見出し画像

【清水カップ】私のターニング・ポイント ー ありがとうございました ー

note という共同体。オイラはその共同主観の一成員。自分とは異なる他者の存在を尊重したいと思う気持ちが、面識もない人の記事に対するスキのクリックだったり、サポートという形で表現される。

      ◇      ◇      ◇      ◇

去年のクリスマス直前に募った企画。年末の忙しい時期の参加者への暴挙(笑)。

応募のルール、読み返すと笑えます。

文字数は 3,000字以内であれば、5行でも構いません。参加して頂くのは本日から12月31日までに手をあげた方。投稿は明日以降いつでも可ですが、締め切りは来年の2月14日とさせてください。ゆる~りでしょう。ただし、締切日前に全員の作品提出が終わっていれば、その時点で企画は終了とします。

3,000字以内って、そもそも文字数を数える気もないくせに(笑)。たぶん、誰かの企画のパクリですね、間違いなく。

「参加者ゼロの懺悔記事」必至の企画でしたのに、28名の方からエントリーして頂きました。もう、涙が出るほどうれしかった

      ◇      ◇      ◇      ◇

あの頃、オイラがしたことと言えば、作品が投稿された時点で、サポート、オススメ、コメント、そして、「一里塚」で紹介すること。当時は、毎日投稿にこだわっていたので、時間的制約もあり、ポカも多かった。たとえば、サポートしたけどコメントを忘れたり、マガジン登録を知らなかったりとか(笑)。改めて、参加者のみなさんに平身低頭。

今回は、以前書いた『一里塚』とは別の切り口で、作品を見直したいと思います。


      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー1は、ぴぃぴさん。

・・・・・両親は厳しかったが、言うとおりにしていれば安心だった。そして、自分でも好きなことだと信じていた。
小学3年生、母親に連れられて電子オルガンを習い始めた。・・・・両親は小学校か、中学校の音楽の教員にさせたかったようだ。・・・
高校最後に進路を決める時、学校の教員にはならない旨を両親に伝えた。・・・・電子オルガンの講師になった。・・・・
楽しい道のりであるはずだった。しかしその音楽が、いばらのトゲのようにわたしを苦しめる。いつしか真っ暗なトンネルのようになり、出口が見えなくなっていった。

ある時、周りが急に静かになった。立ち止まったわたしは、ふと空を見上げた。そこだけぽっかりとあいた穴から、青空が見えた。まだ知らない世界が広がっている。本当に歩きたい道は別にあるかもしれない。ここから脱け出したい。自由になりたい。鳥になって大空を飛ぶことができるだろうか。
……わたしのターニングポイントは、分かれ道でも曲がり角でもなく、立ち止まって空を見上げた、あの瞬間だったのだと思う。・・・・

仲間を探して鳥の記事ばかり読んでいたら、オススメが鳥の記事ばかりになりました。そして出会ったのがながた師範。・・・・あの時、空を見上げて本当によかった。あの瞬間があったから、仕事を変えて、自由になり、noteにも出会い、今読んでくれている皆さんの記事を、また読むことができるのです。

ぴぃぴさん。5/18の記事で「今まで通りではなくなっちゃいましたので、ナニかを期待されているのでしたらフォローはずしてくださって結構です。わたしは今まで以上にマイペースになるはずです。原点にかえって書きたい時に書きたいことを書きますよ。こんなこと、わざわざ書くなんて、疲れてんのかな」って、ちょっと心配。でも、5/22と6/2にも投稿してくれていたので、安心、安心。これからも、マイペースでお願いします。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー2は、kojuro先輩。

・・・・キナリ杯をきっかけに、noteを始めることになった。・・・・もともと、私は、twitterで、岸田奈美さんが好きで、よく読んでいた。・・・・noteにアカウント登録をして、期限ギリギリの最終日前夜に、投稿したのである。本当は、そこで、noteの世界から、消えるはず、だった。ところが、・・・・noteは、私にとって、居心地の良い、格好の媒体だった。・・・・知らず知らずのうちに、noteの世界に、いつくようになってしまった。・・・・心の中のリトルkojuroが、苦笑いをした。noteに、どれだけの時間をかけているかと問われれば、今、大変な時間をかけている。・・・・

noteの世界は、素晴らしい。多くの知り合い、友人が、できた。・・・・それは、間違いなく、かけがえのない、私の財産である。・・・・かねけんのことを思い出す。・・・・noteは、楽しまねば、noteではない。もしも続けることが難しくなったら、躊躇なく、休めばいい。かねけんは、・・・・noteとの付き合い方を、ごく単純に、しかし真剣に捉えていて、いつもブレることなく同じ姿勢で存在し、今、ゆるくゆるく、noteの世界と付き合っている。・・・・・清水のぼる師匠も・・・・noteに時間をかけ過ぎることも、無い。

noteの世界の賢者たちの知恵を、盗まない手は無い。noteの世界の、楽しむ極意は、細く長くというのが、恐らくは、キーワードなのであろう。・・・・楽しくなければ、noteではない。ゆっくり、ゆるりと、いい加減に、やっていく。もしも、休みたくなったら、簡単な報告を出して、お休みを宣言する。だが、続けられるのならば、続けられるだけ、続けてやっていこう。・・・・

私のターニングポイントは、確かに、昨年だった。だが、今も、ゆっくりとターンしていく最中にある。・・・・心の中の、リトルkojuroが、呟いた。楽しく、のんびりいこうぜ。・・・・・言葉は、伝わらなければ、言葉では 、ないんだろう?・・・・心の中の、リトルkojuroが、振り返って、微笑んだ。そして、こたえた。おう。noteの世界の大海にいたり、・・・・大海原からの風を受けながら、私は、心の中のリトルkojuroと、ハイタッチをした。

今も、kojuro先輩は精力的に毎日投稿とコメント書きとコメント返しに励んでおります。どうか、体重が100Kgに届きませんように(笑)。

      ◇      ◇      ◇      ◇

No.3は白ちゃん。

人生には岐路がある。・・・・小学1年か2年生のことだったと思う。俺は小2の終わりに生まれ育った岡山から引越したので、何度も反芻した分だけその頃の記憶が濃い。当時仲の良い友達がいて、ウマがあったのか毎日のように遊んでいた。彼のうちにはたくさんのオモチャがあり、それはうちにはないものだったので、羨ましかったのを覚えている。

母は俺が幼い頃、・・・アレが欲しいと駄々をこねたことがあるのだが、買ってやらなかった。それ以来貴方は二度と駄々をこねてものをほしがることはなかった。あの時買ってやってればよかった。と、後悔を口にする・・・・うちにオモチャと言えるものはほとんどなかった。

その日も俺は彼のうちで遊んでいた。夜遅く・・・・・母が迎えに来た声がした。多分まだ俺は遊びたかったんだと思う。記憶にあるのは、友人の母が俺はいないと嘘をついてくれて、隠れていた俺は無事に母親に見つからずに済んだということだ。・・・・・

ボロボロと泣く母の前で正座をして・・・・どこに行ってたのか詰問され、素直に友人の家に行っていたこと、母が迎えに来たのは知っていたが隠れたことを答えたように思う。俺は、泣いている母を見るのがいたたまれず・・・・

もう二度とこんなことをしないで、という約束は、・・・・今も俺の中にある。今も母を泣かせるような人生は送っていない

ちゃんは、「今も母を泣かせる」どころか、生徒だけでなく、先生の先生として全力で教育に当たっています。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー4は、なぐなぐさん

・・・数え年で「25歳」の時であった。バブル経済の余韻が続く世の中、仕事に遊びに全力疾走をしていた。毎月100時間をゆうに超える残業をこなしながらも、土日にはスキーにマウンテンバイクに明け暮れる日々。・・・・

残業代で買った新車、生まれて初めて手に入れた高級車であった。それが・・・近くの国道で信号待ちの最中、、 「ドガン! ゴン」
後ろっからおもいっきり追突されたのだ。勢いで前車にも玉突きしていた。車を降りると見事に前も後ろもクシャクシャになっていた。全治2か月であった。あぁ、2か月なのは車です。。 私は無傷であった。

ところが!!この無傷の事故から10日後、私は病床にいた。事故の加害者(保険会社)から手当てされた代車で、マウンテンバイクのレースに参加していたのだ。・・・・スキー場のゲレンデを「だーっ!」と自転車で駆け降りる競技なのだ。そして、ゴール直前の直線を・・・ハジメテの救急車であった、40日間の入院生活の始まりだ。・・・・

やっと仕事を覚えたばかりの入社3年目。欠勤を機に異動することになった。懇意の女性とも疎遠になってしまった。詳しくなったのは、病床で深夜まで見ていたテレビ、バルセロナオリンピックの金メダリストばかりであった。・・・・

