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バスト目測者人口【Chapter14:2年 夏⑧】

 「オダジョーだって被害者じゃないの、って話でしょ?」と続ける中山くんを宮崎が見つめる。
「被害者って言うと?」
 中山くんの真っ赤な顔のうえで、溶けかけた目がうつろに濡れているが、おれ以外にもそれが気になって仕方がない人はこの場にいるのだろうか?
「いや、さっきから聞いてたらオダジョーが一方的な悪者みたいになってるけど、正直おれ、女の側にも問題あると思うよ」
「ああ、論旨がフェアじゃなかったかもね」と震えるおれの声。
「あのさ。そもそもこれ言いにくいんだけど、逢沢晴子に関しては、そういう人ってとこあるじゃん」と中山くん。沈黙は刺すように鋭い。「いわゆる八方美人だし、それでオダジョーがなびいたから、はいオダジョーが悪いってのはなんかちょっと違くない?」
 本当にだれも物音を立てなくなったので、おれは慌てて「あ~……」とだけ。宮崎が続いてくれて「なるほどね」と小さく呟いた。「いい顔なんて多かれ少なかれみんなしてると思うけどね。それが誘った誘わないって話になるのは飛躍じゃない?」
 中山くんはこれでカチンときたっぽい。「でも有名でしょ。ヤリメンだって」と言い捨てる。
 出ましたヤリメン~。
「なにそれ」と中山くんへの殺意を語気にはらませて藤木が尋ねる。なのに中山くんは、まあ気づいていないのか、全然ひるまない。
「ヤリメンって呼ばれてるんだよ。知らない?」
「だからそのヤリメンってなに?」
「ヤリマンのうえにメンヘラだから。ヤリメン」
 あ、やっぱりそういう意味なんだとおれは思う。聞かずもがな。
「なにそれクソださくない?」と高橋が吐き出す。だが中山くん・ザ・アッパーシューターは引鉄を絞る手を緩めない。
「だってみんな言ってるでしょ」
「言ってないよ」と藤木が前園さんを挟んで言う。「仮にそうだとしても、その言葉は品位を疑うけど」
 そこで中山くんが「は?」と眉をしかめてみせ、高橋が「そういうセンスない言葉使わないほうがいいよマジで」とたぶんこっちもキレてる。
「え、なに?」
「なに、じゃなくて」
「は?」
「は、でもねえだろ」と勢いづく高橋の肩に手を添えたおれは「まあまあまあ」と言うのは店員さんが飲み物を持ってきたからだ。佐藤ふみ花はお酒を受け取ると普通に飲み始めるが、武井は手をつけない。そんで目が合う。「ていうかおまえはなんなの?」と武井がおれを指差すので、空気の矛先がおれに向く。
「なんなのって、なんだよ?」
「逢沢さんのことどう思ってんだよ」
「いやいやいやどうも思ってないよ」
「いやいやそういうことじゃなくて」
「じゃあなんなんだよ。変だぞ!」
「変なのはお前だよ!」
「待ってよちょっと。別にフェアであろうとしてるだけじゃん。現に逢沢さんはオダジョーと付き合ってるんだろ? もういいじゃん。それにどっちが先に誘ったかわからないんなら、やっぱりオダジョーばかりを叩くのは変な先入観が混じってるよなって思っただけだよ」
「お前がそれ言うかよ」との高橋に続いて「先入観ってそりゃそうだよ、おれたち反オダジョーだもん」と武井。「逢沢さん、一時期調子悪かったらしいじゃん」と宮崎が中山くんを一瞥。そんでおれを見る。「オダジョーがそこにつけこんだんじゃないのかなって、なんとなく思ってるよ。もちろんこれも噂に過ぎないけど」
「だからそれも証拠ないじゃん」と言う中山くんを藤木は完全にロックオンしている。
「でもわたしは相談受けてたよ」
「相談? へえ」
「晴子がいろいろ悩んでたのは確かだから」
「でもそれでオダジョーがつけこんだって理由にはならない。悪く解釈しすぎ。それこそ藤木さんと同じように相談に乗ってたのかもしれないじゃん」
「オダジョーが人の悩みに親身になれるわけないだろ!」と言う高橋に「いやいやだからなんだよそれ。冗談なの? 違うよね? 話になんねえよ」と壁にもたれかかる中山くん。その音で今野さんがビクッとするけどなにもなかったかのようにおしぼりを畳み始めるので、本当にごめん。


