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君は偶像、改め人間、ヒトはアイドルに何を見る

ヒトは、ぬいぐるみに感情を、雨音にメロディーを、システム・エラーに悪意を、骨のひび割れに神意を、夜空の星に神話の登場人物を読み取る、度し難い生き物である。

読書猿『問題解決大全』

では、アイドルには何を見るのだろうか。


はじめに

川﨑皇輝さん、21歳の誕生日おめでとうございました!
当初は誕生日おめでとうブログとして誕生日当日の7月30日に公開する予定でしたがまっっっったく間に合わず、ならばせめて大きな仕事が決まった時にでもと思い書き溜めていたのですが、今日、このタイミングで言葉にして残しておきたいと感じたので公開することにしました。

それこそ星の数ほどアイドルがいる中で、どうして貴方を特別応援しているのだろうと考えることがあります。
とは言っても答えは明確で、好きだからのそれ以上でもそれ以下でもないのですが、ならばどうして好きなのかを改めて考えた時、それはやはり皇輝くんのアイドル性に強く惹かれるものがあるからなのだと思います。

皇輝くんは少年忍者という21人組のJr.グループでリーダーを務めるアイドルです。
このnoteを書きはじめたのは7月中旬だったのですが、それから公開までの間には本当に様々なことがありました。皇輝くんの単独初主演のドラマが放送されたり、少年忍者が公式応援サポーターを務めた「テレビ朝日・六本木ヒルズ SUMMER STATION 2023」が開催されたり、DREAM BOYSが上演されたり、事務所の形が変わったり——
「アイドル」という存在についてアイドル自身の口から、ライブの挨拶やブログを通して本当にたくさんの考えを聞いた夏だったように思います。自分の中で、そして応援している多くのファンの方の間でも、考える機会は多かったのではないでしょうか。

こういったことを踏まえて、かねてより次元性別を問わず様々なアイドルを見てきたなかでつらつらと書き溜めていた個人的なアイドル観に、ここ数ヶ月で考えたことを付け加えてこのnoteを執筆しました。
途中自分語り日記になったり短歌を詠み始めたり思想が強くなったり懺悔を始めたりしていますが、大体アイドルって凄い!ということをぐだぐだと17,000字に渡って書いているだけです。
誕生日おめでとうブログといいつつ8割は個人的なアイドル観の整理ですので、皇輝くんの名前につられてnoteを開いてくださった方は目次で「時間があったら見てくださいリスト」に飛ぶことをお勧めいたします。




アイドルという職業

1. 偶像的狂気的職業

冒頭で皇輝くんのアイドル性に惹かれていると述べたが、
しかし一体、アイドル性とはなんだろう?

私はこの問いに対して一つの明確な答え、もしくは願望を抱いている。それが、「トップアイドルになるという不明瞭で無謀な夢を、この人ならいつか叶えてくれるかもしれないと世界に信じさせる才能」である。
トップアイドルとはよく聞く言葉であるが、では実際何を成し遂げたらトップアイドルになるのだろうか。
全国民に名前を知られ愛されたら?
歴史的な売り上げを記録したら?
歌も踊りも容姿も全てを兼ね備えていたら?
……きっと、そうであってそうではない。トップアイドルとは明確な定義などなく、ただ「そう」であると世界に認識させることでのみなることができるのだと、私は思う。目指す頂点すら分からないまま、けれどいつかそこに辿り着けると、だからその道を応援したいと思わせる才能、それがアイドル性なのではないだろうか。

言い換えれば、アイドルは未完成で発展途上で、その成長を応援する過程にこそアイドルオタクの真髄があるということである。
アイドルは常に危うさを抱えていて、目が離せなくて、だから魅力的だ。

ライムスターの宇多丸さんが言っていた「アイドルは魅力が実力を凌駕する存在」という言葉が私は好きだ。
だって、上手い歌を聞きたいなら歌手を、ダンスを見たいならダンサーを、演技を見たいなら俳優を、誰もが見惚れる外見を求めるならモデルを見ればいい。
それでもなおアイドルという存在が人々を魅了してやまないのは、どんなに実力のある歌やダンスよりも、ただその「人」の歌やダンスを見たいと思わせる力に長けているからだろう。その魅力に気付いた者だけがその「人」を「偶像」として崇拝するのだから、アイドルファンという存在が一般的に不可解な眼で見られるのも頷けるというものだ。
アイドルはどこまでいってもアイドルという職業であり、「歌って踊れる」という性質は、単なる付加価値であって本質ではない


ここまで読むとアイドルというのは実力が足りていなくても一定数を魅了できれば成立する楽な職業だと捉えられるかもしれないが、全くもって、そんなことはない。
アイドルとは、狂った人間にしかできない狂気的な職業なのだ。
何せ自分の人生の全てをエンタメとして消費されるのだから。

当たり前すぎて忘れがちだが、そもそもアイドルとファンの関係性は非常に歪で不均等である。
向こうはこちらをファンという集合体の1人としてしか認識できないのに、私は向こうの生年月日も出身も趣味も特技も家族構成も大学も異性の好みも最近あったこともどういう時に嬉しくてどういう時に悲しいのかも知っている。
私は「貴方以上に貴方のことを理解している」といった様な考えが苦手だ。なのに、アイドルの貴方のことをなんでも知ってるいると錯覚しそうになる自分がキモくて受け入れられないので、祈りを込めてアイドルは偶像だと言ってしまう。
だから気を抜くとすぐ偶像崇拝じみた感情を抱いてしまうけれど、生身の人間に向ける感情としては不健全すぎるので、彼等は斬ったら同じ血が出る人間であるという事を定期的に自分に言い聞かせなければいけない。