あるとき、お見舞いに来てくれた中学からの親友M君が、ひとこと「俺たち厄年だよな?」 「おまえ厄除け、行ったか?」「カマ掘られた時点で、神様が『じっとしとれ!』と言うとったんや。お前は、警告を無視したから、こんなことになったんやで。」

◆◆◆あれから28年 ・・・・妻と息子、私の3人暮らし。そして、我が家の恒例行事が・・・「か み だ の み ~!」
反省を経て、人生の節目で、神社仏閣に参拝に行くことに決めたのだ。そして、その効果は「テキメン!」(通販じゃないよ)
・・・・

これまでに訪れた、神頼みの場所を紹介しよう!
 1.太宰府天満宮 ・・・・もちろん結果は合格!、ご利益ありでした。 
 2.法多山 尊永寺 しぞ~か(静岡)を紹介しないと『清水カップ』の名が廃る。・・・・(数え25歳)に参拝。もちろん、無病息災。訪れた際は、「法多山だんご」夏には加えて「だんごかき氷」もお忘れなく。 
 3.水火天満宮 今年最大のご利益。コロナ禍で、就職活動がままならぬ中、心が折れかけていた息子を救ったのは、お参りでした。就職祈願に訪れてから、心が落ち着いたのか、念願の業界に「一発合格!!」
これで、来春からの進路が決まりました。息子の旅立ちです。まさに我が家のターニングポイントを決めた「かみさま」でした。
ここも名前の通り、菅原道真公に由来の神社で、貴族が宮中での就職を祈願して訪れていたのが始まりとか、、・・・・

骨折した際、病床にて、ヒトの繋がりって本当にありがたいな、と思ってから30年あまり。改めて、色んな方と出会い繋がりを持てたことに感謝です。
また、家族の大切さも改めて再認識した一年でした。家族との時間を第一にしながら、ゆる~りと note も続けてゆきます。・・・・しばらく、更新しない日々が続いたとしたら、それはきっと「旅」の最中だと思ってください。

なぐなぐさん、4/28の記事で、「すこしペースダウンします。週一回の投稿でしたが、しばらく、不定期投稿になります」って。でも、5/15と5/30に記事を投稿してくれていましたね。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー5は、ながた師範。

先日、詭弁論部をテーマにした記事を投稿したのですが、2名の方から苦情を戴きました。それぞれの主張は以下の通りです。「蚊帳の外みたいで寂しかったです」「なぜ私が登場しないの?アホなの?」・・・・文中に登場するという事はネタ扱いです。そこに参加したいとは全く理解できませんが、よろしい、ならば書きましょう。・・・・

実は1度だけ女性noterさんを「詭弁論部に入部させよう」と画策した事があるのです。 いや、だって師匠に代官、それから先輩、正直むっさいでしょう? 息が詰まります。華が欲しいではありませんか。
その方は、時折、師匠や名人なみに気の利いたコメントを披露なさるのです。もちろん、ご自身の投稿記事でも、レベルの高い文章を展開してらっしゃいます。・・・・その方から、ある日・・・   恥ずかしいからやめて下さい まさしく一刀両断。清々しいな、・・・・そういうわけで、詭弁論部に女性noterさんが参加する事に臆病、もとい慎重になった次第です。・・・・

1人目は yokoさんですが、付き合いは長く、7月から欠かす事なく拝読しています。ご自身の人生を振り返りつつ、書き綴っていらっしゃるのですが、とにかく誠実で頑張り屋さん。・・・・夏も終わり秋らしくなってきた頃だったしょうか。その yokoさんがコメントをくださいました。アンチュウさんに詭弁論部広報担当に任命されました。認めていただけますか? 広報? 詭弁論部は名前のみで実態などありません。あえて言うなら、部員同士が敬称で呼び合うくらいでしょう。・・・・ポリシーに従い、丁重かつ、やんわりとお断り申し上げました。・・・・汚されることなく、いつまでもキレイな yokoさんでいてください。・・・・

2人目はメイさんですね。投稿してらっしゃる記事をご覧いただければ、純粋で、思い遣りに溢れたお嬢さんである事が分かります。大切に育てられた事は想像に難しくありません。・・・・言うなれば、心のオアシス、あるいは隠れ家でしょうか。・・・・・メイさんに、こう告げられたのです。   私、モサック星人なんです。さすがにこれはお手上げです。返答のしようがありません。途方に暮れていると・・・・時を同じくして、生真面目なはずの2人がトチ狂ってしまいました。・・・・2人のコメントには、忌まわしい単語が含まれていましたね。・・・・そう、アンチュウとモサック。・・・・・・・。犯人が分かったような気がします。

さっそく調査に向かいました。まずはyokoさんのページです。予想通り、
コメ欄にはアンチュウが湧いてやがりました。次は、メイさん。こちらでは、モサック星人が残したコメントを発見したのです。 
モサック 「メイちゃん、今日から君はモサック星人だ」 何を言い出すのでしょうか。・・・・メイさんは純真無垢な乙女です。悪ノリはやめて差し上げろ。 とはいえ、コメントは過去のものです。僕の叫びなど届きません。・・・・メイさん 「え?モサック星人ですか?」
モサック 「そう、モサック星人」
メイさん 「はい、分かりました」 もういいや。星へ帰れ。・・・・

黒幕は確定しました。こうなったら yokoさんだけでも救出しなくてはなりません。・・・・なんと!そこでは美辞麗句が並び、詭弁論部が栄えある集団のように称えられているではありませんか! そのうえで、庵忠代官が部員を勧誘していらっしゃったのです。・・・・正直、関わりたくありませんが、身内の不始末にはケジメをつけるべきでしょう。・・・・ 

こうして、奮闘努力の甲斐もなく、yokoさんは詭弁論部広報担当、メイさんは女史に祀り上げられてしまいました。
・・・・・特筆すべくは、庵忠代官・・・怖い人やで・・・。(おしまい) 

よくもまあ、罵詈雑言を思いつくものです(笑)。ただ、yoko_s さんの記事を読んで頂ければ、誰が黒幕かわかりますけどね(笑)。

      ◇      ◇      ◇      ◇

6人目は、清水師匠。

・・・・「私のターニングポイント」をテーマとした “清水カップ” なるものが提唱され、そのルールは拙者の名前#清水のぼる をタグ付けする、なんて企画が...(汗)そんな、逃げ出したくなる状況から、ササッと身を隠そう。 (/_・;)/と、思った翌朝。義父の死に遭遇したのでありました。・・・・・葬儀は近親家族のみで・・・・

今年の正月は訪れる人も無く、夫婦二人でこれからのことをじっくりと話し合いました。・・・・私達はそれぞれが次男次女であるため「自身の入るお墓」はありません。二人の共通した考えは「子供達に迷惑を掛けたくない」ということです。・・・・そこで、以前から考えていた「永代供養」の手続きを選択しました。・・・・・・「管理」という言葉がある以上、そこには「費用」が発生します。

そこで、生前に全ての「必要経費」を支払い、子孫に負担を残さない手段による、樹木葬(じゅもくそう)の永代供養を選択しました。・・・・私達はこの樹木葬の場所を購入し、その後の管理費も掛からない方法で埋葬する契約をしました。墓石の代わりに、石に名前などを刻んでモニュメントを置くことで、子供たちがお参りに来てくれた時に、それが標(しるべ)となります。・・・・

さて「墓に入る」とは、どういうことでしょう?・・・・ここで、「千の風になって」の原曲の一節を・・・・私は、以前から「墓に入る」という言葉に抵抗感(嫌悪感)がありました。死んだら、こんなうす暗い墓の下に、埋められてしまうのか...だったら、毎年花の咲く樹木の下で、子供達の笑い声を聞いていたい。・・・・

大河の一滴 死んだらどうなるのか? これは、あのお釈迦様でも「分からない」と仰っています。以下は、作家:五木寛之の『大河の一滴』の一節です。・・・・ 私たちの生は、大河の流れの一滴にしか過ぎない。しかし無数の一滴たちと共に大きな流れを成して、また海へと注がれるのだ。出会い。そして、別れ。

人生には、様々な意味での「ターニングポイント」があります。人は、いつかどこかで「川の流れを変える必要がある」と思っていました。しかし、その流れを恣意的に変えることが、良いことなのか、どうなのか。 - - - 今はただ、大河に身を委ね、ゆっくりと、考えてみたい...

