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『たまにふと思うんよ、「嗚呼、カリスマ戦場童貞なんて天命じゃなくて、せめてカリスマアイドル童貞とかだったらな」ってさ。いや、でも、もちろん俺だって、推定6千万人の戦場童貞大国・日本の頂点に立つ、アイドル戦場童貞だからウンコはしませんもらします 第1回(第24稿)』

 俺と同じ1999年デビュー組の同期、ジャニーズの嵐が今月19日、デビューの地・ワイハで15周年ライブを行うとの極秘情報を小耳に挟んだ。

 同期の桜として負けてらんねえってんで、わざわざ嵐のライブと同じ日にぶつけて、俺もデビューの地で15周年ライブをやったった。

 その熱狂の狂い咲きライブレポはおいおい明らかにしていくことにし、とりまの時間稼ぎで、この新聞記事にザッと目を通して欲しい。

●参考記事

『大野も男泣き、嵐15年分の「ありがとう」デビューの地ハワイでライブ』(スポーツ報知 9月21日(日)7時4分配信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140920-00000384-sph-ent

【米ハワイ19日(日本時間20日)=宮路美穂】人気グループ・嵐が、オアフ島のコオリナ地区で15周年コンサートを行った。5人にとってハワイは、99年9月にワイキキ沖でデビュー会見を行った思い出の地。ヘリコプターに乗ってド派手に登場し、原点の地で15年分の思いを30曲に凝縮。喜びも苦労も分かち合ってきた1万5000人のファンと15周年を祝い、大野智(33)は感激の涙を流した。

 1万5000人の手のひらが、ハワイの青空に向けて一斉に伸びた。嵐が乗ったヘリコプターがビーチを越えて会場にやってくる。5人は、熱心に手を振るファンに「アロハ~!」とごあいさつ。15年前のデビュー会見はワイキキ沖をクルーザーに乗り登場したが、今回は空からスタートした。

 現地時間19、20日の2日間で3万人を動員するハワイ最大規模の興行。数年前までパイナップル畑だった東京ドーム2個分の空き地に巨大な舞台装置を作り上げた。船でコンテナ16台、空輸では20トンの資材を搬送。総合演出の松本潤(30)が「ザ・嵐というコンサート」と胸を張るように、5人の15年間を象徴するステージになった。

 1曲目にはデビュー曲の「A・RA・SHI」をチョイス。懐かしの曲を序盤から中盤に配置し、デビューから5年単位で、現在までをさかのぼる形で聴かせた。初のドームツアー、アジア公演、初の国立競技場コンサート、NHK紅白歌合戦出場…。当時を振り返るインタビュー映像を交えながら、歩みを振り返った。

 「嵐」という“船”は、順風満帆なクルーズではなかった。今こそ国民的アイドルと呼ばれるが、「(当時は)漕(こ)いでも漕いでも空振りだった」と櫻井翔(32)。デビュー直後はCDの売り上げも苦戦。3年目の01年、初の海外進出になるはずだったハワイコンサートは米同時多発テロで中止になり、04年にリベンジをかけたアジアツアーも新型肺炎SARSの影響で開催が2年延期になるなど、荒波は次々に訪れた。

 「僕らは『仲がいい』ってよく言われるけど、本当は寄りかかって、支えながらじゃないと立っていられなかったんだと思う」と櫻井。結束し、逆境に立ち向かうたび、嵐は強くなった。相葉雅紀(31)も「メンバーと出会って、ファンのみんなと出会って、僕の人生は100万倍楽しくなりました」と力強く語った。

 アンコール、二宮和也(31)が「こんなステキな場所でコンサートをやらせてくれてありがとう」とファンに頭を下げると、大野は「ハワイで当時、訳が分からないモヤモヤを抱えていたのを思い出しました。今そのモヤモヤはもうありません」と男泣き。「16年目も、これからも…。ともに人生を歩んでいきましょう!」と呼びかけた。

 最後の曲も「A・RA・SHI」。5人は再びヘリに乗ってハワイの夜空へ溶けていった。メンバーの、ファンの15年分の思いが、南国の海と空に確かに刻まれた。

最終更新:9月21日(日)7時6分


 嵐がジャニーズの組織力でヘリだ、クルーザーだで登場するなら、俺はカリスマ戦場童貞の個人力でもっとド派手にいかないとな。多勢に無勢がいつも負けてばっかでたまっかよ!

 デビューの地に一歩一歩テクテクと徒歩でゆくゲリラ戦法だ! いやいや、もちろんお家から歩きじゃねえよ。

 そんなもん、いくらオヤジキラーの嵐だってお家からクルーザーだヘリだに乗ってライブ会場まで来たわけじゃねえだろ。当日、ジャニーさんが取ってくれたワイハのホテルからヘリポートなりヨットハーバーなりに向かったんだろうよ、よく知らねえし、ホントどうでもいいけど。

 兎にも角にも、ジャニーさんのいない俺はよう、当日一人ぼっちで恵比寿ガーデンプレイスから歩いてきたんだよ、戦場童貞の偉大なる第一歩を踏み出したデビューの地までな。

 アッチがワイハデビューだったなら、コッチはグロメデビューだったんだ、コノヤロー! せっかくいいところでスイミングだ、バカヤロー!(*お時間限定ながら、1万円ポッキリで創作過程の未公開マル秘写真が見放題! お好きな方は是非! 2014年9月24日(水)15時20分記)


 グロメ駅前で、ちょっくら前回の続きの立ち話でも(2014年9月24日(水)23時59分記)。

 じゃあ、まずは前回の簡単なおさらいから。

●1998年7月10日(金)の朝日新聞の朝刊で、ビデオジャーナリストという新しい仕事を知る。

●当時のWiki先生こと、『現代用語の基礎知識 1997』先生でビデオジャーナリストを調べる。

●その文中にあった『朝日ニュースター』に、「おたくのビデオジャーナリストが使っているビデオカメラを教えてちょんまげ」と初電話取材をしたら、電話番のおっさんに電話取材がなってないと説教されたり、以下の『ビデオジャーナリズム入門』をたらい回しで紹介されたりする。

 という流れで、前回の最後に「ジャジャン! ココで、カリスマ戦場童貞クイズ第2問! この本をゲットした俺はこの先どうしたでしょうか? 正解は次回か、そのうちどっかの回で!」となった次第です。

 カリスマ戦場童貞クイズ第2問の正解は当時、まだ学生さんだったので、学校の図書館で『ビデオジャーナリズム入門』と感動のご対面!

 ザッと目を通すが、当時の俺が一番知りたかった「で、結局、どんなビデオカメラを買えばいいわけ?」問題が解決できなかったので、この本の後ろの方に載っていた共編の片割れ「(財)横浜市海外交流協会」にリンリンテレホン!

