ウマ娘3期 否定意見の原因と私的改作

 ウマ娘3期最終話。その日私は、偶々友達の家に皆(5人)で集まっていた。ウマ娘を観ているのは私の他に1人しかいなかったが、皆で最終話を観ることになった。そして観終えた後、その友達がこう呟いた。
「なんか、意外とアッサリしてたね」
 この友達の感想はなぜ出てきたのか。いかにすれば「コッテリ」した最終話になったのだろうか。アニメ3期は、色々なところで賛否両論あったように感じる。素人ではあるが、今回私は全体のストーリーを否の立場から考えてみたいと思う。そしてどのような展開が描かれていれば良かったのか勝手に想像し、書いてみた。なので長くなってしまっている。非常に申し訳ない。勝手に改作したあたりは1行空けてあるのでそこを読んで貰うか、あるいは小見出しがキタサンブラックかサトノクラウンのところだけでも読んで貰えたら嬉しい。また、どう転んでも賛否あるだろうから、SNSとかでもコメントとかを貰えたら嬉しい。
 論じる上で、私がエンタメにおいて大事であると勝手に考えているものをいくつか紹介したい。まずはキャラへの共感、そして掘り下げ。それから勝利したときに得るもの/敗北したときに失うものである。前者は応援する原動力に、後者は応援する熱の入り具合に関係すると考えている。


論点

・全体的な感想
・キャラの掘り下げ
・最終話のアッサリ感
・展開

全体的な感想

 私は3期に対して「ウマ娘を好きな人で、各キャラに対して情報を主体的に得た人なら観られる作品」であると感じた。断っておくが、私はウマ娘が好きである。出版社にESを出したときは殆どウマ娘の話ばかりだったし、リリースから1ヶ月後くらいにプレイして以来おそらく毎日プレイしている。新イベントのマスターズチャレンジも勝利済だ。それだけウマ娘が好きであっても「最高に面白い!」ではなく「こういう人なら観られる」という評価なのである。これについての理由を述べるが、あとで詳述するため、もうこの節は省略しても問題ない。
 まずキャラクターの数に対して掘り下げがなさすぎることが理由に挙げられる。今回のメインキャラクターはキタサンブラック、サトノダイヤモンド、ドゥラメンテ、シュヴァルグラン、サトノクラウン、サウンズオブアースであろう。しかしキタサンブラックとシュヴァルグラン以外のキャラが取り上げられた時間は非常に少なく、サトノダイヤモンドの凱旋門賞なんか新聞のワンカットくらいで終わっている。これがウマ娘を知っている人でないと厳しいと考えた大きな理由である。誰が何をしたいのか、初見さんはおそらくわからない。サトノ家の悲願とかなにそれ、って感じだろう。商店街とキタサンブラックの関係の深さを描写するのはいいが、それで他キャラを省略してしまっては本末転倒である。省略しても想像で埋められるのはむしろ商店街との関係の方だ。実際商店街シーンが多すぎるという感想も見たが、私たちが望むのはウマ娘たちの物語なのだ。
 それからそもそもG1を7勝したキタサンブラックを1クールに収めようというのは、だいぶ無謀ではあると思う。RTTTの評価が高いのは菊花賞までの物語だったからであって、もしナリタトップロードの全レースを4話で収めた話であれば、明らかにキャパオーバーとなり評価は低かったであろう。しかしアニメ1期、2期が1クールであった都合上、キタサンブラックだけを2クールにするわけにはいかない。そこは製作陣も苦悩したところなのではないかと思う。
 あまりここに紙幅(デジタルなのに紙幅……?)を割いても仕方ないので、そろそろ話を移ろう。まずはキャラの掘り下げについて考えていく。

キャラの掘り下げ

 キャラの掘り下げはストーリーものにおいて非常に大切だ。なぜなら私たちはキャラとともに喜び、悲しみ、悔しがり、感動するからである。それをするためには「共感」が欠かせず、共感がないとどうしてもその世界に入り込みづらくなる。実際「掘り下げ不足」というコメントは多い。あとは3話くらいまで楽しめた、みたいなものも散見する。1話2話はだいぶキタサンブラックの掘り下げではあったから、やはり掘り下げが大事なのだろう。(関係ないが、個人的に『スターブロッサム』もここが不足していると思う。なぜブライアンに勝ちたいのか。なぜ凱旋門賞に勝ちたいのか。それがわからないまま読んでいる。彼女は何を目指し、どういう目標を持って各レースに臨んでいるのだ?)
 それでは共感させるとはどういうことか。いわゆる『SAVE THE CATの法則』と言って良いだろう。つまり猫を助けるだとか、そんな些細なものでもいいから、視聴者に良い心象を与えさせるのだ。好印象の与え方はたくさんある。例えば『シンデレラグレイ』のオグリキャップは遅刻しておきながら「間に合った」と発言し、その後も「セイフクって何ですか?」や名シーンである「おかわり」など、ユニークなキャラを演出する。別作品の例となるが『金色のガッシュ‼︎』ではガッシュが「学校に来なくていいのはお前の方だ!! でくの坊!」と読者の涙を誘う。面白い、可愛い、カッコいい…………。褒め言葉は大抵好印象である(ただし常識的なレベルでの真面目などは盛り上がりに欠けることが多く、またギャグにも転じづらく、主人公としてあまり向かないように思う)。さて、それではキタサンブラックは商店街の人を助ける優しさを見せたが、他の娘はどうだろうか。思いつくのはサウンズオブアースの登場シーンである。あれでアースはしっかりと視聴者に印象を残したと思う。惜しむらくは、その後の見せ場があまりなかったことだ。他のキャラは(記憶にある限りだが)第一印象から共感させるみたいな登場ではなかった。第3話でダイヤの打ち上げにシュヴァルが登場しているのをウマ娘を知らない視聴者が観ても、おそらくほぼ何の感情も湧かなかったであろう。あれがたとえリバーライトであったとしても、初見さんはおそらく何の違和感もない。キャラが代替できるというのは、キャラクターのストーリーである以上かなり厳しいものである。
 共感を終えたら、次が掘り下げである。掘り下げは「勝ちたい!」ではない。それは表層というか、当たり前だ。「なぜ勝ちたいのか」「なぜここまで必死になるのか」これが掘り下げである。例えば私の推しであるメジロアルダンは「刹那でも自らの輝きを歴史に刻むため」である。他にもスペシャルウィークは「日本一のウマ娘になるため」であり、ネオユニヴァースは「見えない未来を変えるため」である。このようにゲームでは多くのキャラで理由が説明されている。キタサンブラックは「憧れたテイオーのようになる」という目的があれど、初見さんは「テイオーってどんなキャラ?」「何やったの?」「どれくらい憧れているの?」と、わからないことだらけである。第1話のショックは、ウマ娘を知っている人でないときちんと納得するのは難しいだろう。アニメ2期で最初にシンボリルドルフとトウカイテイオーの邂逅を手短にまとめていたのは上手いなぁと思う。ここは「なぜ勝ちたいのか」の更に一歩先、トウカイテイオーの原点だからだ。メジロアルダンでいえば病床生活で抱いた恐怖のようなもの(これは単に私の妄想である)で、キャラの勝ちたい理由に説得力を持たせるものとなる。それから2話ではもうキタサンはテイオーへの憧れから別の目的へと変わっていく。無敗三冠という夢がなくなったテイオーが、メジロマックイーンというライバルを得たように、キタサンブラックの夢も変容していく。トウカイテイオーのようなスターではなく、キタサンブラックというスターになる。その輝きはどこにあるのか。何が彼女を魅せるのか。それを示し、それを守るために有馬記念を走る。そうした構造を明示した方がよかったように思う。たとえばレースの最後のシーンがこんなセリフだったらどうだろう。