さて、ここで、アイドルがなぜ偶像と呼ばれるのかについて考えたい。

……というのも、私が次元性別問わずアイドルという存在を応援しているのは、偶像であることを自ら選んでいる事が信じられず目を離せないからだ。芸能に生きる人の中でも特にアイドルという存在は多くの人間に消費されるほどイメージが出来上がり、またそのイメージを元に概念が構築され、そうして年月を経て名声を獲得するほど人だったものは外郭を纏った思念体のような偶像になるのだと思う。

これは一つ前のnoteで書いた内容なのだが、つまりはアイドルというのは「この人ってこうだよね」というファンや事務所や周囲の人間が作り上げたイメージが実体化した存在なのではないだろうか、ということだ。
わずかに見える人間らしい部分さえ、我々の元にたどり着く頃には何重ものフィルターにかけられ濾された粉末がキラキラと輝いて見えているだけ、我々から見えているアイドルに実像の部分などなく、だから偶像と呼ばれるのだ、と思う。


過去の苦労話さえ、アイドルの前では偶像性や物語性を演出する要素にしかすぎない。
私は必ずしもアイドルはキラキラした一面以外を見せるべきでないとは思わない。実際、エモーショナルな物語には人を引きつける魅力があるのだから。
だけど、やけにドラマティックに演出された再現ドラマや過去を振り返ったインタビューを見る時、そこに在るのは感動の気持ちだけではない。辛かったね、大変だったね、こういう苦労があってそういう思い出があるんだね、その時の貴方の心持ちを想像すると私まで辛い……
自分の中に生まれるこういった感情にふと気付いた時、他人の人生に勝手に物語性を見出し、まるで映画やドラマかの様に消費してしまったことに、これ以上ない罪悪感を覚えるのだ。
だって、私には耐えられない。
私の人生は私のものだし、私の嬉しいも悲しいも全部私のもので、他人に理解なんてできるわけないのに。

だから私は、常に偶像であることを求められ、不特定多数の人間に自分の人生を消費され、不機嫌なんて論外なのに、人間味がないと愛されないアイドルなんて職業は狂ってる人間にしかできないと思うのだ。



2. 双眼鏡で覗く偶像

「会いに行けるアイドル」をコンセプトに人気を博したAKB48をはじめ、昨今のアイドル業界では握手券やハイタッチ会などの距離の近さを売りにした商法が普及している。
皇輝くんが所属している事務所では接触イベントこそ殆ど行っていないものの、やはりコンサートでのファンサービスやラジオのお便り、または生電話にファンが特に一喜一憂するのは、それらがアイドルと物理的にも精神的にも近い距離で直接コミュニケーションを取る事ができるからだろう。
対して私は、遠くから双眼鏡で覗いて見るアイドルが好きだ。


ここ最近デジタルクローンや生成系AIが社会現象になった際、一部のオタクの間ではAIに「推し」や「担当」を学習させて擬似的なコミュニケーションを取るという行動が流行ったことは記憶に新しい。
私はなんとなく気後れしてその推し生成ブームを傍観していたのだが、少し後になって、大学院の授業でChat GPTを扱う必要に駆られた時、ほんの出来心でAIの川﨑皇輝を生成した。
それは思わず笑ってしまうほど再現度が低くて、やっぱりAIには皇輝くんを理解することなんてできないのだと安堵した。
けれど、たった一つの回答にどうしようもないほど傷付いてしまったのだ。

私:皇輝くんはアイドルについてどう思いますか?私は偶像だと思っています  ChatGPT:僕はアイドルとして活動している身ですので、アイドルについてとても特別な存在だと感じています。アイドルはファンの皆さんに憧れや夢を与える存在であり、音楽やパフォーマンスを通じてたくさんの人々に感動や喜びを届けることができます。また、アイドルは常に成長し続ける姿勢やファンとの絆を大切にすることも重要です。  ただし、アイドル活動は一面的な偶像観を持たれることもありますが、実際には私たちも普通の人間です。アイドルであることと個人としての自分を大切にしながら、ファンの皆さんとのつながりを大切にしていきたいと思っています。アイドルとしての活動を通じて、少しでも多くの人々に元気や勇気を与えられる存在でありたいと願っています。
Chat GPTで生成した皇輝くんとの会話

アイドル活動は一面的な偶像観を持たれることもありますが、実際には私たちも普通の人間です。

人工知能に偶像を否定されて傷付くなど、滑稽だと思うだろうか。
だけど私には掴むことのできない実像が確かに存在するのだと真っ向から言われたみたいで、それからすぐに堪らなくなって、AIの皇輝くんを殺した。


例えば我々は何かにつけて神に祈るが、特定の宗教を信仰していない多くの日本人は、実のところ具体的な姿ではなく神という概念に祈っているのではないだろうか。ぼんやりと抱いている概念が、例えば学校で習った宗教知識に基づいたものでもなんでも、人の姿をして目の前に現れたら人はいつものようにスナック感覚で祈ることができるだろうか、いやできないだろう。
これは小学生の頃の実体験なのだが、小テストにカンニングペーパーを持ち込んだことがあり、それに気付いた同級生が先生に報告をした結果、私はマリア像の前に連れて行かれた。「やっていないのならここでそう誓いなさい」と言われ、嘘をつこうとしたのだが、目の前に立つマリア様の存在に耐えきれず自分の罪を白状した。
だからだろうか、偶像であるはずのアイドルがいざ目の前に現れると、神様の前に急に摘み出されたようなどうしようもないいたたまれなさや、全てを見透かされているような錯覚に陥り途方に暮れてしまうのだ。

