"永遠"(2008.12.12の日記)

最近、というか今年になってから母の体調が悪くなった。
今年のはじめは軽い胃潰瘍だったもの、なんとか持ち直したが、今度は肩と腰が悪くなった。
診断の結果、骨粗鬆症だった。
一応リハビリに通って良くはなってきているもの、状態が悪化している時はさすがに気落ちしているせいで気弱な発言が多くなっていた。ここにその発言の詳しい内容を書くとかなり重くなるので差し控える。今は若干以前のように元に戻ってきているが。体が悪いと気持ちまで暗くなるのを改めて実感した。

我が一族は取り仕切っていた親戚家族が商売上の失敗で夜逃げして、ほぼ離散状態になっている。まだ祖母が生きていた時、墓参り、墓は地元にあるのだが母が一人で一族代表で行っていた。母は親戚からの頼みも厭がらずそれを年に何度かこなしていた。僕も子供の頃一緒に連れられて行ったものだ。ただ僕はすごく嫌だった。どうして僕らにだけしわよせが来るのかと。

母は今与党とつながりのある宗教団体に入信しているが、元々はキリスト教の信者だったようだ。滋賀県に生まれ、これも複雑なので書くことは出来ないが施設に一時期入っていた。その時に洗礼を受けたのだ。
そのことを急に思い出した。
僕が子供の頃はまだ野良犬が何匹かいて町内黙認でうろついていた。それでも犬は人になついていて我が家によくエサをもらいにきていた。名前はジローといった。僕は怖かったが母は平気だった。
野良猫にも優しく、時には怪我した雀を介抱したり、毎朝金魚の水換え、ジュウシマツの鳥かごを洗ったり、そのおかげで僕も動物好きになったのだがそれらは全て母のキリスト教時代から来ているのだと最近思うようになった。そういうのを慈愛というのだろうか。猫エイズにかかった飼い猫チャーが動物病院の診察室で母に抱かれたまま逝ってしまったことを覚えている。

みんな誰もが迎えることなんだと誰かが言った。しかし我が家族はそれらの準備が遂に出来なかったのだ。日々の生活に追われてしまい何も出来なかった。
そして母はとうとう自転車に乗ることが出来なくなった。

道行く人々に混じる手押し車の女性、杖をついた人、電動車いす、全てが僕の眼の中に入るようになってしまった。

永遠があるのならっていつも思う。永遠があるのならまだやり直しもあるのでは、って。永遠があるのならまだ間に合うのかもしれないって思う。

永遠があるのなら、弱さを武器にすることなんてなかった、永遠があるのなら。

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