スピカの先輩たちほどかっこよくなくて。ダイヤちゃんみたいな末脚もなくて。ドゥラちゃんみたいな豪脚もなくて。ピークも過ぎて。悩んで、ばっかりで。それでも。
モブ(いけーっ! キタサン!)
商店街の人(頑張れーっ! キタちゃーん!)
ますおとみなみと2人(頑張れ! キタサンブラック!)
ゴルシ(勝て。キタサン)
それでも、皆が応援してくれるなら。皆が笑ってくれるなら…………勝つ! それが私だ! それが、キタサンブラックだ!

これは「キタサンブラックは皆の応援を力にするウマ娘である」という私の解釈と、トウカイテイオーとは別の道を歩むスターとなったこと、それからソシテミンナノをいくらか踏まえてのセリフである。応援してもらって、その応援のために走る。それがあの世界で彼女が魅せた魅力なのではないだろうかと考えた。なお、前半部はドゥラメンテが怪我をしたときのスピカの面々とキタサンの反応、第4話でネイチャに打ち明けた自身の弱さなんかを反映している。ゴルシはルービックキューブの7面目、そして有馬記念の有終の美という自分が掴めなかった夢をキタサンブラックに託しているのではないかと考えて一人だけピックアップした。詳しくは後述。こんな感じのセリフであれば「皆のために勝ちたい」というキタサンブラックの感情を表現することができ、勝利したときに得るものも皆の笑顔であることがわかるだろう。
 ここからは各論に移ろう。

シュヴァルグラン

 シュヴァルのメイン回なんかは12話なので、第1話で強く共感させる必要もないと思う。例えば1話を始業日にして、

あの日憧れた舞台(短い回想)。そこに今、私はいるんだ。→キタサンが朝練に出かける→商店街の人を助ける→「お嬢ちゃん、名前は⁉︎」「キタサンブラックです!」

 これでキタサンのキャラ性の紹介と、商店街と今後の関係の展望を示せる。初見さんにも短い回想である程度伝わるだろう。というか第1話はダービー前というだけで、最初の方は概ねこんな感じである。このワンカットがあればこの後「いつもキタちゃんには助けられてるからな!」みたいな一言があれば、もう商店街との関係を示すのに十分だ。勝手に脳内補完ができるからだ。また、3期放送前までダイヤはスピカに入ると思っていたので、カペラについては一緒に登校する間に「えーっ! ダイヤちゃん、スピカに入るんじゃないの!?」「うん。サトノにはカペラっていう特別なチームがあるから。ごめんね、キタちゃん」「そっかぁ。うん、わかった。チームは違うけど、お互い頑張ろうね。ダイヤちゃん!」みたいな掛け合いで触れておけばいいだろう。この後は教室に入ってからの話になる。

始業日、教室で自己紹介と夢を語るように言われる→「あ……えっと……シュヴァルグラン……です。その、夢、は……」(夢……。皆の前でこんなこと言うなんて恥ずかしい……。でも、これ、だけは……ええいっ)「い、偉大なウマ娘になる! こと、です……。その、よろしくお願いします……」→「はい! キタサンブラックです! 私の夢は皐月賞、日本ダービー、菊花賞。ううん。全部のレースを勝って無敗の三冠ウマ娘に、テイオーさんみたいにカッコいいウマ娘になることです!」→ま、負けちゃったぁ~!

