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【清水カップ】私のターニングポイント 一里塚(11)

オイラの1回目の振り返り記事に、かわいいことを書いてくれているメイちゃんのコメントが。そしてその下にあるながた師範からのコメント。

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これが今回の企画「私のターニングポイント」の呼び水となりました。

さて、オイラたち、多くの選択肢を持てる方が良い? それとも、決められた選択肢の方が良い? 子どもが、「決めたいのではなく可能性を模索したい」って親に相談したら?

「お前は自由だ」と言って放任していれば、人は幸せになれる? おっと、選択肢が多ければ良いとばかりは言えないんです。「24種類のジャムを並べた時と6種類しか並べない時を比較すると、数が少ない方が売れた」というジャム実験から、それは明らか。選択肢が多すぎると、かえって選べないのが人間って生き物なのです。

だからといって、親の頭の中にある幸せの方程式を子供に押し付けていいものでしょうか? その方が、選択を迷わず、楽でよさそうにも思えるのですが・・。

就職活動の時期なのに、やる気が起こらない、就職以外の道を探そうとするのは、心理的リアクタンスによる行動。なぜなら、人間には自分で決めたいという欲求があり、誰かに決められ、強制されていると感じると、無意識に抵抗したくなるから。

オイラがへそ曲がりなのは、周囲の流行や、場の空気や、無言の圧力に負けて流されたくない、という欲求が強いせい。

でも、「選択を放棄する」こと、「選択の幅をせばめる」ことが価値をもたらすことだって。映画館では映画を観る以外のことができないから集中できますし、ルールがあるからゲームをフェアに戦えて、みんなが楽しめるなど。

大切なのは、人生をプラスに向けられるポジティブな選択なら選ぶべきだし、後悔がつきまとうネガティブな選択肢なら選ばないことです。オイラが「私のターニングポイント」という企画を立ち上げる選択をしたのは、ポジティブな選択肢だと思ったから。

20番目の投稿者ぴぃぴさんは、厳格な家庭で育ちました。両親の望みはぴぃぴさんを小学校か、中学校の音楽の教員にさせること。そして、中学は吹奏楽部、高校はバンドと、ぴぃぴさんが音楽に触れない日は一日もありませんでした。ところが、進路を決める時、両親に学校の教員にはならないと伝えます。ぴぃぴさんは、それを挫折であり、逃亡だったと。でも、あの時、自分の進むべき道を自分で決めたぴぃぴさんだからこそ、幾多の苦難に打ち勝って、強く生きることができたのではないでしょうか。そして、ある日、ふと空を見上げると、ぽっかりとあいた穴から、青空が見えました。ぴぃぴさんの脳裏に浮かんだのは、鳥になって自由に大空を飛ぶことでした。子どもが社会に巣立ってから、読むだけのつもりで始めたnote。今は、こう思っています。あの時、空を見上げて本当によかった。自由になってnoteに出会い、記事を書いたり、読まれたりできるのも、あの瞬間があったからだと。

なんと、ぴぃぴさんは、メイちゃんと同じくポルノグラフィティの大ファン。

記事の中で述べていますが、ぴぃぴさんながた師範の記事に出会った当初、師範を「鳥」の愛好家と「取り」違えていました。

https://note.com/nagata_s/m/m9a18bd9d0cf3

確かに、この記事だけ見れば、ぴぃぴさんの言うとーり(笑)。

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