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ネガティブな感情は野菜だ / 誓い

こんにちは。のじりすぐるです。

ついさっき、ネガティブにならざるを得ない出来事があった。人との別れは必ず訪れる。そんな出来事からまだ数時間しか経っていないが、なるべく早く消化すべきだと思い、noteに綴ることにした。これから書くことはとても偏っている可能性があり、誤解されるかもしれないので、初めに言っておく。これから書くことは100%僕の考えで、いち意見だ。これを誰かに押し付けるなどしようとも思わないししたいとも思わない。「そんな意見もあるのだな」くらいに読んで、僕との価値観の差異を考えてみてほしい。それを踏まえ、最後まで読んで貰えたら嬉しい。

内容
1. ネガティブな感情
2. その先にあるもの
3. 誓い

1. ネガティブな感情

僕は元々メンタルの弱い人間で、いくらハッピーハッピーな状態だったとしても、1日あれば余裕で崩れ落ち、ナイーブナイーブになり得るような感じ(逆もしかりだけど)。そんな感じで生きていると、やはりネガティブな感情にはたくさんお世話になる。ここ数年、信じられないくらいのネガティブな感情をいくつも体験した。今回も同様、信じられないくらいのネガティブな感情。情けないけど余裕で泣いた。ああ、本当に情けない。

ただ、ネガティブな感情は無意味なのか。もしかしたら存在しない方がいいのか。そんなことを考えると、どうもそうではないような気がしてきた。

色々と考えていると、ネガティブな感情は、食でいう、野菜のようなものではないかと思った。つまり、「心の調子を整えるもの」だ。焼いた肉や煮付けた魚、そういうのを想像すると今にでもよだれがでそうだし、好き好んで食べたいと思う。でも、野菜は、そうでもない。想像してもよだれはでそうにないし、別にメニューになくてもいい。ただ、食べなければ、心の調子が崩れる。

そう考えると、ネガティブな感情も"心"に取り入れなければいけない。もし肉や魚ばかり食べていれば、栄養のバランスが崩れ、心がおかしくなってしまう気がする。だからこそネガティブな感情は、素直に受け入れなければいけない。野菜を熱すると栄養を損ねるように、できればそのまま、生の状態でだ。野菜が行動のエネルギーになることは少ないかもしれないが、心には必ず必要なのだ。野菜だと思って無理にでも食べていたい。

そして、どうにかそれを消化すれば、後に自然と排出されるはず。消化してからは時間が解決してくれる。これらはまだ仮説段階だが、おそらく、ほとんど確信している。

2. その先にあるもの

まずは心にそのまま取り入れるべきといった。もちろん調理した方がおいしくなって食べやすくはなるが、熱すると、もやしのミネラルがなくなってしなしなになってしまうみたいに、栄養は少なくなる。そのものは生で、ドレッシングをかけたくらいにしてそのまま取り入れたい。

でも、取り入れた先に何があるのか。具体的に何を見いだせるのか。それは、大きくも小さくも、「誓い」ではないかと思う。ポジティブな感情から見いだせるものといえば、「幸福感」や「自信」が上げられるが、それらは、さらに上を目指す上でのエネルギーにはなりにくいと感じる。でも、「誓い」は、ひとつ壁を超えれるエネルギーを秘めている。ネガティブな感情が大きければ大きいほど、強く大きい誓いをたてられる。人間、ネガティブなことの方が目を向けてしまいやすい。そこに誓いを一緒に建てておけば、それはそうそう忘れることはない。

3. 誓い

ここからは、僕自身が今回感じた「ネガティブな感情」から生まれた誓いを宣言する。特に有益になるものはないので、興味がなかったら飛ばしてもらってもいい。

まず1つ、「正直であること」。僕はいつも価値観がどうたらと呟いているが、自分の価値観は本当にすぐに壊れてしまう。しかも、知らぬ間に。気づいたら自分の中に自分がいない。それは何故かというと、ずばり、「嘘をつくから」である。それを防ぐためには、「正直」でなければいけない。さらに、正直だと、人から信頼されるという利点がある。場所によって意見を変えているのでは、かたい人間関係はつくれない。拍手してくれる100人より、拳をぶつけ合う1人がいい。

そして2つ目、「結果を出すこと」。僕は今までの人生の中で、これといった結果をだしたことが、1度もない。これは大学入試に挑戦しようと決めたひとつの要因でもあって、今回のこのネガティブな感情のおかげで、さらに強まった。ありがとうは直接彼に言うつもり。

以上2つの誓いを最後に、このnoteをしめる。

P.S.また長い文になったけど、ここまで読んでもらえて嬉しい。ありがとうございます。よかったら「スキ」とかコメントとかしてもらえるとモチベーションになります。よろしくお願いします。

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