 このような流れなら、OP前の皐月賞(おそらくここでドゥラメンテの名前を出したかったのだろう)に繋げながらも、内気なシュヴァルグランと快活なキタサンブラックを対比させることができ、12話の憧憬に似た独白への下地を作ることができるだろう。シュヴァルの表情を抜いたシーンがあれば尚更だ。同時にシュヴァルグランがなぜ走りたいのかの理由を説明することもできる。正直12話までのアニメでは「この子ヤケに出てくるけど、なんで走っているの?」という印象であったから、走る理由を説明するのは大切だと思う(偉大なウマ娘ってどうしたらなれるの? というのを扱うのは時間的にも難しいから、G1を勝つ。キタサンブラックを倒すというのが偉大なウマ娘のための第一歩という扱いにするのが良いだろう)。実際評価の高いアニメ2期では、初めの方のテイオーは会長に憧れ「無敗三冠ウマ娘になる!」と目標を掲げている。目標を提示すると何を目指してその行動をとっているのかが非常にわかりやすいし、だからこそ応援もしやすい。もし会長という憧れと、だからこその無敗三冠という目標がなければ菊花賞前の葛藤で「そこまで必死に三冠目指さなくてもよくない?」と思ってしまう人が出てくるであろう。シュヴァルも「偉大なウマ娘になる」という大目標と、時折「ここで勝って、胸を張れるようになるんだ」「偉大なウマ娘の、第一歩を」のような小目標を一言だけでも見せてやることで、「なぜ【このレース】で彼女は勝ちたいのか、勝たなくてはいけないのか」を明確にできたのではないか。
 第1話終わりはおそらくドゥラメンテの実力を示し、皐月賞の「負けちゃったぁ~!」と「負けちゃった……」という対比構造が目指されている。そのためダービーは16分頃から開始である。そのためには前記の展開をやった後、16分までにダービーへと話を続けなくてはならない。かなり難しいが、おそらくダービーのために「何をやったか」ではなく「何のために勝ちたいか」をより掘り下げる方面でいくしかないだろう。またそうすることで第2話、テイオーではなくキタサンというスターになる、テイオーの勝てなかった菊花賞を強調することもできるのではないか。以下例を示してみる。

日本ダービー。一生に一度しか走れない大レース。日本中がこのレースを見守る。ここで勝てば、きっと。テイオーさんみたいなスターに。キラキラして皆を惹きつける、かっこいいウマ娘に。

 この10秒と少しくらいの独白を入れれば、何のために勝ちたいかがだいぶ明確になる。そして逆説的にダービーを負けた瞬間「トウカイテイオーのようなスターにはなれない」という事実がキタサンブラックを襲う。トレーニングシーンで言えばいいのではないだろうか。ちなみにキタサンブラックの掘り下げが行われるのは第2話である。トウカイテイオーと自分の違いに目を向けると同時に掘り下げが行われるので、ダービーのタイミングをずらすのは難しいだろう。ただ第1話を拡大版で放送するという手もあるようには思う。そうすれば無理なく、かつクール数を増やすことなく上記の始業日のシーンからできるのではないか。名目上は話題作りとして。
 まとめると、シュヴァルグランは第1話でちょいと触れて大目標を見せ、その後は小目標を見せるだけで12話までは十分である。第1話では大目標の発表のさせ方によって共感を与えられるだろう。拡大版にするか、ダービーを勝つ理由を掘り下げることで第1話に無理なく収められるのではないだろうか。
 もちろん第1話、第2話はこれまでのキタサンブラック。スタートラインに立つ前の、トウカイテイオーという夢を追うキタサンブラックであるから、意図的に新ウマ娘の登場シーンを減らすことでそれを象徴しているのであろう。象徴と共感、どちらを取るかという話であって、かなり個人の好みに依るところは大きいだろうが、私はキャラの紡ぐストーリーであって私たちの作る物語ではない以上、キャラを中心に据え共感を取る方が良いと思う。もちろん私は素人なのだが。

 余談だが、共感と応援の重要性について手短に述べたい。特に主人公が負けるシーンでは、敵への共感と応援は大事だと考えている。もちろん相手がリベンジを果たすための壁である場合には必ずそうとも限らないのだが、ウマ娘はその性質上毎回都合良くそうなるわけではない。その場合「応援している主人公が負ける」という展開は視聴者にとって不快なものであるため「このキャラになら負けても仕方ない」と納得させる必要がある。12話は総じて評価が高かったように思う。それはシュヴァルを応援することができたからではないだろうか。勝つことで何を得るのか。負けることで何を失うのか。それが大きいほど、応援にも熱が入る。ただ、最後主人公が勝つシーンではカタルシスのノイズになる可能性があるので、むやみに敵を応援させれば良いというわけではないのだろうと考える。

サトノクラウン

 話を戻そう。次はサトノクラウンである。ただ残念なことに私はこの子をお迎えできていない(本当はシュヴァルもだが)ため、彼女についてあまり詳しく知ることができていない。シュヴァルグランはアニメと二次創作でキャラが見えてくるが、クラウンはアニメでの掘り下げがかなり少なく、キャラ像が全然掴めていないのだ。まあ私がそうなのだから、初見さんは推して知るべし。クラウンの勝利した宝塚記念も、あまり感慨深くはならないだろう。私ですら、アニメのクラウンが国内G1を獲ったのになぜ引退せず秋天、JC、有馬を走ったのか理解していないのだ。強い言葉で言ってしまえば、初見さんにとってはモブキャラと大差ないのではないか。私が知る限りでの彼女の走る理由は2つである。

〜ダイヤの菊花賞まで
サトノがG1勝利の栄冠を戴くため。
〜勝利した宝塚記念まで
自らが国内G1を勝利するため。

 いやほんと、どうすればいいんだろう。でもサトノがG1を獲るために走るっていうのは、もっと深く掘ってよかったと思う。特に序盤で掘っても良かったように思う。何度も「サトノの悲願」「サトノのジンクス」と表層をなぞるだけでなく。それはクラウンだけでなく、ダイヤの菊花賞にも繋がっていくからだ。それどころか「サトノの悲願」と口にするたび、その重さが伝わりやすくなるだろう。菊花賞直前に入れるよりも、もっと前から説明した方が良いように思う。1~3話はサトノに充てる時間はないので、第4話くらいに。それにここで一回応援させておけば、暫く尾を引くことができるだろう。最後の方とか走る理由がよくわからないが、なんとなく応援できるのではないか。確信はないけど。なのでこんな展開はどうだろう。

