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和田家。

2024年4月4日

書こうか迷ったけれど、どこに発散すればいいか分からない感情を書く。
父親から今日、電話がかかってきた。
サッカー関連でしか話さないから電話がかかってくることは珍しくて嫌な予感がした。
昔は厳しかった父親も今はただ優しい父親だ。

開口一番にやさしい声で「いい話ではないんだけど」と言われた。

「佳には黙っておこうと思っていたけど、爺ちゃん癌が見つかったんだわ。」

そう言われた。

俺の爺ちゃん。昭和10年12月17日生まれ。今年で89歳。
昔バイクを乗り回していたらしく、今もだけど、昔の写真はすごくかっこいい。地元の自転車屋さんのオーナー。

俺の婆ちゃん。昭和13年11月30日生まれ 
ばあちゃんとじいちゃんの馴れ初めはお見合いらしい。

保育園の時の散歩の時間によく店の前まで歩いた。
その時はたしかゴールデンレトリーバー(バーフィーという名前)がいた気がする。俺が小学生に上がるくらいのタイミングで亡くなった。
バーフィーはメスだったけど高校生くらいになるまでずっとオスだと思ってた。

じいちゃんの身長は多分170センチもないと思う。ザ・昭和男児のような人だ。
言動じゃなくて行動で示す人。
俺に対して怒った記憶は無い。父親曰く昔は死ぬほど厳しかったらしい。
白髪で、いい匂いがした。すごく落ち着く匂い。

お酒を飲むとすぐ顔が赤くなる人だった。多分俺がそれを引き継いだんだろう。

大晦日で親戚が集まってごちそうを食べる時も、ちょっとしたらその場から抜けて別室で一人で紅白を横になりながら見てるような人だ。
「けいじゅも来るか?」
って言われて、隣で一緒に演歌を聴いたっけな。
気付いたら爺ちゃんは寝てて俺もうとうとして、気付いたら母親に起こされて、紅白は終わりかけてた。

最近はどうか知らないけど、タバコを吸ってた。銘柄は分からないけれど白いパッケージのタバコ。

でも俺の前では一度も吸わなかった。
俺がじいちゃん家に行ったらじいちゃんがタバコを吸ってたタイミングだったことがある。
吸い始めの長いタバコを急いで灰皿の中に入れたじいちゃんを見て
「全然吸っていいよ」と言った。
「いやいやいや」と恥ずかしそうにしてたじいちゃんの顔を思い出した。

俺が小学生の時の話だ。
両親は共働きだったからばあちゃんが鍵を開けてくれて、宿題をしてからばあちゃん家に行ってた。DSもばあちゃんが買ってくれた。

実家とじいちゃんばあちゃんの家は近いからじいちゃんの家に遊びに行くと
めちゃくちゃお菓子をくれた。俺が昔太ってた原因はじいちゃんとばあちゃんだ。めっちゃ食べてたのは

  • みながわ製菓の「マヨネーズあられ」(保育園の時に平気で一袋食ってた)

  • じゃがりこ 野菜、バター、チーズ

  • オレオ

  • ソフトクリームの形になってるアイス

  • ガツンとみかん

なつかしい。今思い出して食べたくなった。

「じいちゃん肩もみしてあげるよ」ってじいちゃんが作業してる時に言うと作業してる手を止めて「けいじゅ上手だな」って言ってくれた。

最近は会う頻度が少なくなったから会うたびに
「大学で何してるの」とか「留学どうだった」とか「将来どうするだ?」
とかそういう話をした。
でももっとじいちゃんの話を聞きたかったな。じいちゃんは優しいからさ。俺のことをめちゃめちゃ聞いてくれて、俺が答えて、俺すげーおしゃべりだからさ。いろんなこと話しちゃうわけ。

じいちゃんのことなんか全然聞けなくてさ。
もっともっと知りたかったなって思う。
一緒にお酒もっと飲みたかったな。
ひ孫の顔と見せたかったな。ごめんな。
ありがとうってもっと言いたかったな。
大好きってもっと言いたかったな。