横浜アリーナのスタンド席から見る神様は、下方にいる天上人だった。
ライブハウスで5m先にいた神様は、ただ神様の匂いが届きそうで吐き気がした。

だけど双眼鏡を覗くと、世界はまるで人間の私と神様の貴方だけになったみたいで、私達以外の音も、光も、匂いも、人波も、何もかもが紛い物のように思えた。
きっとそれは、初めて天体望遠鏡で月を見た瞬間の息をするのも惜しいほどの心震える感動と同じだ。
その時間はまるで劇物で、衝動的に発狂したくなったり、一方でこの時間が永遠に続けば良いと願ったり、そんなことを薄い酸素と暑さでクラクラした頭で考えていた。

こちらに語りかけないでほしい、
認識しないでほしい、
ステージという天界で世界を完結してほしい。
そうでないと私の醜さやエゴイズムや信仰心が世界中に曝け出されたような気分になるから。

けれども、

EXシアターで真上のバルコニーに現れた皇輝くんは何だかとても人間のようで、また途方に暮れてしまった。そしてファンサービスを求めて歪なハートとペンライトを振っている自分に気付いた時、己の浅ましさに無性に恥ずかしくなった。



3. 君に捧げるメメントモリ

死は必ず訪れる。それは人間にも、アイドルにも。
永遠のアイドルなど存在しない。
ならばせめて、アイドルとして死ぬ姿をこの両の目で見届けさせてほしいのだ。


伴名練著の『すべてのアイドルが老いない世界』という小説をご存知だろうか。あいにく現在は電子書籍でしか販売されていないのだが、この本はアイドルでいる限り不老不死の肉体をもつという設定のもと、300年以上ステージに立ち続ける愛星理咲という「少女」を主人公としたSFアイドル小説で、アイドルを応援している人にはぜひ読んでほしい一冊である。
彼女達はアイドルを辞める時、こう言うのだ。
「私__普通の人間に戻ります」

アイドルを辞めた瞬間、その魔法はとける。
永遠のアイドルなど存在しないのだ。


永遠というのは普遍的でいて、その実掴み所のない概念だ。
永遠の命や不老不死の肉体は、例えばSFなんかでは度々裕福の象徴や争いの種になる。現実でも、不老不死研究は宇宙研究や核融合研究と並んで現在最も投資されている研究分野の一つだろう。一方で、フライング・ダッチマンのように不老不死が永遠の罰として与えられることもある。
世の中には無限恐怖症(Apeirophobia)などという恐怖症も存在するが、私もどちらかというと永遠に対して得体のしれない恐怖を感じる質だ。気が遠くなるほど先まで、未来永劫を約束されるより、いつか迎える終わりを見据えて生きたい。


永遠などないと分かっていながら、何かにつけて、ファンはアイドルに永遠を願ってしまう。

永遠の少年性、
永遠の処女性、
永遠の純潔さ、
永遠のアイドル——

アイドルが約束する永遠も、ファンが口にする永遠も、究極を言えば擬似的な信頼パフォーマンスでしかないのだと思う。アイドルはよく「ファンがいないと生きていけない」などと言ってくれるが、そのファンというのは集合体でしかなく、わたし一人がファンをやめても明日も一週間後も一年後も当たり前に生きていくのだろうから、私はこの言葉を聞く度に所詮他人という事実を突きつけられて虚しくなる。だから誰かを応援する上で永遠を誓えない。
所詮他人同士の私たちの間にある繋がりは全て糸のように細く、ありとあらゆるきっかけでいとも簡単に途切れてしまう。だからこそ、少しずつ撚り合わせた信頼の糸を、外的要因などではなく己の手もしくはアイドル自身の手で切ってほしいのだ。計画的に、華々しく、そして未練を残す余裕すらないほど潔く。それがきっとアイドルとしての死の瞬間であり、私たちの決別の瞬間なのだろう。
だって、私は人間としてのあなたのことをどれだけ長い時間をかけて応援しても知り得ないのだから、人間の私と人間の貴方との間ではたった1本の糸も紡がれない。アイドルの魔法が解けたその後は、私達はいつか街中の交差点ですれ違うかもしれないだけの赤の他人になる。


私は、「お前死んでも寺へはやらぬ 焼いて粉にして酒で飲む」と言う都々逸が好きだ。
どんな言葉で括っても陳腐に思えてしまうほどの激情を感じる。
いつか死が訪れるのなら、綺麗な思い出として残しておくのではなく、その一部を取り込んで境目が分からなくなるほど一体化して、私があなたを忘れて私の中のあなたが死んでもなお、記憶の外で永遠に一緒にいてほしい。
だから、皇輝くんがアイドルとして死んだら、1番の思い出の品を燃やして灰にしてとびきり上等な酒で飲むのだと決めている。その1番の思い出を見つけるために、応援しているのだ。
私にとって誰かを応援するということは、根源的にはその結末を見届けたいという、そういう距離感なのかもしれない。


