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K-128 クニドスのヴィーナス胸像

石膏像サイズ: H.70×W.43×D.35cm(原作サイズ)
制作年代  : 古代ローマ時代(原作は紀元前350年頃)
収蔵美術館 : ヴァティカン美術館
原作者   : プラクシテレス(Praxiteles)
出土地・年 : 18世紀以前

「クニドスのヴィーナス(コロンナのヴィーナス)」は、古代ギリシャ史上初めての等身大の女性の”裸体像”であったとされるプラクシテレス(石膏像のヘルメスの作者と同じ)作のヴィーナス像の姿を最も忠実に伝える複製品とされています。

原作のヴィーナス像はクニドス(現在のトルコのエーゲ海沿いの都市)に設置されていましたが、後に東ローマ帝国のコンスタンティノープルへと持ち去られ、6世紀に発生したニカの乱の混乱で破壊されたと考えられています。大プリニウス(古代ローマの博物学者)の記述によれば、プラクシテレスはコス島の市民から女神アフロディテの像の依頼を受け、着衣像と裸像の2つを制作しました。コス島の市民は裸像の姿に驚きを受け、その受け取りを拒否し、着衣像だけを購入しました(この着衣像は現存せず、そのデザインも伝わっていない)。受け取りを拒否された裸像を、クニドスの市民が購入し、これをあらゆる方向からみられるように屋外の神殿に設置しました。その堂々とした裸の大胆な姿から、クニドスのアフロディテ象はプラクシテレスの最も有名な作品となりました。

それまでの古代ギリシャでは、女性像は全て着衣の状態で制作されており、このヴィーナス像のセンセーショナルで美しい姿は評判となり、たくさんの複製品が作られました。そういった現存するコピーバージョンの彫像のうちのひとつが、ヴァティカン美術館収蔵の「コロンナのウェヌス」と呼ばれる彫像です。”コロンナ”の名は、この彫像を当時のヴァティカンに寄贈した貴族コロンナ家にちなんだもの、”ウェヌス”とはヴィーナスのことです。コロンナ家は、中世イタリアで力を持っていた貴族(枢機卿を多数輩出し、15世紀にはマルティヌス5世が教皇にもなった)で、ローマのトラヤヌス帝の記念柱(コロンナ)の近くに一族が住んでいたためこの名になったそうです。彫像の発掘地、年代などは不明なのですが、1783年に、コロンナ家のドン・フィリッポ・ジュゼッペ・コロンナが当時の教皇だったピウス6世に4体のヴィーナス像を贈った記録が残っています。その中の1体がこの「コロンナのヴィーナス」でした。

このヴィーナス像はクニドス人の守護神、信仰対象となり、さらに観光の目玉ともなりました。ピテュニア王ニコメデス一世は、彫像と引き換えにクニドスが抱える莫大な借金の清算を申し出ましたが、クニドス人はこれを拒絶したというエピソードも残っています。クニドスのヴィーナスからスタートした美しい女性の裸体像のスタイルはVenus Pudica(恥じらいのヴィーナス)型と呼ばれ、片手で胸や陰部を隠すポーズはその後の「カピトリーノのヴィーナス(石膏像K-127)」「メディチのヴィーナス(石膏像N-059)」などへと受け継がれ、「ミロのヴィーナス(N-001他)」「アルルのヴィーナス(M-404)」などにも影響を与えました。

ヴァティカン美術館収蔵 「コロンナのウェヌス像」
(写真はWikimedia commonsより)


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