今、師匠は note 界に復帰し、大河に身を委ねならがらキレキレのコメントとアスキーアートで大活躍しております。

      ◇      ◇      ◇      ◇

ラッキー7は、カナダ在住のけるぼん音楽療法士ちゃん。でしたが、忘れちゃったんだろうなぁ、手挙げしたこと(笑)。もし、気が向いたら投稿してね。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー8番は、のうえんちゃん。

「あんたの後ろ姿、おばあちゃんにそっくり」
この言葉に、ものすごく怒りを覚えたのを今でも思い出す。
畑仕事をしていたわたしの背中を見て、道路を挟んだ向かいのおばさんが声をかけてきた。ちょっと小馬鹿にするような口調。・・・・

いつも野良着姿で朝から晩まで畑仕事 70歳を過ぎて認知症を患い幼少期に戻ってしまった心で昼夜問わず徘徊してはどこそこで騒動を起こしていた祖母。そんな祖母と、高校生のわたしの姿が「そっくり」だと?家族共々馬鹿にされているようで本当に腹が立ったし、今思い出しても苦い味しかしない。
いやいやオバちゃん、見てるがいい。わたしは鹿児島を出るから。
🥬・・・・・

なんの後腐れもなくマチへ出た。・・・・農作物は地方で作ってもらって、高い給料もらって都会で消費者生活を送ってやる。そう思っていた。はっきりと。
でも目線はもっとその先に沈む悲しみを見ていた。手入れがなされず崩れる山林。浜辺に下ってみれば夏でも冬でも通っていた海は「磯焼け」で枯れている。
 🥬 

便利さをいっぺんに集めた都会に出たけれど 結婚、引っ越し、転勤、、人生の分岐ごとに、周りの緑が濃くなってきた。・・・・わたしの感性に埋め込まれた自然はゆるやかに身近な環境を整えてくれていたのだ。

そしてわたしは次第に緑を求め始める。小さな鉢植えから始まってベランダを花のプランターで埋め尽くしいまは湘南の片隅に8畳ほどの畑を借りている。たぶんわたしはずっと自然に話しかけられていたのだと思う。・・・・
元居た場所じゃなくていい。言ったらどこだっていい、そこに土があれば。家庭菜園レベルでも、自然栽培や有機栽培を軸にしている

数少ないこの場所に出会えたことがわたしのターニングポイントだった。
あの日、近所のおばちゃんが鼻で笑ったわたしの姿が未来に目指す原型だったなんて。🥬・・・・

現在、みこちゃんゼロちゃんとタッグを組んで、のうえんちゃんのイラストがブレーク中。また、環境活動家ではなく、アグリエイタ―としてやわらかく奮闘努力中(笑)。

      ◇      ◇      ◇      ◇

9番目は、エモいちゃん。

・・・・私のターニングポイントは大学2年生の終わりです。・・・・サークル、ゼミ、バイトの掛け持ちで大忙しでした。特にゼミはゼミのくせに時間的拘束がえげつなかったのです。・・・・サークルに裂ける時間が足りず、練習もあまり参加できていませんでした。サークルの飲み会で2年生の秋頃の飲み会終わり、私は同級生の女の子に泣かれました。・・・・・
原因は私がサークルの運営にちゃんと関わらないからとの事。

2年生の秋頃・・・私はブラックゼミに所属していたため、サークルの打ち合わせに全然参加する事ができず、本田さんが耐えきれず私にキレたのでした。・・・・彼氏にも激怒されました。・・・・「それは、お前が何もしねぇからだよ!」と。カップル揃ってなんなんだよ。こっちはこっちで忙しいんだよ。うぜぇな。・・・・

そのカップル2人がとても嫌いでした。・・・・サークル、ゼミ、バイト。この3つの内、両立できるとしてせいぜい2つまで。まずバイトはしないと何もできくなるから外せない。となると、サークルかゼミ。・・・・私の大学は、単位さえ取れていれば・・・卒論書かなくても大丈夫なシステムだったのです。となると、・・・・脱ゼミする事を決意しました。・・・・

ものすごいバッシングを受けましたが、・・・・サークルに専念する事ができるようになりました。・・・・・責任ある立場は避けて来ましたが、その時は・・・・腹をくくりました。・・・・私のサークルは私が2年生の時に新設されたサークルだったため、同期・・・5人全員がサークル幹部となりました。

ミーティングを重ね、練習の運営や年間行事の企画を考えます。真剣に取り組んでいる中で、自身の考えが大きくシフトして行きました。サークルのみんながよりサークルを楽しんでくれるにはどうしたらいいか?・・・・不思議なくらい本田さんと意見が合致するのです。・・・・いつの間にか1番の理解者になっている程でした。本田さんは凄く真面目で・・・・・誤解を生じてしまう事がしばしばありました。しかし、私はいつしか・・・噛み砕いて説明をするくらいになっていました。・・・

サークルの一大イベントは夏合宿です。練習メニューやレクリエーション、団体戦のコンセプト決めや景品選びなど、考え抜いて考え抜いて企画し、合宿当日も必死で盛り上げました。・・・・・合宿最終日前の夜・・・・飲み会の終盤、後輩たちがサプライズで我々幹部に対して歌を歌ってくれました。全力で企画運営をしてきた結果、みんなが喜んでくれた事が嬉しくて私は号泣してしまいました。嬉しくて号泣したのは、これが人生で初だったと思います。

あの時、全てを中途半端にしてずるずるやってこず、サークルに勢力を注ぐ事を選んで本当に良かったと思えました。そして、大嫌いだった本田さんには、真剣に取り組む事の大切さを教えて貰い、こんなに素晴らしい感動体験をさせてくれて、感謝しかありませんでした。本田さんに「本当にありがとう。」と言い、握手を交わしたのは本当にいい思い出です。

今はコロナやお互いの生活もあり、暫く会ってはいませんが、今でもたまにLINEするくらいの親友でいます。ということで、私のターニングポイントは大学2年生の終わりでした。このターニングポイントによって、私は今でも忘れる事ができない貴重な体験をする事ができました。
青春っていいよね!

エモいちゃんが、note の世界でも斬新な企画を練って、成功を収めてきたのは、大学時代の経験があればこそだったんですね。今は一児のパパですが、note の世界で青春を満喫しているようです。

      ◇      ◇      ◇      ◇

10番目は、ながた師範のところでも出てきた yoko_s さん。

・・・・note を始めたことが、まさに人生の「ターニングポイント」。そんななか、庵忠代官✨そして「詭弁論部」なるもの(?)との出会いと その周辺...を、私視点から記録にとどめて振り返り、楽しんじゃおう♬と思います・・・・

1章 西宮 ながた整体院 さん(黒幕...?)
・・・・とってもステキな方です。照れ屋さんなのか、褒められることを得意としていない印象。女性は苦手(?)のようですが、かなり紳士的で安心感が抜群。並み居る諸先輩方からの信頼は厚く、辞書のような検索能力と フォロワーシップ、多くの noter から慕われていると お見受けしています。・・・・

西宮 ながた整体院さん の とっても読みやすく、判りやすい解説。・・・・良い人だとばかり、思っていた、つい昨夜まで...・・・・
9月8日、庵忠さんの note ↓ コメント欄にて「結成」コメントを発見✨ 「庵忠さん = 詭弁論部 仕掛け人」とばかり信じ込まされ、無知だった私。恐るべし、西宮 ながた整体院 さんの情報と印象の操作能力...・・・・
庵忠さんの アイコン を他の noter さんのコメント欄で、お見かけしていた...と思います。・・・・note 詭弁論部(?笑)メンバーで、茂作名人?モサック星人...?もう謎だらけ(笑)。コメント欄 炸裂。・・・・...庵忠さんの場合には、パッと調べても ホントに謎だらけ。・・・・てっきり「庵忠さん = 詭弁論部 仕掛け人」と思い込んでいたのですけれど...黒幕(?)は「西宮 ながた整体院さん」確定です、笑。・・・・・

10月4日「詭弁論部」が、にわかに立ち上がった夜...。私は、アイコンや、他の方のコメント欄では 何度もお見かけしている kojuro先輩 の固定記事へ、初めてご挨拶に伺っています...・・・・・ kojuro先輩の対応は好意的。常に平常運転...まるで悟っているかのような、安定したお人柄です。
・・・・とても良い内容のコメントを数多く残されているので、いつも同じように感動し、よくコメントに「スキ」の重ね押ししています。うるさかったなら、先輩ごめんなさい、控えます...(汗)。・・・・

庵忠茂作さんは、少し おっちょこちょい。・・・・私の note コメントで...ながた師範が入部を断られていた、という名前を呼んではいけない(?)あの お方「ぴぃ○」さんのお名前で、私に話しかけてこられました。同じ道産子で混同されていたようです。・・・・とあるタイミングで庵忠さんご自身が気づいて、平謝りされていましたが、私は「自分もやっていると思います(^^」と、サラッと水に流しておきました。・・・・
... note ってホント優しい世界ですよね...(涙)・・・・

「詭弁論部」が立ち上がった、ちょうど同じころ。私は「100記事&100日連続 投稿」を達成しています。新たなつながり、交流を深めている真っ最中...初めて「スキ通知」が溜まりだして...処理が追いつかなくなる体験中、嬉しくも苦しい悲鳴です。ここのコメント欄にて、庵忠さんから直接「広報担当」と声をかけていただいています。

