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【せかくま#6】 「くみぐま」誕生

前回のせかくま
#5 事業化のきっかけとなった長野遠征

くみぐまという名前が決まったのは、長野から帰ってきた8月のことだ。パーツを組み合わせて作るぬいぐるみであること、つなぐ部分に組紐を使うことから「くみぐま」と命名した。掲げたコンセプトは「つくる、つなぐ、あそぶ」だ。

「つくるは、オリジナルのくみぐまを作る企業やクリエーターといった〈つくり手〉。つなぐは、くみぐまを活用して、人を集めたり、モノを売り買いしたりする場をつくる〈つなぎ手〉。あそぶは、いろんなくみぐまを見てまわったり、オリジナルパーツを集めて自分だけのくみぐまを作ったりして楽しむ〈遊び手〉。この三者のバランスが取れたときに、くみぐまは新しい日本の産業になると考えました」

名前やコンセプトのほか、事業化するためには開発資金も必要になる。横山はまず東京都が実施する「TOKYOイチオシ応援事業」への応募を決める。

「採択されれば最低限の開発費が出るし、このわかりにくいプロジェクトの内容を第三者が認めていると証明になる。新規事業ってなかなかゴールが見えないけれど、事業としての可能性を認めてもらったという事実を作るのは大きいことだった」と当時を振り返る。

同事業に採択されると、区のチャレンジ企業応援資金や取引銀行の融資も次々に決まった。資金面の準備が着々と進む一方で、くみぐまがどういうものなのか、どうやって社会に浸透させていけばよいのか。自身も「わかりにくい」と認めるくみぐま構想の全体像は、当初、自社のスタッフでさえ誰一人理解をしていなかったという。

「例えば、くみぐまを商品として売るなら、可愛さや品質の良さをみせればいいので、簡単に説明はできるんです。でも、くみぐまを活用したプラットフォームづくりというのが説明に少し困る。くみぐまという存在がどんな効果を生み出すのかというのを実際に見える化する必要がありました」

そのために企画をしたのが、我楽田工房での「くみぐま展」だった。我楽田工房の取り組みで培った人とのつながりを生かして、さまざまなクリエーターに声をかけ、まずはオリジナルのくみぐま20体を目標に作ることにした。

「クリエイターさんにはまず、みなさんを紹介するパーツを作らせてください。展覧会をやりたいので、と伝えた。くみぐまの構想は少ししか話していなかったけど、紙のモックのクマを見て、『なんか面白そうだね』とか、中には『クマだから』とか、そんな理由で参加してくれました」

今年3月24日から4月8日まで我楽田工房で開催された「くみぐま展」では、結果として企業、職人、クリエイターなど20人とコラボしたくみぐまが展示された。会場ではくみぐまの組み立てが体験ができるコーナーや、コラボしたクリエイターによるくみぐまのパーツを作るワークショップなども行われた。

「参加したクリエイターの人たちも展覧会に並んだ自分たちの作品をみて、ようやく『ああ、こういうことね』と。言葉で伝えるのは難しいんだけど、こうして見てもらうことで納得してもらえる。見にきてくれたお客さんも、展示を楽しんで、実際にくみぐまに触れてくれたし、大人も子どもも組み立てて遊んだくれた。自分の思い描いたことが証明できた」

世界に愛されているクマで、人と地域をつないでいく話
#1 企業、作り手が集う「くみぐま」誕生の背景
#2 なぜIT企業がぬいぐるみを作ったのか
#3 「場づくり」から着想したぬいぐるみ
#4 プラットフォームとして「誰もが参加できる仕組み」を
#5 事業化のきっかけとなった長野遠征
#6 「くみぐま」誕生
【次】#7 「くみぐま」流行でなく定番に

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