 やっぱ「(財)」の字面が金持ちっぽく見えたから、あわよくばビデオカメラの1台くらいと思ってたのに、「そういう質問なら、(共編の片割れ)野中章弘(『アジアプレス・インターナショナル』代表)氏にしてください」という旨のまたもやたらい回し。

 こんな紆余曲折やあんな紆余曲折を経て、野中氏に電話を掛けたのは結局、年明けの1999年1月7日(木)であった。

 例の新聞記事は1998年7月10日(金)のだったから、ココまで来るのに軽く半年間近くもかかっている。

 いや、その間、別に遊んでいたわけじゃ、ええ、遊んでいただけですとも! だって、まだ学生さんだったから、その半年間には夏休み(7月半ばから9月半ばまで)も冬休み(12月頭から1月頭まで)も挟んでたし~、社会人デビューの1999年4月までまだまだ時間があるし~、っていう感じ~。

 しかも、なぜか1999年1月7日(木)のリンリンテレホンの結果、野中氏と1999年1月22日(金)13時に直接会って、初取材することになる。

 ぶっちゃけ、俺が知りたいことは「現役バリバリのビデオジャーナリストが使っているビデオカメラを教えてちょんまげ」だけだったし、電話取材はもう3回目で小慣れたもんだったので、手っ取り早く電話で済ませたかったんですけどね。まあ、どうしても会いたいってなら、仕方ない。

 というわけで、1999年1月22日(金)に目黒駅東口、通称グロメに降り立ったわけです。

 そして、その約15年後、2014年9月19日(金)に想い出取材で再びグロメにという流れで、1999年の俺と2014年の俺がゴッツンコ! したところで一旦アップップ! 続きは随時アップしていきます(*まだまだ、お時間限定ながら、1万円ポッキリで創作過程の未公開マル秘写真が見放題! お好きな方は是非! 2014年9月24日(水)23時59分記)


 さてと、続きの随時アップ第1弾ですよ(2014年9月25日(木)23時59分記)。

 1999年1月22日(金)、グロメに降り立った1999年の俺にぬかりはなく、初取材の準備は万端だった。

 例の「教えてちょんまげ」質問だけじゃ間が持たないだろうと、約2週間かけて、『ビデオジャーナリズム入門』片手に、初取材用の質問をバッチリ用意してきたのだ。


 あのね、ツッコミどころが満載な質問のオンパレードなのは15年後、2014年の俺にはよ~く分かるし、どうせ分かりゃしないんだからシレッと全質問を書き直してもいいんだけど、やっぱうちはノンフィクションだから、後出しジャンケン的にアレコレ言ったりヤルのはフェアじゃないし、こんなおいしいネタを捨てるなんてねえ。

 ま、当時の俺に一言だけ、「お前、バカだろ? でも、ナイスパス! 後は全部任せとけや。どんなパスだって、おっちゃんがちゃんとカミソリシュート決めてやるぜ!」。

 後は、質問の答えを書くスペースが小さいというか、ほぼないじゃん。そして、なぜ答えが一言も書いてないのか、それはまあ、すぐ判明しますとも。

 他にはねえ、この元々ヘタクソな字をひらがなメインで嫌々書き殴っていることから、「なぜ俺が、このナチュラルボーン戦場特派員の俺様がこんな初取材の質問を考えなきゃいけないんだ」って気持ちがもう手に取るように分かります。今もクソ面倒臭いときはこんな感じで書いてるから。

 まあ、でもね、ナチュラルボーンエースストライカーだって、いつかサッカーのルールを覚えたり、ボールやスパイク、アクエリアスとか変なグラサンとか買わなきゃいけないときが来るわけですから。

 そろそろキックオフのお時間だ。1999年の俺はグロメ駅東口を背に、小ぶりな駅前ロータリーを抜けて、目黒通りを白金台方面へと歩き出す。すぐ左手に見えてきたルノアールが野中氏指定の取材場所である。

 続いて、2014年の俺の番である。Googleセンセのストリートビューには負けん、こちとら、カリスマ戦場童貞センセのストーカービューだ! ま、昔取った杵柄、こんなもん目をつぶってもルノアールくらい行けますよ。足取りも軽くグロメ駅東口を後にした。15年ぶりにゆっくり歩く道はどこか懐かしい。

 …アッレ~、おっかしいなあ。記憶では結構すぐにルノアールが見えたはずなのに、それらしき喫茶店は見当たらない。あの1999年の俺にすら発見できたのに…血眼になってルノアールを探す。

 そして、場所的にココしかないという犯人の目星をつける。

 今は薬局にうまくカモフラージュされているが、どことなく店構えがちょっとルノアールっぽくない? 一本堂って看板もペラって剥がしたら、なんかルノア~ルってお化けみたいに出て来そうじゃん。あ、大きい窓とか窓枠の感じとかもルノっぽい!

 とりあえず危険も省みず、店内に潜入する。100パー薬局だが、店の広さ的には喫茶店でも全然おかしくない。クンクンするとちょっとコーヒー臭い気がしないでもない気がする。

 いつまでもひとりで答えの出ない堂々巡りをしていても仕方がない。覚悟を決めて、店内を物色する。手ブラじゃ、これからの計画に支障が出るからな。

『ほんのりハーブが香るマスク』の店頭在庫をすべて、手に取る。ワイフへのグロメ土産だ(証拠写真つき)。


 いやいや、うちのワイフがね、このマスクが好きモノでして。見掛けたら、買い占めるようにしてるんだよ、ガハハ。そんな愛妻家のマスクをかぶり、ハイハイ、マスクとマスクマンにかけてますよ~だ、レジへと向かう。

 そして、レジの青島さんにマスク3つを差し出す。さあ、これで俺は客だとばかりに、金を払いながらさりげなく取材を開始する。

「あの~、つかぬ事をお聞きしますが、このお店って昔、喫茶店のルノアールでしたか?」

 うん、唐突にね、薬局のレジ in グロメですよ。いいの、ガキの使いじゃねえんだ、俺はベテランジャーナリスト(兼カリスマ戦場童貞)だ! こういうもんは形だけでも一応聞いておかねえと、後から何も書くことがなくなっちゃうから。ま、気休め気休め。

「この薬局ができたのが1年前で、その前は化粧品屋さんだったと聞いています。その化粧品屋さんが何年くらい営業していたかはちょっと分かりかねますが、その前は確かルノアールだったそうです」

 ビンゴ! 特ダネゲット、大スクープだ! …てか、青島さん、アンタ、一体何者?

 いやいや、ご紹介が遅くなりましたが、青島さんは年の頃ならまだ20代の若い娘っこのバイトさんって感じ。こんな小娘に小難しい歴史を聞いたってどうせ何にも分かんねえよ、って思いながら聞いてすいませんでした、お見それいたしました。

 いや、マジだって。カリスマ戦場童貞、うそ、つかない。

 それでも嘘だと思うなら、グロメの一本堂のレジにいる青島さんに聞いてみなよ、「この前、童貞、来た?」って。いや、ちょっと待て、童貞って略すな! ちゃんとカリスマ戦場童貞って言って! せめてカリ童貞か、カス童貞か、カマ童貞で!

 いや~、久しぶりにビックリしちゃったよ。ホント人は見かけによらないねえ。もうね、一本堂のレシートに書いてあった言葉は嘘じゃなかったね、「一本堂は、スッキリとした気持ちの良い店と温かく優しいスマイルで、お客様の信頼に応えます」。

 めちゃくちゃスッキリしたよ。まるで「イッポンどう?」した後のようにね! 青島さんに「ありがとうございました」と告げて、さ、気分よく撤収撤収!

 ああ、そういや、想い出取材とやらはまだ始まったばかりでしたっけ。15周年ライブに至ってはまだ始まってすらいませんね(*まだまだ、お時間限定ながら、1万円ポッキリで創作過程の未公開マル秘写真が見放題! お好きな方は是非! 言っとくけど、犠牲者が出るまで引っ張るからね、日刊ペースで! 2014年9月25日(木)23時59分記)。


 ハイ、今日も今日とて、まだ犠牲者が発生してない模様なので、続きの随時アップ第2弾ですよ(2014年9月26日(金)23時59分プラス1時間上乗せしてから記)。

 え~っと、ああ、まだ一本堂にいますね、1週間前、2014年9月19日(金)の俺は。レジで青島さんに別れを告げた後、何やら未練がましくまた店内徘徊を始めましたよ! 逃げて、青島さん!

