"怪物ども 集まれ" (2010.5.11の日記)

毎週は見れてないが、ドラマ「怪物くん」を楽しみにしています。
しかし漫画と違って怪物くんが青年の設定でヒロシは小学生のままなのだが、これはこれで正解でより見やすくなったと思える。

ただヒロシの姉、歌子は原作ではOLだが(おそらく20歳前後)ドラマでは高校生の設定なので違和感があるといえばあるかな。というのもヒロシと歌子には両親がおらず歌子が母親代わりになってヒロシを育てているからだ。
もちろんドラマでも高校に通いながらバイトをして苦労しているという設定なのだが、原作では歌子は最初から立派な姉で働き者でかなり大人の雰囲気を醸し出している。そう考えるとおそらく歌子は中学卒業時から高校へは進学せず、働きに出ているものだと考えられる。怪物くんが描かれた時代背景(60年代後半頃)はまだまだ高校に行かずに中卒で社会に出ていた人々も多かったはずだ。もちろん大学なんて夢のまた夢。

ヒロシの両親は何で亡くなったのか僕の知る限りその描写はない。ただあるモンスター、名前は忘れたが相手の願望や心に描いていることを幻だが見せてくれる能力がそのモンスターにあって怪物くんがヒロシのために呼び寄せる。そして亡くなったヒロシの母とヒロシを対面させるのだ。会いたかったと泣きじゃくり抱きつくヒロシ、ヒロシを優しく抱きしめる着物姿の母、その場面で漫画は終わる。

これが今でも印象に残っている。
もちろんそれはヒロシの願望が投影化されたものなのだが自分を一生懸命育ててくれる歌子に思い切り甘えられない気持ちの裏返しなのかもしれない。

怪物くんは他にも警官が孤児のスリを捕まえて自分の養子として育てる話もあり(警官が途中で事故に逢いドクターノオが助け手術する)それも忘れられない。

しかし藤子不二雄のキャラクター漫画の準主人公の少年の家族は両親が揃っていて兄弟も多い設定が占めているのに怪物くんのヒロシだけが姉と二人暮しというのはなぜだろう。

漫画における読者が感情移入するのはドラえもんにおけるのび太のポジションに他ならない(映画ドラえもんのサブタイトルが全てのび太の~になっていることからもわかるように)。
ヒロシのような境遇の子供がもしいたとするのならそういったものに感情移入出来るのだろうか。いや、感情移入出来るだろうがほんの少しの寂しさも感じるかもしれない。
もちろん作者がそこまで考えているかどうかわからないが、ある種のパターンに拡がりや膨らみをもたらそうとしたことは間違いないだろう。

姉と弟がアパートで二人暮し。
これで思い出すのが石森章太郎だ。
トキワ荘時代、石森章太郎の部屋にその姉が上京してしばらく彼の世話をしていたという。
すごく綺麗な女性だったらしく、確かまんが道とかトキワ荘関連の書籍や漫画にも登場する。トキワ荘の住人の憧れだったそうだ(石森作品に出てくる女性は石森の姉の面影が投影されているという)。
しかし心臓が悪かったらしく数年後に亡くなっている。
つながりの深かった石森、藤子だからこそそれもなんとなく連想してしまう。ちなみにヒロシが住むアラマ荘とトキワ荘はどことなく似ている。

とにかくヒロシのちょっと寂しい日常にそれを紛らわす怪物くんが現れたのだ。
すごく短気で怒りっぽく、乱暴者だがすごく優しくヒロシのために何かしようとする、
そんな怪物くんが30年ぶりに帰ってきたのだ。

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