パーティーにて
「いやー、サトノ家も安泰でしょうな。将来有望なウマ娘もたくさんおりますし」
「ええ。G1も近いうち、勝利するでしょうね」
「楽しみですな」
 サトノ家は、ずっと期待されてきた。いずれG1を勝つ。それは時を重ねるごとに、呪縛となっていった。
「またサトノは勝てなかったのか」
「もはや、サトノのジンクスですな」
サトノのウマ娘A「ごめんね、ダイヤ。私はもう、無理なの」
サトノのウマ娘B「ダイヤ、あとは任せたわ。…………ごめんね」
「ダイヤ」
「ダイヤちゃん」
「ダイヤモンドさん」
ダイヤは幼い頃から走る才能が飛び抜けていて、その分だけ呪縛も厳しいものになっていった。
「ダイヤ、大丈夫? 怖くない?」
「平気だよ、クラちゃん。皆が私に期待してくれてるっていうのは、すごく嬉しいことだから」
ダイヤにばかりかけられていく期待と呪いを、私は黙って見ているしかなかった。だから、努力した。走って、走って、走って。その呪いを、ジンクスを、私が破ってやるんだって。ダイヤにばかり背負わせはしないって。
そんな私を知ってか知らずか、ダイヤは期待に応えるように実力をつけていった。この子は、本当に期待を力に変えている。だから、これを伝えるのだ。サトノのウマ娘ではなく、一人の戦友として。
「期待しているわよ。サトノの悲願。G1初勝利を!」

 前述したようにpixiv大百科を見たレベルでしかサトノクラウンのキャラクター性をつかめていないので完全に私の妄想なのだが、合っているのだろうか……。だがこれが第4話にあれば、ダイヤの皐月賞、ダービーの応援にも力が入るのではないかと思う。なぜ菊花賞で勝利して泣くほど嬉しいのかもいくらか伝わりやすくなるだろう。
 サトノのウマ娘ABは顔を出した方が良い。顔があるのとないのとでは共感具合が変わるからだ。レヴィナス的な。顔は重要である。

ドゥラメンテ

 ドゥラメンテについて、原点はよくわかっていない。最強を証明するのはいいのだが、それがなぜなのか(今回のゲームイベントのストーリーから考えるに父や祖父の影響?)はわからない。一族の夢的なことは語られているが、それがどれだけのものだったのかはわからない。サトノ家と同じである(だから主体的に情報を得る必要がある)。
 ただ出オチ感というか、登場して以来あまりキタサンブラックに影響を与えていないように感じる。もちろんキタサンが自分を手に入れてドゥラメンテの存在に惑わされなくなったという理由もあるだろうが、後半は登場しただけというか、物語でどんな役割を担っているのかが不明瞭である。これが例えばキタサンブラックがピークを過ぎていないという設定であったのならば有馬前に、

「キタサンブラック。キミに、頼みがある。」
「頼みごと? 何でも言って、ドゥラちゃん! 私はお助けキタちゃんだから!」
「そうか。なら、キミに最強を背負ってほしい」
「……!」
「私はいずれ復帰し、最強を証明する。そのときキミに勝利し、まずは国内最強を証明する。だからそれまでの間、最強を背負ってくれないか」
「……わかった。だけど、ドゥラちゃんが帰ってきても負けないから」

 という会話をさせることで、キタサンが最強を証明するという役割を担わせることができる。有馬記念も、テイオーのように引退レースではなく、ドゥラメンテとの約束を果たすためのレースとなる。構造としてはアニメ2期のマックイーンとの約束のようなものではあるが、諦めたはずのテイオーというスター性を最終話でなぞるというのは、それはそれでアリだと思う。
 しかしキタサンが引退するとなると上記の会話をさせるわけにもいかず、ドゥラメンテは最強を証明すると言ってちょくちょく登場しているけれど、結局後半何かしていたっけというポジションになってしまう。
 ドゥラメンテの問題点はこのようにまとめられる。
・共感ポイントと掘り下げがほぼない(最強の証明がどれだけ「重い」ものかがわからない)
・前半はライバルだったが、後半の役割が不明
 掘り下げに関してはドゥラメンテのストーリーを見るまではどう組み込むか考えるのは難しい。もしかしたら脚本ができた時点ではそこまで設定が固まっていなかった可能性もある。しかし「どれだけ重い」のかは、「何をしたのか」よりも重要である。私たちは行為に共感するのではない。理由に共感するのだ。行為に共感するのは、理想をねじ曲げるときだけである(……神よっ!!! 人間の神よっ!!! 魔族のオレが…はじめて祈る…!!! 的な)。しかし、それもやはり相応の理由がなくてはならない。その理由の大きさの象徴が、理想のねじ曲げなのである。
 だからインタビューの中途退場という行為ではなく、彼女の重みを語らせる方がより重要なのだ。そのように、素人である私は思う。
 ドゥラメンテに好印象を抱くワンシーン、なぜ最強を証明したいのか。これは現段階では少し難しい。後半の役割もどのようなものだったら良かったのか。史実通り、ドゥラメンテを引退させてはいけなかったのか。引退しながらも引退後の視点からキタサンブラックに言葉を投げかけ、キタサンの行動に変化をさせるポインターとなってはいけなかったのか。