 だってさ、よくよく考えたら、まだ一本堂がルノアールの孫にあたるとつきとめただけじゃん。そもそも孫とか関係ねえし、どうだっていいじゃん。

 いやいや、そういう話を始めると端から何の関係もないからね、こんなもん。単に懐かしの初取材場所を15年ぶりにグロメくんだりまで拝みにきただけなんだから。

 ああ、ありがたやありがたやと一本堂の店内を今一度隈なく徘徊し、「1999年の俺は、今のコンドーム売場あたりにあったテーブル席を挟んで、野中氏と対峙したはず」との結論を出す。

「いやいや、はじめまして、今日はお忙しいところ、よろしくメカドック(1999年当時、流行ってた流行ってた)」てな具合に、まずはご挨拶の名刺交換から。

 もちろん名刺童貞でもあった1999年の俺は口頭で高らかに名乗りを上げ、さっそく初対面取材の本題、「今年の4月から社会人になるんで、戦場特派員を本格的に始めようかなあって。今のところ、行きたい戦場とかは特にないんっすけど、とりあえずビデオカメラでも買って練習しておこうかなあと。で、どんなビデオカメラがいいっすか?」とバカの一つ覚えを繰り出す、例の質問表片手に。

 ちなみに、この1999年1月22日(金)の初取材時点で、当時の俺は『ビデオジャーナリズム入門』しか読んでなかったが、同じく野中氏が代表を務めるアジアプレス・インターナショナル編の『匿されしアジア』という本も出ていた(1998年6月30日発行)。

 この本の「ビデオジャーナリストの手法」という章に、「取材・撮影の基礎知識」との項目があり、当時の俺が知りたかったことがすべて書いてあったのに後日気づいたが後の祭り。

 てか、今ならネットで当時の俺の知りたかったことくらいチョチョイのチョイでゲットできますけどね。例えば、「わ~、『戦争未亡人マガジン(仮)vol.時系列順』こと、『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』の目次って便利だなあ」って感じでね、良かったな、今のカリスマ戦場童貞の卵たちは、俺のおかげだぞ。

 一方、その頃、野中氏は最初の質問ですべてを見切ったのか、軽くうなずき「じゃあ、とりあえずうちの事務所に行こうか。すぐ近くにあるから」と。

「あ、こういう急展開、AVで見たことあるよ!」って思いつつ、対面取材童貞を捨てたばかりの俺はよく分からぬままコクンと頷き、奢りコーヒーを急いで飲み干し、野中氏の後に素直に続いた。もうすぐ禁断の扉を開けることになるとも露知らず…。

 戻れ、今ならまだ間に合うぞ、その扉を開けると15年後にグロメ想い出取材とかするハメになるぞ!

 コンドーム売り場に虚しい心の叫びが響いた。コンドーム売り場にも見えない歴史あり。いや、ホント、この初対面取材は一瞬の間に終わった記憶しかない。もうね、コンドームの袋を破る時間すらなかったよ。

 そんなことより、コンドームの袋はまだまだ改良の余地があんだろ、15年前とほぼ一緒じゃん! こうさ、自動で破れるとか、ビリって破ったら「ガンバ!」って応援が流れたり、「ナマの方が気持ちええで」とささやいたり、たまに外れで「その女のに入るのはちょっと…」って余計なこと言ったり、といろいろ開発の余地があんだろ!

 さ、いつまでもコンドーム売り場で昔を懐かしんだり商品開発をしていても仕方ない。2014年の俺もお次はルノアール(今は孫世代の一本堂)のすぐ近くにある禁断の扉こと、アジアプレスの事務所を見に行くとしようじゃないか!

 来ちゃった。

 オイ、おっさん、コレはもう完全アウトの15年前専門ストーカーのヤバキモ写真だろ!

 でもピンポンダッシュはしてないもん! それにアジアプレスはもうココから引っ越してるのあらかじめリサーチ済みだし~。

 さっすがベテランのカリスマ戦場童貞!

 では、駆け出しのカリスマ戦場童貞だった1999年の俺がこの禁断の扉を開けて、一体どうなったのか!?

 それはまた別の回に譲ろうじゃないか、諸君!

 あ、まだ諸君の中から1万円犠牲者は出てないのか。チッ、腰抜けのお利口さんどもばっかで、ホント仕方ねえなあ。

 じゃあ、禁断の扉を開けて、一体どうなったのかをちょっとだけ、ほんの一例だけを、アナタだけに、コッソリお教えしちゃいます、シャチョさん、もちろん特別にタダね! ホントなら1万円ポッキリのシロモノだよ!

 禁断の扉前でいつまでも立ち話もなんですから、そろそろ開け、ゴマ!

「オイ、コラ、とっとと脱げや! そのつもりでノコノコついてきたんだろ、このド尻軽がっ!」って感じで、1999年の俺が禁断の扉を開けたら、「オイ、コラ、とっとと写真撮って来いや! そのつもりでノコノコついてきたんだろ、このドチン軽がっ!」って流れに。

 要は、「どこの馬の骨の若僧か知らねえが、まずはカメラの腕を見てやる。そこいらに行って、グロメ写真でも早く撮って来やがれ、30分以内にな」との腕試しである。道場破りに来た生意気なクソガキは腕の一本もキッチリと折って返り討ちにしてあげる、って世間様の厳しさですよ。

 そりゃね、今だったら、「上等じゃねえか、バカヤロー! やれるもんならやってみろ、コノヤロー! いつでも、どっからでも、束になってかかってこいや、バッチコ~イ! あの~、その前に、カメラ勝負じゃなくて、文章勝負でもいいっすか」とあの手この手でコッチの得意な土俵に誘い込んで、なんとかドローに持ち込む。

 少なくともそんな敵の言うがまま、カメラ勝負なんて敵の得意な土俵でわざわざ戦うバカはいねえよ。

 いたいた、いたよ、思いっきりバカが! 案の定、1999年の俺が「おいおい、俺をあんま舐めんなよ。言っとくが、もうカメラ童貞じゃねえかんな。俺はよう、ザギンでカメラ撮ったこともあんだぜ、グロメがナンボのもんじゃい!」とばかりの勢いで、手渡されたカメラとフィルムを颯爽と受け取り、そんで、カメラの使い方をレクチャーして貰ったり、フイルムを入れたり出したりして貰ったりとかいろいろ。だってセカンドカメラ童貞だったからしょうがないよ、コレばっかりは。

 いいのいいの、俺はメカには詳しくも興味すらもない系のF1ドライバーだから! さあ、ポールポジションからゴールまでぶっちぎってやるぜ。

 んで、用意は万端、後はグロメ写真と言えば、アレだろ、何だっけ、グロメと言えば…一体グロメなんかのナニを撮ればいいんだ? う~ん、とりあえずグロメのガキでも撮っておけば問題ないっしょ、ということでグロメ駅デパートの屋上へと向かう。

 実は野中氏との初対面取材の前、グロメ駅に早く着き過ぎちゃって、駅デパートの屋上で時間を潰していたのだ。

 勝手知ったる我が庭に登ると案の定、ガキどもがウロチョロ。まあ、こいつらを適当に撮っておけば、無垢で純情なイノセントワールド写真がハイ、一丁できあがり!

