これから死にゆく「雑誌」という書物について

相次いで色々な雑誌が休刊している。理由はともかくとして『WIRED』にはショックを受けた。ぼくはいつか、若林恵さんの『WIRED』で働きたかったから。

それでも大きな資本やクリエイティブ、もちろん実売が伴った雑誌はなくならないという言説は理解できる。それ以外は死んでいくだろう。そう思った矢先にマガジンハウスの人事移動が発表された。暗示しているのは何か。どういった未来であるだろうか。


2017年、雑誌は凋落した。日経新聞に記載された出版科学研究所の発表によれば、11%の販売金額減、6548億円が消えた。カルチャー誌『CONTINUE』や『iNTERNET magazine』(1号限り)などリブートした雑誌がいくつかあるなかで、多くのカルチャーを作り出した雑誌は姿を消した。Fujisan.co.jp において休刊雑誌の一覧を見ることができる(休刊雑誌一覧 - Fujisan)。


先に述べた『WIRED』や『小悪魔 ageha』『 vikka』、ファッションでは青文字系雑誌を筆頭に『Samurai ELO』『street JACK』など、そもそも存続が危ぶまれていたものは当然のように消えていった。


中国では2018年に激震が起きている。新聞や雑誌で、実に10誌が休刊を発表したようだ。イタリアのコンデナスト・イタリアは『ヴォーグ』の姉妹誌4誌が休刊し、『VOGUE ITALIA』へ一本化されるという。ちなみにコンデナスト・イタリアは2016年に300万ユーロの利益を上げている。アメリカでは時代の変化に呼応するように『NYLON』が紙版を廃止し、デジタルに移行する。


世界を見渡したとしても、その見通しはどこまでも暗い。当然、残る雑誌は残るという理想主義者はいるであろうし、確かにそうだ。いくつかの雑誌は、文化財保護法で保護の対象となるものとして残るだろう。そうして、母数が大幅に減少した結果として、カテゴリ内の選択肢がほとんどなくなってしまった結果として、雑誌の価値はどこに置かれるようになるのだろう。相対的ではなく、絶対的な指標しか示すことができなくなった雑誌は、雑誌である必要があるのか。


インディペンデントは資本と切り離された1企画として、ウェブメディアが不定期で刊行する雑誌はストラテジーのひとつとして、それを価値とするだろう。そうして、『雑誌』として「雑誌」を続ける出版社は間違いなく減少する。そこで、今度こそ「紙/ウェブ」に明確に分断されるようになる。雑誌の役割を問う議論も頻出するだろう。


あるカルチャー誌、ライフスタイル誌、ファッション誌が生き残ったとする。廃刊や休刊となってしまった雑誌の読者は、新規顧客として生き残った雑誌を購読するのだろうか。彷徨うことにはならないか。彷徨うようになっていなければ、今まで雑誌が果たしてきた役割には疑問を持たなければならない。雑誌は固定の読者を持つからだ。ウェブと比較すればライフルの銃口はとても小さく、細い。


たとえば、『雑誌A』と『雑誌B』を比較しながら購入するという慣行から、そもそも『雑誌A』という選択肢しかなくなってしまうのだとすれば、残された雑誌がキュレーションする「価値」紡ぎ出してきた「文脈」を、読者は受動的に獲得するしかなくなるが、選択肢なき価値の大量生産に意味などない。雑誌はさまざまな人に、さまざまな価値を与える書物だ。


そうして、休刊しないであろう雑誌も相対性の喪失に直面するし、最終的に同じ場所を何度も周回してやっと、ウェブと雑誌の未来を考えるというような議論が成り立つのではないか。個人的には、雑誌を保持するのは版元ではなく、IT企業や一般企業がいいと思っている。マネタイズモデルの話はまた今度。

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ありとうだにょ!!!
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岡本尚之

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