ファシリテーション的伝え方

「伝わる」は一方通行ではないのだなぁと思う今日この頃。

ファシリテーションの研修の骨子の1つに「書く・描く」が入るのはそれが理由だと思う。

「書く」は文字っぽい印象を持ちやすい。「描く」は「絵」だし「記号」や「線」という印象…。

ある意味意味が分かれているのはなんでだろうと思いながら、そのあたりは英語の「draw」と「write」も分かれているから、意図はあるのだろうなぁと。

可視化でもいいかなと思うのは、相手の目に見える形にするから、書く・描くも越えたりすると思うのだけど、見たり、聞いたり、理解したり、思ったことを対象としていて、受け取る相手がいることに意味があるので、単に「見える化」でもなくて…。じゃぁ「見せる化」なのかというと、これまたそれだけではないから、一言では表せない。

最近、こういう一言では表せないものが増えてきている気がしていて、それは単純に言葉が作られてからどんどん時代が進んでいて対応しきれなくて、新しい言葉を生み出すにしても、ある程の共通認識から始めないと誰にも伝わらない言葉になってしまうかもだから、ダジャレみたいな感じになる…。もしくは単語と単語の組み合わせから、その間にある「意味」を表すような…。

「伝える」というのは、大事だし、面白い。常に一方向だけからではなくて、逆方向、四方八方からの「伝え方」もできるのだからすごい。そしてそのたくさんの「伝え方」とたくさんの「受け取り方」の組み合わせになる。

だから、伝える時には相手の受け取り方を扱う「フィードバック」というものを考慮するとよりいい感じになる。

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