「じゃあ多数決を取れば?」


 と言いだしたのは佐藤ふみ花だった。
「オダジョーが悪いか晴子が悪いか」
「いや佐藤さん」と言うおれの言葉に覆い被せてくる佐藤ふみ花は「もっと深く話してもいいけど、まどろっこしいよね。それにどうせみんなお酒も入っちゃってるし議論は無理だよ。現にいま喧嘩だし」とか言って笑っているので「ちょっと」と今野さんもたしなめようとするが、「確かにモヤモヤするし、誰がどんなスタンスかはハッキリさせとこうか」と宮崎ものっかる。
「いい? じゃあ行くよ? どっちが悪いと思うかね。晴子が悪いと思う人!」と言う佐藤ふみ花。慌てておれだけが手を挙げるが、すぐに下ろす。
「いや違う待って。だからもうだれが悪いとかじゃなくてさ」とのおれの言葉にはだれも耳を貸してはくれない。
「じゃあオダジョー!」
 宮崎と藤木梨花とタケヒコ武井高橋のみならず今野さんまでもが挙手をする。
「いまんとこオダジョーの圧勝だね」と佐藤ふみ花は笑うが、中山くんも前園さんもどちらにも手を挙げていない。
「馬鹿らしい?」と藤木が白けたように尋ねると「う~ん……」と前園さんが渋々、いそいそと口を開く。
「なんか難しいけど……わたしも単にオダジョーが悪いって感じには思ってないかも」
 とくる。
「わたしたち晴子ちゃんと同じサークルだったからわかるんだけど、前々から晴子ちゃん若干そういうとこあったと思うし」
「そういうとこっていうと、みんなにいい顔するみたいな?」とおれ。
「うん。なんかサークルでもそれでちょっとトラブル? みたいなこともあって、ちょっと困るかなって話になったことあるんだよね」
「困るってなにがあったの?」尋ねる藤木は神妙で、どこか悲しげですらある。
「これあんま他で言わないでね。サークルのメンバー内でもそういうことがあったんだよ」
 みんなが次の言葉を待っている。
「だから、逢沢晴子といろいろあってサークル辞めたやついるの」と中山くんがようやく神崎圭吾の件を出す。前園さんたちが逢沢を攻撃した理由。おれは「え!」と叫ぶ。「マジで?」
「だからなにもいまに始まったことじゃねえんだよ」と中山くんが吐き捨てると「でも待ってよ。いろいろあったじゃよくわかんないじゃん。そもそも具体的に晴子がなにしたのか見たの?」と藤木がついにテーブルに肘を立てて中山くんを真っ直ぐに見つめる。「それって神崎くんの話?」
「あ、知ってる?」中山くんの表情が変わる。「もしかして逢沢晴子から聞いた?」
「聞いた」
 で沈黙。佐藤ふみ花が口の端を指先でガリガリとかきながらおれを見て眉を上げる。
「神崎くん晴子のこと好きだったんでしょ?」と言う藤木に対して「はあ? あの女それも自分で言ってたの?」と中山くん。間に挟まる前園さんも藤木を見ている。
「告白されたってのは聞いた」
「ああ、そうなんだ。まあそうみたいよ。だからそれと一緒だよ今回のも。オダジョーならOKだったみたいだけどね。いや告白したのが逢沢晴子? わかんないけど」
「ちょっと待ってね。それと一緒って、晴子が神崎くんにも、いわゆるいい顔してたってこと? そっちこそただの協調性を悪く捉えすぎじゃない? 同じサークルなんだったら仲良くするのは普通でしょ?」
「それで互いの部屋を行き来する? ふたりっきりでだよ? それも協調性?」
 おれは逢沢とのこれまでを思い出している。
