見出し画像

教育とは、人生の主人公として自分を(相手を)位置づけていくこと。

皆様こんばんは。

どいの #週1note vol.3
早いもので最終の更新です。

今までこんなことを書いてきました↓

第1週(7/ 2) :週1note vol.3 始動!!
第2週(7/ 9) :教育とは①
第3週(7/16):教育とは②
第4週(7/23):緩く急いで
第5週(7/30):教育とは③
第6週(8/ 6) 本日です


今回は主に
「教育とは」というテーマで

わたしが生業にしていること
これからも取り組んでいきたいこと
その中で大切にしていきたい考え

のお話でした。


予想はできていたのですが
書きたいことがありすぎて
まとまりのない文章になってしまっている
と思う。笑

今日で一旦締めくくりとなるけれど
結論のようなもの、に
うまくたどり着けるかどうか謎。


#週1note のメンバーにも
きっとわたしと似たようなものを目指していたり
すでに様々な取り組みをされている方が多く
志をともにできれば、という
ちょっとおこがましい気持ちもあり
ここまで書き連ねてきました。

もちろんそれ以外の方にも
何かしら届けばいいなって思う。

ふだんもやもや考えていることも
言葉にすると重みが違うし
自分自身に誓いを立てるような気持ちで
最後まで書ききりたい所存です!



“場づくり”の大切さ


前回の記事の最後に、
「教育」を「共育」という言葉に置き換えて

みんなが学びたいという意思をもって
空間や時間をともにする

こういった場はどうやってできるのか?
という問いを残していました。


もし、このような「共育」的な場が
何の意図もなく偶発するものであれば

学校教育だって、
勝手にそうなっているはず。

…稀に偶発することも無くはないと思うけど
少なくとも継続することは不可能だと思う


この、学びたいという意思
どこからどうやって湧き上がるものか?

ということと

時間や空間をともにする
環境やしかけが必要

ということ。


1点目については
教育とは②で触れた内容が
核心かな、と思います。

ざっくりと復習↓

どい的社会教育の3大要素
①社会との関わり
②フラットであること
③主体的であること

教育とは②」より

外的な要因(①・②)
内的な要因(③)
要はそのバランスかなぁと

どちらか一方が欠けていると
学びたいという意思は
おそらく成り立たない

そして

その外的な要因にも
大きく関わってくるのが

2点目の
“時間や空間をともにする
環境やしかけ”


つまり、“場”です。



ここまでの文脈で
語ってきたような“場づくり”

それが、
当面においてのどいの夢でもある。



環境=ハード面について


ここにきてさらっと夢を語ってしまった。笑

まだ具体的なことは全然見えていないし、
準備もろくに進んではいないけれど

人が集まって何かをしたり
何かを作ったり
学んだり、語り合ったりするためには

当然、空間としての場が必要。


世の中には
たくさんのハードが整っている
ように見えるけれど

やりたいことを
めいっぱいやって許されるような場って
案外少ないと思うし

まず自分がやりたいことを実現するためには
自分で作っちゃうのが一番
という短絡的な考えです。


そしたら、どんな空間において
物事がはかどるのか?

色々な観点があると思うけど

わたし自身が
勉強や打合せ、おしゃべり
noteの更新、作業など
色んなクリエイティブな活動をすることを考えたときに

ひとくくりにするのも違うけれど
業態としては
カフェが一番かな、と思っている。

画像1

(写真は先日訪れた大阪・靭公園のカフェ シック)

人と会って話すとき
「とりあえずお茶でも」
この文化はやっぱり素敵だなと思うわけで

誰でもふらっと入れて、
肩肘張らず、リラックスして過ごせる場。

地域との交わりや
そこに住む人との交流ができる場。

この後に触れるしかけが作りやすい場
であると考えます。


しかけ=ソフト面について


これについては色々あるけれど、
以前の記事でも触れた
東京・国分寺のクルミドコーヒーの取り組みが
今のわたしの理想にもっとも近いものだと思う。

ここに書いたクルミドの朝モヤ

いわゆる哲学カフェ、なんですが

参加する人の多様性であったり
交わり方であったり

おそらく回数を重ねるにつれて
ブラッシュアップされてきたもので
(この日、どいが参加したのが188回目!)

