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【小説】駆けて!ホンマチ⑯

 若きおばあちゃんの姿がもう見えなくなったのか、トシ君は窓の外から私へと視線を移した。

「マドンナに好意を寄せる本町の男連中にとっちゃあ、その高倉健は邪魔な存在さ。マドンナに会わせるわけにはいかない。万が一現れた場合、そんときゃあ俺たち若い衆の出番ってわけさ」

「出番?」

 明らかに心拍数が高くなっている私は、どこか物騒なトシ君の表現に不安感が募る。

「マドンナに恋心を持つ男たちは、町の名士の息子や、東大卒のインテリ、元甲子園球児や医者の跡継ぎもいる。この本町の未来を担う若手の中心人物たちだ。その裏で俺たちは、あのマドンナを一体誰が物にするのかを密かに俺懸けてるんだ。こんなに面白いレースはないさ」

 トシ君は美味しそうに煙草を吹かしながら笑っている。

「だから、高倉健に現れてもらっちゃあ困るんだ。もし現れた日にゃあ、俺たちが抹殺することになってる」

「はあっ?抹殺?」

 およそ日常会話では出会す機会のない言葉に、私の緊迫感は沸点に達した。思わず口から出た言葉は喫茶店内に響き渡り、その声量に自分自身が驚いた。

「いや、ちょっと痛めつけて二度とここに近寄らないようにするだけさ。本当に殺すわけないだろ」

「そんな、ひどいよ!」

 興奮状態にある私は、より大きな声をあげていた。「何事か」という顔で、マスターやエッフェル塔エプロンのおばさんが、私に視線を向けている。

 唖然とした顔をしているトシ君に、私は感情に身を任せて猛然と抗議していた。

「あのね、おばあ・・マドンナさんは健さんのことが好きなの。大好きなの。健さんと再会したい一心でここに通ってるの。なのに、どうしてそんな意地悪するの。誰にそんな権利があるの。そんなの私、絶対許せないから!」

 私の剣幕に驚いたのか、トシ君は慌てるようにして咥えていた煙草を灰皿で揉み消すと、両方の手のひらを見せて私をなだめながら弁解した。

「まあ、もしも現れたらの話だ。第一、あのマドンナの言う高倉健に似た男なんて存在しないって話が持ち上がってる。そんな二枚目なんて誰も見たことがないんだ。マドンナはそうでっち上げることで男たちの気を惹いて、自分に言い寄ってくる男の中から誰を選ぶかをじっくり思案している最中だってのが、専らの噂なんだ」


 私は頭を抱えた。マドンナと高倉健、おばあちゃんとおじいちゃんが再会を果たすには、余りに大きな難題が立ちはだかっている。おばあちゃんには選りすぐりの本町の若き精鋭たちがラブコールを送り、おじいちゃんには本町の敷居を跨がせないよう血気盛んな刺客が向けられる。

 二人の運命を切り裂くような強固な包囲網に、私の不安は、あらぬ方向へと想像力を導く。

 私が元の時代に戻ると、仏間のおじいちゃんの遺影は別人のものになっているのかもしれない。おじいちゃんとの思い出も、そっくり変わってしまっているのかもしれない。

 激しい嫌悪感に吐き気を催す。抱えた頭を左右に振る。

「いるの。いるんだってば、高倉健・・」


 私は情緒の乱れを端的に現しているのだろう。トシ君は私の変化に戸惑いながらも、その優しい口調は冷静さを失ってはいなさそうだった。

「真汐さん、気に障るようなことを話してしまって悪かった。謝るよ。少し表現がオーバーだった。ごめんよ」


 私は俯いたままだが、トシ君がじっと私を見つめているのを感じる。

 しばらく空白の時が流れ、重苦しい沈黙が続いた。


「真汐さん、何か知っているのか?マドンナと高倉健のこと」

 無音の空間を切り裂く核心を付いた問いかけに、私は条件反射的に反応していた。

「えっ・・いや・・何も・・何も知らないよ」


 混乱している脳内と、心の整理がついていない状況が、咄嗟に否定することを選択したのだろう。

 そんな心理状態を見透かしているかのようなトシ君は、まるで私を優しく包み込むかのような澄んだ瞳をしている。

「俺たちの知らないこと、何か知ってるんだろ。真汐さん自身にも関わりがある何かを」



 喫茶ソルティの店内は、私たちの他に一組の家族連れが残っているだけになっている。クリームソーダを飲んでいる小さな女の子は、ストローでぶくぶくと泡立てることに夢中だ。「お行儀が悪いからよしなさい」と母親から注意を受けても一向に気にする様子はない。

 首振り運動を続けながら、壁で孤軍奮闘している扇風機の唸り声は、静かになった店内でその存在感をひと際増している。



 私がタイムスリップしてきた理由。少しずつ分かりかけてきた。

 トシ君の話を総括すると、おばあちゃんが待ち焦がれているおじいちゃんは、ここではお尋ね者のような扱いだ。無事におばあちゃんに会うことができるのかさえ、危ういような立場に晒されている。

 マドンナことおばあちゃんには、本町の若者たちが挙って恋人に立候補するほどの熾烈なアピール合戦が繰り広げられている。

 高倉健ことおじいちゃんの状況は、明らかに劣勢に見える。


 この事実を鑑みると、私に与えられた使命が自然と浮かび上がってきた。

 正常な未来へと導いてくれるよう、トシ君を頼るしかない。不利な立場にいるおじいちゃんの味方になってもらうことを、トシ君に託すのだ。

 言わば、マドンナと高倉健のキューピット役だが、それは簡単に引き受けてくれるような役回りではないだろう。


 蟹江町本町商店街の注目の的であるマドンナの争奪戦に、得体の知れないよそ者のために一肌脱ぐことなど、裏切り行為として捉えられかねない。

 トシ君を造反者に仕立て上げることは心苦しいが、すべてを説明すればきっと解ってくれるはずだ。

 意を決した私はトシ君の目をまっすぐ射抜くように見つめた。


「あのねトシ君、驚かずに聞いて。実はね、マドンナさんと私は・・」

 決死の覚悟と共に語り始めた私の告白は、残念ながらそこで遮られた。

「おい、トシ!そこにいたのか。大変だぞ。奴さん、遂に現れたらしいぜ!」

 興奮気味に窓の外から身を乗り出すようにしてまくし立ててきたのは、トシ君の仲間の男だった。

 その言葉に「なんだと?」と反応したトシ君は、テーブルに膝をぶつけながら勢いよく立ち上がった。

「オデオンの前にいるらしいぞ。急げトシ!」


 にわかに緊張感が走った。「ちょっと行ってくる」とトシ君は慌てながらテーブルを離れ、マスターに「本町酒店につけといて」と言い残して外へ駆けていった。

 テーブルの上に置き忘れてあった煙草を掴み、私も急いで後を追った。

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