サウンズオブアース

 アースは共感シーンはバッチリであったように思う。面白かった。だからこそ、それ以降の扱いが残念であった。ゴルシ引退の有馬以後、やや扱いが雑である。またなぜ各勝負で勝ちたいのか、掘り下げた部分がやはりわかっていない。セリフ的に勝手に想像すれば「ベネなムジカを奏でるため」みたいな感じなのだろうが、「良い勝負がしたい」というタダでさえ抽象的な理由をさらに難解にしたそれを、どうすればいいのか理解するのは難しい。勝てば満足するのか? 勝っても内容が悪いと満足しないのか? では負けても構わないキャラなのか? 負けても構わないキャラである場合、アニメでの扱いはいっそう難しくなるであろう。彼女を応援する必要がなくなるのだから。
 アースを出した以上はしっかりと触れてやるか、あるいはあまり主張させなかった方がいいだろう。たとえばマチカネタンホイザの登場シーンは初詣で鼻血を出すものだったと記憶しているが、それ以降の掘り下げはあまりない。だがレースでもガッツリ描かれることは少ない。それは逆に勝ってほしいキャラ(要するに深掘りされたキャラ)が勝ったときに、ノイズとならないともいえる。可愛さだけを描くことで「頑張ったねぇ」で済むのだ。
 アースの場合、負けてもなんか喜んでいるようなシーンがあり、しかも深掘りされておらず、それでいて後半は空気。ただのぽっと出のキャラと評されても仕方ない扱いである。私はアースというキャラを掴みきれないままでいるが、もし制作時もそうであったのなら、下手に出す必要はなかったと思う。あと負けたら悔しがってもいいと思う。むしろ共感シーンがバッチリであったから不必要に注目してしまい、ノイズとなっているまである。

サトノダイヤモンド

 サトノダイヤモンドはクラウンと同時に掘り下げができる。それから凱旋門賞に触れなさすぎる。

キタサンブラック

 キタサンブラックとはどういうキャラか。明朗快活で人情派。沢山の人に慕われるウマ娘。それを示すように、ゴールドシップが引退して以降宝塚記念と有馬記念のファン投票ではそれぞれ2回連続で1位となっている。また産経大阪杯で5番人気になって以降は1番人気と2番人気だけであり、レース生活後半は「誰よりも夢を託された馬」だったと言えるだろう。
 しかし実際のキャラはどう描かれたかといえば、結構悩みがちであり、2話のドゥラメンテ骨折では彼女の暗い部分が描かれる。2期であればトレーナーが気づいて対処してくれたのかもしれないが、どういうわけかトレーナーは今回あまりサポートしてくれない。だからこそ彼女の明るさだとか、走る理由だとか、そういった部分が覆い隠されがちになってしまう。特に後半は「勝ちたい」というセリフが多く、「なぜ勝ちたいのか」というのは凱旋門賞を諦めるときに触れただけで、もっと触れてもよかったように思う。次のような考え方はどうだろうか。
 キタサンブラックのG1勝利数は7である。スピカの先輩方の人数も7(スペ、スズカ、テイオー、マック、ダスカ、ウオッカ、ゴルシ)である。もうピークアウトしてしまった彼女たちがキタサンと同じトレーニングができないのは仕方ないとして、それならば彼女たちから一つずつ夢を託されていっても良かったのかもしれない。それならばスピカの面々が存在感が薄くなることもなく、また最後のシーンで先ほど挙げた「これがキタサンブラックだ!」というセリフにもいっそう説得力が出るだろう。以下例を挙げる。

第2話(菊花賞)
トウカイテイオー「ボクが出られなかったのは精一杯頑張った結果だから、しょうがなかったと思ってる。でも、やっぱり悔しいからさ。だから最後の一冠は、キタちゃんが獲ってよ」
第4話(1回目の天皇賞・春)
スペシャルウィーク「なんだか、前回のレースからやけにキタさんのことが身近に感じるというか、どこか他人とは思えないというか……。私にもよくわからないんですけど、なんだか次のレースはすっごく勝ってほしくて。だから今回はいつもよりもう~んと、応援します! 競バ場のどこを走っていても、私のけっぱれーって声が聞こえるくらい!」
(キタサンブラックが天皇賞・春に出走する前走に、スペシャルウィークの主戦騎手である武豊ジョッキーに乗り替わっています。また、スペシャルウィークの勝ち時計とキタサンブラック1回目の勝ち時計はともに3:15.3であり、そこらへんは少しでいいので触れてほしかったところです)
第7話(ジャパンカップ)
ダイワスカーレット「東京競バ場芝2400m。レースは違うけど、条件は私が出られなかったオークスと一緒。トリプルティアラには、これだけが足りていないの。キタサン。いっつも負けないでって思ってはいるけど、ここだけは絶対に負けないで。私の代わりって言ったら変だけど、このレースは、絶対に勝ってほしい」
第?話(大阪杯)
ウオッカ「大阪杯。オレは海外遠征と被っちまって出たことねえんだ。それはトレーナーと話して決めたことだし、後悔はねえ。でもやっぱ、出たかったって気持ちもあるんだよな。だからさ。この悔しさは、キタサン。お前に預ける。オレの分まで、勝ってきてくれよな」
第9話(2回目の天皇賞・春)
メジロマックイーン「私が勝利して以降、スピカは天皇賞・春をなかなか勝利することができませんでした。一昨年、ゴールドシップさんが勝利するまでは。そして昨年、キタサンブラックさん。あなたがまた、天皇賞・春を勝利した。ダイヤさんには悪いですけれど、私は、あなたに勝ってほしいと思っているのです。私が叶えられなかった夢、天皇賞・春の三連覇。それを、チームスピカとして叶えてほしい、と」
(史実としてはスペシャルウィークが勝っていますが、アニメ時系列的には2期の方が後なので暫く勝てなかったことになります)
第11話(天皇賞・秋)
サイレンススズカ「天皇賞・秋。私はこのレースで、先頭の景色を見ることはできなかった……。だから、キタさんに見てきてほしいの。そして教えてちょうだい。それが、どんな景色だったのか……」
第13話(有馬記念)
ゴールドシップ「次勝ったら本当に7面になっちまうな」

 このような展開があれば、キタサンブラックが勝利したG1は誰かの強い応援や夢を託されたときだというのが明らかになるだろう(あくまでファン投票の結果と私の勝手な解釈だが)。再掲だが、

スピカの先輩たちほどかっこよくなくて。ダイヤちゃんみたいな末脚もなくて。ドゥラちゃんみたいな豪脚もなくて。ピークも過ぎて。悩んで、ばっかりで。それでも。
モブ(いけーっ! キタサン!)
商店街の人(頑張れーっ! キタちゃーん!)
ますおとみなみと2人(頑張れ! キタサンブラック!)
ゴルシ(勝て。キタサン)
それでも、皆が応援してくれるなら。皆が笑ってくれるなら…………勝つ! それが私だ! それが、キタサンブラックだ!