そして黒幕(笑)西宮 ながた整体院さん には、数日後の note 記事のコメント欄にて...先ほどまでいらっしゃった庵忠名人にも「お墨付きいただきました~」と声をかけたのですが...2度目は現れず、宙に浮いたまま...(?)です(^^;なので、庵忠さんの 忘備録(4)、なぜか、私のところだけ...yoko_sさん(承諾をお願いします(笑))と入っていますよね...? 決して、私は断っている訳ではないのですよ~

えぇ、暴露してしまいますよ、西宮ながた整体院さん の本音を...(笑)なので、お二方には早い段階で「広報担当」の任命いただいては いたのです...(汗)。忙しさにかこつけて、それぞれ本家コメント欄への ご挨拶を、すっぽかしていた私が、皆さまへの周知を混乱させてしまい、未熟でしたね...💦 ごめんなさいm(_ _)m
西宮ながた整体院さんの「箸にも棒にも【転機】」この言葉のどちらかは...きっと、私の台詞(態度?)への「尾ヒレ」なのでしょう... ↓
「蚊帳の外みたいで寂しかったです」
「なぜ私が登場しないの?アホなの?」

ちゃん、チャン。 ^_^ ( ← これ、師匠のところからパクってみたけれど、やばかった...? )・・・・
...はい、私は、まだこの領域には、足を踏み入れておりません...(汗)
なのに「タグ付け」させていただく勇気がですね...ちょっと申し訳ないような...ステキな赤丸デザイン「のぼるアイコン」は存じておりますよ。それは、もう、もちろん✨そして、ながた師匠、庵忠代官、kojuro先輩 のコメント欄でも、重ねての「スキ」を時々、思わず押してしまっています。風のように、お見事なコメントを、お見かけしておりますので...(^^ ( ← 笑って通り抜ける術 )・・・未知なる「詭弁論部」の旅は...もしかして、始まったばかり...!?

yoko_s さんの勇気ある告白で、誰が黒幕だったか判明しましたでしょう。yoko_s さんは今、電子書籍を立て続けに2作品、世に送り出してノリノリの作家さん。まだまだ、yoko_s さんの快進撃は止まりそうもありません。 

     ◇      ◇      ◇      ◇

11番は丸武群さん。

・・・・「峮峮(チュンチュン)応援note」の一年を振り返るということで、このnoteのターニングポイントについて書いてみたいと思います。
新型コ口ナウイルス(中凶ウイルス)の記事から始まったワガハイのnoteですが、峮峮の応援を謳っていたとおり、LoveQUNさんの動画中心に記事を作りました。中国語の勉強を兼ねながら、LoveQUNさんの動画コメント欄が爆笑の嵐だったので、そのエッセンスを残そうとしたのです。・・・・・
ところが6月16日、峮峮と黄鴻升(エイリアン・ホァン、小鬼)氏との交際が発覚し、それを知ったLoveQUNさんが引退宣言する事態に。・・・・
しかし、その後友人の働きかけもあり、チャンネル名を「LoveQUN soMUCH To Be Continued」に変えて、LoveQUNさん復活!
よかった、よかったと思って、順調に記事を更新していた9月16日、峮峮の彼氏・黄鴻升氏が急逝! 峮峮は絶望のどん底にたたき落とされます。
・・・・
hachuさんが峮峮激励動画を発表!それに合わせてワガハイも峮峮応援記事を作り続けるうちに、峮峮応援の輪が広がっていきました。
そして10月20日、峮峮がチアリーダーに復帰!我々を歓喜させたものでした。
ところがところが(逆接が多いな)、・・・・LoveQUNさんの動画が視不可になってしまいました。・・・・・これがワガハイのnoteのターニングポイントでありました。もともとワガハイのnoteは、動画・画像なしには成立しません。動画の多くはLoveQUNさんに頼っており、それらの動画が視聴不可になってしまったので、noteの価値ダダ下がりです。

しかし、ただ待っていても解決しない問題であることも事実です。そこで開き直り!今できることをやっていくしかないと、峮峮のSNSや台湾チアTVさんの動画などを使って、記事配信を続けていってます。私のターニングポイントはまだ始まったばかり!

丸武群さんですが、時事ネタにも精通しており、邪馬台国についても造詣が深いオールラウンダーなのです。

      ◇      ◇      ◇      ◇

12番目は、ながた師範の記事のもう1人の主役であったメイちゃん。

・・・・私のいくつかあるターニングポイントの一つは、やはり、「ポルノグラフィティ」というロックバンドと出会った事だと思う。
中学生の時は、某ジャニーズに夢中だったが、ある時を境に、あれほど夢中だったのに、急速に冷めていった。・・・・

高校生になって「アゲハ蝶」という曲を知った。・・・・三年生の時、「アゲハ蝶」が収録された「雲をも掴む民」というアルバムを友人が誕生日にプレゼントしてくれた。・・・・
この時点では、まだ、「好き」の段階だ。・・・・私には、私と同じくポルノグラフィティが大好きな友人がいる。彼女と出会ったのは百貨店に勤めていた時だ。今もご飯に行ったり、カラオケに行ったりする仲良しで親友だ。もちろんポルノグラフィティのライブにも一緒に行く。ポルノグラフィティが好きな事がきっかけで仲良くなった。ポルノグラフィティを好きになっていなかったら、ここまで仲良くなっていなかったかもしれない。

その頃、ライブというものに興味があったものの、行く勇気がなかった。
そんな時彼女が、「ライブのチケット取れたら一緒に行かない?」と誘ってくれた。そして、チケットがとれたのでライブに行く事になった。
2007年4月20日の埼玉スーパーアリーナでのライブが私の初ライブだった。始めてのライブは興奮と、熱気と、歓喜が渦巻く非日常だった。(今でもそうなのだけれど)
初めて聴く彼らの生の演奏、大音量で身体中に響く音楽、彼らの生の声。
彼らが実際にそこにいる。同じ空間にいるんだという現実。鳥肌がたった。
あまりにも楽しくて終わった時の喪失感は寂しさすら伴った。終わった直後にもかかわらず、またすぐに行きたくなった。

彼らと彼らの音楽が「大好き」に変わった。
それから何度もライブに行った。ファンクラブにも入会した。ライブに行く度に楽しくて楽しくて仕方なかった。 彼らと彼らの音楽は私の原動力でもある。転職して辛かった最初の頃、彼らの音楽は支えになった。
「また、ライブに行く」という思いが仕事を頑張る糧にもなった。
彼らの音楽は私にとって欠かせないものの一つだ。

このnoteもギターの新藤晴一さんが始めたということで知った。
彼らに出会っていなければ、彼女と仲良くなることも、ライブの楽しさも、noteでの出会いも、企画に参加する事も、この記事を書く事もなかった。
点だったものが線になって“今”に繋がっている。
ポルノグラフィティというロックバンドに出会ったことが、私のターニングポイントだ。・・・・

メイちゃんはシャイだけど、学びが大好きな女の子。「自分でもこんな長文書けるんだって、企画に参加して思った」なんて、謙遜しちゃうところからも、ながた師範が褒めちぎる理由がわかるってもんですね。

      ◇      ◇      ◇      ◇

13番目は京野廣政さん。

・・・・俺のターニングポイントといえば、やはり18歳の頃の失恋だろう。
学生のころにした恋とは違い初体験の相手だったこともあり当時の俺にとっては本気も本気で愛が強すぎて束縛もして結果フラれたのである。

そんな俺を癒やしてくれたのは浜崎あゆみというアーティストで彼女の詞に惹かれ憧れて国語が苦手だった俺が歌詞を書き始めたのである。

書き始めて半年ほどしてプロになるにはどうしたらいいか悩み始めた時に偶然『なりたい作詞家』という本を買いその本でビクター音楽カレッジというスクールの存在を知り通うことにしたのである。
結果として現在まで、作詞家という夢は叶ってないし、諦めてた時期もあるが、色々あって、また書き始めnoteにも辿り着いたのである。

あの時の失恋がなければ恐らく違う人生を歩んでいたと思う。だから、ターニングポイントと聞かれたら18歳の失恋と答えるのである。

京野廣政さん、3/16日で投稿が途絶えているようです。今も元気に詩を書いているのかなぁ。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー14は墨字書家・五輪(いつわ)さん。

・・・・2021年のテーマは「遊」。&この気持ちを忘れないために「天地真理」です。・・・・昨年4月26日から本格的に投稿を開始したnoteですが、初めは創作墨字の発表の場という位置付けでした。

その後「100日間連続投稿マラソン」の企画に参加し、・・・・終わるのと並行して、走り切れたのはnoterの皆さんからのスキやコメントのおかげなのでその御恩返しとして企画を立ち上げました。「創作墨字お礼祭り」です。・・・・

