"つらい時代はもうたくさん" (2009.6.30の日記)

最近また大滝秀治の姿をテレビで見かけるようになった。
知っている人は知っているのだが、大滝秀治は元々悪役を演じることが多かった。
必殺仕置人の第一話にも闇の御前として出ていたり、現代劇でも眉毛を剃りかなり脂ぎった顔立ちの悪役で出演したり全然今とはイメージが違う役者さんだ。時々悪役を演じるが完全にいい人の役柄のイメージがついた石橋蓮司もその類いだろう。

大滝秀治は1925年生まれ、大正14年生まれだ。84歳ぐらいか。
僕の亡くなった父は1926年生まれ、大正15年生まれだ(ちなみに昭和元年は6日間しかなかった)。
ずいぶん前は同じ年に生まれたマイルスディヴィスを見て自分の親父が今生きていたらどんな感じなんだろうかと思っていたが、今は大滝秀治を見てそんな風に考えたりもする。

よくも悪くも僕は父が46歳の時に生まれた子供なのでやはり僕と同年代に生まれた人とはまったく価値感が違うことが多い。父は戦争の最前線までは行かなかったもの、やはり昭和20年4月に招集されて九州の久留米のある部隊に所属された。その時の軍隊手帳を見たのだが階級は上等兵だった。つまり終戦を九州で迎えたことになる。
だけど日本が8月以降も降伏せずに本土決戦となれば必ず父も死んでいたし僕も生まれなかっただろう。

僕の親の世代は1940年代、ウッドストック世代にあたる人が多い。それより古くても子供時代に疎開先で終戦を迎えたとかその程度だ。だから小学校の時ある先生が戦争中の疎開先での話を聞かせたりしていた時には説教じみた感じにもなっていたけど僕にとっては自分の父より下の人がいくら戦争うんぬんいってもまったくリアリティを感じなかった。

今でも例えば何年か前にイラク戦争が始まった時に僕の回りの人々が声を揃えて時には熱くブッシュを批判したり平和が大切だと語り始めると僕は苦笑いするしかなかった。そういった人々からFromフランスの戦争反対のチェーンメールが届いたりした。それはまるで不幸の手紙のようにも似た文面だった。もちろんすぐに削除した。
そういった人はブッシュの前大統領であったクリントンがスーダンの医薬品工場を爆撃したり(当時アルカイダの化学兵器工場ではないかといわれた。多数の女子工員が死亡した)ソマリア内戦に介入したことを知らないのだろうか。同じ民主党である現大統領のオバマだって何かがあれば行動を起こすだろう。
誰かを欺いたり、タバコの吸い殻をそのまま川に投げ捨てたり、殴ったり、クスリをやったり、誰かを排除したりしてそれでも平和が大事と言われてもああ、そうなんですかと言うしか僕には出来ない。

平和な時代だからといって個人にとってはそれが平和だとは限らない。
大滝秀治を見て思うことは、もし父が生きていたらこうはいかないだろうなって。
親戚に金をだまし取られ、荒れてヤクザ者になった父、彫り物を体全体に、ドスを常に携帯していて弟分を連れて鼻つまみ者になっていた父、それでも立ち直って鉄工所に働き始めしかし倒産し、再就職も年齢のためままならなかった父、蒸発し酒に溺れていつも僕が学校から帰ると電気を消して酔っぱらっていて時には姉に暴力をふるっていた父、僕は平和とは何なのかわからなかったし、どういうものなのか逆説的にわかっていたという矛盾を抱えていた。
父のそういう姿を見て恐怖を感じながら心の中で僕は"こんなやつ早く死んだらいいのに"と思っていた。と同時にこんなに酒飲んでいたら長生き出来ないやろうなとも思っていた。

そして父が死んだ時、最初は悲しかったというよりほっとした。
もう貯金通帳に貯めていたお年玉をパチンコやギャンブル、酒に使われることもないだろうし、家に友だちを呼べる。暴力を見ることもないしやっと解放される。それが正直な気持ちだった。だけどもっと早く死んでいたら姉が創価学会に走ることもなかったし母も再婚することもあっただろう。

いろんなブログを見る、もちろんその中には知人のも。
その中には父の日が近かったせいもあり、父と一緒に飲んだとか食事したとか、そういうのを見ると自分がそれを書いた人になったような気持ちになって疑似体験をしてしまう。しかしすぐに現実に戻されもう自分にはそういうことが永遠に来ないのだと痛感させられる。

それでも今でもあのまんま生きていたとしたらと考える。
やっぱり父は死んでくれてよかったと思う。
僕は本当に平和になりたかったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?