 このようなセリフでラストランの有馬記念を走れば、キタサンブラックとはどういうウマ娘なのか。それがかなり伝わるはずだ。シンボリルドルフを目指し、自らの走りだけで観衆を魅せたトウカイテイオーとは別の道を歩んだ、皆のために勝利するスターウマ娘。もちろん負けたレースが応援が足りなかったというわけではない。だがキタサンブラックは「勝ちたい」ではなく「勝って喜ばせたい」というのが勝ちたい理由のはずである。先輩方の夢というものを、その象徴としてもいいのではないだろうか。

 ちなみにキャラの掘り下げはキャラが増えれば増えるほどそれだけ時間を必要とするので、難しくなる。アニメ2期ではテイオー、マックイーン、ライスシャワー、あとはせいぜいツインターボ、ナイスネイチャあたりを掘り下げれば良かったのが、3期になると今挙げた6人になる。ターボとネイチャ、特にターボに至っては深掘りしないことで魅力が出る珍しいキャラともいえるので、2期は実質的に3人で十分である。3期は倍になったわけだから、そりゃ難しいだろう。アースはイクノくらいの触れ方にしたとしても、5人(下手にイクノに触れすぎなかったことは2期が成功した理由でもあると思う)。人数が多すぎる。今後ウマ娘のキャラは増えていくだろうから、4期以降はいかにして掘り下げを的確に行なっていくかが問われることになるだろう。

最終話のアッサリ感

 さて、私の友人が呟いたアッサリ感。それはなぜ生じたのだろうか。私が思うに「勝利したときに得るもの/敗北したときに失うもの」がなかったせいではないだろうか。2期のトウカイテイオーは、マックイーンとの約束があった。もし負ければ、マックイーンに不可能はないことを示すことができない。マックイーンの心を折ることになる。だからこそ負けたくないという気持ちにも強く共感できるし、熱をもって応援することができる。
 しかし3期の最終回はそういうものがなかった。セリフはほとんど「勝ちたい」だけである。それがアッサリ感に繋がる。勝ちたいのはいいが、負けたらどうなるのか。勝って手にするものはなにか。別に誰が勝ってもいいのではないか。そう思わせてしまうと応援にも身が入らない。勝ってほしいから応援するのだから当然だ。すると感情の動きも鈍い。感情の動きが鈍いとアッサリしているように感じる。だから「アッサリだったね」という感想が出るのだ。
 最初の方に書いたが、勝って得るものが大きく、同時に負けて失うものが大きいほど、観ている側はドキドキし、応援に力が入る。だから少年漫画の多くは、クライマックスで世界を賭けて戦ったり(たとえばNARUTO)、人の命がかかった勝負(バトル系は大抵これ。負けたら殺される)をするのだ。10円をかけて殺し合いをするのは少年漫画ではなく、ギャグ漫画の世界である。応援するものではない。
 さて先ほどドゥラメンテとキタサンが約束する平行妄想世界の話はここから来ている。ドゥラメンテのために勝つ。約束を果たすために勝つ。それが一つ失いたくないものである。
 だがそれよりもやはり重大にするには、先ほどの、ラストシーンの架空のセリフである。それはキタサンブラックというウマ娘のアイデンティティに関わるものであって、絶対に譲りたくないものである。そうしたものをクライマックスに据えて、そのアイデンティティを明確に盛り込めるように逆算的に脚本を作るというのも手であったのではないだろうか。実際にどう作ったかはわからないが。

展開

 9000字ほども書くと、最初に何を書こうとしたのかも忘れてしまった。だからここでは適当に書いてみる。もし思い出せたら後日編集でもしておこう。でも多分無理だ。
 3期は感想を見ていても1~3話、12話の評価が割と高いように感じる。1,2話はキタサンブラックの掘り下げ、3話は今までずっと見てきて十分に共感しているゴールドシップの引退。12話はシュヴァルグランの掘り下げがあったから、然もありなんという感じである。
 ところで最初に「これはちょっと」的な反応があったのはリバーライト(史実ではマリアライト)が勝つシーンではないだろうか。あそこはウマ娘らしくないというか、モブキャラだからやったことではあるのだろうが、宝塚記念を勝利したリバーライトに「誰~!?」とキタサンが声を上げる。しかしマリアライト自体は前年のエリザベス女王杯で1着、有馬記念でもゴールドアクター、サウンズオブアース、キタサンブラックに続く4着であり、前走の目黒記念も1番人気の2着と実力を示している。8番人気とはいえそんな有力馬(バ)をチェックしていないというのは不自然であるように思う。ちなみに宝塚記念6着のサトノクラウンは9番人気である。またマリアライトの馬主さんが観ていたらどう思うだろうか。モブキャラとはいえ明らかに自らの馬をモチーフにしたキャラが「誰~!?」と言われて「ううむ、良い作品だ」と感じるだろうか。ドゥラメンテの「キミは、誰だ」に対応させたかったのだろうが、キタサンブラックは主人公であって注目度も高く明らかにドゥラメンテの方がレアケースであるし、また菊花賞ウマ娘が存在することは認知されている。その後リバーライトが可愛らしく描かれるが、ウマ娘にしては珍しく実馬への配慮が足りなかったシーンであるように思う。
 それからやはり賛否両論あったと強く感じるのはキタサンブラックのピークアウトであろう。「キタサンブラックは強いまま引退した」派と「馬主視点では来年以降はこれ以上の走りができないと判断されていた」派で割れている。正直、キタサンブラックはピークアウトしていたとするとき、このような意見が出るのは予想できたことだと思う。そこを前者も納得できるくらいの仕上がりに持ってこられた作品だったかと考えると、残念ながら私はそうは言えない。史実に沿ったストーリー展開を売りにしているウマ娘がこのような方針をとったのは正直とても意外だった。もし「話の都合上そうした方が楽だった」「強いままウマ娘が引退するなんて変じゃん」と考えたのなら、実馬のキタサンブラックに対する冒涜であると批判されてもしょうがないし、職務の放棄である。最悪「宝塚記念やJCでクラウンとシュヴァルが勝利したのはキタサンブラックがピークアウトしていたからと考えているのか」とすら疑われる。キタサンブラック本馬にインタビューしても答えを得られない以上明確な答えはない問題ではあるが、前者であれば強い批判も少なかったであろう。後者にした理由が知りたいところである。
 それから2期まで有能であったトレーナーが、3期では一気に影が薄くなる。レース展開の解説も少ない。それはキタサンブラックがハナをとって進むというレース展開上仕掛けどころみたいな説明ができなかったり、既にある程度のレースコースの説明は2期でされているという理由があるからでもあるのだろう。しかしそれにしてもレース最後に叫び、「勝ちたい」と唱え続け、根性だけで競り勝つという展開があまりに多かったように思う。

