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アタタカイことばとツメタイことば

最近、
言葉を発するときや
メールを打っているときに
「この言葉で大丈夫だろうか。」と、
立ち止まり、
焦ってどもってしまったり、
数行のメールがいつまでも送れなかったりする。 

最近の私は、
「言葉のチカラ」に敏感になり過ぎてるのかもしれない。

コロナウイルスという脅威に
怯えながら生活している現在、
みんな少しずつピリピリとイライラとしている。(気がする。)

ちょっとしたことで怒りを顕にしたり、
やりたいことができない不満を
どうにかして発散しようとみんな躍起になっている。

こんなことがあった。

いつも真面目に真摯に働いている先輩が
お客様を怒らせてしまった。
説明した内容が分かりにくく誤解を与えてしまったからだ。

たしかに間違った案内をしてしまったようだから
これは二度とないように気をつけないといけない。

ただ、私が今でも引きずっているのは
そのお客様が
怒りに任せて発した言葉だ。

そのお客様は間違ったことは言ってなかった。

でも、どうしてそんな飄々とした態度で
そんなにおぞましい言葉を吐くんだろうと思った。

「私はここに存在していてはいけないのかな、」

そんな風に感じてしまう言葉たちが
その場に悲しく粗雑に散らばっていた。

言葉はなんて
素直で
温かくて
むごたらしくて
冷たいんだろうと思った。

怒る理由があれば
何を言ってもいいのだろうか。
言葉で刺し殺してもいいのだろうか。

「気にしなくていいんですよ。」
「大丈夫ですよ。」

こんな言葉じゃ助けられないんだって知った。
全然届かなかった。
虚しいくらいに、

あんな汚い言葉に耳を傾けないでほしいって
そう思うのに。

人の心ってこうやって壊されていくんだって
初めて知った。

大切に言葉を選んでも
心無い言葉には勝てない。

一度壊れてしまえば、優しい言葉で癒やすには時間がかかるらしい。

今放った言葉で
誰かを傷つけたんじゃないかと思うと
言葉を選ぶのに時間がかかるようになった。

言われた言葉の意味を深読みし、
勝手に傷つき、凹むようになった。

大切なことを学んだけど、
生きづらくなったなとも思う。

でもいい。
それでもいい。

誰かを言葉で殴りつけてしまうより。