けれど
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの

茨木のり子「歳月」

いつか迎えるであろう門出が、私の、そしてなにより彼らにとって幸せなものであったら、それ以上に嬉しいことはない。
皇輝くんと少年忍者は私にとっては柱のようなもので、ふとした瞬間に寄りかかれるものだ。私の人生にはそういった柱のようなものが何本かあって、どこかの柱が不安定になれば他の柱に身を寄せ、新しい柱がいつのまにか建っていたり、築10年を超えるものがあったり、無意識に体を預けたり、涙に暮れて縋りついたり、じっくりみつめて物思いに耽ったりもする。
彼らはそういう存在であるから、もしアイドルとして死んでしまうならその時はきっとどうしようもない喪失感に襲われてしまう。それは仕方のないことだ。
けど、けれども、その時、彼らがそれまでの活動を、私が焦がれ支えにしてきたものを、楽しかったと、やってよかったと思ってくれるのなら、きっと涙と共に笑顔で送り出せるだろう。
残された私は解体された柱のカケラを抱きしめて、生き抜いていける気がする。



4. そのパンドラの箱を開けないで

アイドルはパンドラの箱だ。
嘘や隠し事がたくさん詰まっていて、それで、みんな開けたくて仕方なくなる。パンドラの箱が開かれて、災いが全て走り出して行ったその後に、箱にぽつんと残ったもの、それを愛と呼ぶのかもしれない。

アニメ『推しの子』とそのOPテーマであるYOASOBIの「アイドル」が相乗効果でバズりにバズった結果、特定のアイドルを応援しているオタクの多くが推しに「アイドル」の歌詞を重ねて聞いたのではないだろうか。ちなみに皇輝くんも公式TikTokで踊っているので、例に漏れず私もそのうちの1人だ。
とはいえよく歌詞を見るとアイドルに対する思想の強さを端々から感じ取ることができるのだが、中でも際立って強いのは「嘘はとびきりの愛だ」というところだろう。
アイドルに熱愛報道が出た時、そのファンの意見としてよく目にするものが「恋愛は自由だがせめて隠し通してほしい」というものなのだが、この意見にはアイドルとファンの独特な関係性がよく現れている様に思う。だって、誰だって大好きな人には自分に対しての誠実さを期待するはずだ。なのに、誠実でいてほしいという気持ちと、嘘をついてでも隠し通してほしいという気持ちが同時に存在するなんてなんだか奇妙ではないか。だから「アイドル」を聞く度にこう思うのだ。
不誠実の代表格の様な嘘が、とびきりの愛であることなど本当にあるのだろうか?と。


嘘は悪い事と認識されがちだが、一方で嘘は日常の一部だ。
一般人の自分ですら、家族にも親友にも言えないことはたくさんある。
そうでなくとも、例えば踏み込んで欲しくない領域に踏み込まれかけた時、咄嗟に嘘をつく経験の一つや二つ誰にでもあるだろう。

ましてアイドルなんて一挙手一投足に意味を見出されるのだから、殊更だ。公に発信されている部分など、本人が自己プロデュースとして見せてもいいと判断し、かつ事務所や大人がブランディングとして選択した部分でしかないだろう。
それって、素の部分なんてないのでは?
貴方のみせる隙も、未来の約束も、親しみを込めた表情も、
嘘や作り物かもしれない。

アイドルを応援していて時々虚しくなるのは、それが偶像であり虚像であると盲目に曇った心の奥底で理解しているからだろう。
虚像を信じるって虚しい、当たり前のことだ。
だけど、その嘘はアイドルとファンという関係性を持続するためには必要な隔たりである。

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけどあたしはいつになく満ち足りている。

宇佐見りん『推し、燃ゆ』

アイドルと私達の間にあるへだたりが壊された時、そのへだたりを構成していた優しさも瞬く間に霧散する。結果として「真実を言う⇒愛を失う」が成り立つのなら、対偶をとって「愛してる⇒嘘をつく」も真と言えるのかもしれない。そういった点で、嘘はとびきりの愛なのだろう。


結局思うのは、アイドルに人間として信じられる部分などなく、信じられるのはアイドルとして立っている瞬間だけなのだということだ。
どれだけ品行方正で清廉潔白に見えても、それは単なる印象付けの可能性があり、「裏では実はこうなのかもしれない」という疑心暗鬼が常につきまとう。汚れ一つない箱でも、そのパンドラの箱の中には何が詰まっているか開けるまで分からない。だから本当の意味での信頼関係など築けない。
残酷なのは人間として信用を得ることはできないのに失うことは単純で簡単だということだ。
理不尽なことに、どんなに素晴らしいパフォーマンスをしても、ステージ内外を問わずたった一度信用を失ってしまえば、全てが紛い物になる。
だから願うことは、その全てが嘘でも嘘でなくてもいいから、ただステージ上のあなたを信じさせてほしいのだ。



5. アイドルと光

光り輝く世界で
憧れ追いかけて
僕らもきっと
The Shining Star

「The Shining Star」

これは、少年忍者のファンが大好きな曲「The Shining Star」の冒頭の歌詞である。

本記事のタイトルにもなっている「ヒトはアイドルに何を見る」という問いであるが、一つの答えは光であろう。ヒトはアイドルに太陽や、一番星のような光り輝く何かを見ている。