父親がゲームに対して厳しかったから小学生の時ゲームは週1とかだった気がする。毎週木曜日。母親が休みの時だけ。たしか30分~1時間。
やったらDSを母親が預かって知らない所に隠す。
俺と姉は見つけ出そうと頑張ってた。
たしか、一回だけ母親に言ったら隠してる場所を教えてくれた気がする。
母親の服が入ってるタンスのところに入ってた。

そんなこんなで死ぬほどゲームをやりたかった俺。
じいちゃん家に泊まる時はDSやPSPを持って行って良かった。

だからじいちゃん家=ばあちゃん家に泊まれば無限にゲームができることに気づいた。
めちゃくちゃばあちゃんち泊まってた。
ばあちゃんちに泊まりに行った時、じいちゃんめっちゃ熱い風呂入るわけ。44度とか。
それに耐えながら一緒に入ってさ背中洗ってもらったり、じいちゃんの背中洗ったりばあちゃんちがリフォーム前だったから狭い浴槽で2人で入ってた。

あと高速で飛ぶオニヤンマを平気でばあちゃんが捕まえたり、
ゲーセンに連れて行ってもらったり。
ばあちゃんと行くとコインを預けるという考えが無かったからコインを平気で袋の中に入れてカバンにしまってた気がする。

最後にあったのは年末年始だ。
弥彦神社でじいちゃんに会った。ばあちゃんはお留守番だったらしい。
外で会うじいちゃんはどうしてか小さく見えて、年よりげに見えた。

行くと会うたびにケーキとかお菓子とか食べて。
無限に源氏パイ食ったな。
俺が旅行のお土産を渡しに行くとなぜか俺がお土産一番食べてるみたいな謎の状況が生まれたりしてた。

クソガキだったから散々迷惑かけたな。
作業場のトンカチ勝手に借りて駐車スペースの砂利とかを粉々にしたり。
燕の夏祭りに連れて行ってもらって射撃一回500円なのに4、5回やらせてもらったり。
駄菓子のブタメンが食べたくて買ってきて欲しい!って言ったら普通のカップラーメン買ってきてこれじゃない!って言ったり。

夏休みは甲子園とか見てたな。相撲とかも見たな。
WBCのメキシコ戦も一緒に見たしな。
ばあちゃんも元気がなくなってきたらしい。今はただそれが悲しいな。

あの人たちの孫で良かったよな。
大好きなんだよな。本当に。


奇跡的に1年3ヶ月前に書いてた文書を発見した。
残す。母型のばあちゃんの文だ。

家族について 二〇二三 一月二日 0時33分

ふと、文章を書きたくなった。理由は分からないけど。
最近こういうのしていなかったな。多分病んでるとこういうことしがちになるから今は病んでないという証拠。

大好きなおじいちゃん、おばあちゃんについて急に書きたくなった。

俺はまだ身近な人の死を経験したことが無い。
中3の時に(同級生)が亡くなったけど、親密な人(親族とか)はまだいない。順調にいけば(順調は失礼だけど)年齢順になくなることが素晴らしいことだ。というかそうあってほしい。そうであれ。

昨日、と言ってもつい五時間ほど前、おばあちゃん(母型)が久しぶりに実家に来た。
しゃぶしゃぶとかお正月のごちそうを一緒に食べた。
毎回会うたびに小さくなってるように感じるけどめっちゃ可愛い人だ。
くしゃっと笑った顔もそこそこ曲がった背中も、なぜだかすごく安心すんだ。
最近は呆けてきて、何回も
「佳ちゃん、(姉)にお年玉あげたっけ?」
「佳ちゃん元気?」
「佳ちゃん、彼女出来た?」
「かっこよくなったねぇ、あの人(母曰く菅田将暉、ありがとう!ばあちゃん)に似てるんだけど名前思い出せないなあ」
は毎回言ってくれる(6回以上)

