須田一政氏との出会い

須田一政氏と知り合ったのはぼくが大学のゼミを専攻したことからだった。須田一政氏はその年から大学で教鞭をとることになっていて、ぼくはそのゼミを選んだ。
正直に言うと、ぼくは須田一政という人を知らなかった。
図書館で写真集を見て、モノクロの、しっかりした構図の写真を撮る人だなあ、という印象だった。

当時の大学の教授に写真家はいなかった。
カメラマンとフォトグラファーの違いとでも言うのだろうか。作家と呼べる人はいなかったのだ。
ぼくは写真に希望を持っていなかった。
課題として出されるものを撮影することに何の意味があるのかわからず、煩悶として授業をサボっていた。
無論、留年した。
お父さんごめんなさい。

須田先生の授業はいつも同じスタイルで、撮ってきた写真を見て、良いものと良くないものを分ける、という簡単なものだった。
写真を見るのに1秒とかからない。勿論何百枚と写真を見るのだから仕方ない事なのだが、ぼくは意地悪をして、以前良くないとされた写真をわざと出して良い方に回されたりして、この爺さん大丈夫か、などと思っていたこともある。
たまにサングラスを掛けて写真を選ぶこともあり、この爺さん大丈夫なのか、と思った。

ぼくは写真を褒められたことが無かった。
ぼくの写真を最初に褒めてくれたのは須田先生だった。
「これ、凄く良いですよ」
と、先生は一見怖い人相から優しい言葉を投げかけてくれた。ぼくはその時に須田先生に惚れてしまったのかも知れない。

と、言っても阿呆な学生であるところのぼくは、サークル活動や女の子のことで授業にはあまり出ていなかった。
久しぶりに講義に出ると、いつも穏やかな先生が少し怒った顔で、「全然授業に来ないじゃないですか」と言った。
すいませんと言い写真を見せると、先生は、この写真は良いですねえと言って破顔した。
その姿に惚れ直した。

先生は常に新しい手法に挑戦していた。
8ミリフィルムで撮影したものを大きく引き伸ばしたり、ピンホールカメラを使ったりと、今まで自分がしてないことに果敢に挑戦していた。
卒制展でゼミから一人選抜される、ということになった。ぼくは選ばれず、韓国人の留学生が選ばれた。
大学は右翼系なのだが、この大学は韓国人に甘い、と台湾人留学生の友達が言っていた。

ゼミの後はいつも近くの居酒屋で集まっていたのだが、ぼくはそれに参加しなかった。
女の子のことばかり考えていたからだ。

須田先生と仲良くなったのは、卒業した後のことだった。

続く。

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