どこかの映画館の怪獣映画特集のために書いた雑文

 怪獣たちとのつきあいは長い。思えば生まれてはじめて映画館で見た映画が『三大怪獣・地球最大の決戦』だった。モスラがゴジラやラドンを説得したりするんだが、なんたってキングギドラの本邦初登場作品。まがまがしいまでに美しく、誰よりも強いキングギドラの雄姿! あの姿に魅せられた瞬間、ぼくの人生は決まった。そうだ、ぼくも大きくなったら立派な怪獣になって、東京タワーを壊すんだ!

 ぼくは怪獣になりたかったし、いつだって怪獣が好きだった。口から炎を吐き、高いビルを叩きつぶしてやりたかった。あらゆる秩序をぶっつぶし、廃墟で暴れまわりたかった。ああ、怪獣たちはカッコ良かった。子供だったぼくに生き方を教えてくれたのは、まちがいなく彼ら東宝映画の怪獣たちだった。ゴジラやラドンやキングギドラは、人間の営みなんてほんのちっぽけなものだと、大人のきめた決まりごとなんかみんなぶちこわしてやれとぼくらに言いつづけたのだ。

 だけど怪獣たちの王国は長くはつづかない。ゴジラもラドンもバラダキ様も、あのキングギドラでさえも、最後には破れて去ってゆく。人間たちの秩序を脅かすものは、(何も悪いことをしないでも)最後には一斉砲火を浴びて殺されてしまうのだ。ラドンが死んだときは悲しかった。ラドンやバランは何も悪いことはしていないのに、ただ怪獣だから、人間の決まりを守らない存在だから、というだけで殺されてしまう。怪獣が追われるものであるなら、怪獣になりたかったぼくもやっぱり世界から排除される存在。それもまた、怪獣映画の教えなのである。

 子供時代が人生を決めるなら、ぼくが今あるのはすべてゴジラやモスラやラドンたちのおかげだ。そしてゴジラ映画が上映されつづけるかぎり、大人の決まりにあかんべえする子供も消えることはない。残念ながら放射能は吐けないし、国会議事堂を踏みつぶすことはできないけれど、いつか滅ぼされるその日まで毒を吐きつづけるのがぼくの努め。東京タワーはまだ立ってるけど、なんの、まだまだこれからだい。

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