 後光がさすくらいのピュアさって言うのかなあ。もう余計な言葉はいらねよな。

 とにかくコレが俺のファースト写真集用の貴重なネガだ。…ネガって言い方でいいんだっけ? ポジ? とにかく本邦初公開だ~い! 

 まあ、お前らみたいにドブに捨てる1万円すら惜しむ連中に、俺の高尚なカメラ芸術は分かんねえだろうけどな。

 ド素人さんには光量多過で真っ白けっけに全部飛んで、豪儀にハレーションを起こしているようにしか見えないだろうけど、ファースト写真集のテーマは「ハレー彗星1999~ハレーションの世紀末~」ですから。ほら、この時代はまだ前世記、20世紀末だったからさ、要は流行りもんにあやかったわけさ。

 しかも、さすが新進気鋭の大物新人カメラマン、2枚ばかしわざと失敗する余裕の演出がにくいところだね、クッ~。

 ちなみに、ネガとやらの最初の真っ黒けっけの3枚はアジアプレスの事務所内で練習したヤツだから。いや、さすがの巨匠な俺でも屋内では露出不足ゆえハレーションはムリだわ。

 では、屋外で露出狂タップリなのに、あえてハレーションをおこしてない、貴重な2枚をアップップで見てみましょう!

 まさに昔のデパートの屋上によくあった、古臭いゲーセンの雰囲気を漠然と捉えるがため、あえてどこにもピンを合わせてないテクニシャンぶりがすぐ見て取れますね。

 一体何が撮りたいのかハッキリしない曖昧な瞬間こそがシャッターチャンス!

 とモタモタしてたら、黒尽くめのリュックサック野郎が勝手にフレームインしてきたんだよ、せっかく誰もいないワビサビ風味も隠し味で撮ろうと思ってたのに!  

 もうくやしいから、さっそく残りの1枚も! 

 黒ひげ危機一髪のデカいバージョンを撮りたい気持ちはそれとなく伝わってきますが、このアングルとか距離感とかその他諸々ってありえないよね、素人丸出しだわ感もサラッとかぶせる演出上手。

 いや~、ホントもう危機一髪です、つまりもう勘弁してつかわさい…タオル、早くタオルを投げて! タオル地のチェッカーフラッグを思いっきり振って降って、もう降参降参~参りました~。

 ごっめんなさ~い、生意気な例えばっか言って、ホントは俺、F1もボクシングも全然詳しくないんです、あ、カメラも追加で!

 確かに、カメラを撮ってるときはいつだってF1ドライバー気分で、もうアイルトン・シューマッハな速さで「何人たりとも俺の前は走らせねぇ」、1・2・3、ジャブ・ジャブ・カミソリシュートてなもんですよ。

 でも、ひとたび車から降りると普通の人になるみたく、俺はカメラを置くと普通の人で、現像の段階になるともう普通の虫になってるかな。

 一応、いや、一応もクソも、コレはれっきとしたノンフィクションだから蛇足でも言っておくが、厳密にはこのネガとやらは、ファースト写真集のネガではなく、セカンド写真集のネガなんだわ。

 本当のファースト写真集のネガは最初から手元にないというか、まんまと奪い取られてしまったちゅうか、そんなザギンドロボー話はまた別の回にでも。

 そうそう、サード写真集はこのセカンド写真集の撮影の約1年後に撮った、某小学校の入学式の写真です。

『一生に一度の晴れの舞台、ピカピカの1年生がハレーション!?』がサード写真集のタイトルかなと思いながら某小学校の入学式を撮ったわけですが、とりま式が無事に終わり、せっかくドキムネして待ってたのに、現像する頃合になっても特にクレームもつかず、あろうことか翌年の入学式シーズン前に「今年も入学式の撮影、よろしくメカドック!」なんて言われちゃった関係で、サード写真集はあのピカピカの1年生限定で、一般公開はなしでお蔵入り。

 後ね、このファースト写真集用のネガとやらの写真には32枚分が映っているけど、フィルムは36枚撮り。つまり残り4枚分はあえてココには載っけていません。うるさい、ノンフィクションにはいろいろあるんだ、主に大人の事情が!

「フィルム1本分撮ってこいや、30分以内に!」と言われたが、数すら満足に数えられなかったので、何枚分かフィルムが余っていたのでしょうね。算数&カメラオンチの1999年の俺が禁断の扉の向こう側に戻ってきた後、カメラ勉強の復習がてらデルモ俺で撮影されちゃったネガが1枚だけあったのです!

 もちろんトーシローの自撮りではなく、現役プロが撮ったからピンも露出もシャッタースピードもちゃんと合ってます。すげえぜ! でもハレーションという遊びすらないから芸術写真ではないんだけど、ほら、そこらへんは1999年の俺がデルモ力でカバーしてる感じ~。

 だからこそ、無料では見せません。そんなお安くないわよ、カリスマ戦場童貞のバカ面素顔は! 今までずっと「顔が売れてナンボがアイドルなら、顔が売れなくてナンボがスパイだ」論で、どうみても戦場特派員はスパイ寄りなので、学生時代からなるべく写真に写らないようにしてきたんだから、貴重な一枚よ!

 だって、こんなところでイケメン面の素顔が割れたら、どっかの国を取材する時とかになぜか入国禁止になってたり、即国外退去にでもなったら、取材もできずに商売上がったりで困っちゃうだろ。

 今のところ、正体不明のマスクマンのはずが、なぜか商売上がったりのアゲアゲなので、またまた今回だけ特別にみんなの地下アイドル、カリスマ戦場童貞の生プロマイド写真を特別に1枚1万円で売ってあ・げ・る。

 殺到する希望者はその熱い気持ちを、俺のnoteの「クリエイターへのお問合せ」(制限文字数500字)からご連絡ください。クリエイターじゃなくて、カリスマ戦場童貞ですけどね。

 だって、こういう無料ライブ&無料ライブレポ活動だけじゃ食ってけないから。これからの時代は物販にも、主に生プロマイド販売に力をいれて参る所存でございます(*まだまだ、お時間限定ながら、1万円ポッキリで創作過程の未公開マル秘写真が見放題! お好きな方は是非! 言っとくけど、犠牲者が出るまで引っ張るからね、日刊ペースで! ま、散々言われっぱなしで悔しかったらかかってこいや、怒りこぶしに忘れず1万円を握り締めて! 2014年9月26日(金)23時59分プラス1時間上乗せしてから記)。


 なんだよ、せっかく1万円で殉教者ゴッコができるチャンスな上に、もう1万円追加でカリスマ戦場童貞の生プロマイドまでゲットできるのにさあ。ハイハイ、じゃあ、随時アップの第3弾にいきますよ(2014年9月27日(土)23時59分記)。

 じゃあ、今日も無料だから、とっとと禁断の扉を撮影し終えた2014年の俺の足取りでも追おうか。

 すっかりキレイに新しくなったグロメ駅デパート。その屋上へと向かう満員エレベーターの人混みの中に2014年の俺の姿があった。

 手を上にグッと伸ばして、おいおい、空中授乳室ってどんなエロルームだよとばかりに、狭いエレベーターの中にカシャ、カシャっとガラケーのシャッター音を小気味よく響かせる。

 こういうのはね、堂々と撮るとみんな「見ちゃダメ、頭のおかしい人よ」って目を伏せるばかりだから、結構ラクショーよ。ダメ押しで、さっきの「おいおい、空中授乳室ってどんなエロルームだよ」と声に出すともっとバッチ・グ~! ちょっとしたモーゼ気分が味わえるよ。

 そういや昔、恵比寿ガーデンプレイスの動く歩道で、『おっぱい丸出し動く歩道対談』の撮影をしたときは、本家モーゼを超えたね。ちなみに、コレは動く対談3部作のひとつで残りは、『巨乳エレベーター対談』、『パンチラエスカレーター対談』だったよね。

 あ、バカエロ昔話してたら、もうすぐ屋上つくみたい。

 チ~ン! さあ、いよいよ想い出の古戦場の15年後の全貌が!

