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副都心線開業15周年記念 5社直は何故誕生したのか

 本日(2023/6/14)は東京メトロ副都心線の開業15周年です。副都心線は東京で13番目に開業し、現状最も新しい地下鉄です。
 そんな副都心線では「5社直」と呼ばれる広大な直通ネットワークがあります。そこで本日は5社直が何故誕生したのか、その理由を考察します。   

直通運転...複数の路線を跨ぐ列車を運行することで、東京では特に地下鉄と私鉄の直通運転が盛んである。


5社直とは?

 5社直は以下の5社10路線による直通運転のことを指します。

東京メトロ 17000系の車内液晶画面に表示される路線図の画像
 17000系のLCDに表示される広域路線図
  • 東武東上線

  • 西武有楽町線•池袋線•狭山線

  • 東京メトロ有楽町線•副都心線

  • 東急東横線•新横浜線

  • 横浜高速鉄道みなとみらい線

 この内、新横浜線は2023年に新しく開業しました。

 2023年に相鉄直通が始まったことで間接的には相鉄新横浜線•本線•いずみ野線、東急目黒線、東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線、都営地下鉄三田線、JR埼京線•川越線、東京臨海高速鉄道りんかい線とも繋がり、秩父鉄道も合わせると間接的に10社21路線による超大型直通ネットワークとなります。さらに蒲蒲線や豊住線などの新計画もあり、さらなる拡大が見込まれます。但し今回は5社直の話のみのためそれ以外の話は省略します。

5社直の不自然な点

 直通運転は基本的には1つの私鉄と1つの地下鉄が繋がるもので、地下鉄の両端が私鉄と繋がれば3社になります。しかし先述のように本直通は5社10路線で行われています。

小竹向原で交差する4線の関係図の画像
小竹向原X字型直通運転

 この原因は上図のように西武池袋線•東武東上線がX字型に交差し、東京メトロ有楽町線•副都心線の両方に乗り入れているためです。どちらか一方に限ればかなり分かりやすくなります。

5社直通の問題点

 このような複雑な直通運転は行先数が膨大になり利用者がわかりにくく、誤乗多発の原因にもなり、さらに遅延の拡大を助長するため大変危険です。
 そこでここからは何故そのようなものが生まれてしまったのかを考察します。

複雑化の原因

X字型直通ができた理由

 前述のように直通が複雑化した原因はX字型の交差です。しかし元々はこうならないはずでした。
 1968年に有楽町線が計画された当初は中村橋(目白経由)・練馬(向原経由)・成増の3方向を起点としており、東武東上線•西武池袋線双方に直通する予定でした。これでもかなり分かりずらいですが、この時は未だ副都心線の計画が無かったため今程は複雑ではありませんでした。
 1972年に副都心線が計画された際は、副都心線か和光市(成増の隣駅)、有楽町線が練馬を起点とし、中村橋の支線は放棄されました。つまり、東武は副都心線、西武は有楽町線という非常に分かりやすい体型になる筈でした。
 有楽町線は1974年に池袋〜銀座一丁目間が開業し、それから順次路線を伸ばし始めました。しかし1983年、新桜台〜池袋間が開業した際に、本来は副都心線の一部である営団成増〜小竹向原間も何故か有楽町線として開業し有楽町線の既存区間と直通を始めてしまいました。つまり5社直誕生の直接原因はこれです。ちなみに西武有楽町線の新桜台〜練馬間の建設工事は用地買収遅れや西武池袋線高架化工事の難航により大幅に遅れていました。
 なぜ成増方面の区間も開業したのか、それは和光市に車両基地を作るためです。現在は新木場にも車両基地がありますかま、同基地の開設は1988年で当時はまだ新木場まで開通すらしていませんでした。
 その後1987年に和光市〜営団成増間が開業して東武東上線と直通を開始、1992年に練馬〜新桜台間が開業し西武池袋線とも直通を開始しました。東上線直通を開始した理由には前述の西武池袋線直通の工事遅れに営団が痺れを切らしたというのもあるでしょう。そして同じく1992年に有楽町線の混雑緩和と線路容量不足解消のために副都心線(有楽町新線)の小竹向原〜新線池袋間が開業しました。その段階で東武が有楽町新線、西武が有楽町線と分ければ良かったのですが、既に東武は有楽町線を介して都心と繋がっていたため既得権益を放棄する訳にはいかず、結局両私鉄が両方の地下鉄に直通することとなりました。
 そのまま2008年に副都心線が渋谷まで伸び、2013年に東急東横線•横浜高速鉄道みなとみらい線と繋がったことで「5社直」が完成してしまいました。

東急東横線との直通

東京メトロ 17000系の車内液晶画面に表示される新横浜線開業前の路線図の画像
 17000系のLCDに表示される広域路線図
(新横浜線開業前)

 さて上記の理由で副都心線と有楽町線は繋がりましたが、実は副都心線と東横線も当初予定では繋がらない筈でした。
 元々は渋谷〜桜木町間を結んでいた東急東横線は1964年に途中の中目黒から日比谷線への直通を開始し、東武伊勢崎線-営団日比谷線-東急東横線という一直線の判りやすい直通運転が実現しましたその後2004年に横浜〜桜木町間が廃止され横浜高速鉄道みなとみらい線との直通が始まりましたが、未だこの時点の東横線は健全でした。
 しかし90年代後半から既に日比谷線に繋がっている東急東横線に副都心線を繋ぐ構想が出始めます。元々副都心線は1972年に池袋〜渋谷〜品川〜羽田空港という形で計画されたましたが、湘南新宿ラインの開業が決まったことにより1985年に渋谷以南の計画が放棄されて、渋谷止まりでは勿体無いから繋ごうという流れになったのでしょう。
 ですが湘南新宿ラインが開業しても羽田空港と副都心のアクセスは依然として悪いままであるため何故中止してしまったのか、謎が残ります。
 そして2002年に副都心線との直通運転が正式に決定し2013年から開始。代わって判りやすかった日比谷線直通は廃止されます。こうして東横線•みなとみらい線は5社直の一員となったのでした。
 ちなみにこれまで東横線と副都心線が繋がるのはおかしいことであるかのような書き方をしていきましたが、東横線を新宿方面へ伸ばすこと自体は何も不自然ではありません。もともと東京と横浜を繋ぐために建設された東横線の始発駅が渋谷では中途半端なのは明らかで、実際に東横線がまだ計画段階だった1907年から1950年代まで複数回に渡って新宿延伸が計画されていました。
筆者作成の東横線の未成線に関する動画
https://youtu.be/voDbKwLVTMQ

 さらに1970年代には中目黒〜大山間で地下鉄山手線という新線も計画されていました。当時既に副都心線計画は存在しており、その他に東北・東海道開発線(白岡〜王子〜池袋〜目黒〜武蔵小杉〜港北ニュータウン〜茅ヶ崎間)や常磐・高崎開発線(山手貨物線旅客化)、環状6号線地下鉄も同時期に計画されていたため、渋谷〜池袋間が5複線となっていた可能性があります。結局副都心線と山手貨物線旅客化(湘南新宿ライン)以外は実現しませんでしたが、もし全て実現していれば副都心地域の交通網はとても面白くなっていたことでしょう。
参考:以下の乗りものニュース記事

終わりに

 今日の朝に友達に言われて副都心線15周年のことを思い出し、そこから大急ぎで作った記事のためかなり拙い文章でしたがいかがでしたか。ここに記したのはあくまで僕の持論です。複雑な直通運転には賛否両論あると思いますが少しでも参考になれば幸いです。

カバー画像
Canvaにて制作

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