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白いカラス(最終回の1)  平和のアナロジー

安倍晋三・元首相の「国葬(国葬儀)」を巡り、岡山県内で少なくとも13自治体に中止を求める脅迫メールが届いていることがわかった。・・・

それらの自治体によると、メールは26日午前8時台に届いており「国葬が中止にならなければ小中学校から薬品を盗み、会場でぶちまける」
「全国の子どもを誘拐する」などと書かれていた。
読売新聞

子どもの誘拐国葬との間には、なんの関係もありません。

脅迫か、そうでないかの違いはあるものの、憲法9条の改正に反対する人と類似点があります。

それは、主張は一貫しているが、論理に一貫性はない=没論理)ってところ。
まさに、「無知は力 (IGNORANCE IS STRENGTH)」、あるいは、「非学者論に負けず」(笑)。
そして、口を開けば、いつもトートロジー


オイラは他国に蹂躙されない状態で、次の世代にこの素晴らしい日本を手渡したい。
そのために、論理的でバイアスのかかっていない思考法を学んでほしくて始めた「白いカラス」シリーズも、とうとう最終回を迎えることとなりました。

ただし、字数を考えて、またまた、二分割にしちゃいましたけどね。


     ◇      ◇      ◇        ◇

バイアス


出版バイアス
という言葉があります。これは、面白い統計データが出た話題しか発表されないという偏りのこと。なんの変哲もない結果などは、日の目をみることがないわけです。
すなわち、出版された読み物を鵜呑みにしていると、バイアスのかかった認識を持ってしまうってこと。

報道しない自由切り取り・ねつ造以外にも、繰り返しの報道が報道回数によるバイアスを生み出します(笑)。

現実世界は不確実性に満ちています。そして、オイラたちは、無意識のうちに期待値を指標にして、その都度、妥当と思われる判断をしています。
ただ、世の中をどのように観察するかで、期待値見積もりは違ってきます。

さて、ナンセンスな読みは、どっち?

1.今起きたことは次には起きないだろう

2.今起きたことは次も起こるだろう


オールド・メディアに洗脳されて、観察眼が濁ってしまえば、期待値見積もりは???となってしまいますけどね。


     ◇      ◇      ◇        ◇

バック・グラウンド


1. コインを投げて裏か表かで改憲するしないを決めるとするなら、確率は50%。

2. 改憲議論をしなければ、確率はゼロ。

3. 世論調査では、憲法を「変える必要がある」と答えた人は56%(昨年調査で45%)で、「変える必要はない」37%(同44%)。
防衛力を強化することに「賛成」は64%で、「反対」の27%。

https://note.com/gashin_syoutan/n/n45062dde4960

「慎重に、慎重に」と言って、大量にデータをとっても、そこから算出される確率は所詮、仮のもの
理由は、データ採取が有限回である限り、偶然のゆらぎから逃れられないからです。
もちろん、オイラ、試行回数を膨大にすると、相対頻度と数学的確率が近づくという「大数の法則」を知らないわけではないですよ(笑)。
ただ、「改憲に求められる歴史的事実が膨大には存在しない」というだけ。

ウクライナ侵攻から
上述の「2.今起きたことは次も起こるだろう」がナンセンスだ、なんて言えなくなっちゃいました。

歴史的事象も環境変化にさらされているのであり、80年近く前と今とでは、バック・グラウンドが違いすぎますよね。


バック・グラウンドを無視するといえば、ホイッグ史観

ホイッグ史観:リベラルと保守のような二項対立で歴史を眺め、前者の勝利として歴史を物語的に記述する歴史観。
要するに、現在が過去より良くなったのは、進歩的合理的なプロセスの結果と捉える進歩史観
進歩史観という点ではマルクス主義も同じ。

ホイッグ史観だと、「平和は憲法9条の功績によるものなのだから、憲法9条を変更すべきでない」に対して違和感がわかないはず(笑)。

そして、自分たちは過去に対する裁判官であり、過去を道徳的に判断する権利を持つって信じていますから、日本の安全保障イコール軍国主義となってしまう(笑)。

https://note.com/gashin_syoutan/n/n01bf90407e39


自分にとって異質なものを排除したいだけであり、多様性という観点からジェンダー・フリーを支持してないことが露呈してしまった例が、これ(笑)。

https://note.com/namedtama/n/n1fcba1fd328e


https://note.com/gashin_syoutan/n/n45062dde4960


以前も書いたように、憲法9条とドイツの基本法の差がバック・グランドの変化に伴う覇権国家アメリカの意向の差であることは明白です。

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アナロジー


アナロジー(類推):  未知の物事・深く知らない物事を既知の物事に当てはめて推論する思考方法。

裁判が終わるまで、「被告人が有罪か無罪かは不確定」。
その過程で裁判官は、積み上げられた証拠の信憑性から確からしさ論理的に推論するのです。
つまり、アナロジーなしでは裁判は成り立たないってこと。

オイラの「白いカラス」シリーズでは、「確率」という用語が繰り返し出てきました。
言うまでもなく、学者ライプニッツが、確率証明可能性と捉えていたのですから、アナロジーを薦める上で確率は必須。

ウクライナ侵攻を見た時、平和証明可能性が高いのは、憲法9条軍事力増強のどちらだと思いますか?