 超騙された、1コもおっぱいが飛んでねえじゃんか、空中授乳室なのに! ふざけんな、授乳室や赤ちゃん休憩室にはうるせえぞ、父ちゃんは

 それともナニかい、この石畳の小路の配置をよく見てみると、乳首がピンと立った片乳を表現しているとでも? で、写真奥の3人が飛び散る母乳役ってか?

 そんでね、写真左側で半分見切れている大きい木がパイズリされている…チ~ン、ハイ、もうお時間で~す(*まだまだ、お時間限定ながら、1万円ポッキリで創作過程の未公開マル秘写真が見放題! お好きな方は是非! 言っとくけど、犠牲者が出るまで引っ張るからね、日刊ペースで! ま、散々いいように言われっぱなしで悔しかったら、いつでもかかってこいや、怒りこぶしに忘れず1万円を握り締めて! なんと今から明日、2014年9月28日(日)23時59分までの24時間限定で、1万円ゾーンに『おっぱい丸出し動く歩道対談』の証拠写真をアップします。2014年9月27日(土)23時59分記)。


 ったく、おっぱいの風上にもおけん連中ばっかだな。パパのチンコでも吸っとけ! その隙にとっとと随時アップの第4弾にいこうか(2014年9月28日(日)23時59分記)。

 まずは昨日(2014年9月27日(土))の23時59分から、今日(2014年9月28日(日))の23時59分までの24時間、1万円ポッキリの有料ゾーンにて公開していたおっぱいの残骸です。

 今はご覧のように無料ゾーンになっちゃったので、もちろんおっぱい写真は撤収済みです。

●おっぱい写真の廃墟

「もうこのドスケベ! じゃあ、さっそく『おっぱい丸出し動く歩道対談』の証拠写真はコレです。

*おっぱい写真跡地(*2014年10月30日(木)22時追記:とある理由により、期間限定でおっぱい写真 with ハレーション、ココに堂々の復活! しかも無料ゾーンにて! 持ってけ、おっぱい泥棒! *2014年10月31日(金)9時再追記:期間限定で無料公開していた、おっぱい写真 with ハレーションは只今を持ちまして終了~! もし万が一、熊田プウ助先生ご本人がココにいらっしゃり、こんなもんでも見てやっていいと思われた場合、お手数をお掛け致しますがその旨をココのコメント欄に「おっぱい写真!」とでも記載して頂けましたら、追っておっぱいしますので、何卒宜しくお願い致します)

 どうよ、恵比寿ガーデンプレイスの動く歩道を優雅に流れる、このおっぱい写真は! さあ、せっかく1万円払ったんだから遠慮せずに、かぶりつきのドアップでもっとおっぱい見てってちょうだいな!

*おっぱいドアップ写真跡地

 スタイリストさんに「ああ、今日はなんか、恵比寿ガーデンプレイスの動く歩道で、おっぱい丸出しにしたい気分だわ、って日に着るコートを」ってことでセレクトして貰った、どっから見ても痴女丸出しの真っ赤なコートと白いおっぱいの紅白感がめでたい感じでしょ、がんばれ紅組さ~ん、白組さんもがんば~! ん? あれれ、黒組さんも透けてる? まさかノーパン? なんてね。

*下半身の黒組さん写真跡地。

 おっぱい丸出し動く歩道対談なので、ホントは全裸コート同士で対談するはずが、直前で対談のホスト役のMくんが全裸コートでチンコ丸出しは嫌だとか生意気言い出したせいで、なんか全裸コートでおっぱい丸出し女に芸能レポーターがマイク片手に突撃インタビューみたいになっちゃったのが誠に残念至極でした。

 残念賞というわけで、おっぱいのオマケとして、1万円相当のカリスマ戦場童貞の生プロマイド写真をプレゼントしちゃうので、以下の俺のメルアドに捨てアドからで構いませんので、空メールを送ってください。追ってお送りする1万円相当のカリスマ戦場童貞の生プロマイド写真はどんなオナニーに使って頂いても構いませんが、悪用はリベンジポルノ程度にしてください。

*俺のメルアド跡地

 では、また1万円をドブに捨てたくなったら、いつでも気軽に遊びに来てください。今回はお買い上げ、誠にありがとうございました。」

 ってね、せっかく用意したのに、おっぱい丸出しが台無しだよ!

 このままおっぱい丸出し動く歩道対談を全滅させるわけにはいかない。せめて動く歩道くらいは生かしてやらないと。

 今回の上の方でこんな伏線を張っておいたのにお気づきだろうか。

「兎にも角にも、ジャニーさんのいない俺はよう、当日一人ぼっちで恵比寿ガーデンプレイスから歩いてきたんだよ、戦場童貞の偉大なる第一歩を踏み出したデビューの地までな。」

 そう、ホントはまずビスエの恵比寿ガーデンプレイスの動く歩道で想い出取材をしてきてたんです!

 ただ非常に申し上げにくいのですが、恵比寿ガーデンプレイスの動く歩道の写真もガラケーのカメラで撮ってきたはずなんですが、どっかいっちゃったか、ちゃんと保存してなかったみたい。

 いや、でも、ホントにちゃんと行ったんですよ~、ホレッ!

 恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で2014年7月19日 ( 土 ) ~ 9月23日 ( 火・祝 )に開催されていた、『岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて』に、ちゃんと2014年9月19(金)のグロメ取材前、恵比寿駅から動く歩道に乗ってビューンと行ってきたもん!


 イヤン、グチャグチャのレシートをがんばってのばした努力のあとがバレちゃう。几帳面なんだか、いい加減で雑なんだか。

 後、4,104円のところ、10,104円キッチリ出すところが、公文式出身者らしいわな。

 そしてダメ押しがてら、例の一本堂のレシートの時間(2014年9月19日(金)12:00)と、このレシートの時間(2014年9月19日(金)11:28)を見比べてくださいよ。

 ちなみに、レシートの「岡村展図録」こと、写真集『岡村昭彦の写真』以外に買った、レシートの「和書8-岡村展」とはコレだ!

 ええ、文ちゃんこと、石川文洋先生の『カラー版ベトナム 戦争と平和』です。帯に「ご要望にお応えしてアンコール復刊」って書いてあったから、たぶん持ってるけど買ってみたよ。

 もうひとつちなみに、帰りは東京都写真美術館からグロメ駅まで動かないアスファルトジャングルをえっちらおっちら歩きました。これまた今回の上の方で、「デビューの地に一歩一歩テクテクと徒歩でゆくゲリラ戦法だ!」と言った通りにね。ノンフィクション、うそ、つかない。

 ああ、大事なことはそんなことじゃなくて、岡村昭彦の写真集は既に2冊持っているから、きっと新しい写真集を買ってもかなり写真がダブるだろうなあと思いつつ買って、お家に帰って「やっぱし~、ダブり23枚目だ!」ってキャッキャッと1人で喜びながらチェケラするのを楽しみにしていたのに、なんかお家に1冊しか見当たらない。あれ、おっかしいなあ。どこにしまったっけ。

 とりま見つかり次第、もう1冊の証拠写真も追加アップしますけど、まずは片割れからどうぞ。

(追記:2014年10月8日(水)13時10分の俺です! ついに岡村昭彦こと、アニキのもう1冊の片割れ写真集を発見しました、うちのエロ写真集コーナーで! このド助平アニキめ!