創作墨字お礼祭りには16名の方々が参加してくださり、16通りの墨字を創作しました。これはとても貴重な経験となります。なにしろ創作するにはするだけの理由が必要です。どの漢字にしようか。その漢字をどう創作しようか。基となるテーマを何にするのか。・・・・

企画「創作墨字書いて参加祭り」では、心のそこからお優しい5名の方にご参加いただき、ほんとうにありがたいことでした。・・・・

振り返りますと、「創作墨字書いてお礼祭り」がターニングポイントとなり、noterの皆さまとご縁をつないでのやりとりができるようになりました。・・・・・どんな状況をも乗り切る遊び心を忘れないように、「天地真理」も今年のテーマの仲間入りとなりました。・・・・、年明けそうそうですが、昨年の感謝を新年一番で伝えたいと思います。・・・・・

そうです、五輪(いつわ)さんの感謝、元旦に投稿して頂きました。五輪(いつわ)さんの書はオイラのアイコン、時にタイトル画像に使わせて頂いていますし、折に触れてコラボさせて頂いています。最近では、ちづちゃんの冷蔵庫の企画でも大活躍なのでアリス

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー15は、あきやまやすこさん。

車の 事故での 入院 も怪我も
迷惑 も噂  も通り 過ぎてき
思い知 る人の  温か さと情
結婚  出産  2人目  も産まれ
自己チュー の私 に転が  りこんだ
自分よ  り大事  な人と  の絆
異国の  暮らしで  人種の  葛藤
自分の 見た目を 卑下する のやめた
美し  い私   誰とも   同じく
学位も 修めた  長期た いざい者
言葉の せいでの 言い訳 はすまい
外国  暮らしを 択ったの は自分
両胸  取られて  萎えてた 半年
他人の  痛みに  寄り添え る心
傷と引 き換えに 得たもの に感謝
🚶🏻‍♀️      🚶🏻‍♀️      🚶🏻‍♀️
・・・・面白いのが、コメント欄。・・・・ここのコメント欄は、記事をおいても読んでほしい、というほどの、宴会場。・・・・ここに名前が挙がっている方たちの、コメント欄での様子が、なんというか。私が受ける印象は、暴れ馬。または、演芸場の裏で、笑わせあってる、年季の入った芸人。
名前があがってない方達も、ツワモノぞろいです。私は、みなさんをよく存じ上げているわけではないので、おそるおそる見ています。大笑いしながら。・・・・。

聡明で研ぎ澄まされた感性のやすこさん、どんなことにも果敢にチャレンジし、アメリカ留学、そして大病を乗り越え、今に至っています。いつも、謙虚に学ぼうとする姿勢を失わないやすこさんには尊敬の念しかわきません。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー16は、ちづちゃん。

私は大学の卒業旅行で、インドへ一人旅しました。・・・その時はどうしても行かなければならない気がしたんです。・・・・今回は「行くという決断」に絞ります。いずれ、きっと何度か書くことになるでしょう。・・・・

海外への一人旅はその時点で初めてです。しかも語学が堪能なわけではない、体力があるわけではない、身を守るすべを身に着けているわけでもない、お金もそれほどない大学生でした。・・・・友人の友人から話を聞いて「インドへ行くと人生観が変わるぞ」っていわれたんですね。・・・・インドの旅行記などは新旧合わせて10冊程度読みました。・・・・気持ちはどんどんなびいていきました。インドでは一応英語だし、アジアだし、交通費もそれほど高くないし、結構行っている日本人も多いし、現地での移動もできそう。その上、感覚がまったく違いそう。・・・・はらわたがひっくり返るような体験をしたかったんです。それまでの自分の感覚から自由になりたかったような気がします。心底、驚きたいというか。それまでの自分を揺るがすような、体験。・・・・

始めは友人と行く予定だったんです。でも友人がスケジュール的に行けなくなって、・・・・「今行かなかったら、一生行けないかもしれない」と思ったんです。だから、行こう!と。・・・・働き始めたら自由な時間はなくなる。そう思っていました。それが大きな決断の理由です。実際はその10年後にもう一度一人でインドに行くわけですが、・・・・・バックパックを買って、安全のためにチェーンキーやいくつかのキーを買って、「地球の歩き方」を買って、準備をしていきました。・・・・大丈夫なのかなあ、無事に帰ってこられるかしら? 不安でいっぱいでした。・・・・・

3週間の旅でした。おなかを3回こわしました。「カルチャー・ショック」も受けました。見たことのない景色を何度も見ました。・・・・・はらわたがひっくり返るような驚きも・・・たくさんありました! この旅でけっこう度胸がつきました。写真が散逸して旅のことは書けないかなって思っていましたが、エピソードはいっぱいあります。
いつか書きますね。・・・・

その後、息子さんを連れてモンゴルにも行ったんですよ、ちづちゃんは。また、note 界で様々な金字塔を打ち立てながら、高校生の息子さんにお弁当を作り、仕事もして、毎日投稿もするスーパーウーマン。最近は冷蔵庫の企画でも大忙し。体を壊さないでね、ちづちゃんちづちゃんの冷蔵庫企画の振り返りが、今回の総括のきっかけとなりました。ありがとう。

      ◇      ◇      ◇      ◇


エントリーナンバー17の corocoroちゃんは、ちっちの子育てが忙しくて棄権とあいなりました。元気に子育てしているのかなぁ。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー18は若葉都さん。

 To everything, turn, turn, turn.
・・・・心のターニングポイント:以前こちらに書いたように、なかくきゆかさんの記事との出会いからです。なかくきゆかさんの記事に出会って、noteへの心持ちがかわりました。

技術のターニングポイント:次は、こちらのクニミユキさんの記事に出会ったこと。ギクッッとしました。「こと」という語。ばんばん使ってた・・・。実際、過去に書いた記事をコマンドFして「こと」で検索したら、あるわあるわ、そんな長い文章じゃないのに10個を余裕で超えてる。うわあ、自分の文章、だせぇ。noteに書くのに、初めて文章の技術的な面を意識しました。それから、「こと」以外にも、「とき」「もの」「という」などの、つい使ってしまいがちな語句を、別の語句に置き換えたらどうなるだろう、と気にするようになりました(ようやくそのレベル)。

???のターニングポイント:庵忠 茂作(あんちゅう もさく)さんにはじめてお目にかかったのは9月後半で、chiro_naco さんやkojuroさんの記事のコメント欄でだったように記憶しています(曖昧)。コメントでは、ときには優しくて頼りがいのあるじいじ。・・・・やりとりされてる皆様の返しのレベルが高すぎる、笑いがこみ上げてくる・・・。・・・・このおじさま(ほんとにおじさまなのかもわからん)は、いったい何者?!・・・・スパイの身分を隠すためにウーバー・イーツ配達パートナー・・・・一連の流れをよく知らなかった私は、わりとマジに信じておりましたのです・・・・
noteのコメント欄でやいのやいの言って楽しむという、想像もしていなかった新たな楽しさを知ったのは、モサックさんにお目にかかれたからだと思います。その後ニューノマンさんの居酒屋やBarにお邪魔して、コメント1000超え?!noteはいろんな楽しみ方ができるんだなあと、感動しました。
なんだろう、もう全容把握して無くても面白すぎて、お腹痛い。noteの世界はすごい人ばっかりだ。・・・・これからもnoteの中をターンし続けぐるぐる回ってると思います。
大好きバーズ。

若葉都さん、ご子息の高校受験で大変でしたね。お疲れ様でした。最近では、「音が半分高く聞こえる」 という記事、とても興味深く読ませて頂きました。https://note.com/miyakonomi/n/n5c7253f7c08a

毎日のお弁当作りも大変でしょうが、Jr.のために頑張ってくださいね。


      ◇      ◇      ◇      ◇


19番目はミーミーさん。

・・・・ ピンクレディ―のミーちゃん、いきます!!
私の人生でのターニングポイント、それはある先生との出会いです。
高校は古~い女子高で大きな図書室がありました。・・・・・私は2年生の時に図書委員になりました。・・・・

数ヶ月で、図書館司書になりたい それも「学校図書館の司書さんになりたい」という明確な夢をもつようになりました。当時、この高校の図書館の司書の先生がとても優秀で美しい方で。一言でいうなら「聡明」とか「凛としている」という言葉がよく似合う人でした。その人に憧れたんですね。・・・・

まだインターネットもなく検索機能も発達していない、本や新聞で「調べる」だけの時代に、古い学校図書館の数万冊の蔵書の中からレファレンスサービスをしてくださるんです。その姿が格好良くて。司書の先生に聞いたら何でも出てくる。一つ投げかけたら5~6冊の関連本をパパパっと見つけ出し持ってきてくれました。