「ごめん。気持ちはわかるよ。でも、晴子はそういう子なんだよ」
 そして藤木の言葉を反芻する。
「なにそれ。変でしょ。普通じゃないよ」と中山くんは言うが、もうおれの心は完全に冷め切っていた。静寂。身を任す。もうこれ以上茶番を続ける気にもなれない。で、割って入る。
「普通とか普通じゃないとかはそっちの主観だからおいとくけど、逢沢さんはそういう人だってのは、確かにそうなんだよ」
 おれの言葉にみんながこっちを見る。あ、胸が詰まる。しかし言い出したんだから、言い切らなきゃならない。
「おれは同じサークルでもないけど、一年の新歓以来仲良くしてもらってるし、おれの部屋に来て漫画とか借りていったりとか普通にするんだよ。おれだって逢沢さんの部屋に入ったことあるけど、それこそふたりっきりだったけどさ、そこに特別な意味なんて別にないんだよ」
「え、なにそれなにそれ。マジで? ただのビッチじゃん」と中山くん。
「ビッチ……いや違うだろ」とおれの口から引きずり出される言葉たち。
「それは前提としてこっちになにかしらの期待があるからそうなるわけでしょ。そりゃ期待しちゃうのはわかるよ。でも期待通りにいかなかったから怒るって、勝手に思い込んで勝手に空回って気持ちとしてはそりゃ悔しいだろうけど、逢沢さんを責めるだけ不毛なんだって。だからここで一番大切なのは勝手な代理戦争を始めることじゃなくて不意に自爆してしまった人に『ドンマイ』って言ってあげることじゃないの? もう言った? 『ドンマイ』って。ちゃんと」
「え? 『ドンマイ』?」
「そう、ちゃんと言った?」
 しばらく眉をしかめたまま固まる中山くんは「ん?」と言う。
「あ、言ってないっぽいね。だったら一番重要なことやれてないじゃん。周りの人が真っ先にやるべきだったのは傷ついている人が傷を癒すまでの時間を稼いでやることだと思うんだよ。環境を整えたりさ。空気を変えたり、まあなんだっていいや。おれはそう思うんだよ。おれだったらそうしてほしいし……ん~そうしてほしい。そうしてよ。ただそれだけの話。ごめんなんか、まとまりないけど。終わり!」
 口の中がカラカラだった。中山くんの半開きだった口が、逡巡を思わせる歪みを見せる。あ、ここから怒涛の反論が始まったらいやだな。おれは頭が真っ白で、今しがた自分がまくし立てた言葉の半分も覚えていないのだ。自分のジョッキが空だったので、手刀を切ってタケヒコのグラスを手に取り中身を飲み干す。「あ、水じゃない。これなに?」
「ジントニック」とタケヒコ。
「おいしい」
 それでも嘘じゃないってことが伝わればいいとおれは思う。表情を変えずに沈黙する中山くんから目を逸らして、それからメニューを開いた。
「実はおれ、まだまだぜんぜん満腹じゃないんだ。デザート頼まない?」
 誰かが小さく笑った気がしたけど、おれはなぜだか顔を上げることができなかった。
「パフェあるけどどうする?」
 すかさず続いてくれる佐藤ふみ花にちょっとだけ泣きそうになる。


 おれのウエストバッグにはいつかのジップロックが入っているのだ。物事には節目が必要で、また新しい時間が流れる。だからこいつは今日で空にしなければならないのだ。だからみんな、今日は半分おれが出すね。



→ Chapter15(Final)

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