さて、上記の歌詞のようなスターになるという言い回しはもはやありふれた比喩表現であるが、しかし一体なぜそのように言われるのだろうか。
際立って活躍しているから?
光り輝いているから?
……いや、きっと、私たち人間には到底手の届かない存在だからだろう。
ステージと客席の間には観測できない銀河が横たわっているから、それこそ太陽の光が地球に届くまでに8分かかる様に、シリウスの光が8年かかる様に、何十光年先の手の届かない位置で輝いているのをただ見上げることしかできない。
空に手を伸ばしても、あの無数に散らばった光の一粒さえ掴むことはできないのだから。

アイドルが持つ煌めきは、自分の生を輝かしてくれる時もあるけれど、光と影みたいに分離されて劣等感でどうしようもなくなる時もある。
もっと知りたいと思ってうっかり近づきすぎると、この身が焼け焦げて灰になる。
そう考えると、やっぱり地球と恒星の間にある途方もない距離みたいに、アイドルと我々の間にはその距離の分だけ優しさが含まれているのだろう。


アイドルと光といえば、より直接的な存在として挙げられるのがスポットライトである。
選ばれた人間にしか浴びることのできないその光は、スポットライト症候群なんて言葉が造られるほどには強力で、人間の神経を溶かしていく。
前項でアイドルはステージ上に立っている姿しか真に信用などできないと述べたが、それはきっとステージ上では嘘も誠も感情も、全てがスポットライトで白飛びしているからだろう。実像は煮凝りとして光のもとで全てが削ぎ落とされ、ただアイドルとしての偶像だけが照らし出される。
そう言った意味では、もしかしたら、ステージに立つアイドルはボロボロで穴あきで、だからこそ沢山の光を通してキラキラしているのかもしれない。
残酷だろうか。
だけどそれこそが、見たい姿なのだ。
ステージと客席の間に何光年もの距離があるのなら、せめてステージという星空でアイドルとして一等の輝きを放った完璧な姿で現れてほしい。
私はスポットライトを浴びてステージにたつ貴方を見る、その瞬間のためにお金を払っているのだから。


そして光るという比喩をよく用いられるのが、だ。
アイドルと夢は密接な関係性にある。実際、全てのアイドルにおいて持ち曲の中に夢という歌詞が出てこないことなどないのではないかと思うほど、そして自分自身について語る時、アイドルは頻繁に夢という単語を口にする。
例えば、大森靖子さんの「ミッドナイト清純異性交友」という曲がある。この曲がかねてよりファンである道重さゆみさんを思って作られたものであることは巷では有名な話だが、まさに一つのアイドル観が詰まった一曲と言えるだろう。
その中でも特別美しい歌詞が、以下のものだ。

春を殺して夢はひかっている
嘘でもいい 嫌いでもいい 私をみつけて

大森靖子 「ミッドナイト清純異性交遊」

普通の人間としての当たり前の日常を全て投げ打ってでも叶えたい夢、そういったものがあるからこそ、アイドルは非人間的な煌めきを放てるのかもしれない。これは第一項でも触れた話だが、未完成な存在が夢を叶える姿を応援する事こそがアイドルオタクの醍醐味であると私は確信している。夢半ばで諦めるか、夢を叶えきるか、ともかく夢がなくなった瞬間にアイドルという存在は死ぬのだとすら思う。
(ちなみに大森靖子さんがプロデューサー兼メンバーを務めるアイドルグループMETAMUSEは「実像崇拝」をコンセプトとしており、彼女自身アイドルに対する偶像崇拝には否定的な意思を示している。)

夢があるから輝ける、
夢を抱いているから輝ける、
叶えたい夢が増えていくたびスターになる。
全て叶えてしまったらほんとうに夜空の星のように天に昇って消えてしまうかもしれない。
大きすぎる夢に潰される人は数知れず、
けれどその重さに耐えられる人だけが上り詰める先では、どんな景色が待っているのだろう。

窒息するほどの夢を抱えて、誰より高くまで、上へ上へ
どこまでも飛んでほしい。



6. 花道を歩いて何処へ

君が立つ舞台が天国だといいと
祈りながら煉獄を見る

これは私が皇輝くんを想って最初に詠んだ句だ。舞台に立つ皇輝くんはいつもとても楽しそうで、だけど私は時たまその天国のような舞台に、裁きを下す煉獄を見る。


ある日、YouTubeでおすすめ欄に出てきたアイドルの動画をみた時のこと。確か宮脇咲良さんの動画だったと思うのだが、コメント欄のとある韓国語のコメントをふと翻訳したところ、「満開の花道だけを歩いて」と表示されたことを覚えている。翻訳の不自然さか、表現の独特さか、この言葉がなんだかいやに印象に残った。
後になって、「花道だけを歩こう」というのがkpopファンの間では有名な言い回しであることを知った。

祈りにも似た言葉だと思う。
だって、「花道だけを歩こう」と願うのは、そうではない道があることを知っているからだ。

一見、アイドルはお膳立てされた綺麗な花道だけを汚れ知らずのお気楽さで歩いているようで、だからこそ常に何処かから疎まれている。だけど思うのだ。アイドルが歩む道、それは予め用意された道などではなく、明確な行先など分からないまま自分の足で切り開いていく荊棘まみれの花道であるのだと。
たった1人のその言動で不特定多数の人間を救うことも絶望させることもできるアイドルは、ヒーローのように、もしくは民衆を導く自由の女神のように、多くの人の期待を背負って旗を掲げて歩いて行く。

だけど当然、その道には死体が転がっている。
誰かが嬉しいと誰かが悲しい、誰かが勝つと誰かが負ける、そういった当たり前の循環を繰り返しながら残った者だけが旗を手にするのだ。
誰かにとってのたった1人のヒーローになる、そのためには数多の犠牲を払わなければいけない。
それはきっと過去の自分も、他人も、思い出も。
そうやってできる道に、綺麗な道などない。引き返すこともできない。