一度、内容は知らずに(この本有名で聞いたことがあるから読んでみようかな)と村上龍の『トパーズ』という本を借りようとしたんです。すると司書の先生が「借りるのは良いんだけど大丈夫?読める?もし返しに来るときに恥ずかしかったらカウンターに黙って置いておいても良いからね」と言われました。「大丈夫です」と言って借りて帰り、読んでみてビックリ。当時の私には少し刺激的でした。・・・・先生に言われた通り、私は司書の先生がカウンターにいらっしゃらない時間にそっとその本を返しに行きました。(ふふふ。司書の先生はこんなアドバイスまでしてくれるのか!!)と変に感動したのを覚えています。

すごく美しく優しい先生でしたが、本の魔術師のような、そんな印象でした。とにかくその司書の先生に憧れて図書室に入り浸り、司書になるにはどうしたら良いのか、・・・・私は夢である図書館司書を目指して真剣に大学を選びました。・・・・教員免許も取得できる大学を探しました。・・・・先生にも友達にも親にもみんなに「私は将来司書になるんだ」と宣言して回りました。今思えば、あれが私の人生のターニングポイント。
何かに熱く憧れて志したのはあの時が一番強かったように思います。
尊敬できる人との出会い。・・・・夢が見つかった。大学で司書免許と教員免許を取得して・・・今に至ります。

noteでもたくさんの尊敬できる方々との出会いがあります。皆さんの才能のすごさに刺激を受けて「私も頑張ろう」と思える。優しくて温かくて心地良いです。
「出会い」って大事ですね。・・・・

失礼ながら、あのお父さんから、よくミーミーさんのような真面目な子供が出来たものだと感心させられます(笑)。珠玉の作品「ジェット風船の行方」を是非、ご覧あれ。

https://note.com/mimimimimi7711/n/nd180ee986c80

      ◇      ◇      ◇      ◇

20番目は、じゅにーちゃん。

テーマはタイトルの通り、わたしのターニングポイントです。
何が良いかなと悩んでいて遅くなったんですよね。
妻との馴れ初めの話でも良いし。世界の闇に目覚めた切っ掛けでも良いし。
悩んでいたら、とても良い話題が見つかりました。
わたしのターニングポイント、それは。今日です!

本日は、コ口ナワクチンの接種をどうするかの希望調査回答最終日。熟考の上(およそ10秒)で自分自身の結論を出し、妻にも相談しました。
受けない選択肢を選ぶことで、院内での立場が危うくなるかもしれないこと。場合によっては、医療従事者は接種義務などが法令に盛り込まれ、職を失う可能性もあること。色々なリスクを承知の上で、「打たない」ことを選択しました。
何事もなく穏便に…とは正直思っていません。きっと何かしらの転機にはなるでしょう。わたしの担当委員会で、「副反応を懸念し打たない選択をする職員が不当な扱いを受けないよう委員会からも意見を」という根回しをする前に期日が来てしまったのは予定外(笑)
まあ後からでも良いので、委員長を焚き付けて自分が不当な扱いを受けないよう身を護る所存です。
…ということで庵忠代官、遅くなりましたがよろしくお願いします<(_ _)>

ちなみに、オイラもワクチン接種しておりません。じゅにーちゃんは、有能だけど、働き過ぎで体を壊さないでね。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー21は、まつおさん。

あの夏を忘れない あなたに出逢った夏
その瞬間から 世界が変わった
あなたへの 憧憬が生まれた
あなたを知りたい あなたと居たい
そんな感覚が在るなんて 知らなかった
**********
あの夏を忘れない あなたを失った夏
その瞬間から 世界が変わった
あなたへの 絶望に襲われた
あなたを感じたい あなたに触れたい
そんな感覚が在るなんて 知らなかった
**********
あの夏を忘れない あなたを知った夏
その瞬間から 世界が変わった
あなたへの 共鳴が強まった
あなたを知らしめたい あなたを高めたい
そんな感覚が在るなんて 知らなかった
詩 written by まつお

まつおさんは、最愛の妻との別離という失意のどん底から見事、帰還しています。これからも、一緒に頑張ってまいりましょう。

      ◇      ◇      ◇      ◇

22番目はゼロちゃん。

・・・・・わたしにそのターニングポイントとやらは訪れるのだろうかって。でも今はあの時がそうだったってわかる。2015年だった。

ずっと好きだった人、あいだかなり疎遠になっていたけど、彼の死を知った。彼はラジオでハガキを読む仕事もしていて、そこで知り合った。
言葉だけでつながっていて、その後逢うようにもなった。今思えば京都の夜が最後だった。

好きだった。好きだけど忘れないといけない人だと思って別れを選んだ。
そして時間が恐ろしく経ったある日、彼の死を知った。とても晴れた日の午前中。洗濯物を干し終えて階段を下りてきたら、母が知らせてくれた。

・・・・彼はわたしの残された数少ない家族を愛してくれた人だった。母は淡々と告げた。わたしも淡々と受け取った。
悲しみがまだ追いついていなかったんだろう。そして翌日あたりから、走馬灯のようにわたしの方が彼との記憶を思い出し始めたら怒涛の如く涙が止まらなくなった。

そして、不意にわたしあの人の赤ちゃんが産みたかったんだって思ったら、人生をどこかであきらめた瞬間を思い出して、泣き暮れた。
悲しいことがあるとわたしはひたすら書く。祖母が死んだ時もそうだったように。そしてある場所でショートショートを発表するようになった。
彼との記憶を、物語の形で結晶にしたかったのかもしれない。

そして、・・・・noteでわたしは五輪さんと出会った。創作墨字を揮毫してくれるという。その企画に参加して彼女にわたしのショートショートから思い浮かべたイメージを書にしたためてもらった。
サッドストーンという石が物語にでてくるのだけどそれはひとの罪を喰らう石。それを五輪さんはその先に視線を放って忘れるを喰らう石として創作墨字を書いてくださった。
その書を一目見た時、つみというつみを悲しみの石となって、あの人が喰らっているんだと、そんなふうに感じた。
忘れな、罪とかないからさ、忘れなって言われてるみたいで、書を見て震えてた。五輪さんにあの書を書いてもらったことがnoteでのというかわたしの人生のターニングポイントだと思う。

それからなにかがふっきれたかのように、文章を休まないで書き続けた。
・・・・あんなに愛していた彼のことを日を追って思い出す日々が減っていた。ただ、どこかから応援されているような気持ちはしていて。彼を失った寂しさからはもう解放されたような気がしていた。

そして、12月の末noteで親しくしていた方がしばらく休むという記事を残してここから去った。動揺したし、怒ったし、泣いたし、悲しんだ。
彼はやさしさのかたまりのような人だった・・・・こんなすてきな言葉を贈ってくれていたひとりのひとがnoteから姿を消すということは、こんなに悲しいものなのかって。混乱しながら、共に彼を知っている方達とその悲しみをわけあった。・・・・

途方に暮れたけど。今は少しだけアングルを、ほんのすこし変えてみることにした。やさしさって誰かから受け取ったら必ずしも受けた相手に返すのではなくて、(できればその方がいいけれど)その受けたやさしさを、また違う誰かに返せばいいのかもしれないと思った。・・・・

わたしはやさしさについて今学びなおしている気がする。そして、noteって街だけど。一方で途中下車できる駅なのだと思う、noteは終着駅ではなくて。しいて言えばライフ行きの電車だ。そこで降りたい人はnote駅で降りればいいし、降りない人はその電車に乗り続けてライフを楽しめばいいと思う。わたしは今年もnote駅に降りたいから降りている。去ったものももどりたくなったらまたふたたびnote駅に降りて来ればいいのだ。

そういうことだ。君を待つことに心血を注がないで待つことにした。
すてきな彼らたちと一緒にnoteを楽しみながら君をなんとなく待っているだろう。君がひととき去ったこと、それがわたしのターニングポイントになっている。・・・・

ゼロちゃんみこちゃんのうえんちゃんとタッグを組んで、持てる才能に磨きをかけているところ。数週間後には素晴らしくふざけたオイラらしいキャッチコピーが出来上がる手筈となっております。楽しみだなぁ。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー23は、きみまるこちゃん。

私の ターニング ポイント
 そこには いつも 悲しみの 風が 吹く。。。
悲しみの風は、いつも、私の心に 一つの種を 運んでくる。
  「喪失」Grief の種。。。

恥ずかしい話だが、、、昨年末、noteの世界に どっぷりと首までつかり
私は 現実を 見失っていた。
人から 認められたい。。。人の 期待に 応えることに 捉われた。

私は、また、執着という「指輪」を見つけ、隠しもち
時に、その指輪をはめ、めまいのようなものを 感じていた。
そして、ついには、「指輪」を「愛しい人」と呼び
「指輪」に 翻弄されて しまっていた。