後今日言われたのは
「この前洗濯干してたらころんじゃったんだよねえ」
(そのことを誰にも言っておらず母大慌て)
「(父)のおとうさん、おかあさん元気?」
「佳ちゃん、留学行くなんてすごいねえ、おばあちゃんさみしくなっちゃう」
「佳ちゃんの彼女になりたいなあ」
「いい人(デイサービスで一緒になってる80代の人)紹介しよっか?」
とか久しぶりにあんなにしゃべってるおばあちゃんを見た。
いつもあんなにしゃべってたんだよなあ。やっぱり色々喋れてなかったんだろうなあ。
やばい、めっちゃ涙出てきた。なんでだ。

なんかもう会えないんじゃないかってそんな不安がよぎる、もっと写真撮ればよかったなあ
なんで俺共写真撮ろうって言えなかったんだろう。まだ生きてるじゃないか。
何だよ夏かなって、次あえるの。もっと会いに行けよ。
何勉強とかしてんだよ、もっと優先すべきことあんだろ。
「おばあちゃんはばかだから、ママとパパに似てよかったね」ってばあちゃん、俺も馬鹿だし、ばあちゃんはバカで良いんだ。
というかバカでいてくれ。その底なしの元気さと笑顔に俺たち家族は救われてきたんだ。というかばあちゃんはばかじゃないよ。

あんなに可愛い人はいないし、あんなに凄い人はいない。

母親のお父さん(旦那さん)がなくなったのが、母親が小六の時だからそこから思春期の兄妹二人を女で一人で育てたんだ。素晴らしいし凄いよ。
あなたがいなかったら俺は生まれてない。本当にありがとう。大好きだよ。

今書いててキーボード鼻水だらけになった。

前々から体は弱かったけど、みんなを笑顔にする天才。
多分そういうところは俺は似た。
あと、天然はばあちゃん→母→俺、姉に順当に来てます。
甘いものが好き。みんなが好き。テレビが好き、特に相棒。
そんなところかな。
殿島の方に実家があるみたい。今日聞いた。
吉田屋(ご飯屋さん?)で働いてる時に旦那さんに出会ったって今日言ってたけど母は吉田屋さんじゃないって言ってた。どっちだ?

今は超近所のデイサービスに週三で通ってるみたい。
保育園と一緒のことをしてると言ってた。
笑っちゃったよ。本当に長生きしてください。
とりあえず俺の花嫁さんが見たいらしいので後十年は生きてください。

次は、父の両親について。

「本名書いてあったから消去」 昭和十三年 11月30日生まれ 

「本名書いてあったから消去」 伝という文字が入っているんだけど本当は傳らしい。
昭和十年 十二月十七日生まれ 
免許見せてもらった 中型 と 大型二輪 かっけー!

この二人も俺の今までの人生の中で一緒にいた人ランキング上位の人です(当たり前か)

まず家の両親は共働きだったので保育園、小学生のときからばあちゃんが実家に来てくれてその後自転車乗ったりしてばあちゃん家(5分もかからない)に行ってた。

この二人のおかげでこんなにおおきくなりました。とくに料理お菓子めっちゃ食べましたね。

一緒に山も何十回も登ったし。
小六の燕検定まえに、国上山登りに行って、良寛さまのなんか屋敷とか見て山頂でチータラ食べたし、旅行行って、虫(おにやんま)捕まえて、ご飯食べてゲームpspとか無限にできるから泊まり行って、ドラゴンボールのスパーキングメテオしたいからやっぱ帰るとか言い出して、サッカーにも何度も迎え来てくれて、小六の全小をふれあいまで見に来てくれたよなー。

塾に送ってくれたし、土曜の昼ご飯ないから毎週作ってくれて、めっちゃそこでなんもせずにゲーム実況見てたな。
後は、一緒にためしてガッテンみて、そこで色んな知識身について、俺が録画の方法教えてあげて、一緒に見て、俺がバラエティ(ガキ使)とか録画して元日一緒に見るとかしてたな。紅白に興味なかったから奥の部屋で一人でガキ使見てたら、爺ちゃんが寝に来てさ。爺ちゃんかっこいいけど可愛いんだすごく。

高校入学の時の写真も飾ってくれたし、二十歳記念はなんか髪型気持ち悪いからもう一回リベンジしたい。


残しててよかった。

手紙を書きたい。
これから入院らしいがコロナで面会にはいけないらしい。

手紙を書く。

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