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「今ここ」って。。。考えてみた。

小学校の卒業アルバムで

好きなこと
「休む」
と書いていました。

大学生の時、

朝方まで馬の育成シミュレーションゲームをしていました。

できることなら波風なく、暖かい部屋でぼーっとゲームでもして暮らしていたいと思っていました。

今でも根っこはたいして変わらないと思います。

過去も未来もない
「今ここ」に生きるんだ。全てはうまく行く。
みたいな考え方がはやっています。マインドフルネス瞑想とか。禅とか?

じゃあゲームしてる「今ここ」でいーじゃん。って思いませんか?


人は年を取り勝手に環境が変わります。

来年50歳になるんです。あっという間でした。
昨年痛風が発症して、お酒もあまり飲まなくなりました。
体の色々な部分が退化していくのを感じます。

今までも色々ありました。
会社を自分で起こしてみたら、全然儲からなくて年金や保険を払えなくなって、区役所に止めてもらいにいきました。

全然「今ここ」にいれないじゃん
!!

年金強制じゃん。働く義務あるじゃない。環境によって全然左右されちゃうじゃん。


でも実は、やっと少し本当の意味で「今ここ」分かっている気がします。

書道家の武田双雲という友達がいます。もう20年位前に彼の家に泊まって朝、海に散歩に行きました。
男2人で海に向かって歩いていると、双雲が「ねぇ西坂さん見てみて!この花きれい!」とか言い出して「今ここ」なんです(笑)

まだ独立して間もなく、道端で知らない人に書を書いて「誰も立ち止まってくれないから、こんなことをした。あんなことをした。」と楽しそうに話しているのを覚えています。

その2、3年後に、全く同じテンションで「この間カンヌ(定かではない)に呼ばれてさー。隣に叶姉妹とサッカーの中田選手がいたよ!」と話しているのを覚えています。

自分の小さな常識で、
無難にこのままでいーや
という「今ここ」ではなくて、

その瞬間、瞬間に、過去や未来に囚われず自分の「命」の輝きを解き放つような「今ここ」が人生を導いていく様を見せてもらいました。

双雲は天然物の「今ここ」体現者でした。
それを見ていると僕の中には、様々な拘りや囚われがたくさんあって、全然「今ここ」じゃないことに気付かしてもらえました。

そこから少しずつ「過去」や「未来」
の拘りや囚われの鎧を下ろしながら生きてきました。

今」にいるには、それを取り除かなければならないのです。

表面的に「本当だー。お花がきれいだねー。」と合わせてみる事ではなくて。

そう感じることのできる「心」をどう作るのか?という事なんだなーと。


環境が変わっても、色々なものを失っても何があっても「今ここ」の輝きを感じることで、自動的に人生が導かれていくのだと思います。


有り難いことに、双雲や多くのメンターの方との出会いで少しずつ僕の心も解放されてきたのですが、自分の心が変わるには、大きなイベントが必要だと感じています。

そしてそれは2つに大別されます。
・外的な変化で強制的に変えられる。
・自らのアクションで変わる。

・外的な変化で強制的に変えられる
今回のコロナも多くの人にそういう機会を作っているかもしれません。
僕の場合は12年前のリーマンショックの時、大きな変化がありました。

資金的余裕がまだまだ少ない状況でリーマンショックによって売上が激減し、このままいくと数ヵ月でお金がなくなってしまう。倒産してしまう。
という危機に瀕しました。

このままだと「将来」どうなってしまうのか?そういう感情に囚われて「今ここ」にいませんでした。

経費をなるべく削減するために、内定を出していた学生を切るように監査役から指摘を受けました。

そのおかげで自分の心と向き合う事ができました。
「自分にとって何が一番大切なのか?」
会社を存続させること。
信じて入社を決めてくれた人を裏切らないこと。心のつながり。

どうしたって不確実な状況の中で、心が「今ここ」に戻り、その思いを全社に向けて、お話して対話しました。

結果、業績はV字回復し、その時内定を取り消さなかった学生が、新卒ではじめての役員に就任し、コロナ対策の陣頭指揮をとってくれています。

不確実な将来に心を向けて、
「今ここ」に、そして
仲間の思いに、
自分の大切にしたいことに
心を向けられていないことが、現実を作っていました。

外的な変化によって強制的に変えられた僕は、その変化をどうやったら自分でできるのか?考えるようになりました。(その後も相変わらず強制的に変えられたりもしてますが。)

・自らのアクションで変わる
外的な変化で強制的に変えられるのはしんどいので、そういう時に起きる心の動きをシミュレーションで体験すれば良いはずです。

「今ここ」を邪魔するのは、端的に言うと
過去のトラウマ
「こういうことをすると失敗する。嫌われる。」
とか、未来の囚われ
「このままいくと、将来失敗する」という
「無自覚」の自己限定的意識だと思います。
何かを失うという幻想への不安だと思います。

コロナのような事が起きると、みんながその幻想に走って買い占めなんかが起きますよね。

無自覚なので、本人には分かっていません。しかし、本人の奥深くに根差している囚われですから、

「気になる」のです。

それが、ポジティブな感情でも、ネガティブな感情でも

「気になる」のです。

僕は、意図的に「気になる」ものに近づくようになりました。
特に嫌なもの。なんで嫌なのか?
何かを嫌な背景にある自分の囚われを探りました。

友人の経営者と二人でロシアに行ったことがあります。
「行ったことがない国に行こう」という決めの中で
「気になる」
ロシアに行きました。

明らかにネガティブな感情を持っていたロシアに行った体感は、とても親切でフレンドリーで豊かな精神性でした。

無自覚で自分が制約されている領域をどうやって解除していくのか?
その為には行動が必要だと思います。

色んな誘いがあって、自覚の世界で意味のあることに行くだけではなく、自覚の意識では無意味に感じるけれども、「気になる」場所に行くようにしています。「気になる」人に会うようにしています。

おかげで、「今ここ」で感じる事が少しできるようになってきたのかもしれません。

まだ、道端の花で歓喜はできません。

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