 ガラケーのカメラなのに、ちょっと露出過多でハレーション気味と言う、俺の変わらぬ品質を誇るこの腕前ね。

 後、片割れ捜索中に出会ったアニキの著書の一部も紹介します。

 写真に向かって、左から古い出版年順に並べてみたよ!

 と思ったけど、ちょっと順番を間違えていたので今度こそ正しく、上から古い出版順に並べてみるよ、画像にアマゾンへのリンク付きで。




 てか、いちいち並べてみたのはナンのため? って、そんなのもちろんアニキの紹介にかこつけた、俺の持ちモノ自慢に決まってんだろ!

 そもそも、こういうのを書くこと自体、単なる公開露出オナニー自慢ですから。すべての創作活動や表現活動、芸能活動などと呼ばれる代物が恥ずべき不健全な行為であるのと同様にね。

 こういうのを書くのはもちろんのこと、こういうのを読むことすらしないのが本来あるべき健全な人間ってもんですよ。まあ、でも、ある意味、そういう連中は恐怖セミ人間ではあるんですけどね。どうせバカセミ連中はこんなもん一生読まないんだから、そんな活字離れどころか文盲どもにゃ、何だって言いたい放題っすわ。

 ただ、わざわざ教えられなくても子供だって自然と、他人にテストの点数見られたり、感想文読まれたり、どんなことであれ自慢したり、顔丸出し本名丸出しで人より目立つのはみっともないと思うようになるのが日本人の正常な感覚ですからね。

 だから逆にね、その辺を踏まえて、せめてこういうのを読んじゃう、ちょっとアレな皆さんのご期待に添えるよう、仕方なく開き直って、なるべく気持ちよさそうに見える公開露出オナニー自慢をすべく、チンコマンコ騒いでるだけなんですぅ~、っていう何かの言い訳ショーをお送りしました。

 こんな河原乞食の端くれにお恵みのおひねり(1万円)を~。くれないなら、こんなもん読みに来るんじゃありません、不良になっちゃうよ!
 以上、2014年10月8日(水)13時10分の俺が追記をお送りしました!)。


 ああ、ゴメンね、ベトナム戦争オタクの玄関口で1人勝手に盛り上がって。だってホントはこういうことしか書きたくないから。来んなよ、お前ら。ううん、なんでもない。

 ちなみに岡村昭彦とは、俺が中2のときに戦場特派員を志すきっかけになった、運命の一冊(である可能性が高い)『南ヴェトナム戦争従軍記』の著者である。

 ちなみに、運命の一冊に関しては、

どれが最初の運命の1冊だったかキレイさっぱり忘れちゃった、テヘッ」。

 ってのが正直なところであるけどね。

 もちろん運命の一冊は岡村昭彦の『南ヴェトナム戦争従軍記』ということにした方が話が早いし、分かりやすくはあるんだけど、なんてったって腐ってもうちはノンフィクションなんで、そういうフィクションみたいなご都合主義なことはしません。

 ああ、ただ、そんな岡村昭彦の写真展だから、15年ぶりに写真展なんかに行って、セカンド写真展童貞を捨ててきたわけじゃない。

 そんなもん、この想い出取材のネタのためだけに決まってんだろ! そうじゃなきゃ、誰が写真展になんかイクもんか! 

 ハッキリ言って、岡村昭彦の写真展ですら行きたくないもん、いわんや他の奴の写真展をや。

 ただ今回の写真展は、岡村昭彦の創作ノートなんかもちょっとだけ展示してあって、コレを見るだけでもスエビくんだりまで行く価値はあったね。

 こうさ、グッと来るもんが理屈抜きでダイレクトに分かるからね、文章なら。その点、どうも写真はピンと来ないよね、見るのも撮るのも。一応、写真集も買うけどさ。

 そうそう、例の禁断の扉の向こう側のせいで、写真展童貞を捨てたのは今から約15年と5ケ月前、1999年4月14(水)18時に行った、後藤勝氏のカンボジア写真展です。

 うん、まあ、写真展もカンボジアもピンと来なかったかな、あくまで俺の記憶によるとね。あ、そろそろ時間か。せっかくこれからまたエロくなるところだったのに…(*まだまだ、お時間限定ながら、1万円ポッキリで創作過程の未公開マル秘写真が見放題! お好きな方は是非! 言っとくけど、犠牲者が出るまで引っ張るからね、日刊ペースで! ま、散々いいように言われっぱなしで悔しかったら、いつでもかかってこいや、怒りこぶしに忘れず1万円を握り締めて! 2014年9月28日(日)23時59分記)。


 さあ、肥溜め三兄弟の『日刊汲み取り式便所』連載が今日もはっじまるよ~、プンプン匂ってるかい? さっそく随時アップの第5弾にいくぜ、ボットン便所のお釣りども! ああ、相変わらず誰も1万円払ってねえから、お釣りもクソもねえか(2014年9月29日(月)23時59分マイナス1時間前倒しして記)。

 昨日(2014年9月28日(日))の俺がちょい上で、「あ、そろそろ時間か。せっかくこれからまたエロくなるところだったのに…」って適当なことを書いてますが、15年前の想い出取材も後はもうメシでも食って、とっとと帰るだけですから。

 ナニ、食おうかなあ、う~ん。教えて、禁断の扉!

 もう後ちょっとだけだよ~。さあ、禁断の扉の向こう側に広がる、知られざる、めくるめく戦場特派員の世界を垣間見るがいい!


「おい、コラ、ひとっ走り、のり弁買って来いや!」、「ヘイ、合点でござんす!」とジョグがてら弁当パシリをしに行った、想い出の『ほっかほっか亭』がな、なんと『ほっともっと』に、ガ~ン…。

 ごめんよ~、俺がもっと早く想い出取材に来ていれば、こんなことにならずに済んだのに!

 ま、『ほっかほっか亭』でも『ほっともっと』でも弁当の味はどうせ…ってグルメレポートをココに書くと、まあ、もうかなり下の方なのでたぶん大丈夫な気もするけど、やっぱちょっとアレなので、本業の方に書いておこ。

 ちなみに、本業の方はアラカン(アラウンド還暦の略だったよね)を目途に自費出版します(仮に漫画化ノンフィクションで自費出版用貯金を使い込んでも、今回が200コ売れれば、ペイするから大丈夫だよ、よろしく頼んだよ)。

 自費出版本はアラカンの頃には約35年モノのビンテージになっているので、限定10部の豪華袋とじで1冊1億円! わ~い、10億円ゲット!

 ま、ドブに1万円ぽっち捨てられない人には一生かかっても買えませんけどね。おい、よかったな、1億円浮いて、ドブに!

 まあ、せっかくの手弁当の15年前の想い出取材なので、弁当の味以外の無難な想い出くらいはココに書いておきましょうか。

 中2から約10年間、フリーランスの戦場特派員は儲からないどころか食えないという頭でっかちな知識をせっせと詰め込んで、それを大前提にもう思う存分、徹底的に覚悟を決めた状態で、例の禁断の扉を開けたわけですが、モノホンの戦場特派員の世界はいや、もうビックリするくらい俺が思い描いていた通り!

