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熱田神宮

この記事がオイラの240回目の投稿になります。おー、めでたし、めでたし、ってことで、今日は縁起の良い話をひとつ(笑)。

八幡神を祭神とする神社が八幡宮で、菅原道真を祀る神社は天満宮、徳川家康を祀るのが東照宮。では、神社と神宮、大社はどう違う? 神宮と三種の神器との関係は? 

先日、kojuro先輩が熱田神宮に行ってこられたとの記事を目にしました。

初詣のベスト5に入り、年間800万もの参拝者で賑わう熱田神宮伊勢神宮、石清水八幡宮に継ぐとされ、国家的な崇拝を受けるようになったのは、思っているほど古くありません。熱田神宮、創建された時期には諸説ありますが、かつては尾張国(おわりのくに)の地方大社にすぎませんでした。

古墳時代の豪族で国造(くにのみやつこ、こくぞう、こくそう)の一人が尾張氏で、日本武尊(やまとたけるのみこと=以後、ヤマトタケル)の妻を出した家柄。その尾張氏のルーツとされる天火明命(あめのほあかりのみこと)をお祀りする真清田(ますみだ)神社は、現在の愛知県一宮市にあります。この時はまだ、熱田神宮は存在していません。

言うまでもなく、一宮市の名前は、真清田神社一宮になったことに由来しています。

律令制では、日本の国土を66の国と壱岐、対馬を合わせて68州に区分(当時、北海道と沖縄は入っていません)。朝廷によって派遣された国司が赴任すると、まず、最初に参詣(さんけい)したのが一宮。なにしろ、豊作でなければ税が安定して徴収できない時代。国司は五穀豊饒を願って雨乞いをし、収穫を感謝する祭りを行うのが仕事。また、流鏑馬(やぶさめ)は、国の兵の能力を高めるための祭事でした。

不思議なのは、尾張氏のルーツを祀っておらず、一宮でもない熱田神宮が格式高い神宮になったこと。実は、その秘密がレガリア(王権の象徴)である三種の神器にあったのです。

熱田神宮に祀られているのは熱田大神(あつたのおおかみ)熱田大神というのは、三種の神器の一つである天叢雲剣(草薙神剣=以下、クサナギノツルギ)をご神体としてよらせられた「<古事記>では天照大御神(あまてらすおおみかみ)、<日本書紀>では天照大神など複数の表記=以下、アマテラス」のこと。

ちなみに、アマテラスの父はイザナギで、母はイザナミ。言うまでもなく、皇室のルーツが祀られているのですから、熱田神社ではなく、熱田神宮と呼ばれます。

では、なぜ、クサナギノツルギ熱田神宮にあるのでしょう。

東征が完了した後、ヤマトタケルは伊吹山へ征伐に向かいますが、この時、妻のミヤヅヒメクサナギノツルギを預けます。しかし、伊吹山の征伐は失敗し、大和国に帰ってからヤマトタケルは亡くなってしまいます。そこで、ミヤヅヒメは実家である尾張氏と共に、クサナギノツルギを祀るため熱田神宮を創建したのでした。

これは、尾張氏のルーツを祀る真清田神社より後に創建されたことを示します。つまり、レガリアではなく、律令制後の尾張国を見た時、熱田神宮三宮でした。ちなみに、尾張国の二宮は犬山市にある大縣(おおあがた)神社。

最後に、他の神社関連の疑問にも触れておきましょう。熊野那智大社や住吉大社などは、平安時代初期に大社に列記されています。ところが、単に「大社」といえば出雲大社を指すのです。よって、出雲大社に言わせれば、それらの神社が大社を名乗る事は「ご神徳を汚す」ことに当たるって訳。

八百万の神の最高神であるアマテラスを祀る伊勢神宮ですが、これも通称であり、正式名称は「神宫」、要するに神宮の中の神宮ってこと。

この記事を最後まで読んでくださったあなた、そう、あなたは今日から日本通  by オイラ

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