加藤渓のバンドエッセイ『バンドだって立派な社会』第17回

センチメンタル岡田とがんばれ根本くんバンドでアイウエオ作文の16文字目「ね」です。

現在家でも猫を飼っているが、実家でも以前は猫を2匹飼っていた。

1匹目は家にお金を一銭も入れていない親父が衰弱した猫を家賃代わりにと言ったかどうかは知らないが家に入れた。可哀想な雰囲気をまとったやせ細った猫を見て、一家が猫好きだったことに気がついた。

ある程度成長した猫だったのでしばらくしたら、家を出て行くかもしれないなと思い、何となく名前をつけなかった。このご時世、一人称を「吾輩」とは言う奴も少ないがこういった名無しの猫の場合、一人称を「吾輩」とするのが近代以降の日本の習わしである。
他にもあらかじめ決められた一人称には、すごく田舎のババアは「オレ」、田舎の大将は「おいどん」、1945年頃にようやく人間になったと言われている(進化が遅かったのだろうか)人は「朕」、帰国子女の生意気な小僧は「ミー」、ムーミン谷の意地悪な小娘も「ミー」などがあるでやんす。

しかし、いま猫も名前がないと不都合である。
この猫はやんちゃというか聞かん坊というか、猫という以外かわいいところの非常に少ない猫であった。それは人間以外にもそうなようで猫同士でケンカし、大怪我を負わされてしまった。
そんなわけでいつもの元気がないので病院に親父が連れて行った。
犬や猫も家族の一員という意識のある人が多く、「餌をあげる」などというと「餌じゃなくて、ご飯よ!」と烈火のごとく怒る人がいるくらいなので、病院も人のように扱っているので名前が必要らしい。というわけで、その日もらってきた薬の入った袋に「にゃー様」と名前が書いてあった。

医者「はーい。今日はどうしました?」
親父「はい。猫がケンカしまして…」
医者「あらー。痛いねー。お薬出しますね。お名前は?」
親父「名前…特に…」
医者「はい?」
親父「じゃ、じゃー、『にゃー』で…」

という会話があったのだろう。
だが、その名前は定着しなかった。

その猫は抱こうとすると引っ搔き、触ろうとすると威嚇するような狂犬であった。猫なのに狂犬だった。というのも家に来た時から、どこかで飼われていたようであったが、どこか人間に不信感のあるまま大人になったのだと思う。もしかしたら虐待されていたのかもしれない。
しかし、捨てられた経験があるからなのかストリートワイズで住んでいたマンションの玄関にちょこんと座って、帰ってくるマンションの住人に愛嬌を振りまいて餌をもらっていたり、母の証言によると「見知らぬ人によくわからぬ名前で呼ばれていたのを見た」とある。

そんな奴も歳をとっていった。年老いた猫は古着のパタゴニアのフリースみたいに毛が束になっていた。自分はその間にひん曲がった高校時代、異常性欲や異常犯罪ことが書いてある本を図書館で読み漁った大学時代、暗黒の会社員時代を経て、実家に戻ってきていた。

年老いた猫はボケがきていたようで、ご飯を食べてまたすぐご飯を欲しがり食べると吐いてしまったり、家族で食事していると必ず食卓に上がってきてその度に降ろすということが食事中何度も繰り返していた。しかもそんな時もだいたいキレていて、家族の顰蹙を買っていたが「最後は食欲だけが残るのだな」と話していた。ますますアンタッチャブルになっていた。

猫は死ぬ前に姿を消すと言われている。ずうずうしい猫なので家の中で死にそうだ。と思っていたが数日顔を見ない日が続いた。2.3日どこかに行ってしまうことはあったのだが、ついに一週間姿を消した。その時自分は中学生の時に脳内出血で倒れ半身麻痺で病院のベッドで管に繋がれている祖父を思い出した。その時自分は好きだった故にその祖父の姿が受け入れられず会いたくなかった。話しかけることもほとんど出来なかった。そのうちに死んでしまった。葬式でおいおい泣いた。

また15年前と同じようなことをしてしまったと思いと、可愛がってあげられなかったと泣いてしまった。


その数日後、猫がひょっこり戻ってきた。


家族全員が「死んでなかったのか...」と思った。


その数日後、本当に姿を消したんだけど帰って来た時に嬉しかったのと同時に「あの涙はなんだったんだ。」と思ってしまった。

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