Webメディアが求める“いい記事”とは? そしてWebライターがするべきことは?

Webメディアの読者は冷たい数字という現実。

とある大手出版社系のWebメディアの編集長に取材した時のことだ。その編集長は「今まで雑誌を作ってきたが、雑誌では見えない読者を相手にしてきた。けれどWebメディアは読者が数字として見える。ただし、その数字は冷たい」ともらした。確かに今、多くのWebメディアは数字という読者に翻弄(ほんろう)されているといっていい。

取材で見えたWebメディアが求める“いい記事”。

Webメディアにおける評価は、数字という読者で簡単に計測することができる。「PVの稼げる記事だけがよい記事ではない」そう、取材してきた多くのWebメディアの編集者はいう。だが、最終的には数字が判断基準となることを認めている。
Webメディアは数字に翻弄されながらも模索を繰り返している。方針として立てた基本的なスタンスは変わらないとしても、日々、暗中模索しながら進化しようとしている。試行錯誤は終わりを迎えることなく、永遠にリピートされる。Webメディアは決着のつかない戦いの場だ。

どのWebメディアも「求めているのは“いい記事”だ」と語る。そして、「その“いい記事”とはなにか?」と訊ねると、どのWebメディアからもほぼ同じ答えが帰ってくる。
どのWebメディアも共通する“いい記事”とは、「深みのある読ませる記事」というのが回答となる。
つまり、どこかで読んだような記事ではなく、オリジナリティのある、書き手の考察が入った、熱量の高い記事、ということ。
こう書くと「いまさら」「何かと思うと拍子抜け」という声が聞こえてきそうだ。
しかしその、当たり前のことがWebメディアでは欠けていた、ということにようやくたどり着いたということなのだ。
多くのWebメディアに氾濫している底の浅い、同じような内容の記事に僕は飽き飽きしているし、それは多くのネットユーザーも同じように思っている。「もっと深みのある記事を読みたい!」その要望が数字としてはっきりと表れているのだ。

Webライターはどうあるべきなのか?

Webメディアの編集者と会うと決まって「いいライターさんはいませんかね?」と聞かれる。これだけWebライターが溢れていても、いいライターは不足しているようだ。それは、「深みのある読ませる記事」が書けるライターが見当たらない、ということなのだ。
これはWebライターのアピールが足りないとか、営業が上手くない、というレベルの話ではない。根本的なところでねじれているのが理由だ。

例えば、「“いい記事”を書くためには取材が必要不可欠だ」とWebライターはいうようになってきた。僕もそう思っているし、そのために取材を続けている。ただし、取材をすれば、インタビューさえすれば“いい記事”になる、とWebライターは考え、取材を「ネタを拾いに行くこと」だと勘違いしている。とりあえず誰かにインタビューさえすればいいんだ。アポを取って話を聞きに行って記事にすればいいんだ、と思い込んでいる。しかし、それは間違い。取材は「真実に近づくため」の作業。自分や世の中の疑問に対して答えを見つけるためにするのが取材。取材するには目的があり、想定される答えがある。その答えがいい意味で期待を裏切られることもあれば、確信となることもある。書くべきことはインタビュー相手の言葉ではなく、自分の中の言葉だ。大手出版社系のWebメディアの編集長も「最初に目的のない取材を提案してくるのは困る」という。それには僕も同意見だ。

今、Webメディアの多くは「深みのある読ませる記事」は書き手の熱量によって生まれる、と指摘している。そして、Webライターに熱量がないなら、Webライターでなくともいい、とも考えている。いいライターとは器用で、短期に、大量の記事を書いてくれる人、ということではもはやなくなっている。
時間がかかっても「深みのある読ませる記事」を書いてくれる書き手が求められている。それはWebライターでなくともよい、と思い始めているのだ。

Webライターが描くWebメディアの未来像。

2016年の今年で今いるWebライターの半分は消えていくと思っている。Webライターがペーパーメディアへの新規参入は難しいが、同じようにネームバリューのあるWebメディアへのWebライターの新規参入もまた、難しくなっていくだろう。Webメディアは出版社が刊行する雑誌や書籍で執筆しているライターと同等のライティング力を求め出している(僕はそれを出版社クオリティと呼んでいる)。
しかし、ペーパーメディアで書いていたライターはWebメディアではほとんど通用せず、ペーパーメディアからWebメディアに移行できるライターはそれほど多くはないと思っている。
Webメディア力の差は少しずつ開いていくだろう。ネームバリューのないWebメディアはマネタイズができずただ、屍を残すのみとなる。
そんなWebメディアのデストピアが容易に想像できる。

僕個人としては力のないWebライターは早く滅んで欲しいと思っている。Webメディアをつまらなくしている原因は、つまらないWebライターにあるからだ。
しかし、そのWebライターがWebメディアの未来を明るくするのも事実。Webメディアの未来はWebライターにかかっている、とはいえるのだ。

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大橋博之@インタビューライター

『Webライター入門』(技術評論社)監修。Webメディアがメチャ面白いので、Webメディア、編集者に取材活動中。●Twitter→https://twitter.com/garamonmini ●サイト→http://www.garamon.jp.org/

コメント18件

自分の視点(主観)と客観のバランスということでしょうか?すぐに誰でもできることではないですよね。
maikoさん>そうです。ネットの場合、自分の視点が重視されるけど、オレオレ、ワタシワタシではどこまでその情報が正しいのかわからない。そのバランスは難しいですよね。
補足ありがとうございます。コメントでさらに勉強になりました。このバランスを意識しながらまずはnoteで書いていきたいと思います!
maikoさん>僕も頑張ります。
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