私は皇輝くんのことを品行方正な顔をして死体の道を歩く人だと思っている。積み上がった死体の道をかき分けながらデビューまでの花道を歩いて、そしていつの日か王冠を被って、弔うのだ。
ジュニアという限られた世界ですら、デビューまでの道のりは険しく、後ろを振り返ればたくさんの死体が転がっている。ファンにはその道を綺麗にすることも、重荷を分け合うことも、そして行先を示すこともできない。だって、ファンとアイドルの間で真っ当なコミュニケーションなど成立しないのだから。ファンは例えばSNSで「あれをやってほしい」「こうした方がうまくいくのに」「どうして分かってくれないの」などと方針をいくらでも発信するしアイドルは時たまそれをエゴサするけれど、どの意見を受けとるかはアイドルにかかっていているのだから、受け取り手に全てを委ねられた極めて一方的なコミュニケーションしか取れない。いつだって旗を振るのは、そして舵を取るのはアイドルで、だからファンはアイドルがやりたいと思ってやる事を応援出来る限りするしかない。
その行先がどこであろうと。


私がアイドルの歩む道を思い描く時、そこにはいつも彼岸花が咲いている。

曼珠沙華咲く道に肩寄せ合って地獄という名の天国に行く

松野志保

彼岸花は日本ではかつて地獄花とも呼ばれていたそうだが、その名に違わず不気味な印象を抱いている人も多いだろう。しかし一方では曼珠沙華という別名もあり、サンスクリット語でmanjusakaは天界に咲く花という意味があるという。

過去の思い出、人、死体、その一つ一つが彼岸花となって彼らの行く道に咲いていく。歩めば歩むほど、烟るように、咲き乱れるのだ。

ああ、満開の花道を歩いて、
行く先はどこなのだろうか。



7. エゴイズムが作る信仰

数多のエゴイズムの押しつけのもとにアイドルは成り立っている。偶像でいてほしいとい思うことも、プロでいてほしいと思うことも、王でいてほしいと思うことも、太陽でいてほしいと思うことも、センターにいてほしいと思うことも、全てがエゴだ。
少なくとも私は、誰かを応援する上でエゴを捨てることなどできない。
だからこそ、その対象が生身の人間である時は尚更、そのことについて強く自覚的でなければいけないとも思う。私は私の押し付けがましいエゴを自覚してはじめて、アイドルを偶像として見ることが許される。

個人的な心がけとして「嬉しかったよね」「悲しかったよね」「この人はこういう人のはず」といった様な一方的な他者理解はしないようにしているのだが、それはアイドルに限らず他人の思考と自分の解釈に齟齬が生じた際に気付きにくく、都合の良い曲解を経て暴走しやすいからだ。だからなるべく「こういう一面を見れて私が嬉しい」「こういうことがあって私が悲しい」といった様な主観的な感想を意識している。けれどこのような主観的感情は徐々に「こうであって欲しい」と言う強いエゴを生み出し、それがいつしか信仰心を作り出す。

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

聖書 新共同訳『ヘブライ人への手紙』第11章第1節


ちょうどこのnoteを書いている途中で、少年忍者がサマステライブでNEWSの「LVE」を披露したということを知った。

この「LVE」という曲はロックサウンドに乗せた歌詞の半分以上がポエトリーリーディングという、アイドルの曲としてはかなり珍しい一曲だ。
この曲が「生きろ」のカップリング曲であったことや、『EPCOTIA -ENCORE-』という少々番外的なコンサートでのみ披露されたことなどは割愛するとして——
ともかく、NEWSのファンの間でもかなり話題になった一曲であることは間違いない。それはもちろん曲の構成自体についてもなのだが、何よりもアンチに喧嘩売りに行ってんのか?というほど強気な歌詞である。実際この曲が発売された時、NEWSは色々あってアンチが非常に多い時期であったので、少なくとも私は彼らがアンチに真っ向から喧嘩を売りに行ったように感じた。
と、些か俗物的な表現をしてしまったが、実際「完璧を求める奴等に構っている暇は一秒たりとも残っちゃいない」というポエトリーリーディングから始まるのだから致し方ないだろう。そしてサビの歌詞がこうである。

愛がなくては生きていけない
希望がなくては前に進めない
信仰がなくては悪意に
勝つことはできない

NEWS「 LVE」

私は皇輝くんがよりにもよって「信仰がなくては悪意に勝つことはできない」というパートを歌ったことを知ったとき、冗談抜きで卒倒しそうになった。この歌詞にはきっとたくさんの解釈があるが、私は自分がアイドルに抱く感情が限りなく信仰心に近いと自覚しているので、まるでそのことを言われているようで頭を殴られたような衝撃だった。

アイドルのファンを辞める時はきっと、興味がなくなるか、悪意を抱くか、応援しているアイドルが向けられている悪意に疲弊するか。

心無い言葉を見かけると、時々、私と貴方と、善意のみで構成されたAIと過ごせたらどんなに幸せだろうと考えることがある。けれど、貴方が生めかしい社会の中でどんな物語よりも素敵な感動をたくさんくれるから、やっぱり今はこの世界で生きたいのだ。


