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GIGO

Garbage In, Garbage Out(GIGO): Garbage 「ガービッヂ」はゴミのこと。直訳すると、「ゴミを入力するとゴミが出力される」⇒「『無意味なデータ』をコンピュータに入力すると『無意味な結果』が返される」という意味。

帰納法の弱点が、まさにこの GIGO にあります。

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みこちゃんの記事。

みこちゃんは書いています。

・・・・その本質は責任逃れなのです。・・・・担任は知らなかった(知ろうとしなかっただけ)、校長は報告を受けていなかった(めんどうな話持ち込むなオーラで教員がしないだけ)で、責任のたらい回し。
つまり当事者がいない!・・・・
社会的病理には一定の法則性がある。
責任を持って、信念を持って何かをするなら、相手も責任と信念を明らかにできる。それを闇の中にうやむやにする風潮はよくない。・・・・逃げる人間ばかりだ。
それも、責任の欠如。そしてけつまくった安全地帯からなんかエラソーにことを終わった後に言う

責任回避のために自分に都合のいい前提、つまりガービッジを入力するから、出力される結果もガービッジでしかない。

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「小論文を学ぶ」の134ページ~

高みの見物はゆるされないー普遍主義と相対主義のはざまさまざま:
差異あるものどうしがどうやって理解しあうか、どうやって共存共栄をはかるかという問題においては、普遍主義的な “高み” をもってこたえることはできない、というところまでは分かってもらえたのではないかと思う。
「互いに理解しあおう」「お互い仲良くしよう」という言葉に接ぎ木するように「そもそも人間は普遍的に・・・・」と、講壇からお説教を垂れるように普遍主義を唱えることは現代では通用しないということである。
そうしたお説教は、アナクロな印象を与えるだけでなく、そもそも摩擦や紛争の解決の効力をもたないからである。差異にもとづく対立や紛争が傷口を広げているときに普遍主義を高唱することは、いわば傷口を前に薬効を説明しているに等しく、端的に無意味なのである。


ここでちょっと息抜きを。傷口を前に薬効を説明しているに等し=端的に無意味な繰り返しの例をえんちゃんが教えてくれています。

クライアント:すいません、トイレに行きたいんですが。
カウンセラー:あなたは、トイレに行きたいんですね。
クライアント:あの、トイレはどこにありますか。
カウンセラー:あなたは、トイレがどこにあるかを知りたいんですね。

その復唱、まさにガービッジですよね(笑)。

続きといきましょう。

・・・・・ときにリベラルと称する人々が、相対主義や多元主義を標榜し、「一人ひとりを大切にしよう」「それぞれの民族を大切にしよう」と声高に叫ぶが、自らの立場は高みの見物よろしく価値中立を決め込んでいる場合が見受けられる。どの立場にも属さない立場ほど無責任な立場はない。
公正正義という概念がときにどちらの立場にも属さない抽象的な論理語として響くならば、それにはさしたる意味はないと言わざるを得ないのである。・・・・・
つまり、内から一歩も外に出ないままに問題を「解決済み」とするのである。普遍の “高み” に立って無色透明な抽象語を語ることーつまりどこの内にも属することなく外だけから語ることーも無意味だが、このように内に閉じこもったまま「みんな勝手にしろ」と開き直るのも、また無意味であるといわざるを得ない。・・・・

167ページ~

 ボランティア型社会の到来ーー自己回復する共同体
・・・・価値中立性がある意味で怖ろしい原理であるのはその点である。いわばそれは社会原理としては徹底して “傍観者的” なのである。価値中立を決め込めば、たとえ社会がどうなろうと、「ああ、そうなったんですね」と評論家的=学者的に高みの見物よろしく結果を報告することぐらいしかなす術はないことになる。・・・・
傍観者的な “高み” から「個人の自由を尊重しよう」と叫ぶだけの価値中立路線を卒業し、平地に戻って人々の連帯や協調を信じて共通善を共に実現してゆこうとしはじめているといっていいだろう。・・・
かつての近代原理(モダニズム)では、・・・・

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「ヨハネによる福音書」から

姦通罪で捕らえられた女性をめぐって、イエスと律法学者たちが対決する場面。
旧約聖書の律法では、姦通罪は石打ちの死刑です。
判断を求められたイエスは言います。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言いました。
すると年長者から始まって一人また一人と立ち去り、誰も女に石を投げることができませんでした。

立ち去った人たちは、傍観者的な “高み” から叫ぶだけの価値中立路線ではなく、当事者意識があったからこそ、ガービッジを入力(GI)せずに、立ち去る(GO)選択をしたんですね。




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