 もうベテランの超一流の戦場特派員だって、そこいらにありふれたどうでもいい業界のド三流なんかよりも、全然食えやしない甘くない世界だった!
 ベテランの超一流なら億単位で稼げる業界にいる万年2流あたりが「いやいや、うちの業界も厳しくて、どこも同じですよ~」ってのとはワケが超違う。「うるせえ、厳しいのは万年2流のてめえだろ、恵まれた業界にいるくせに! うちの戦場特派員業界はなあ、ベテランの超一流の戦場特派員でも満足に食えないんだよ! いわんや、駆け出しのド3流新人をや」である。
 なのに、戦場特派員の世界に巣食うコイツらはみんな、ホントに好き好んで本気でバカやってる、愛すべきバカ野郎ばっかだ、と妙に納得し、自分ののり弁当は自腹でも何かうれしかったパシリ記憶がございます。

 とベラベラと想い出駄弁りは尽きないわけですが、今日はちょいと野暮用があるので、この辺で無味無臭のままお暇させて頂きやす。

 明日は、「果たして、『ほっともっと』ののり弁で妥協し、15年前の想い出メシちゅうことで、グロメの路上で立ちんぼしながら、ガツガツと貪り食ったのか!?」あたりが見所です、後、遂に明日、メインの15周年ライブとやらのライブレポをヤリます、今までのは全部、前座ライブのレポです!(*まだまだ、お時間限定ながら、1万円ポッキリで創作過程の未公開マル秘写真が見放題! お好きな方は是非! 言っとくけど、犠牲者が出るまで引っ張るからね、日刊ペースで! ま、散々いいように言われっぱなしで悔しかったら、いつでもかかってこいや、怒りこぶしに忘れず1万円を握り締めて! 2014年9月29日(月)23時59分マイナス1時間前倒しして記)。


 さてと、週刊連載内日刊連載『随時アップ』も早いもので、今日でもう第6弾である。ゴチャゴチャ言わずに、さっさといくぜ(2014年9月30日(火)23時59分記)。

 ようこそ、ライヴハウス『松屋 目黒東口店』へ! ココが噂の15周年ライブの会場です。開演までしばしテーマ曲でも聞きながら、戦場童貞ノンフィクションと漫画化ノンフィクションの業務連絡アナウンスをお楽しみください。


 って長々とご覧の通り、今回も前回同様、主役の漫画化ノンフィクションを後回しにして、脇役の戦場童貞ノンフィクションを先に書いちゃった、しかも書き終ってないというね、メンゴ!

 ちなみに、戦場童貞ノンフィクションとは何ぞや? ハイ、いつもの説明コピペからどうぞ!

 何はともあれ、うちの戦場童貞ノンフィクションの漫画化につきましては、『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』の目次』から、まずご覧ください。

 万が一、わざわざご覧したくない方にも一応、うちがどんな戦場童貞ノンフィクションなのかを簡単にココで補足説明しておきます。

「中2のとき、『あ、俺ってば、ナチュラルボーン戦場特派員だった』と天啓を受けた俺がその10年後、戦場童貞を捨てるため、ビルマの軍事政権相手に半世紀以上、民族闘争を続けているカレン民族解放軍の従軍取材と、ビルマの軍事政権に迫害を受けて、隣国タイに国外避難しているカレン族の難民キャンプ取材をしに行くも、初海外取材の約2ヶ月間ことごとく失敗に失敗を重ねるだけ…しかし最後の最後に『あ、ちょっと間違ってたや。正しくは、俺ってば、生まれつきベトナム戦争の戦場特派員だった』と再天啓を受ける。だから戦場童貞のままだよ」って感じのまさに戦場童貞ノンフィクションです、一言で言うと。

 いいんです、ノンフィクションの醍醐味は成功譚ではなく、大失敗譚にあり!

 というわけで、基本的に初海外取材の2ヶ月間、何も起こりません。もうね、そんな危ない戦場とか特に危なくない難民キャンプとかもうどこにも、全然余裕で超たどり着きませんからご安心ください。

 そんな失敗の連続以外は何も起こらなかった戦場童貞な青春の日々を、いかに素敵なノンフィクションに書き上げるかが俺のヤルことで、漫画家さんには是非、その自称素敵なノンフィクションを叩き台の原作にし、見違えるように素晴らしい漫画にして欲しくて欲しくて、もうたまらないんだ、な、だから、いいだろ?

 と、いきなり迫られてもアレでしょうから、じゃあ、ちょっとコレってどんな感じの戦場童貞ノンフィクションで、どう漫画化すればいいのかなあなんてイメトレ練習がてら、お試しというか社会見学してみませんか?

 えっ~とまず、漫画化の練習台になるような日を初海外取材の53日間から適当にセレクトしてみました。

 適宜、文中の()内で、(こんな感じで、漫画化して欲しいなあ)とつぶやいたりダンマリ決め込んだりします。気にしたり、気にしなかったりで前向きに漫画化の方を善処して頂ければ幸いです。

 それではお時間ある際に、お気が向いたら、どうぞよろしくお願いします。

 今回も初国内取材時代をピックアップ済み!(基本、「1回1日」主義です。たまに「1回4日」主義や「1回3日」主義が紛れ込みます。なぜなら、この『ベトナム戦争従軍希望記 「カレン民族解放軍従軍希望記」編』は全53回に、「初海外取材の53日間(1999年12月15日~2000年2月5日)」と「1989年~2000年2月末までの戦場童貞エピソード(中・高・大・社会人・初海外取材前の準備期間・初海外取材後の事後処理期間)」をギュウギュウに詰め込むので、こういう「1回4日」だ、「1回3日」だのまとめ回が必要になります。だって、中学時代で3回分(『第1回(第5稿)』、『第1回(第6稿)』、『第1回(第7稿)』)も使ったりするゆえ)


 ヘイ、お待ち! ついに真打ち、漫画化ノンフィクションが満を持して、ご登場!

 今回の漫画化ノンフィクションは12人目となる漫画家さん、「浦田カズヒロ」先生(https://note.mu/urata_k )です!

(注:漫画化ノンフィクションとは、うちの戦場童貞ノンフィクション(全53回予定)を、「1回につき1人の漫画家さん」形式で、合計53人の漫画家さんに漫画化をお願いし、その一部始終をリアルタイムドキュメンタリーしちゃう感じのヤツです。

 尚、うちの戦場童貞ノンフィクションは今回を含めて残り30回で、まだ42人もの漫画家さんに漫画化依頼をしなきゃいけません。

 今まで、11人の漫画家さんに漫画化ノンフィクションを仕掛けさせて頂きました。

●漫画化ノンフィクション9発目は、desu先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/n939ba13b28d9 )

●漫画化ノンフィクション8発目は、和田ラヂヲ先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/nea3c7a91c6a2 )

●漫画化ノンフィクション7発目は、空飛ぶたんたんめん先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/n6d737d6484be )

●漫画化ノンフィクション6発目は、熊田プウ助先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/n9780bafefaa4 )

●漫画化ノンフィクション5発目は、古泉智浩先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/nc51ef30079f9 )

●漫画化ノンフィクション4発目は、山本さほ先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/nfca7fd59e419 )

●漫画化ノンフィクション3発目は、中川いさみ先生、相原コージ先生、ほりのぶゆき先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/n86208226176f )

●漫画化ノンフィクション2発目は、大谷秋人先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/nec8e658939ff )

●漫画化ノンフィクション1発目は、若狭たけし先生。(https://note.mu/ganbarewebmesi/n/n978aef2717eb )

 現在の戦績は11戦0勝2敗で、9試合はまだ絶賛勝負中です。詳細は随時更新中の各回をご参照ください)。

 長い説明コピペの後、まずは恒例の「大人の金コミュニケーション」で浦田カズヒロ先生にお近づきのご挨拶をば!

