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【手放す+信じる経営】“信じる”ってなんだろう?|GCストーリー代表が語る幸福経営哲学

2018年2月にヒエラルキー型からフラット型に組織改革をした際、経営陣が「手放したこと」が改革の大きな一歩になりました。
参考:【ティール組織検証】「経営層の我慢とメンバーの内発的動機」組織改革リアルストーリー #2
GCストーリー代表取締役社長の西坂が当時のことを振り返り、「経営者として一番できることは『信じること』だと思いました。『信じること』は不安を伴うけれど、そんなのは自分の小さな独善的なエゴだなと感じました」とコメントしていたことをきっかけに、「“信じる”ってなんだろう?」を西坂にインタビューしてみました。

1.「信じる=見立て」心から信じることが現実を作り出す

ー最近、『ティール組織』などの書籍がマネジメントの世界でヒットしたり、働き方改革で組織のあり方に注目が集まる中で、「手放す経営」というスタイルにも関心が集まっているように思います。社長が「手放すこと」と同時に「信じること」をとても大切にされてきたと伺い、改めて「“信じる”とは?」についてお考えを伺いたいです。

「信じる=見立て」だと思っています。「見立て」とは、「洋服を見立てる」というように使われますが、「あなたはこういうものが似合いますよ」と言って服を選ぶ人が「その人はどういう人かと見立てて似合う服を選んであげること」ですね。

僕の人間観として、「人間の中にはいろいろなものが『混在』している」というものがあります。100%悪人もいなければ、100%善人もいない。一人の人間の中には、いろいろな要素が多層構造で混在している。

人に対する見立てって、「お前は犯罪者で絶対裏切るよね」って見るとか、「あなたは純粋で仲間と繋がって喜んで生きていきたい人だよね」と見るとか、ちょっと広がると「この世界は幸せで溢れている」というのも見立てだし、「この世界は苦渋で溢れている」というのも見立て。要は、どんなフィルターで目の前の人や世界全体を観ているか、だと思っています。

完璧なものはこの世の中に存在しなくて、全ての事象に全てが混在していて、「どの部分が表出するか」ただそれだけのことで、それは周りの見立てが引き出すものだと思ってます。例えば、両親が「あなたは本当に優しい子ね」と声をかけ続ければ、その子は「優しい子」という部分がより多く表出しやすくなる。一方で、「あなたは本当にダメな子ね」と言い続ければ、その部分が表出しやすくなる。だから、周りがどう見立てるか、がすごく大事で、心から信じることが現実を作っているのだと思っています。

ーなるほど。。そういえばどこかで、「信じた方向に物事は動き出すのよ」って聞いたことがあります。

でも、これってすごく難しいことでもある。親が子供に対して「あなたって本当にいい子ね」と言いつつも、テストの点数を見て「もっと頑張りなさいよ」と言いたくなる(笑)これは自分自身に対してもそうで、「本当に幸せだなぁ」と思ってても、いつの間にか「もっと頑張らなきゃ」と思っている自分がいる。ダメなところを指摘した方が楽なんですよね、結局。

かけっこで一番を取ったら「すごいね!」って言って、ビリだったら「もっと頑張ろうね」と言う方が、言う側はシンプルで楽なんです。でもビリだろうと「あなたにはもっとすごい才能があるから大丈夫よ」と言う、とにかく信じ続ける。

無条件に愛を贈り続けるということは思っている以上に大変なことで、それは子供ではなく親側が求められることなんです。でもそれを続けることで、子供の育ち方は全然違う。だから、経営をする上で「信じる」ということは経営者である自分の努力の問題だと思ってます。

2.「信じる=傷つく」諦めて信じることをやめるより、傷つく方を選んだ

ー信じることで、裏切られたら恐いと思う人も多いですよね。

人は最初は信じるんだけど、裏切られるという体験から傷つき、信じることを辞めちゃうんですよね。その次からは「どうせ裏切られるのだろう」とマインドシフトすることで自分を守り、傷つかないように予防線を張るようになるのだと思います。

ー信じる心って傷つきやすさと表裏一体で、強さが求められる気がします。

そう。タフネス(強さ)が必要。経営者って、実はみんな傷ついているんですよ。恋愛で「振られる」ってすごいきついでしょ?社員が辞めていくのはそれと同じくらいきついんです。それが連日起きる感じ。特に経営者になりたての時は、失恋と同じパワー負荷がかかって、それはもう辛い。

