若き友人の死に際して

 今日は朝から奈良に行ってきた。先月、忽然と夭折したとある年少の友人のお別れ会に出席するためだ。京都に住んでいた彼だが、実家は奈良、しかもずっと南の方である。僕にしては珍しく早朝に起きて、シャワーを浴び、依然として寒くも清々しい風光の中で家を出た。

 斎場もまた、随分と南の方だ。南朝の故地までとは言わないまでも、おおよそその方面である。家を出る時間が遅れたのも、京都駅まで乗ったタクシーが悠長過ぎたのもあるが、途中の駅での所定の集合時間にどうしても間に合わないことになってしまった。結局、同じような運命を辿った人々と連絡を取り、合流することになった。電車を乗り継いで、そこから更にタクシーに長々と乗って斎場へと向かった。

 奈良市内には既に何度も訪れているが、それよりも南は初めて来る場所である。あの辺りの風景は、ベッドタウン、そして郊外そのものであるが、言わずもがな歴史の深い場所である。なだらかに起伏する平野と、それをゆったりと取り囲んで折り重なる山々は、神武肇国の伝説の昔、万葉の昔より変わらないだろう。

 式は、神式であった。五〇日祭ということである。
神職さんが献饌を行い、祝詞を上げる。祝詞は、大祓詞と、もう一つ、故人を偲びつつ故人の来歴を語るものであった。神道だからだろうか、若くしての死を悲しむ、切々とした文句が入っていた。これがまた、胸を突くものがある。そして、喪主である御父様の胸を詰まらせながらの挨拶。斎主たる神職さんがまず玉串奉奠を行い、喪主が行い、親族が行い、そして一般の参列者が行う。仏式とはまた異なった、凛として厳かな空気が漂っていた。

 そして、直会。参列者が集まって昼食を取る。京都から来た友人達も、彼が死に至るまで私の知らない人々であった。今回京都からの出席者を取り仕切っていた方を含め、形見分けの時に共に御父様を囲んでお話しした数人の方々しか顔見知りすらいなかった。私のよく知る、もう一人の共通の友人は、どうしても都合が付かず、来られなかったのである。

 実のところ、お父様とは形見分けの時に既にお目に掛かっている。しかし、その時に直面した問いと同じ問いが、昼食の際にもまた私に突き刺さってきたのである−

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