試しに、憲法9条の改正をしないとどうなるかを、確率論的にアナロジーしてみましょう(笑)。

「日本が滅びなければ、いつか中国の属国だぜ」。


中国の共産党政権が平和を志向する確率が低いのですから、「日本が滅びる」か、「中国の属国になる」のどちらの蓋然性も高いことが、容易に理解できるはず。

独裁者に支配されている国家に隣接する日本は、どちらの切なさを選択するかが問われているのです。



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軍事力の機能


国防は、国益のうち経済・福祉といった副次的利益(other interest)よりも優先順位の高い死活的利益(vital interest)でした。

一方、戦争=武力紛争の遂行能力は、軍事力の持つ能力の一つにすぎません。

https://note.com/gashin_syoutan/n/nc731b1a5b092


軍事力が自国の安全保障のみならず、国際社会において政治への強制力と、経済への影響力を持つからこそ、外交の有用な切り札となるのでした。



丸腰になることが抑止力になる」というのはトートロジーです。

抑止力は「相手国に軍事行動を思いとどまらせるだけの軍事力を持つことであり、その結果として紛争が抑止される」ということを意味します。
冷戦において、核兵器の開発競争はあっても、実際には使用されなかったことが、そのよい例。

ウクライナにプーチンがしかけた侵攻は、軍事力によって国家の意思を変更させようようとしたもの(=強制)。

それに対して、ウクライナは抵抗していますね。

以上のように、軍事力安全保障に関する機能には、抑止・強制・抵抗の3つがあることがわかります。

ストローマン橋下徹氏は、平和を訴えている体(てい)で話をしていますが、彼の言語を軍事力の機能を踏まえて翻訳すると、「ウクライナは軍事力でもって抵抗せずに、ロシアの強制に従った方が身のためだぞ」ってこと。

https://note.com/gashin_syoutan/n/n32228756ee5b

ただ、橋下さんが軍事力についてどの程度精通しているのかヨー、
どこぞの国に内通しているのかヨー、
オイラには知り由も ないツー の(ラッパー風に)。


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剣なき天秤は無力


中国が改革開放や世界貿易機関(WTO)加盟によって豊かになれば、西側の民主主義に近づく、というのは幻想でした。

鄧小平の時代に「爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術」=韜光養晦(とうこうようかい)を唱えていた中国が経済力をつけ、軍事力を年々増強した結果が戦狼外交であり、覇権国家を目指していることは明白です。

誰が考えても、脅威でしかないはず。

日本が不戦の憲法を掲げていても、「アメリカの後ろ盾がなければ=抑止力を失えば」他国から攻め込まれる可能性が以前より格段に大きくなっています。

さらに困ったことに、近年、アメリカが「オフショア・バランシング」に軸足を移しているのです。

https://note.com/gashin_syoutan/n/n6e4067b9c906


オフショア・バランシング」とは、安全保障に係る負担を、日本にシフト(移動) しようとしているということ。

https://note.com/gashin_syoutan/n/n9dedb27be99f



丸腰」が「中国に善意を抱いて頂いて、抑止力」とする唯一の方法だとしたら、誠に心許(こころもと)ない話ですよね。



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核とパワーゲーム


ロシアのプーチンはウクライナに対してを使用するとしてウクライナを威嚇しました。

すでに、ウクライナは英米の口車にのってを放棄しており(「ブダペスト覚書」)、現在を保有する国は、英米仏中露とインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9カ国です。

Q: 広島、長崎の悲劇は憲法9条がなかったから起こったのでしょうか?

A: いえいえ、あの時代、アメリカだけがを保有していたからです。
パワーバランス威嚇もなにも、あったもんじゃない時代でしたから(笑)。


以下の事実をどう捉えます?

東西冷戦ではは使われませんでしたし、を持つ国が9ヵ国に増えたのに、使用されていません。

https://note.com/gashin_syoutan/n/nb4c380baaa63

この記事にも書きましたが、アメリカが、北朝鮮の脅威を排除できないのは、大量破壊兵器=核による反撃の可能性を考慮せねばならず、そのリスクや費用対効果の検証が難しいから。
間違いなく、抑止力になっているということです。

さらに、インドとパキスタンが和平のテーブルについたのは、双方がを持った時でした。

パワーバランスの面から見て、日本もを持つべきだ、と言っているのはフランスの歴史人口学者で「知の巨人」とも評されるエマニュエル・トッド。
彼は言います。
の保有は、攻撃的なナショナリズムの表明でも、パワーゲームの中での力の誇示ではなく、パワーゲームの埒外に自らを置くことだ」と。

この勢力の均衡による平和の考えからすると、東アジアでのパワーバランスが安定しているのは、日本が軍事力世界一のアメリカの核の傘の下にいるから。

ただ、アメリカとの同盟に頼っているのですから、自国の判断でを使用できません。
能力がある=「出来る」のに、内政的に非核三原則があり、外交的には核拡散防止条約や部分的核実験停止条約などの条約からの離脱など「する」ためのハードルが高い国が日本なんです。

トッドは「を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という偶然に身を任せることだ」と表現しています。
だから、アメリカとの同盟に頼りすぎるのではなく、日本がを持って「国家として自律」しろと言うのです。
を保有する大国が地域に2つもあれば、地域のすべての国に「核戦争は馬鹿らしい」と思わせられるとも。
核を持つロシア中国北朝鮮を隣国に持つ日本が、「核使用という威嚇」に屈しない独立性を保つための選択肢は限られているのです。
オイラ

いいですか、「出来る」と「する」は違うのですし、「中露の脅威を無視して、日本が軍事国家になることを懸念する」という態度は「誤謬」と呼ぶべきでしょう。


誤謬」と「トートロジー」まみれの人たちは、恐怖症なんかじゃなくて、本当は日本を好きなように見せかけただけの内通者なのかも(笑)?

     ◇      ◇      ◇        ◇

to be continued

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