まとめ

 約15,000字と長くなってしまったが、以上が私なりの感想と改作である。それをまとめて書こう。
 第1話
 皐月賞→OP→朝練とお助け→始業シーン→キタサンとシュヴァルの対比→「負けちゃったぁ~!」で皐月賞に戻る→CM→ダービーを勝ってテイオーさんみたいになる!→「負けちゃった……」
 第2話
 ネイチャ先生とテイオーの夢→菊花賞勝利
 第3話
 有馬記念でのゴルシ引退
 第4話
 クラウンの深掘り→春天に向けたトレーニング(序盤のくだりをなくし、負けてばかりだから身体の強さを活かしてハードなトレーニングがしたいことを伝えるだけにすればなんとかスペのくだりを入れられそう)→皐月賞→スペの期待→春天
 第5話
「誰~!?」はナシ。
 ドゥラメンテの深掘りをもう少し重さが伝わるようにし、ケガをしたシーンで「それでも私は……負けてはならない!」と心で言わせる。負けてはならない理由に説得力を持たせる(私はそれを掴めていないので、改作方法がわからない)。
 リバーライト(マリアライト)はマリアライトという名前の出ないモブキャラである以上深掘りを「してもいいのか」という問題があるが、宝塚記念の要注意ウマ娘としてPUはしておく。
 第6話
 ダイヤ菊花賞。ここでダイヤ視点からのサトノのジンクスを深掘りしても問題ない。
 第7話
 JCとダイワスカーレット→有馬記念
 第8話
 大阪杯とウオッカ
 別にキタサンブラックが自身の走る理由を探す話で1話使う必要はないと考える。2話でもうトウカイテイオーのようになるのを諦めたとして、それをテイオーと話すうちに自身の根本を見つけ(やっぱりテイオーの先輩っぽいところがほしい)、大阪杯でぶつけるというストーリーでも成立する。
 第9話
 2回目の春天とマックイーン
 第10話
 考えていない
 第11話
 秋天とスズカ
 第12話
 考えていない(というか、ピークアウトさせるか否かで変わる)
 第13話
 有馬とゴルシ→「これがキタサンブラックだ!」

 軸はあくまで夢を託されるキタサンブラックである。そのため、各先輩とのやりとりは欠かせないと思う。先輩たちの願いとキタサンが勝つというくだりがくどそうなら、スペシャルウィークを有馬記念にもってきて「二人を見ていると、私とグラスちゃんのことを思い出しちゃって……。有馬記念、頑張ってくださいね!」とするのも良い。スペはそれでも頑張ったことを笑顔で褒めてくれるだろうから、負けても笑顔を浮かべてもらえるのならなんのために走るのか見直すというキッカケ作りにもなるだろう。その分はシュヴァルたち三姉妹のシーンを減らすことになるだろう。それは他の二人がレースにかかわるわけではないから、つまり深掘りする必要、出演させる絶対的な必要性がないからだ。OVAに入れるくらいでもいいのではないか。


