「告発権力」について−ポリティカル・コレクトネスという名の新たなる専制

−深夜、突然の訪問。戸を開けると黒背広に黒い外套の男達。招かざる来客に目を丸くしていたら、突き付けられるは逮捕状。「〇〇を知っているか。知っているなら付いて来て貰う」そんな人物は知らないと言うと、やにわに腕を摑まれ、「夜と霧」の奥へと連れ去られていく−

曾て、秘密警察が吹き荒れた時代があった。日本の特高警察、ナチスドイツのゲシュタポ、ソ連のNKVDやKGB、東ドイツのシュタージ……彼等は、反体制派であると思しき人物や組織に対して徹底的な弾圧を加えていった。厳しい尋問や拘禁、酷烈な拷問をも辞さず、銭湯でのほんの冗談ですら聞き逃さない彼等の緻密な捜査網の元で、人々は恐怖で震え上がった。無辜の良民もまた微々たる瑕瑾に目を付けられて拿捕されていき、或る人々などは彼等の監視の目を内面化し、時によっては私怨を晴らすために悪用した。そうして、市井の人々は相互監視を行うようになっていった…。

こうした政治弾圧は単に秘密警察だけのものにとどまらない。国家・社会全体を席巻した大規模な政治弾圧運動としては、アメリカのマッカーシズムによる赤狩りのようなものもあった。大量死を出すほどに苛烈なものならば、マッカーシズムが根絶やしにしようとした共産主義の方で、ソ連の大粛清や中国の文化大革命があった。「反国家的」・「反体制的」・「反時局的」・「反革命的」と半ば言い掛かりに近い罪状で厖大な数の人々が吊るし上げられ、名誉を毀損され、逮捕された。中ソの場合では、多くの人々が強制労働させられるなり、虐殺されるなりして、命を落としていった…

現今の日本に安閑として起居する我々から見れば、こうした話も今や昔のように思えるだろう。前述したような極端に抑圧的な体制ないしは運動は、凡そ現代日本人の実感の中にはない筈であるし、事実として社会全体に恐怖をもたらすような大規模な、しかも厳しい訊問や拷問が伴う不当逮捕などは存在しない(安倍政権は「ファシスト」だと言い立てて批判する本邦の「リベラル」な人々がどう思っているかはいざ知らず、安倍政権をそのような体制だと考えたり、その後援団体である日本会議などをそのような運動だと考えたりすることには絶対的と言っても良い程の無理がある)。

その点、現代というのは実に「平和」であり、「安穏」とした時代である。政権批判や社会批判に勤しむ人々の判断とは裏腹に、上にいる抑圧者としての体制側ないしは多数派と、下にいる被抑圧者としての反体制ないしは少数派という構図で考えれば、間違いなくそう言える。彼等はまさに以下の構図を前提しているように見受けられるが、そのような構図から言うならば寧ろ現代ほど自由な時代は曾てなかった。しかし、政治体制の持つ抑圧性とは別の観点からも考察してみること無しに、抑圧の本質が理解されることはないのではないだろうか。

本稿は、まさにこの「別の観点」に着目することによって、上述した歴史的な抑圧体制から遠く離れて現れた、現代における新しい抑圧の形を論じるものである。この別の観点において我々は、直接的暴力から所謂「言葉の暴力」へ、しかも普通に言われるところの「言葉の暴力」を裏返した所に現れる新しい「言葉の暴力」について考えることを強いられるだろう。

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永觀堂雁琳

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永觀堂雁琳

『四顧溟濛評言録』

私、永觀堂雁琳が書を読み世事を鑑みる中で私かに惟うことを綴りました、中編から長編の文章を載せて参ります。「溟濛」とは薄暗く先の見えないことを指します。どこを見渡してみてもこの暗い世の中の中に一寸の光明を見付けられますよう、精一杯頑張りますので皆様方におかれましては何卒御購読...
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