    そんな時、風が吹いた。。。
私は、言葉にならない、「唸り」のような言葉を 発した。
すると、思わぬ「逆風」
冷たい、凍り付くような、言葉が 強い風となって 返ってきた。    私は 大切な「指輪」を 落としてしまった。。。
その「指輪」を 悲しみの風が 運び去った。
悲しみの風が 固く 乾燥した 心に 冷たく 沁みた。。。
どうして、 あのとき?
  どうしたら、 これから?
 自問し 苦悶した。。。

苦悶するごとに 私の固い心は 掘り起こされ ぼこぼこになった。。。
   そして、頭を垂れて、ぼこぼこになった 土を 見つめた。。。
ただ、ただ、見つめた。。。
息を 吐き 息を 吸い  
ただ、ただ、ありのままに そのままに。。。

はっ と した。
目の前の ぼこぼこの 土から 小さな
小さな 芽 を 発見した。。。
この人が この物が なければ、、、
認められ    持ち続け なければ、、、
ここに居て 生きる 価値がない、という「思い込み」に、とらわれていた、と 気づいた。
そして ただ 自分を ありのままに 見つめた。。。

無知であり、失敗してしまう 自分が 震えていた。。。
冷たい風に 打ちのめされ 泣き崩れ 震えていた。。。
目の前の、ちいさな芽は、「こんにちわ。」と 挨拶を してくれた。
「あなたは あなたのままで。。。そのままで。。。」ちいさな声で ささやき 微笑んでくれた。。。
心が ゆるみ 涙が 溢れた。。。「ありがとう。。。」         めが でて ふくらんで
        はな と なって ほあんと ぽん。。。
悲しみの風が もたらした 

 「喪失」Grief の 種は 見つめられ
気づき の 芽を 出し 大地に ゆっくりと 根をはり
 「恵み」Grace  の 花を 咲かせる。。。
悲しみの風 よ こんにちわ。
風は 冷たい でも 清々しい。
悲しみの風 よ ありがとう。
風は 掴めない でも いつも 共に居る。。。

書くことにより、自分自身と風と和解する、きっかけとなりました。
・・・・・

誰でも「人から 認められたい」から、スキやコメントにこだわるんです。でも、まるこちゃんは、気づいたんですね。認められることより、書くことの方が、自分は好きなんだって。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー24は、水野うたさん。

尻は重いが、腰は軽い。
 フットワークに至っては、もっとずっと軽い。
 自画自賛モードで言ってしまうと、これは、わたしの数少ない長所だと思う。 ・・・・
今回はnoteライフのターニングポイントについて。・・・・わたしね、noteで書き始めてしばらくは、自分の過去を掘っては書いて、書いては掘っていました。それは、明確な自覚があったからです。100%のフィクションは、書けない! 

それは、目の前に立ちはだかる大きな壁でした。・・・・言葉をかき集めて1から2や3にすることには慣れていましたし、ちっぽけな自信もありました。でも、0から1を創り出すこと、つまり人物・舞台・時代などの背景設定や、展開を0から産みだすことに対して、大きな苦手意識があったんです。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 昨秋、note仲間のしめじさんが新企画を立ち上げました。それは、しめじさん作の序章の続きを、参加者がリレー形式で創るというもの。
《序章のあらすじ》 
高校3年生のカップル、シュウとユキ。ふたりは進学で遠距離恋愛になることが決まっていた。卒業を目前に控えたデートで、シュウはユキから突然、別れを切り出されてしまう。ユキは7年後に同じ場所で会おうとシュウに告げて・・・。
 企画参加者募集記事には、参加ルール、全10章の章立て、各章のざっくりした設定が書いてありました。・・・・・コメント欄を見ると参加者ゼロ。・・・・面白そうなお誘いがあると「あ、やりますよー!」と即答してしまう。ですからね、さっそく手をあげてしまったんですよね。
記念すべき、エントリー№1番!・・・・

 何人かがエントリーし、誰がどの章を担当するか・・・となった頃、わたしには他にも参加を決めていた企画がありました。締切までのスケジュールの都合上、すぐにはリレーに着手できません。おまけに100%フィクションは産み出せない!と来たもんだ。 さぁ、困りましたよ。

物語は、男性パートと女性パートが交互に進みます。・・・・・
 第9章と第10章だけは「7年後の待ち合わせ」という同じひとことだけが書いてある!!! つまり、同じ場面をシュウ目線とユキ目線で描き分けることになるはずです。これなら、行けんじゃね?

・・・・このとき、第10章=最終章ということは頭にありませんでした。・・・わたしは「第10章書きます」と伝え、安心して締切の早い他の企画物に次々にチャレンジしました。・・・・・気付いたときには第9章が始まっていました。・・・・・企画の迫りくる恐怖にぞわぞわが止まりません。 それまでのみなさんの作品が、しっかり肉付けされた物語になっていて、自分に続きを書けるだなんて思えなかったからです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 頼みの綱の第9章の2話目は、待ち合わせの場所にシュウが到着した場面で終わっていました。つまり、7年後の再会の直前です。
すると、わたしのnote初投稿の記事に、第9章作者の拝啓 あんこぼーろさんからコメントが入ったのです。(気になるかたは、この記事のコメント欄へどうぞ。笑) それは彼いわく、最終章への「すごく乱暴なパス」。平たくいえば「第9章終わったから、楽しんで書いてね!」というパスでした。

受けたわたしは、あたま真っ白です。「ストーリー丸投げしたつもりだったのに、まるまる返ってきた」状態でした。 え、・・・・シュウとユキが再会してどうなるのか、決まってないの???・・・・

ここまで参加者が丁寧に描いてきた物語を、最初からくり返し読みました。・・・・ひたすら読んでは、アイデアをメモする毎日です。寝ても覚めてもユキとシュウのことばかり考えて、仕事が手につかないほどに。
苦しみ抜いて最終章を完成させた後、わたしはエンドロールをつけようと思い立ちます。

 YouTubeでふたりの物語に似合う曲を見つけた瞬間、実は、聴きながらぽろぽろ泣きました。いつの間にか、ユキが、シュウが、わたしのなかに息づいていたのです。・・・・苦手意識が、「苦手だし大変だけど、楽しかったかも?」に変わった、劇的な瞬間でした。・・・・わたしのnoteライフは、リレー小説企画への参加を経て、またひとつ楽しく大きく広がったのです。
さぁ、次は何を書こうかな。・・・・

小説を読んだ人が、「人物・舞台・時代などの背景設定や、展開を0から産みだすことに対して、大きな苦手意識が・・・」といううたさんの謙遜を信じるとは思えませんがね。

      ◇      ◇      ◇      ◇

25番目は、たけひろ・しんじさん。

26歳の時に転勤で福岡に。約3年暮らしました。
これがターニングポイント。
見ず知らずの土地で暮らす転勤を、最初は恨みました。
ところが3年後の福岡空港にて。私は羽田への片道チケットを手に涙することに。
今や「この地球には、ハワイと福岡の悪口をいう人はいない!」と持論を述べるほど、福岡への愛情を深く抱いております。
そんな福岡の思い出のひとつ。水炊き屋さんのお話です。
関東には「水炊き専門店」が、なかなかありません。だから「鶏の鍋をどうしてそんなに持ち上げる?」と、転勤当初は疑問を抱くほどでした。
しかし、博多で食す水炊きは実に美味い!・・・・・
福岡を離れ、東京で暮らすようになると、鍋のシーズンを迎えるたびに、博多で味わった「水炊き」を愛しく思いました。
仕事で福岡に行っても、いつも水炊きを食べられるわけではありません。
愛しの水炊きに会えるのは、それこそ年に1回あるか?という感じに…。まるで、水炊きと私は「織姫と彦星」w 
思いは募るばかり…。こうして幾年が過ぎた頃、ようやく救世主に出会います!・・・・・😅
note水炊き推進委員会 武広しんじ(笑)

たけひろ・しんじさん、また、福岡で水炊き行脚できたらいいですね。ちづちゃんたちの冷蔵庫の企画でも活躍していました。

      ◇      ◇      ◇      ◇

エントリーナンバー26は自然対数乃亭吟遊さん。

noteがターニングポイントである。・・・noteマジックだ。なんせ、ご褒美がある。自分にいちばん効いているご褒美は、「○日連続」という記録。これだ。これがごまかし用のない形で記録に残る。
一日でもやめてしまえばそれで記録は途絶えてしまう。
この、「記録が続いている」ということのために、私は書き続けているのだ。
他の原稿もあるから、毎日の余剰なノルマはときにきついこともある。
ただ、文章の練習として、さまざまな方向性から書くのには程よいと思っている。習作作りにはとてもいいのだ。
企画にも助けられる。本来の自分であれば書かないようなジャンルや文体にも挑戦する機会になるからだ。
池松潤さんの #リライト金曜トワイライト  は他人の文章に手を入れるということで、しっかりと作品を読み込み、違う文体と発想にとっぷりと浸かるよい機会になった。
しめじさんの 不確かな約束は、キャラクターとそれまでのストーリーを踏まえて作品を作る、という良い機会になった。後ろの人に物語を投げる、というのも楽しかった。
なにより、さや香姐さんの心灯杯(ついに第3回まで来た。絶賛開催中)、これが「最速で作品を作ってやろう!」という私の心に火をつけた。(いや、早く作ることを競う企画ではまったくないのだが、こちらは瞬発力も鍛えたいので、「いちはやく姐さんを悦ばせるんだ!」という思いを利用して、全集中したのである)
家のことをやりながら書く時間をどう時間を作るか、というのも大きな課題である。私は試されているのだ。挑戦をしていきたい

