ画面に現れるテロップを目で追っていた。大海原に浮かぶ海上自衛隊の船やヘリが映っている。天気はそんなによくなくて海もうす汚く澱んでいる。
「ねえ」
「あ、ごめん。なに?」
「チャンネルかえていい?」
「うん」おれはリモコンを手渡す。
 おまえはチャンネルをかえるがどこの番組も内容は同じ。おまえの手首からは力が抜けてリモコンの先が布団にのった。
「テレビ消そうか」おまえは呟く。
「え。見てるけど」
「だめ」
「だめ?」
「じゃあ映画観よ」
「ちょっと待ってよ」
「もう!」
 急になんだよ、というポーズでおまえのことを見てしまうのがおれのしょうもなさだ。
 海上自衛隊の船が数隻並んでいる。黒に近い水の奥にひそむ巨大な肌色が確認できた。
「ずっとおなじじゃん。見てても時間もったいない」
「なにか動くかもしれないから、気になっちゃって」
「わたしつかれるの」
「ぼくもつかれるよ」
「じゃあ消そうよ」
「うん。でも気になるじゃん」
「うん」
「気づかないうちに危険な目にあいたくないし」
「そういう話、もういいよ」
「うん。ごめん」
 おれはおまえの手から落ちかけたリモコンを取るし、テレビも主電源を切る。はーあ。おれは布団の上に横になった。おまえはちょっとだけ横に寄ってくれる。それからおれの上にもたれかかってくる。
「サイダーでも飲めよ」
「うん」
 眠たいような気がしたけど勘違いだった。この静けさとおまえの体温がそうさせるのだ。
 ここ数日のおまえはそれが義務であるみたいに怯えているし、その怯えから一刻も早く抜け出したいと言わんばかりに情報を集めてはまんまとドツボにはまってる。一方でおれは、世界中の諸々が、対岸の火事だという認識さえ持てずにいた。眠らずに朝まで見た映画の二本目がよく思い出せないとか、あの感覚に似ていた。どんなあらすじでそれからどうなったのか、すべてがぼんやりしてて、まあいいかってなるあの感じだ。まあいいのだ。もうなんだっていい。このままのペースで大勢の人間が死んで動物も死んで物も壊され美しいとされるものがひとつまたひとつと確実に減っていったとしてもまあそういうものなのだ。どこかでその流れに酔ったり、完全に突き離して無視したりするのもぜんぶが個々にゆだねられているというこの感じ。楽だ。でもおまえはこの状況のある種フリーな空気にやっかいさを感じているみたいで、たぶんおれとは違う方向に考えを巡らせているのだろう。だとすれば、断然おまえのほうが潔い悩み方をしているんだと思う。おれは楽な場所から動きたくないし、ずっと目を閉じているだけにすぎないし、悩むことさえ始めない。
「テレビつけていい?」おれがきくとおまえは顔をぐしゃっと歪めて反対する。
「ははは」
 胸はこの上ないほど騒いでいるのに、どうにかしなきゃだなんて全然思えない。脳みその機能が死にまくってるのに、そんな脳は未だにおれを支配したままなのがたまらなく不快で仕方がない。
「そうだ」おれは自分のサイダーのふたを開ける。ゆっくり力を込めて。ブシュッ、と音を立て、蓋を握った拳がちょっとだけ膨らんだ。
「学生のころとか死んでほしいやつリストって作ってた?」
「はあ?」
「中学のときとかに。作らない?」
「作ってはないけど。頭の中にはあったよ」
「いまは? いまもある?」
「あるさそりゃ」
「教えてよ。中身」
「なんでよ。やだよ」
 おれは手にしていたリモコンを、ぐしゃっとよれたかけ布団の下に突っ込む。おまえはおれの上から離れて背筋を伸ばし、着ているシャツの裾を引っ張る。
「じゃあおれからね」
「なんなの急に」
「いや別に」
「変だよ」
「まあ、そうだけど」というおれはサイダーを飲む。喉の痛みを楽しめるようになってもう何年経つのだろう、なんて疑問のどうでもよさに笑ってしまいそうになる。いや全然おかしくないんだけど。笑わないし。全部この脳みそのせいなのだ。全部、全部、全部。
「このまえ歩いてたら変な男に会ってさ。これ話したよね。なんかエラ張ってて頬のこけた短髪のガリガリで、白シャツのボタン一番上までしめてるような几帳面そうな格好でさ。目が合ったんだけど、そのまま通り過ぎようとしたら声かけてきてお祈りさせて下さいっていうの。あなたのためにって。よくわかんなかったけどお時間とらせませんとかいうからわかりましたっていったら、いっしょによくわかんない言葉唱えさせたり一分間の黙祷とかさせるからふざけんなって思って。まあやったんだけどね。終わった後は、以上です、だけでありがとうもないしさ」