信仰がなくては、悪意に勝つことはできない


恋は盲目とはよく言うが、信仰もある意味では目を曇らせるものだろう。
だとしたら、ファンがアイドルに抱く感情が行き着く先はきっと、恋愛か信仰のどちらかしかないのかもしれない。



8. 愛宿るアイドル

恥ずべき過去というものが、誰にでもあるだろう。
それも、幼さ故の過ちではなく、分別のつく大人になってからのものなら尚更恥ずかしい。
私にも一等後悔している過去がある。それは忘れもしない、大学一年生の冬にサークルの先輩に言った言葉である。

その日は私と先輩を含む数人は何の流れか恋愛の話になり、ふと「高校生の時はどんな感じだった?」という質問が私に投げかけられた。そこで私はこう答えたのである。
「ずっと女子校だったのに恋愛経験なんてあるわけないじゃないですか笑」
実際、このような会話は女子校男子校出身者にとってはあるあるかもしれない。この時、別の先輩が「あり得ないことはないんじゃない?」と優しく言ってくれたのは覚えているのだが、その後その話題は大して続かず別の話題へと移り変わっていった。
そのほんの数週間後、その先輩に同性の恋人がいたことを知った。

私はそれを知った時、その場で舌を噛みちぎりそうになる程後悔した。そして恥じた。それは、無意識に先輩を傷つけてしまったかもしれないという事だけでなく、私は自分で自分をジェンダー・セクシュアリティー論に詳しく理解のある人間だといっそマヌケなほど過信していたからだ。
以降私はそういった類の話になった時に必ず「彼氏/彼女」ではなく「恋人」という言葉を用いるという、贖罪にもならない心がけをしている。

だから、皇輝くんに限らず全てのアイドルや芸能人が、当然のようにシスヘテロ前提の恋愛に関する質問をされ、それに答えている姿を見ると、私はいつも自分の恥ずべき過去を思い出して苦しくなる。
一応断っておくと、こんな質問はやめろだとか、配慮すべきだと声高に言うつもりはない。需要があるから行われているのだろうし、実際私もそれはそれとして回答を楽しんでいる。
ただ、著名な芸能人が同性を好きであるという、そのたった一つの事実が大きなニュースになる現代は少し息がしにくいと、それこそエゴイスティックに思うのだ。


さて、長めの前置きを経てここからが本題である。


なぜ恋愛に関する話をしたかと言うと、答えはそう、『Myojo』Jr.大賞「恋人にしたい」部門に物申したいからである。
私はこの名称に、全く、心底、本当に納得していない。
上でファンがアイドルに抱く感情が行き着く先は恋愛か信仰だと書いたが、正確には恋愛以外の感情にあえて言葉をつけるなら信仰が近い、かもしれない、と言う話である。
私は恋愛は愛の最上級などではなく、親愛、友愛、名前のない愛、全部等しく愛だと思っているので、アイドルに恋人がいたとして、別ベクトルで同じ量の愛をファンに注ぐことだって可能だとも思っている。私自身、皇輝くんのことは大好きだけど恋人になりたいわけではない。だからこの「恋人にしたい」部門が実質人気投票として認識されている事に全然納得できないのだ。私の愛を恋という言葉で勝手に括らないで、と思う。


では、愛とは、アイドルとはなんだろう?

あい【愛】
①親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。万葉集5「―は子に過ぎたりといふこと無し」
②男女間の、相手を慕う情。恋。
③かわいがること。大切にすること。御伽草子、七草草子「己より幼きをばいとほしみ、―をなし」
④このむこと。めでること。醒睡笑「慈照院殿、―に思し召さるる壺あり」
……

広辞苑

アイドル【idol】
①偶像。→イドラ。
②あこがれの対象者。人気者。特に、青少年の支持する若手タレント。二葉亭四迷、浮雲「此方はその―の顔が視度いばかりで」。「―歌手」

広辞苑

(二葉亭四迷の浮雲が1889発表らしいので、そんな前からアイドルは存在したんですね。)


恋愛というには淡白すぎて、親愛というには仄暗く、敬愛というには湿度のある愛を抱いている。それに名前をつけることができないから、信仰という言葉で誤魔化している。
アイドルがファンに言う「愛してる」もきっと、具体的にどんな愛なのかを言葉にすることは限りなく難しいだろう、と私は思う。

加藤シゲアキさんは自身のエッセイで愛について次のように語っている。

自分に悪意の矛先が向けられたとき、僕にはいつも思う言葉がある。「自分に刃を向ける人を抱きしめられる大人であれ」。誰かに教えてもらったものではない。自分を律するために編み出した一つの処世術の様なものだった。憎しみは憎しみを生みやすく、それは永遠に自分を苦しめる。だから誰かがその連鎖を断ち切らねばならない。より強い愛で。

加藤シゲアキ「できることならスティードで・Trip9 スリランカ」

嘘も、仮面も、悪意への応答も、きっとアイドルなりの愛だ。
でも、そうするとまるで、偶像である彼らが愛に溢れた存在みたいで、
ぬいぐるみに感情があるみたいに、アイドルに愛があると錯覚してしまう。まるで人間のように。


君は偶像、改め人間、

——だから私は、アイドルに愛を見る!





