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『飛騨の口碑〜サヌ〜』

皆さん、こんにちわ。

臥龍桜です。

さて今回も飛騨の口碑の続きで

『サヌ』

という方が出てきます。

では。本題へ行きましょう。


時代は少し進みます。

15代目の淡上方さんが
飛騨中を納めるには、雪のない宮村(現在)の
方が良いと想い。

丹生川の奥から宮村に移り住みました。

岐阜県の位山(くらいやま)は古代飛騨王朝では今で言う

『天皇のお墓だそうです』

頂上付近には巨石群があり
通称『天の岩戸』と言われているそうです。


宮村に移り住んでから
淡上方(あわかた)さんは、孫に
皇統命(すめらみこと)と言う名前授けました
称号みたいなものですね。

初代皇統命(すめらみこと)は
位山命(くらいやまのみこと)と言う方でした。

15代目淡上方さんが宮村で亡くなり
位山の高祖岩と言う岩の横に埋めました。
そこから代々の皇統命(すめらみこと)を
埋めました。

そして、皇統命(すめらみこと)が新しくなる度に

先祖代々の皇統命(すめらみこと)が祀ってある

『位山』の


『いちいの木』を使いその木の板に

簡単に書くと

次の皇統命(すめらみこと)は貴方です。
と書かれていた辞令を渡したそうです。


そして

今回の大嘗祭でも『位山』の

『いちいの木』を使い釈を作り

大嘗祭の時に天皇陛下が釈を使いました。

改めて、飛騨の口碑の信憑性がホツマツタエと同じであがったと想いませんか?

この様な事から

本当の日本の歴史は色んな偽書や口碑に
散らばっているんだなぁと改めて感じました。

まだまだ飛騨の口碑には色々なお話が書いてあるんですが簡単に進めさせていただきます。


次は神武天皇の頃のお話になります。

神武天皇は元々『サヌ』と呼ばれていました。幼少期の名前です。

サヌが成長すると

今で言う、九州を平定してきてくださいと
淡方様に言われ。 その後『ヤマノフモト』に
都を造る様にと言われました。

約30年という長い歳月をかけて九州を平定しました。

その後

九州から飛騨には帰らず

九州を平定した後の約束通り
ヤマノフモト略して『ヤマト』に都を造り
ヤマトを治めました。

先程お話したように

位山のいちいの木で作られた木の板に
書かれた辞令により

サヌは皇統命(すめらみことら)に任命され
神武天皇になりました。


本当にざっと何ですが、この様な出来事があり、サヌ、神武天皇はヤマトを治めました。

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話は変わります。

こちらもざっとですが

時は流れヤマトは簡単に言うと渡来人達に
乗っ取られてしまいました。
(政権をです。またそれに追加して今で言う
新興宗教が作られ歴史を改竄(かいざん)されました。)

それにより

飛騨の人々(天孫)は

ひだ、ひえった、ひった、えった、

エッタ、エタヒニン、今で言うと

浮浪者あつかいされ

山奥などに隠れ住む様になりました。

そこで

被差別部落という部落を作りました

そして

それが、、、、

『サンカ』と言われる様になりました。

これで何故?

サンカの人達が『神代文字』を読め、書けたかが繋がりました。

この様な事により

サヌ、神武天皇が飛騨の人だと言うのが
分かったと想います。

(あくまでも、飛騨の口碑や正統竹内文書との
繋がりの上でわです。100%ではないと想っています。)

さて。話は

先程、お話した正統竹内文書や竹内文書や
飛騨の口碑と共通点の中の

ポイント⑥

社殿はないが(幽斎 ゆうさい)で祭祀を執行している社に「皇祖之霊皇大神宮」がある。

口伝によれば、神武四年に神武天皇の詔(みことのり)によって創建された

詔(みことのり)とは
天皇の命令の様なものだと想っていただければ良いと想います。

幽斎(ゆうさい)とは

簡単に言うと
社殿が無くても清らかな場所で
お祭りをやってる所に
皇祖霊大神宮という所があり
神武4年に神武天皇の指示により
つくられた

と73世竹内宿禰さんが言っています。 

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初代 竹内宿禰さんは、景行14年

景行天皇が天皇になり14年後に
竹内宿禰さんが生まれています。

サヌ、神武天皇になったのは
一応、説では紀元前660年になります。

(一般的に広まっている説です。他にも説はあります。)


景行14年とは
西暦71年になります。

神武天皇が天皇になってから
731年後です。

731年後に初代竹内宿禰さんが生まれます。

ちなみに『宿禰』とは称号のような
ものだとも言われています。

73世 竹内宿禰さんも竹内宿禰という
名は世襲制だと言っています。

ただし、竹内宿禰を世襲する場合には
色々と条件がある様です。

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皆さんはどう想いますか?

皇祖之皇霊大神宮(こうそこうれいだいじんぐう)を

神武天皇が作ってくださいと言われ作ったと、73世 竹内宿禰さんが言っています。

しかし、初代 竹内宿禰さんが生まれたのは
サヌが神武天皇になってから
731年後です。

神武天皇が神武4年に作ってくださいと言ったので、4年引いても727年前になります。

果たして何故?

初代 竹内宿禰さんはその事を知っていたのか?


『疑問』じゃないですか?


直接聞いたはあり得ない。
まぁ霊体から聞いたならあり得るけど。
そこら辺の話はしばしおあずけ(笑)

さて。

今回は以上になります。

内容が複雑だと想いますので、何回か読んでみてくださいね。

次回

『想い』

でお会いしましょう。

以上。

臥龍桜でした。

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