「うん」
「ってことでその男にする」
「なにそれ」
「死にやがれ」
「ははは」
 おまえは力なく笑いながらちょっとだけ背中を折る。おれは寝がえりを打つ。自然と声が漏れる。
「学生時代の先輩も後輩も同じ学年のやつも死んでほしいやつばかりだった」
「まあ、そう思う人はいたかな」
「他はどう。先生とかは?」
「死んでほしいね」
「そうなんだ」
「あとは、だれだろな?」おまえは額に手のひらをあて窓の外に目を。「うちの先生はろくでもなかった。先生のくせに偉そうだった」
「先生だから偉いんじゃないの」とおれが言うと間髪入れずに「違うよ。先生を甘やかしすぎ」とおまえ。ははは。
「だって馬鹿野郎ばっかりじゃん」
「なんだそりゃ。いいね」
「なにが?」
「馬鹿野郎って言葉、なんか聞くの久しぶりな気がして」
「馬鹿野郎だよ」
「もういいよ」
 おれはテレビを見つめる。海底から伸びるあいつが動きだして自衛隊の船とか潰してねえかな、とかずっと気になっているけどいまは忙しいからあとにする。腕を組んで天井を眺めた。おまえの手が置かれたへそのあたりが熱かった。
「そういや昔の知り合いが、いま自衛官やってるって言ってたな」
「ふうん」
「まあそいつのことも嫌いだったんだけどさ」
「いま頑張ってるんじゃない。自衛隊の人みんな。その友達はいまも自衛官?」
「ああそうか。そうだな。大丈夫なのかな」
 まだ、大丈夫なはず。
 もうなに起こったって驚けないくらい諦める準備をしなきゃ。
「ごめん、話戻すけどさ」
「まだ続けるの? ていうかまだいるの?」
「いるよ。めちゃくちゃいる」
「意外な人だしてほしいな」
「一階のヤンキー野郎」
「みんな思ってるよ」
「隣の棟の山下さん」
「はははは。ゴミ出しの件?」
「そう」
「逆恨みじゃん。こわ~」
「ははは。いままでのだって大した理由いっこもないしな」
 ということでサイダーで乾杯。おれが自分のサイダーをおまえのにぶつけると「はあ?」という顔をされる。
「ジジイどももみんなくたばれ」
 もうおまえの声はしない。
「暇なおばさん連中もみんな死にやがれ」
そんな気分の日もある。ってことにしようかな。とか思う。
 でもおれは結局のところ肝心な話はまだ全然してなくて、結局は今のこの時間、なくてもよかったんじゃないかってさえ思えて、途端に目の奥が熱くなるけど、寝転んで自分の腕を枕にしているから簡単に誤魔化すことだってできる。おまえは窓の外、たぶん空なんかを気にしてる風をよそおっているし、おれは今すぐトイレに行くふりでもしてしまえばいいのかもしれないなとも思う。
 ただ、おれはこうやっておまえのそばで寝そべっていたいってのもあって、どうしようかって悩んでいる。悩むことでおまえの隣に居続けることができるから、いまは悩めるし考えられる。
 もはやちょっとした確信に変わってきたけれど、海の中のよくわかんないけどめちゃくちゃでかそうなあいつは必ず動きだすよ。動くために現れて、おれたちのまだ知らない目的のために動き続けるだろう。必ず。絶対に。たぶん大勢が死ぬんだろうし、自分とて例外にはなれないことくらいわかっている。
 あの気持ち悪い男のしょうもない祈りは絶対に届かない。
「みんながみんな死んでほしいやつならいいんだけどな」
 おれがいうときみは立ちあがり、鍵をはずして、窓を開けた。よれよれのカーテンが音もなく揺れる。
「なんか中途半端だな」
 湿った冷たい風が鼻の頭をなでて、ああ、そうそう、なんだか秋めいてきたこと、きみに伝えたかったんだって思い出す。
「泣いてるの?」ときみはきく。
「え」おれは固まった。「おれ泣いてる?」
「ぜんぜん」
 なんだよ。
 きみはしゃがみこんでおれのことを抱きしめてくれる。おれも背中に手を回して、冷たく湿った風の匂いにぼんやりしていた。
「夕飯どうしようか」
「どっかで持ち帰りは?」
「いいよ!」
 きみは「ちょっといい?」とおれから離れ、クローゼットを開けて、薄手のカーディガンを取り出す。あ。なんだかおれも新しく服でも買いたい気分になってきた。おれは腕を組み財布の中身を気にしてる。いくら入ってたっけ? というふりをする。
 おれの顔をみたきみが「なによ」と笑う。
 なんでもない。
 ちょっとこらえきれなかっただけだから。






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