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バスト目測者人口【Chapter10:2年 夏④】

 わからんわからんわからん。

 翌週の水曜日、おれは大学の駐輪場でゴリラバットに消火器を噴射し、殴られる。
 やつが食堂で「逢沢はヤリメン」と発言したのをすぐ後ろで聞いていたのだ。ヤリメン? セックスばかりに精を出すサークルのことをヤリサーと言うので、この場合のヤリはたぶんそのヤリなのだけど、メンってじゃあなんだ? イケメンのメンではないだろうから、残るはManの複数形かメンヘラのメンで、どちらにせよあらゆることが酷すぎるので、制裁制裁制裁!
 唇が切れた。

 あまりに不毛すぎる。
 なのにおれは進むべき方向をつかめないままでいる。正しい道を歩いていない気がずっとしている。考えて考えてふと気づくのも、おれは考えるという行為を意識的に行おうとしているだけで、その実なにも考えてはいなくて、そうしよう、そうあろうと努める行為に息切れしているだけなのかもしれない。酸欠状態じゃ、簡単な掛け算もままならないことはネイビーシールズの訓練、ヘル・ウィークの動画で見たことがあるし……。
 まただ。
 途方もないってことにして全部をやめたい。
 頑張ってるポーズだけ残してなにもしたくない。
 でもおれはそうじゃないだろというかすかな倫理を見失わない。全力で向き合うべきだと思って無駄に力んでなにもうまくいかないなら初心に帰るだけだ。おれはカラオケで逢沢の激ヤセに気づいたときのことを思い出す。あのときのおれは立って踊って歌っていた。おれはいま一度、パソコンで音楽を流しながら踊ってみる。脳裏をめぐるのはカラオケで歌う逢沢の姿、その大きなおっぱいで、ああしょうもな、と思う。
 あのときおれは無意識に彼女の胸を盗み見て、バストを目測しようと試みただけなんだ。

 思考に風穴を空けたおれは五月のままだったカレンダーを引きちぎり、その裏に事の経緯をメモする。状況を俯瞰してみる。現段階では次のとおりだ。

 ・逢沢がゼミではぶられる
 ・激ヤセする
 ・精神的に不安定な状態に
 ・オダジョーに篭絡される

 まあそんなことはわかってる。もっと細かく分類して書いていくべきだろうか? なんて思っているおれは、この一連の流れが頭の中にすっかり固定されていることに気づく。型にはまるとでも言おうか。そもそもおれは真ん中の二つ以外、結局人から又聞きしたにすぎないのだ。

 また夏休みが始まろうとしている。
 おれは佐藤ふみ花について調査するため宮崎と食堂で合流、角のテーブルを陣取った。
「さかもっちゃんさ、佐藤ふみ花と飲んだんだよね。どうだった?」
「飲んだけどまあ……楽しい会とかそういうんじゃなかったから」
「逢沢さんについてなにか言ってた?」
「なんにも。おれ思ったんだけど、本人にそういう自覚がないんじゃないかって」
 なんて述べたおれに「でもそれはないんじゃない?」と宮崎。「おれ、逢沢さんの件に関してはけっこうはっきりした悪意を感じるけど」
 確かにそれもそうだけどなあ。「じゃあおれの見る目がなかっただけかな? だとしたらどうすればいいんだよ。サイコパスの心理なんて読めないよ」
 佐藤ふみ花サイコパス説。
 おれたちはスマホでサイコパスについて検索し、アメリカで過去に起こった凶悪犯罪の記事にまで飛んでわーわーわかったようなことを述べ合っていると、ゴリラバット率いる野球部軍団が食堂に入ってきたので図書館に移動する。次に対峙する時はいよいよ殺し合いになるんじゃないかとおれは怖い。
 図書館で犯罪心理学に関する本を探しながら、宮崎とソファーに腰掛けて最近観たおすすめ映画の話なんかをしていると、本棚の裏から現れた女と目が合って会話が止まる。
「坂本くん?」
 瞬時に9と3が頭に浮かぶ。
 桑谷・ザ・Fカップ。
 宮崎とおれの「おー」が重なり、「久しぶり~」と声を潜めた彼女がこちらに歩み寄ってきて、ちょっといい香りがする。こうやって言葉を交わすのもいつぶりだろう?
「桑谷さん! 元気だった?」
「元気元気。なにしてんの~。レポートの資料?」
「まあそうっすね」と話していると棚の裏からもうひとり現れる。
 お。
 おれが慌てて名前を思い出していると、宮崎が「おー前園さん」と手を挙げる。
「あ、ふたりとも久しぶり~」
「レポートの資料探してるって」と桑谷さんが説明してくれると、「うわ~、なんだかすごく難しそうなの読んでるね。大変そう」と彼女は愛想をたたえて笑ってくれる。
「ふたりもレポート的ななにか?」とおれが聞くと「わたしたちはもうぜんぶ終わったから、本の返却にきたんだ」と桑谷さん。
「じゃあもうあとは夏休み入るだけ?」
「あ、ううん、一応集中講義とってるけど」
「ああそうか。今年は沖縄行かないの?」
「え? ああ、沖縄ね。いかないね~。ずっとバイトだし。ていうかやばいよねこの会話。もうあれから一年たったんだね」
「そうだね。って前園さんももしかしたら話すの去年ぶりとかじゃない?」
「そうかもー。でも挨拶はしてたよ!」
「そうそう。あれ? 前園さんメガネ変えた?」
「えー! 変えた! すごい!」
「あと髪型も切ったよね。あ、変えたよね」
「ははは! 髪型切ったってなに!」とふたりが笑う。
 あとちょっと太ったかな? とも思うけど、おれはそういう病気ではないので、なんでもかんでも口には出したりはしない。

 で、みすみすと見逃してしまったわけである。

 その翌日の夜、おれが男子寮の雑魚軍団と寮で四コマ漫画を描いていると、藤木梨花から電話が入った。
「坂本、佐藤ふみ花じゃなかった。前園さんだわ」


→ Chapter11

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