追記
(長いので端折って構いませんが、個人的には割と納得感があるので読んでもらえると嬉しいです。ザックリ言えば長編ストーリーには「応援のキッカケ」「応援の理由」「応援の熱量」が必要だという話になります。)
 『SAVE THE CAT の法則』という本がある。非常にタメになる本であり、そこには「共感」という単語が出てくる。それは後に述べるキャラへの好印象といった感じの意味だったと記憶しているが、私はそれに加えて2つの条件を加えたい。これには呼び名がついていないので好きなように呼んでほしいのだが、「応援の理由」と「応援の熱量」である。
 いうなれば共感は「応援のキッカケ」にあたる。たとえば散歩しているときに突然知らないおじさんに「俺のことを応援してくれ!」と言われて、心から応援できる人はどれだけいるだろうか。しかし、目の前でそのおじさんが鳥に糞を落とされ、車に水たまりを弾かれて水浸しになり、しかも何かに躓いて転んでゴミ捨て場に突っ込んだらどうだろうか。「私のことを励ましてくれませんか……」と言われたら「頑張ってください……」とか「良いことがありますように……」とか、なんだか祈ってしまわないだろうか。それがキッカケである。誰しも嫌いな人間は応援したくない。それどころか、好きでも嫌いでもなくても、よく知らない人間も別に応援したくならない。しかし好きな人間や可哀想な人間はなんだか応援したくなる。そして応援とは、私たちがストーリーによって動かされる感情である。
 次に「応援の理由」について話そう。これはつまり「何を目的としているのか」ということである。「勝利した際に得るもの」といえるかもしれない。私たちは先ほどのおじさんに「頑張ってください……」とか「良いことがありますように……」くらいのことしか言えなかった。それはおじさんが何を頑張るのかわからないから、漠然とした応援しかできないからである。たとえばおじさんが「今日、再就職先の面接なんです。しかしこんなに悪いことが重なると上手くいかない気がしてきて、誰かに励ましてほしいんです」と言ったのなら「面接、頑張ってください」だとか「憑きものを落としただけです。きっと面接は上手くいきますよ」と言うことができる。だがこれが「今からコンビニに強盗に行くのですが、上手くいく気がしなくて……」という文言だったらどうだろう。応援できないか、せいぜい冗談だと思って適当に流してしまうだろう。その場では応援しても、なんだか蟠りが残ってしまうかもしれない。せっかく応援したくなっても、その理由(目的)がイマイチだとなかなか応援できないのである。
 最後に「応援の熱量」である。これは「負けた際に何を失うのか」そして「壁の大きさ」というように言い換えられるかもしれない。たとえばおじさんが「今日面接が上手くいかないと、息子とはもう会えなくなるんです」とか「今日上手くいかなかったら自殺しようと思っていて」とか言い出したら、もういっぱい応援してしまうかもしれない。言葉の限り応援するかもしれない。それは失敗すると失うものが大きいからである。先ほどまでは数ある面接の1つだったものが、一気にかけがえのない面接になる。人間は結局勝つか負けるか、博打に弱いのだ。だが、これがもし「1000人受けて999人が受かる面接」ならどうだろう。「まあ受かるんじゃないっすかねえ。そこまで気負わんくても」くらいに思ってそれなりの応援になるかもしれない。しかし「ここまで1000人が受けて50人まで減りました……。今日、合格者の10人が決まるんです。私はまだ息子と離ればなれになるわけにはいかない……!」となれば応援しまくりだ。壁が大きく、失うものが大きいほど人間はヒリついてしまうのだ。私たちはパチンカスのことをバカにできないのだ。残念ながら。
 いかがだったであろうか。これは多くの少年漫画にも当てはまることかと思う。たとえばウマ娘と同ジャンルのスポーツから2つ例を挙げてみよう。『ブルーロック』と『火ノ丸相撲』だ(なぜなら私が好きだから。ちなみにスポーツで好きなトップ3の最後の一つは『ANGEL VOICE』である。スラダンも早く読みたい)。ブルーロックは、まず潔は県大会決勝戦で敗北し、吉良との差を感じながらも悔しさを爆発させる。負けた経験のない人は少ないだろうし、「もしあのとき……していたら」と考えたことのある人も多いだろう。さらに今はSNSも発達し、同世代のスターとの格差を感じる人もいる。そうした「弱さ」というものは共感を得るに十分なものであり、それでも「悔しい」と感じる少年を、私たちは応援したくなるのである。「応援の理由」と「応援の熱量」は簡単だ。理由は「世界一のストライカーになる」ことであり、熱量は「退場」「日本代表にすら選ばれない」である。ただし熱量の方は後半になると変わるのだが。『ブルーロック』の方はこれくらいにして『火ノ丸相撲』に移ろう。『火ノ丸相撲』はまず痴漢を捕まえるシーンから始まり、さらに主人公が褌であるために連行されそうになる。これが理由だ。痴漢を捕まえるという好印象に加え、褌だったせいで連れて行かそうになるというギャグシーン。「かっこよさ」と「面白さ」のダブルパンチだ。さらに不良までたたきのめすのだからまあかっこいい。応援の理由と熱量は「力士にすらなれない人間が、横綱を目指す」というものだ。力士にすらなれない人間が簡単に負けてしまえば、当然「大相撲の方から頭下げに来る」ようなことは起こらない。ただでさえトーナメントなんかでは負けたら終わりだからヒヤヒヤするのだ。火ノ丸にとって、一戦一戦の重みはさらに大きいだろう。特に全国大会は激アツである。負ければ火ノ丸の夢は絶対に叶わないという条件が付されているようなものなのだから。皆が必死に1勝を捥ぎ取ろうとする試合の数々は必見である。
 さて、それでは最後に上記で述べたものが私の改作にどのように活かされているか述べよう(詳細は勝手に改作シリーズ参照)。まず第1話ではシュヴァルの共感ポイントを作り、漠然とだが応援の理由を明確にする。第4話ではクラウン(とダイヤ)の応援の理由を明確に描写し、同時にジンクスと壁の大きさを説明することでダイヤ含めサトノ家への熱量も増やす。またキタサンブラックに関しては適宜スピカの先輩方から夢を託されるようにすることで、応援の理由を毎度明確にする。スピカが好きであれば自然と熱量の方も増える。ドゥラメンテは応援の理由と熱量を明確にしたい(まだわからんのです)。アースはあまり触れない。この子のこと何も知らないので理由・熱量ともに手のつけようがないうえに、別にキタサンが負けるわけではない(主人公を負かす展開は視聴者にとって基本「不快」なので、相応の理由を持たせるか、あるいはリベンジのための壁としなければ、視聴者にとって納得のできない展開になる。実際、糸師凛、天王寺獅童、久世草介などは皆壁であり、その壁の大きさが克明に描写される。一方で辻桐仁は火ノ丸に勝った「理由」が描写される。ときに敵キャラの描写は、主人公側よりも重要になり得る)。最も触れなくても大丈夫なキャラクターである。どうしても触れたいのであれば、もう少し理由と熱量を練ってからでないと考えることもできない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?