(注:「大人の金ニケーション」とは、「まず『note』にいる漫画家さんの有料マガジンや有料ノートをショッピングし、ついでにフォローもします。これだけすれば、仕返しの大人の金コミュニケーションでショッピング返しはなくても、フォロー返しくらいならちょっとは増えるんじゃね、金の力で」のことである)

 しっかし! 浦田カズヒロ先生が今日現在、販売されている有料ノートや有料マガジンはまだ0冊みたいなので残念ながら何も買えませんでした。

 とりあえずフォローだけさせて頂き、挨拶運動第二弾の「スッキ二ケーション」として、浦田カズヒロ先生の最新ノート『アナル君(尻野 穴流)』にスッキスッキ攻撃!

(注:「スッキニケーション」とは、「おはようのスッキから、おやすみのスッキまで、今日もスッキスッキ大作戦!」と題して、とりあえず「好きって言っとけば問題ないっしょ」とばかりにお目当ての漫画家さんが新規ノートをアップした際などにスキボタンを押して、下心丸出しコミュニケーションを図ろうとする大人の恋愛行為のことである)

 でも、もうヤレることはすべてヤッた。こまめにコピペ説明もしたった。後はおとなしく様子見するのみ。

 尚、今後の予定としましては、「大人の金ニケーション」や「スッキニケーション」のおかげで、漫画家の先生からフォロー返しやスッキ返しなどの反応があるやいなや(いや、別に「ないやいなや」でも可ですが)、「お前はもう俺のフォロワーだ!」面丸出しや「俺のこと、スッキなんだろ、お前は!」面モロ出しで、「あの~、うちの戦場童貞ノンフィクション原稿の1回分を漫画化して欲しいなあ」とお願いしちゃいます、具体的にはこんな感じで!


【漫画化詳細】

 まず漫画化をお願いする原作回をコチラで指定させて頂きます(変更も逆指名も何でも可です)。後はもうすべてお任せします。1コマ漫画でも4コマ漫画でもストーリー漫画でも(1ページでも100ページでも)、ネーム段階のままでも下書き段階のままでもペン入れ段階でも何だって構いません。どこかに「原作回のタイトル&URL」さえ明記して頂ければ、全然関係ない漫画でも白紙のままでももう何でもいいっす。こんな原作なんて気にせず、好き勝手やっちゃってください!

【原稿料】

 些少で大変恐縮ですが、「原稿料2万円」プラス「漫画化が完成しましたら、ご自身のノートにて、最高値付けの1万円で売ってください。私が即買います!(私の購入確認後、お好きな値付けでそのまま1万円なり1000円なり100円なり無料なりと値段変更して頂いて構いません)」という条件でお願いさせて頂けないでしょうか。尚、原稿料2万円は漫画化承諾を頂いた直後、ご指定口座に振込みます。振込をご確認後、漫画化に着手して頂ければ幸いです。

【締切】

 漫画化ご承諾後の振込確認から2~3か月後くらいを目途に、そこを何とかどうか宜しくお願い致します。


 以上、簡単にまとめてみました。

 今のところ、浦田カズヒロ先生には『「大丈夫大丈夫、どうせ俺はすぐ戦場で死んじゃうから、ソッチの穴もいいだろ、な?」とローション片手に迫ったのに、まだバリバリ戦場童貞ですいません 第1回(第20稿)』の漫画化をお願いさせて頂くつもりです。

 尚、浦田カズヒロ先生の漫画化ノンフィクションの続きはココこと、今回にドンドン更新していきます。乞うご期待あれ!


【浦田カズヒロ先生の漫画化ノンフィクション】

*今現在、まだ何の動きもございません。


 あ、すいません、『15周年ライブ in 松屋目黒東口店』はまだ準備中なんですよ~。

 ヨシッ、その隙に、追加の戦場童貞ノンフィクションからのお知らせです!

 今後、初海外取材前の禁断の扉関連ネタ(1999年1月22日(金)~同年12月14日(火))は、弊連載の進行状況いかんによっては、この回に追加でチマチマと書き足して、更新したら随時最新回でその旨を報告していくスタイルを取るかもしんまい!

 だってふと気づいたら、弊連載もそろそろ折り返しの「第1回(第27稿)」が目前で、残り29回しかないのに、「初海外取材時代」だけでまだ書いてない日が26日分も残ってるんだもん。

 更に戦場童貞エピソード(中・高・大・社会人・初海外取材前の準備期間・初海外取材後の事後処理期間)も結構手つかずの自然状態で残ってるじゃん!

 まあ、アレだな、最悪間に合わなかったら、「初海外取材時代」は電子書籍のパブーバージョンを、「戦場童貞エピソード(中・高・大・社会人・初海外取材前の準備期間・初海外取材後の事後処理期間)」は本業バージョンをそのままコピペしちゃうか。

 でも本業バージョンだと秘伝のおでんみたく、15年間毎日毎日、ちょびちょび書き足したり書き消したりしてるからクソ長い上に、内容的にそのままnoteにコピペすると確実にアレされちゃうなあ。ああ、もう、どうすっぺ!

 ってことを自分の備忘録代わりに書いておいたよ。

 そうそう、後、既に禁断の扉関連ネタが1コ、「●【初海外取材の準備期間時代3(1999年8月11日(水))】として、『水曜スペシャルノンフィクションどうでしょう 第1回(初稿。オマケで初稿の初稿付き!)』って独立してて、なんだかケツの座りが悪い。

 てか、戦場童貞エピソードの「社会人時代」と「初海外取材の準備期間時代」って一緒じゃねえのか? 両方とも例の禁断の扉を開いてから、初海外取材に行くまでの期間(1999年1月22日(金)~同年12月14日(火))のことだし。

 そういう細かいことを言い出すと、1999年1月22日(金)~同年3月31日(水)までの期間には、更に「大学時代」も上乗せされるんですけどね。

 ま、とりまいいや、そのうちどうにかしてくれるっしょ、未来の俺が(*まだまだ、お時間限定ながら、1万円ポッキリで創作過程の未公開マル秘写真が見放題! お好きな方は是非! 言っとくけど、犠牲者が出るまで引っ張るからね、不定期の日刊ペースで! ま、散々いいように言われっぱなしで悔しかったら、いつでもかかってこいや、怒りこぶしに忘れず1万円を握り締めて! そうじゃないと、いつまで経っても『15周年ライブ in 松屋 目黒東口店』が始まらないよ~、ドナドナド~ナド~ナ~♪ 2014年9月30日(火)23時59分記…はまだまだ続くよ。

 ちなみに、よくよく考えるまでもなく、「この回の漫画化をお願いする漫画家さんには有料ゾーンの『15周年ライブ in 松屋 目黒東口店』をコピペし、別途メールすれば問題ないじゃん」って今さっき気づいて、唯一の懸念事項が解決されたので、『15周年ライブ in 松屋 目黒東口店』は無料にしません。

 後よう、アッチはアッチ、コッチはコッチだから、ビタ一文まけねえからな。

*以下は、『15周年ライブ in 松屋目黒東口店』の入口です! チケットは全席1万円! さあ、みんな、今回のドブに1万円を捨てるラストチャンスだよ!)


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