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M-404 アルルのヴィーナス半面

石膏像サイズ: H.35×W.24×D.20cm(原作サイズ)
制作年代  : 紀元前1世紀末(原作は紀元前360年)
収蔵美術館 : ルーブル美術館
作者    : プラクシテレス(Praxiteles)
出土地・年 : 仏・アルル 1651年

古代ギリシャ神話上で愛と美の女神であるアフロディーテ(ローマ神話ではウェヌス その英語読みはヴィーナス)の彫像です。紀元前360年頃に、アテネの高級娼婦だったフリュネからの依頼を受けてプラクシテレスが制作した「テスピアイのアフロディーテ(現存せず)」という彫像のローマンコピーと考えられています(2世紀のローマの歴史家パウサニアスが、ボエオティアのテスピアイに「クピド・フリュネ・アフロディーテ」の3体で構成された群像があったことを記録している)。「アルルのヴィーナス」の後部の頭髪の表現は、プラクシテレスの代表作「クニドスのヴィーナス」と共通する要素が見られ、同一の作者とする根拠となっています。プラクシテレスは、それまでタブーとされていた女性の裸体表現について、この「テスピアイのヴィーナス」ではまず半裸の姿で具現化し、10年後に全裸の「クニドスのヴィーナス」(古代ギリシャ美術史上、初めての女性の全裸彫像だった)を完成させたものと推定されています。

石膏像の原形となった「アルルのヴィーナス」は、1651年にアルルの古代ローマ劇場跡から発掘されました。アルルは古代ローマ時代カエサルに協力することで植民地・属州としての地位を向上させた歴史があり、カエサルの出自である“ユリウス族”の一部であることを自認していました。ユリウス族は、ギリシャ神話に登場するアイネイエス(トロイア戦争の武将、戦争での敗北後、逃れて後のローマ建国の祖となったという伝説)を起源としており、アイネイエスの母であるアフロディーテへの信仰を持っていました。古代ローマの植民市であるアルルからこのヴィーナス像が出土したのは、そのような歴史的背景があります。

発掘された彫像は、ジャン・ソトゥローという人物によって修復され、30年間南フランスの街の市庁舎を飾っていました。その後1684年にルイ14世へと献上され、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間に展示されました。両腕、腰、首の一部などは発掘時から失われていたため、当時の宮廷彫刻家であったジラルドン(François Girardon 1628–1715)が大幅な修復・補足作業を行いました。その後1911年に、ジラルドンが修復作業をする前の段階で型取りされた複製品が発見され、ジラルドンの行き過ぎた修復(改変)作業に批判が高まりました。ジラルドンは、発掘された彫像が“アフロディーテ像”であることをより明確にするために、右手には「パリスの審判(不和の神エリスの投げた林檎を勝ち取ったアフロディーテが、最も美しい者ということとなり勝利した)」の林檎を、左手には鏡を持たせましたが、これらは全てプラクシテレスの原作とは無関係の要素です。さらに頭部の表面を大幅に研磨して“美しい顔立ち”に仕立てあげてしまいました。そのような改変が明らかとなってしまったため、この彫像は長い間ルーブル美術館の収蔵庫にしまいこまれてしまいました。しかしながら彫像の大部分はローマ時代の貴重な古代遺物ですし、右腕にはめているブレスレットなどクニドスのヴィーナスとの共通点も含まれており、伝説的な彫刻家プラクシテレスの作品のエッセンスを伝える貴重な資料として、現在はルーブル美術館の大切な展示物になっています。

ルーブル美術館収蔵 「アルルのヴィーナス像」 紀元前1世紀末(原作は紀元前4世紀) (写真はWikimedia commonsより)


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