「EO」っていう経営者向けの世界的コミュニティがあって、それに2010年頃から所属しているんだけど、そのプログラムの中で「誰にも言えない心に秘めた悩みを打ち明ける」というフォーラムがあって、それに参加したんです。話を聞いていると、どの経営者も「社員が辞めていく」ということに深く傷ついているわけです。そして、みんな「社員は辞めるものなんだ」とマインドシフトして諦めている。自分の心を守るために。それって悲しいことだなぁって思いました。

「社員はそんなものだ」と諦めて、社員に対しての扱いもどんどんそうなっていって。信じない、信じられないって、すごい悲しいことだと思った。でも、信じたって社員は辞めるじゃないですか。じゃあどうするか?それは、「傷つくことを受け入れることだ」と思いました。傷ついてもいいから信じる、毎回ちゃんと悲しむ。そうすれば、諦めることなく信じ続けられるなぁと。

ーその悲しみを受け入れられなくて、悲しみを拒否するから相手を信じられなくなるんですね?

そうです。「信じない」と割り切ってしまえば傷つかない。でもそれは悲しいこと。「信じる=傷つく」ということなんだよね。「たくさん傷つくことを覚悟する」ということが傷つくことを受け入れるということなんだなと思います。信頼を築くため、幸せになるために必要なことだと結論づけて、「諦めて信じることをやめるより、そっちの方がいいよな」と思って、傷つくことを受け入れることにしました。

3.社員が大量に辞めた「2012年問題」で、試された覚悟

ーすごい覚悟ですね。

大変なんだよね、会社やるのって。僕の特徴として「愛が強くて人を惹きつけるところがある」というのがあるんだけど、創業当時は一人ひとりと時間をかけてじっくり向き合っていたところがあって。社員が2〜3人くらいだった時はよかったけど、社員が5〜6人になってくると物理的に一人あたりにかけられる時間とエネルギーが減ってくる。そうすると、「俺(私)との時間を減らされた」って言って、ジェラシーを感じて文句言って辞めていく...みたいなことが繰り返されてたこともあった。すごい量のメールを一人ひとりとやり取りしたりして、「なんか大変だなー」って(笑)

ーそれは大変そう...。

僕自身が、そもそも金儲けが一番の目的じゃなくて、仲間を大切にしながらとことん向き合って、ウェットな感じで一緒に喜びを分かち合うスタイルが好きだったので、そんな感じになったのかもしれないね。「お客さんに貢献して喜んでもらうことと、仲間が楽しんでいること」。その2つが無くなったら、僕は何のために経営しているのか分からなくなるんですよ。「金儲け」が目的にあれば「社員を切って割り切る」みたいになったかもしれないけれど、組織やチームがお互いに大切にし合っていてお客さんも喜んでいないと意味がない、腹落ちしないので、EOとかに入っていろいろな経営者を見て、試行錯誤しました。

ー「仲間を大切にしたい」という経営目的が、「諦めずに信じ続ける」という方向に向かわせたのですね。

そうですね。社員から長いメールをたくさんもらって「どうしようかな」ってなった時、盛和塾やEO、メキキの会に行って、人間としての成長機会を作ったり、心を探求したりしました。「人間ってなんだろう?」という問いを探求し続けましたね。

今でも明確に覚えているけれど、EOの経営者がたくさん集まっていた会で「ほとんどの経営者は表では言わないけれど信じることを諦めている。どうやったらうまくできるか?ということを考えているんだ」と気付いた。それって恋愛に例えると、「彼氏のことは信じてないけど、どうやったら彼氏の役割をうまく果たさせるか?」って考えているのと同じ発想だなって。それってなんか微妙じゃん。本質的じゃないっていうか、「どうコントロールするか」って話になってるじゃん。僕はそれを選択することはできない。だから、信じるしかない。見立てるしかない、傷つくことを受け入れよう、と決めました。そう整理がついたのが、2010~11年くらいかな。

ーその覚悟が試されたのが、社員が大量に辞めた「2012年問題」の時だったのですね?

あれはすごい強烈だった。。傷つきすぎて、完全復活するまでに1年くらいかかっちゃった。なんかさ、とりあえず元気が出ないよね(笑)こういうのって理屈じゃなくて感情じゃん。恋愛でいうと、ひどい言葉を投げかけられて振られた感じ。すごくしんどかったです。

4.僕のエゴが、僕自身を傷つけている。ただそれだけ

ータフネスはそこで身につけられたんですか?

