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Return to innocence〜しあわせの牛乳〜

『やっぱり、美味しいモノには理由がある!』

時々、生産者さんに会いに行くと実感する。

私の実家は農家で、米と野菜を作り、牛を飼っている家だったから、農作業の手伝いをしながら、わらの山でゴロゴロしたり、野山を駆け回ったり、心が疲れたら、こっそり牛小屋に行って、牛に聞いてもらったりして育った。

牛小屋には鶏がいて、卵を産んだのをみつけたらいただいたり。

春の息吹と雪解け水、朝靄の中で湯気をあげる畑、

田植え後の青々とした田んぼとカエルの合唱、

通学路のリンゴ畑の白い花、シロツメクサ、クローバー、

夏の畑の野菜の青さ、

実りの秋の稲穂の輝く黄金色の海、戯れるバッタやトンボ、

凍てつく冬の霜柱を踏みしめながら歩く音、どこまでもスキーで歩いていける真っ白でシーンとした寒いけど温かい静寂の世界。

とても豊かで美しい風景を魅せてくれる岩手の四季。


岩手はそんな素晴らしい土地。料理人になって初めてわかった食財王国。

山を越えたら、三陸の豊穣の海が広がる。


そんな岩手の北のほう、岩泉の山奥でのびのびと育った牛から絞った牛乳は、ちょっと黄味がかっていて、コクがあるのにさっぱりしていて、芳しい香りがして後味にふんわりした甘みが残る、じんわり沁みる味だった。

この牛を飼っているのが

『なかほら牧場』

の中洞さん。

山地酪農

という、牛にストレスをかけず、山で自然のままに飼う手法で牛を飼い、育てている。

牛は山に生えた草を食べ、のびのび山を歩いたり走ったり寝転んだりしている。

お乳が張ってきたら、朝と夜と搾乳小屋に自分からやってきて、搾乳の後はさっぱりと身体も軽くなって、また自然へと戻っていくという。

しあわせの牛乳

と呼ばれる、このなかほら牛乳。


幸せに育った牛から絞られた人にも優しい、変なものの一切入らない牛乳を飲むと、ほのかに山の香りがする。

一般的な牛乳は、狭い牛舎の中で輸入穀物から作られた配合飼料を食べた乳牛から絞られる。

あまり運動も出来ず、繋がれたままの牛たちは、空を見上げることも、雨に打たれることも、走り回ることも知らずに、食べて、太って、牛乳を絞られ、短い生涯を終え、後は食用肉としてひき肉などで売られるそうだ。

牛乳のパッケージにあるようなのびのび暮らしているような環境は、子牛のうちで、乳牛として働くようになると牛舎につながれてしまうそうだ。

乳脂肪分が多いけど、雑菌なども多く、高温で殺菌され、成分調整されてやっと飲めるようになる。でも、酪農家だって、商売として食べて行かなきゃいけないから、仕方がないだろう。農協や乳業メーカーだって、安く安定供給という社会のニーズに応えなきゃならないから、少々強引なやり方でもしょうがないのだろう。

でも、近年、イギリスから始まった、【アニマルウェルフェア】(動物福祉)という飼い方が注目されているらしい。牛たちが本来の暮らしをしながら健やかに成長出来る環境を目指す、というものだそう。

なかほら牧場の牛たちは、この認証第一号で、

野シバを始めとする山の草を食べ、適温適切な飼育環境で育ち、病気にはすぐ対応される体制で、広い山や野原を駆け巡り、ツノを折られたり、縄で繋がれたままという恐怖やストレスを感じずに、ありのままの生き方で、牛の寿命いっぱいまで、のんびり過ごしているそうだ。


健康的に育った牛から絞った牛乳やそのお肉は人間にも良いはず。だから、余計な臭みがなく、すっと身体にしみこむのだろう。


生産現場を知って使うこと、

わかって食べること、

人も動物も自然も共生出来る未来を目指すこと、

改めて、料理人として大切なことを学んだ。

作る、食べる、生きる

根本的で大事なこと。人と自然に優しく。

よく働き、よく食べ、よく眠る。

最低にして最高な道をいこう。

しあわせって、こんなシンプルなことを安定して、守り、続けていくことで感じられることじゃないかな。

飛鳥鍋(牛乳なべ)

鰹出汁と醤油、みりんを9:1:1くらいで合わせてスープを作り、鶏肉や白菜、きのこ、人参などの具材を煮込む。鶏肉に火が通ったあたりで牛乳を入れて(だしの3割くらい)、さっと煮込み、青菜を入れ、白味噌で調味する。だしごと小鉢にとり、小ねぎ、胡椒などの薬味を入れていただく。

※煮込み過ぎると牛乳が分離するので、風味を大事にするために後から入れている。和風だしベースに鶏ガラスープをブレンドしたり、鶏肉ではなく、豚しゃぶとして食べても美味。





おいでくださりありがとうございます。 不器用な料理人、たぬき女将が季節の食材、料理、方言にまつわるよもやま話を綴っています。おまけレシピもありますよ。