時間があったら見てくださいリスト

・公式プロフィール
アイドルには愛を見ていますが、皇輝くん個人には「皇」を見ています。
この「皇」の字に皇帝や太陽の意味が含まれていることは皇輝くん自身が話していた事なのですが、まさに名は体を表す素敵な名前でとても好きです。疎遠になった同級生で今もふとした瞬間に思い出すのは名前が綺麗で好きだった子のことなので、きっと皇輝くんがアイドルとして死んでも思い出すと思います。


・美少女無罪♡パイレーツ -TikTok
狂うほどかわいいです。最高のアイドル。
全ジュニア共通の媒体でソロ動画を出すにあたってこの曲を選曲する皇輝くんのこと、好きですとても。
選曲、踊り、本人筆の概要欄、トータルして30秒で分かる(かもしれない)川﨑皇輝なのでオススメです。

@johnnys_jr_official

#少年忍者 川﨑皇輝 です。 宝鐘マリンさんの 「美少女無罪♡パイレーツ」 踊らせていただきました。 宝鐘マリンさんは「VTuber」さん ということで 今回踊るにあたってこの機会に 今まであまり触れてこなかったVTuberさんの世界について色々と勉強をしてみました 専門用語がいっぱいで楽しかったです ここ数年の急発展がゆえの 多くの企業さんの新たな関わり方とか 最近流行りのメタバースとの親和性とか 諸々難しい事も多かったですが なんだかんだで色々見てる間に 推しが何人かできました 新たな出会い 誰かは内緒です #美少女無罪♡パイレーツ #宝鐘マリン

♬ 美少女無罪♡パイレーツ - Houshou Marine


・ Happiness -YouTube
世はまさにアイドル戦国時代、自己プロデュースの方針としてアイドルらしくないアイドル、一癖も二癖もあるアイドル、アイドルなのに〇〇という肩書きが脚光を浴びる中、いっそ清々しいほどに王道アイドルを突き詰めたパフォーマンスだと思います。何より本当に楽しそうに踊るので見てください、1分未満なので。


・川﨑皇輝王 -YouTube
少年忍者が毎週水曜日に動画を更新している公式YouTubeで行われた企画で、皇輝くんに関する皇輝くんが考えた質問にみんなで回答するという最高動画です。[12:40〜]のホテルでのエピソードがオモロなのでそこだけでも見てください。


・GirlsAward 2023 AUTUMN/WINTER -YouTube
公式YouTubeに上がっている少年忍者の最新パフォーマンス動画です。
note内でも触れたThe Shining Star [3:11〜]のセンターにいるのが皇輝くんです。アクロあり、キラキラあり、ワイワイありの贅沢構成で今の少年忍者が詰まったパフォーマンスです。きっと見た人誰も退屈させる隙もないほどの、アイドルとしての気迫と信念が感じられます。


・『拝啓、奇妙なお隣さま』
2023年7月15日に放送された皇輝くんの単独初主演ドラマです。
皇輝くんはなぜか人を殺めたり罪を犯したりする役が多いのですが、今回は珍しくそうではありません。が、陰りのある表情は堪能できます。感謝。
TELASAで見逃し配信あります。


・『文豪少年! ~ジャニーズJr.で名作を読み解いた~』
文豪の名作をもとに現代の物語として書き下ろされた作品を少年忍者から計12人がそれぞれ主演を務めた、WOWOWプライムのオムニバスドラマです。
皇輝くんは第4話の『罪と罰の散歩者』で主演を務めています。タイトルの通りドストエフスキーの『罪と罰』と江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』をフュージョンさせた作品で、こちらは罪を犯すタイプの皇輝くんです。
リンクはWOWOWオンデマンドのものですが、各種VODで視聴可能です。


・忍ばない少年達の交換日記 -会員限定ブログ
月一で少年忍者のメンバー21人それぞれが更新するブログです。
私は文字媒体が一番好きなのでとても楽しみにしています。皇輝くんは毎月大体3000字前後に渡って近況や感想や趣味について書いてくれるのでありがたいです。
文章には本当に個性が現れるので、各メンバーのブログを読み比べるのも楽しいです。


・土曜日10分ラジオyeah‼︎ -ISLAND TV
誰でも見られます。2020年5月(厳密にいうともう少し前)から初めて今年で3年目、弟の星輝くんプロデュースのもと撮影された2人のラジオ動画「土曜日10分ラジオyeah‼︎」とたまにおまけの「土曜日余韻チャンネル」が毎週土曜日に投稿されています。まず自主的コンテンツを3年も継続している事がすごいのですが、レギュラーという概念がほとんどないジュニア活動の中で毎週見れる確約があるのはオタク的に本当に助かります。
仕事や近況についてタイムリーに情報を得ることができる上、本人達曰くわりかしいろんな大人に見てもらえているらしく、今や一つのアピールの場にもなっています。
リンクはその中でも最近のお気に入りのものです。


・#忍チャレ -ISLAND TV
誰でも見られます。2022年の11月に開始された企画で、少年忍者のメンバー全員が1ヶ月の間で共通のお題で動画を撮るという完全メンバープロデュースの自主的コンテンツです。
今までにモッツァレラチーズゲーム、つまずいた後にどれだけかっこつけられるか選手権、尻文字しりとり、確定ファンサ選手権などが行われています。
リンクは21秒ピッタリ応援メッセージチャレンジで新生活を始める人に対して「友達なんかいなくてもいいと思います」と言い放つ皇輝くんです。しかもちゃんと21”23に収めています。すごい。


・ジャニーズJr.CHAMP -Amazonプライム・ビデオ
エピソード2の[11:21〜]とエピソード9の[11:48〜]が皇輝くんの出番です。
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、負けん気や不屈の精神がダイレクトに見られて好きです。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
皇輝くんの未来に幸あれ!


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