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【小説】駆けて!ホンマチ⑭

「はい、お待たせ!たまごサンドと野菜サンド」

 サンドイッチは大皿にまとめて盛り付けられているが、その量が半端ない。ビュッフェに並んでいるお皿をそのまま持ってきたような圧巻のボリューム感だ。

「おまけしてあげたでね、トシ坊」

 にやついたエッフェル塔エプロンのおばさんがテーブルを離れる際に、下手くそなウインクをして見せた。

 よもやのウインク攻撃に、眉間にしわを寄せて防御するトシ君の前にはアイスコーヒーが置かれた。『れいこー』とは冷たいコーヒーの省略形なのかと疑問が解けた。

 私の前には脚付きの大ぶりなグラスに注がれたミックスジュースが鎮座している。亡くなった百合子さんに飲ませてあげたかったという、あのミックスジュースだ。

 それを私が飲むということには、ためらいを感じずにはいられない。

 トシ君がこれを飲ませたかったのは百合子さんであり、私ではない。どんな想いで私にミックスジュースをオーダーしたのだろう。

「ああ、それ美味いぞ。ここはミックスジュースだけは天下一品だ。飲んでみな」

 グラスをじっと見つめていた私にトシ君は、サンドイッチに食塩を振りながらそう薦めた。

 ストローで一口含むと、芳醇で優しい風味に口の中を支配された。思わず「やばっ」と漏らしていた。様々なフルーツたちは、それぞれがその味わいを奏でるが、どれも主張しすぎず見事な調和を生み出している。口当たりも重すぎず軽すぎず、絶妙な柔らかさで喉を通り過ぎていく。濃厚だけどくどくない、飲みやすいけどしっかりと味が残る。すべてが高い次元でバランスされているミックスジュースに、私は例えようのない幸福感に包まれた。

 しかも、美味しいのはミックスジュースだけではなかった。

 たまごサンドの玉子焼きは、私好みのふわふわ玉子ではなく固めの焼き具合だが、しっかりと味付けされており、パンとの相性も抜群だ。

 野菜サンドのトマトは少し青いが、その酸味が全体を引き締める役割を果たしてくれている。

 すべてが優しい味だ。今までにサンドイッチをこんなに美味しいと思いながら食べたことがあっただろうか。

「美味そうに食うんだな」

 サンドイッチを頬張ることに夢中になっていた私は、その一言で我に帰った。

 トシ君はそんな私の姿を、じっと目を細めながら見つめていた。その優しげな眼差しにドキリとする。

「百合子もそんなふうに食べる子だったよ。よく食べて、よく喋って、よく笑う子だった」

 私はたまらなく恥ずかしくなった。我を忘れてサンドイッチにがっついている私の姿を、百合子さんと重ね合わせて見られていたかと思うと心苦しくなってくる。

 百合子さんはきっと私なんかよりもずっと綺麗で上品な人だったのだろう。私はただ食い意地が張っているだけだ。

 それでもトシ君は、優しく見守るような視線を私に向けている。かつて百合子さんに向けていたものと同じなのかと想像すると、胸が熱くなるのを感じた。


 下品でいやらしい表現を使い、塩対応で接してきたかと思いきや、屈託のない笑顔や優しい澄んだ瞳を見せる。

 これをギャップ萌えというのだろうか。野蛮な不良少年という第一印象を持ったのが、とうの昔のことのように思えてくる。


「悪いけどさ、野菜サンド全部食ってくれるか」

「えっ。なんで?この野菜サンドめっちゃ美味しくない?」

「いや、ああ、俺トマト嫌いなんだ」

 子どもっぽい理由に吹き出しそうになった。というか、子どもの表情になっている。注文したのは自分なのに、嫌いなトマトが入っていたことに駄々をこねているような顔をしている。

 私は少し、意地悪をしてみたくなった。

「駄目よ、好き嫌いは。嫌いなものもちゃんと食べなさい」

 野菜サンドを一切れつまみ上げた私は、その手をトシ君の口元に持っていった。

 観念したのかトシ君は私から受け取った野菜サンドを渋々と口に運んだ。目をつぶって本当に嫌そうな顔をしながら、ゆっくりと口を動かしている。

 その表情が可笑しくて、私は声を上げて笑っていた。子どもっぽさを通り越して、まるで幼稚園児のような可愛さに思えた。

「ちくしょう、馬鹿にしやがって」

 涙目になっている哀れなトシ君は、アイスコーヒーで全部流し込んだあと、一呼吸置いてから安堵の表情を浮かべた。

「やっと笑ってくれたな」



 私たちは大皿に盛られたサンドイッチを綺麗に平らげた。私が半分以上食べたのかもしれない。トシ君の苦手なトマトは私が抜き取って食べてあげた。

「悪いな、こんなもんしか食わせてやれなくて」

 透明なセロハンの封を開け、煙草を一本取り出しながら、トシ君はそう詫びてくる。

「そんな、めっちゃ美味しかったよ。うん、全部美味しかったし。それに私ばっかりたくさん食べちゃってごめんなさい。ごちそうさまでした」

 そんな私の言葉など、全く耳に入っていないような様子でトシ君は、マッチの火を咥えた煙草の先に移し大きく煙を吐いた。組んでいた脚を下ろして座りなおすと、急に真剣な顔つきになった。

「ところで真汐さん」

 その目は私を強く捉えている。思わず私も背筋を伸ばした。

「真汐さんは今、どんな問題を抱えてるんだ?」

 その問いの意図が見つけられない私は、首を傾げた。

「タイムスリップは俺の人生を変えてくれた。苦しみに耐えられなくて死のうと思っていた俺に、生きる道筋を与えてくれた。あのタイムスリップがなければ、俺はもうこの世にいない人間だ」

 抑え気味の声量ながら一語一語を噛み締めるような語りかけにも、鈍感な私はトシ君の言わんとしていることが理解できない。

「真汐さんにも、何かのっぴきならない事情があるんだろ?辛いんだろ。今度は俺が真汐さんを助ける番なんだ。教えてくれ真汐さん、俺に何ができるんだ?」

 拳を握り締めながら真剣な目つきで語りかけるトシ君に対し、相変わらず要領を得ないままの私は、乾いた瞬きを繰り返すばかりだった。


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