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エンドロールのその先を -『夜明けのすべて』-

ちょうど、『きみの鳥はうたえる』のリバイバル上映と、『ケイコ 目を澄ませて』をDVDで観たタイミングだった。

僕は観る映画を監督では選ばない。
1番目がタイトル、2番目がストーリー、3番目が役者。
上映が始まってから、三宅唱監督作品だと知った。

僕が観た映画だけの特徴かもしれないが、やや粗い画面で撮っていて、その解像度が心地よく思う。
子どもの時に使っていたざら紙の手触りが懐かしい感じ?に近い。



『夜明けのすべて』の原作は未読。
原作に沿っているからかもしれないが、主人公の2人が安易に恋愛関係にならないのが良い。それっぽくなるシーンもなく、あくまで職場の同僚のまま話が進んで終わる。

互いを分かり合っていく理由が恋愛に収斂されてしまうのは、ある種の絶望を感じる。
恋愛をしない/出来ない人もいるし、恋人でなければ分かり合えないわけはないのだから。

分かりやすく、感動させにも、哀しませにも、盛り上げにも行かない描き方が僕は好きだった。



生きていく中で、スイッチが入ったように何かが変わる瞬間は少ない。
そしてそんな瞬間は、喜びよりも哀しみの方が圧倒的に多数だと思う。突然の哀しみはあっても、突然の喜びはない。

日々は穏やかに、変わっていないように変わっていくことがほとんどで、振り返った時にあの時辺りから変わっていったのかもしれないと思うものだ。



説明するようなカットや音楽はない。時々、メロディもないような音をバックに話が進む。

ただ心地よく、だから世界に入っていけた。
じわっと世界観がだんだん自分に染み込んでくるような、そんな体感。

上記2作品同様に明確な結がある映画ではないが、映画の体験そのものと呼べる映画だった。

エンドロールもいいんだよな。



映画を見終わって、映画館を出てからも、僕らの生は続いていき、結はまだつけられそうもない。

映画が2時間余りのその時間や空間だけのものでなく、僕の実世界とシームレスに繋がっていくような感覚。
エンドロールのその先を、自分に受け渡されたような。

映画を観る希望とはそういうものかもしれない。


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