開催しつづけることそのものに
とても意味がある取り組みだと感じた。

なお、クルミドコーヒーはハード面も強い。
1杯のコーヒーで泣かせにかかってくるし、
お店の外観や内装、空間づくりや
スタッフさんのおもてなし
どれをとっても心地よくて
自分の存在を許してくれるというか
すべて受け入れてくれるような
本当にすてきなカフェです。


朝モヤのような取り組みの良さは

近隣住民のみならず
それこそ全国各地から
誰でもふらっと参加できて

仕事、家族、ご近所づきあい、趣味の仲間
プライベートの友人、先輩・後輩…

すべての社会的な関係性を取っ払って
個人として参加する人が集まった
弱い絆のコミュニティであるということ。


この弱い絆というものに
最近とても注目しています。


“つながり”よりも“交わり”


コミュニティについての話題では
「つながり」という言葉をよく耳にします。

FacebookやInstagram、LINEなどのSNSでも
「○○とつながっている」という表現が見受けられる。

けれど

どいはこのフレーズ、あまり好きじゃないなと
最近になって思うようになりました。

人脈、という言葉もそうだと思うけれど
なんだか「あの人とつながっている」ことを
(あるいは、つながっている人やものの量的な大きさを)
自分のステイタスとして利用するみたいな
打算のようなものを感じてしまうから。


個と個の「つながり」が
大切なシチュエーションも多いと思います。

それこそ家族や血のつながりなんてものは
切っても切り離せないものやからね。


ただ、わたしが実践したい社会教育においては

個と個が、点と点でつながることよりも

あらゆる人や集団が
あらゆるモノや空間が
多面的に「交わる」ことの方が
おそらく大事なんじゃないかって。


弱い絆のコミュニティの強みは

関係性のしがらみを無くすことで、
あらゆる人との交わりによって
他人や自分を客観視することができる


ということだと思う。



さいごに


話の流れとして
少し中途半端ですが
ようやくまとめに入ります。

教育とは、の結び。


学校教育や家庭教育なども含め、

教育や、人が学ぶことの究極の目的は

人生の主人公として、自分を(相手を)位置づけていく

ことだと思います。


社会教育の分野では
ESDとか、まちづくりとか
地域課題の解決とか
社会貢献的な色合いも多くある
けれど


結局はみんな、自分に返ってくる。


一人ひとりの人が、
自分のやりたいことや好きなこと
自分らしさ
に気付けたときに

自分が生きる“社会”や
そこで起きる様々な出来事について
他人事ではない自分事として
捉えることができる

その集合体として、
社会はより良い方向へと向かっていく

と思います。



そしてこれらは
日々アップデートされていく。

学ぶことに終わりなんてない。

だからこその、生涯学習でしょう。


RPGの主人公みたいに、
人生という長い旅の道すがら
様々な装備や道具を手に入れたり
たくさんの仲間に出会っていく。

ワクワクしますよね?

学ぶことって、本当に素晴らしい行為だと思うし
その点で、人間に生まれてよかったなって思う。



--

週1note vol.3最終回、

夢について、少し語りました。

人生ワクワクすることばっかりで、
これからもノンストップで駆け抜けます。


わたし自身が学び続けることで、
その楽しさを伝えられる人になれますように。





最後までありがとうございました!



#週1note もまさに
すてきな“弱い絆”のコミュニティ
です。

一緒に更新してくれたメンバーの皆さん
あらためて、ありがとうございました!

今回すべての記事に目通し(耳通し)していますが
本当に読み応え(聴きごたえ)ありますよ。


ではでは、またそのうちに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?