そうだろうね。傷つくことを覚悟したけれど、「こんなに傷つくんだな」って思って。それで、「どうしてこんなに傷つくんだろう?」って内省したんですよ。すると、この心の動きは「自分が愛されたい」と思っていたからだ、と思った。「愛する」って本当は一方的な行為で、対子供だったら裏切られても愛し続けられる。それが対社員になると傷つくということは、僕は社員に対して見返りを期待していたんだ、それは僕のエゴだ、エゴがあるから傷つくんだ、エゴが僕を傷つけているんだ、と気付いた。

本来の無償の愛と信頼を実践できれば傷つかない。こんなに傷つくということは、僕のエゴがそれだけ強いことなんだと思いました。辞めた社員が入社時に「一生ついていきます」と言ってくれたことが嬉しかったんだなとか、大切にされたいと思っていたんだなとか、自分を特別な人間だと思っていたんだなとか。そういうたくさんのエゴを捨てられるかどうか、それを試されているんだなと思ったんです。エゴが弱くなって、もっと無償の愛とか信頼を実践できるようになれば、傷つくことはないしもっと自由になれるかもしれない、と。

そうやって気づいてからは、傷つく機会はだいぶ減りしました。ゼロにはならないけれど、理屈としては腹落ちしています。今でも社員が辞めてしまうときは心が動くけれど、何か思ってしまってもそれは辞める社員のせいでは全然なくて、「僕の器がまだまだ小さいな」と思う。ただそれだけ。傷つくというよりは、「今ショックを受けているな」と自分の感情を俯瞰している感じですね。

ーネガティブな感情って、時には大きなループになってそこから抜け出せない、ということもあると思うのですが、そのあたりはどうですか?

感情に呑まれる、ということはもうここ数年ないですね。人って信じられなくて疑う方が、実は自分が一番辛くてすごいエネルギーを使うと思うんですよ。疑って、「あいつは本当はこう思ってるんじゃないか」とかいろいろ考えて、それが妄想でどんどん広がっていってしまったりするでしょ?人間ってそうなんだと思うんです。それをちゃんと「人間ってそうなんだ」と理解しているので、そこに時間とエネルギーを割くのって、意味がないなと思ってしまう。

僕は後から「なんであんなこと言ってしまったんだろう?」とか「自分の中の何がそうさせたのだろう?」などのように振り返って内省をするのですが、それが初めは出来事から数日後、それがその日の夜になって、今度は出来事から数時間後に振り返られるようになっていく。そして、「今度はもっとこうしよう」みたいに少しずつ自分を律していく。その振り返りまでのスパンがどんどん短くなっていって、今では感情が湧き上がってきた瞬間に「お、出てきた」と思って律するようにしているので、「感情に呑み込まれる」という時間は今はほとんど無いですね。とは言っても、普通に悪態ついちゃう時とか「ムカつくなぁ」って呟いちゃうこととかもあるんだけど、「そういう自分がいるなぁ」とただ俯瞰して見ています(笑)

5.器が大きくなれば、傷つくことから解放されて愛に溢れてくる

ー俯瞰したり、自分で気付いたりといった心の処し方を磨くため、器を大きくするために社長がやったことってどんなことですか?

盛和塾で3年、メキキの会で3年の計6年で学んだことが大きいですね。「エゴから離れる」とか「器を大きくする」ことを学ぶプロセスって、どこでもだいたい同じようなことが違う言葉で話されていたりするんです。ここまで来るとタフネスはもう必要なくて、ただただ愛に溢れてくる。ただ愛するだけで、良いも悪いも無い感じ。根っから悪い人なんていないんですよね。みんなそれぞれの未熟さの中でいろいろな問題が発生していて、でもそれぞれが「より良く生きたい」と思って精一杯生きているんです。僕はそうやって見立てています。

ー相手への見立て、社会への見立て、自分への見立て。GCが大切にしている「パーソナルミッション(個人の人生のミッション)」は「自分への見立て」ということになるのですか?

「今の時点での見立て=パーソナルミッション」と言えるかな。パーソナルミッションを探求するプロセスで行う「家系分析」も大きな意味があると思っています。「自分の国の歴史を知らない国は潰れる」って言うでしょ?GCでは入社式の日に「会社の歴史を巡るツアー」をやっているけれど、「歴史を知って今をどう生きるか?」を考えることって、自分を見立てる上でとても大切なことだと思っています。先人や先祖が後世の人たちや子孫の幸せを心から願って築き上げた、愛の叡智が詰まった環境にいるのだということに気づくことが、見立ての大切な材料になります。

本当に心からそれに気づき、本気で信じたら生き方が自然に変わると思うよ。僕の友人の武田双雲がそうだった。常日頃から信じ続けるということは思ったよりも難しいけれど、信じられるように心をしっかり作っていくことが大切だと思います。

ー見立てること、心をしっかり作ること。お話を伺って、手放す経営には健全な信頼関係、「信じる」ということが不可欠のように感じました。貴重なお時間とお話、本当にありがとうございました!

取材・文・構成・編集・デザイン・撮影/蓮池 しのぶ

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