自然対数乃亭吟遊さんもちづちゃんたちの冷蔵庫企画で活躍。

      ◇      ◇      ◇      ◇

27番目は武炭宏(Hiro)さん。

・・・・僕にとってのターニングポイントは会社の先輩の死だった。あれは確か、2012年の冬 僕は大型設備の立ち上げのため出張で台湾に来ていた。
ちょうど正月前の駆け込みで台湾全体がバタバタしてた頃
携帯に、上司からの電話📞が‥・・・
「えっ?、ごめんなさい ちょっと電話が遠くて・・ ああ、はい!えっ先輩が?」・・・・

そんな、ウソだろ‥・・・いや、ぜったいウソだ、
先月、本社で会った時 いつも同じ、大きな声で「がっはっはー」て楽しそうに 冗談言って笑ってたのに・・・・べつに気分も、悪そうじゃなかったし‥ まだ若いし・・・・ 

図面が散乱する机で、ノートパソコンを開けてOutlookを開く
えっ・・なんだ、コレ、【訃報】って、おいおい、おい なんだよコレ!
・・・後ろから、後輩が声をかけてきた
「武さん、メール見ました? A先輩、亡くなったって・・」
・・・・その時は、お客様のところに、大型の設備を納品する日で、・・・・僕は班長的な役割だったので、現場に残ることに・・・・

先輩が亡くなってから、一ヵ月くらいたって、ようやく客先での作業をすべて終えて、日本に戻りました。すっかり、葬式にも、行きおくれて、もう、今更だなぁと思ったけど、A先輩のお墓参りに、一人で車で行くことに決めた」
A先輩のご実家は、長野県にあり、僕が住んでる場所から、車で5時間くらいの、山の中にある。・・・・なんでオレ、一人で、長野の山奥になんか・・ふと、涙が、ダラダラ、とめどなく流れた・・・・

降りたことのない、インターで降りて、ナビにしたがい、くねくねと、山道を登ると、小高い山に、お寺が見えた。・・・・コンビニで買った、ライターとろうそくと、線香もって、花屋で買った、白い菊をコンビニの安っぽい白い袋に入れて、歩いて、寺に入る・・・・・

A先輩の家のお墓があった。・・・・汲んできた水をぴしゃぴしゃと、黒い鏡面の墓石にかけて、きれいにホコリを洗い流した。・・・・ビニールから線香の束をだして、豪快に火で炙っていくと黒く焦げた後に、灰色にかわりオレンジ色に先端が輝いた。

・・・・先輩が亡くなった日付けが彫ってあった。あっ、そうか やっぱり、先輩は亡くなったんだ。・・・・亡くなって一カ月もたってようやく、本当なんだと、本当に先輩は亡くなったんだとあらためて、納得してぶわーと、涙が溢れでた。「早いよ‥、先輩、早すぎるよ・・」・・・・・どんどん涙が出るたびに、ホッとしている自分に気がつくなんで、涙が止まらないんだコレ‥・・・・悪いことしたみたいな気分になって、あわてて手を合わせる。

・・・・・僕にとって、あの日 あの瞬間、まったく、違う生き物になったような気がする。先輩の分も、ちゃんと生きなきゃ‥心の中で、そう誓った。今思えば、あの時が、僕のターニングポイントだった。

今、Hiroさんはかわいい赤ちゃんを授かり、幸せにくらしています。

      ◇      ◇      ◇      ◇

トリを務めてくれたのは、エントリーナンバー28のてっちゃん。

・・・・ターニングポイントってどこだった?
と今までを振り返ってまず浮かんだのは、中学校の時の担任、カイトー君から選択肢をもらった時だ。・・・・夏休み直前のある日、私は担任のカイトー君に、「ちょっとこい」と呼ばれ、「お前、B高校を受けてみないか?」と言われた。 「へっ???」 B高校は私立のカトリック系女子高で、・・・・同年代からは超ダサいと不評でも、その当時の親御さんからはすこぶる評判の良い、いわゆるお嬢さん学校だった。
・・・・・とりあえず説明だけ聞いて、「考えてみます」と言って帰ってきた。・・・・親に話しても大賛成だし、部活の友人も、「校則以外はノビノビやれそうだし、案外あんたには合ってるかもよ」、なんていうものだから、そうかもなぁー、と、夏休み前にはカイトー君の進めてくれた高校に行くことに決めた。・・・・

無事にB高校に通うことになり、1年生の時にバスケ部の顧問に出会い、猛烈に憧れ、バドミントン部からバスケ部へ移って、“私も先生のようになりたい!” と、高校時代は、ほぼ部活に明け暮れます。
高3で部活を引退し、部活漬けだった私は、・・・・ある日、ふと気づきます。”そっか! 先生と同じ大学に行けばいいんだ“ ”先生と同じ大学に行く!” ”先生になるっ”と、大好きだった先生と同じ大学を目指します。
・・・・・B高校は、・・・・卒業後は進学よりも、”素敵なお嫁さん目指しましょう”、みたいな空気で、卒業後は半分強が就職、残り半分弱が進学。進学組も、短大が人気で、四大はかなりの少数派でした。
・・・・・就職組は親や親戚の縁故もよくある話で、就職後は20代中頃には結婚、出産、退職・・・の時代、・・・・

先生と同じC女子大学に入学できた・・・・・・ものの、大学時代は私にとって超暗黒時代となった。シクシク。・・・・実はこの大学、・・・・中学1年生の時に友達と一緒に行きたい、と言っていたC女子大なのでした。・・・・C女子大には体育学部という1日中運動をしていられる学部(想像&妄想&憧れ)があり、「運動好きだし、私も一緒に行きたい。行く!」なんて、言っていたのでありました。

・・・・そんな事はすっかり忘れ、随分と大人になってから、そういえば、D子ちゃんとそんな事を言っていたな、と、知らない間に目標達成できてた事に気づいたのでした。・・・・「いつかこの大学時代があってよかった、ってそう言える日がきっと来るよ」と暗い部室で、コートの片隅で、合宿所で、励まし合った人生の友が出来き、親に喜んでもらえて数少ない親孝行が出来た。

・・・・この大学へ行った事は後悔していない。・・・・大好きな先生とも、色々あって疎遠となり、・・・・教育実習後に方向転換して一般企業へ就職し、・・・・今に至ります。・・・・今の私を成している大人へのスタート地点は、あの日カイトー君が、私の持っていない選択肢をくれた時だと思っている。
カイトー君には、感謝しかないです。有難うございます。・・・・・     

てっちゃんは、写真の達人。また、デイサービスを利用しながら、お母さんの介護に取り組んでいる頑張り屋さんでもあります。無理しすぎないようにね。オイラ、てっちゃんのおおらかな人柄に憧れてしまいます。

     ◇      ◇      ◇      ◇















      ◇      ◇      ◇      ◇

繰り返しになりますが、この企画のきっかけは、ながた師範のコメントでした。最初は右から左へ受け流していたのですが、どこかで、スイッチが入ったらしく、気が付いたら企画を立ち上げる宣言をしていました。改めて、ながた師範にお礼申し上げます。

参加者のみなさんには、迷惑をかけた上に、総括もせずに今日まで放置したこと重ねてお詫び申し上げます。

この企画の総括に至るまでの経緯を振り返ると、主体性を持って生きているようで、周囲の人びとの助けなしでは、生きられないんだなぁって痛感させられます。そして、総括を終えることで、胸のつかえというか、肩の荷が下りました。ただ、しばらくは、いつなんどき、ながた師範からのツッコミが入るか、と恐れおののく日が続くでしょうが(笑)。

改めて、参加してくださった26人の noter さん、お疲れさま、そして、ありがとうございました。オイラ、これからも、note続けますので、よろしくお願いします。

      ◇      ◇      ◇      ◇

番外編は、えんちゃんと猫ムスメさん。

最後に、えんちゃんには、前回の記事「年貢の納め時」を読んで、オイラがnote 界から消えるのではないかとご心配頂きましたこと、この場を借りてお詫びとお礼を申し上げます(使い方、間違ってない?)。 


ありがたいコメントをくださった猫ムスメさんも仲間に加えちゃいます(2012.06.08 13:54)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?